第4話 女性記者の悲哀
「私は、どうしてここにいるのだろう?」
つかさは、目が覚めると、知らない部屋にいて、そこに一人の男が眠っていることに気付いた。
つかさは、その時、自分が、
「いちかとして、風俗嬢もしていた」
ということすら覚えていない。
だから、目の前にいる男性が、自分の客だったということも分からなかった。
頭の中に、あの風俗のお部屋のイメージはまったくなく、別に自分が、生娘のような、恥じらいだらけの女性だという感覚はなかったが、部屋のことも、記憶からなかった。
自分が風俗嬢だという意識がなくても、記憶の中に、意識のない部屋の記憶などが残っていて、
「ここはどこだったのだろう?」
という意識があってしかるべきなのに、その意識がまったくなかったのだった。
「私は記憶を失っているんだ」
というのは、目が覚める前から分かっていたような気がする。
「では、その失っている記憶は、どこに行ってしまったというのか?」
とも考えてみたが、それよりも、
「記憶がないことを、
「理不尽だ」
という感覚でいるのは分かっているのだが。それよりも却って、
「意識の中に、ぎこちなさを感じながら、何が理不尽なのか。その正体が分かりかねるところが、おかしな感覚に連れていく」
というのであった。
「自分が、あの場所で助けられた」
ということは、ここにいる男性に聴いた。
そして、警察が病院で迷ったが、とりあえず、部屋に連れてくることにしたと言われた時、一瞬、ゾッとしたものを感じたが、彼が、襲ってこなかったことで、
「この人は信用できる」
と感じた。
「どうやら私は、決定的に相手を信じないタイプの人間だったようだ」
と感じたのだ。
それも当たり前のことで、諜報活動など、その意気でなければ、できないことだからであった。
だから、この人に対して、この場面で、
「私は記憶喪失だ」
ということを告げたのだ。
そういっておけば、少なくとも、この男が襲ってくることはないと思った。
もちろん、出会ってすぐに、相手の男のことなど、簡単に分かるはずなどないだろうが、つかさの中で感じた思いは、間違っていないように思えるのだ。
つかさは、失った記憶の中で、なぜか思い出すものがあった。
それが、
「城めぐり」
というものであった。
たぶん、記憶が普通にあった時、きっと、結構好きだったのだろう。
その中でも、
「お城」
というイメージが強く、
「どこのお城がよかったのか?」
ということを考えると、それまで忘れていた記憶を徐々にではあるが、思い出していた。
その記憶は理路整然としていて、もはや、
「この記憶に間違いない」
と感じさせるものだったのだ。
さらに、お城の光景は頭の中に、次第に鮮明になっていくのを感じた。
しかも、城一つ一つに、豆知識的な情報があり、それを覚えているのだ。
「いや、この場合は、記憶を失わなかった」
と言った方が正解なのかも知れない。
「日本のお城というと、他の国にはない。日本固有の文化だといっても過言ではない。特に、現存と呼ばれる施設は、奇跡に近い。それも、天守というと、12しか現存は存在しない」
ということであった。
江戸時代には、
「元和堰武」
ということを平和の象徴として、
「一国一城令」
を出して、
「第一回目の危機」
ということになった。
それまで、100年以上に渡っての、群雄割拠の戦国時代。
「下克上」
というものが蔓延る中、油断していると、いつ足元をすくわれるか分からない。
それが、配下の者からうける、
「謀反」
であったり、するものは、何がどうきれいごとを言っても、
「裏切り」
ということにしかならなかったのだ。
鎌倉時代までは、戦を始める時、
「やぁやぁ、我こそは」
といって、一騎打ちが主流だったのは、当時は武士といっても、
「出てきたばかり」
ということで、
「戦で、卑怯なことは許されない」
ということから、
「夜討ちは、卑怯だ」
という、武士が起こってきた当初で、都での
「軍事クーデター」
のようなものの、大将であったり、参謀球というのは、公家だったのだ。
武士はそれに従うだけ。
しかし、頭の中では、
「そんなことをしていては、相手に夜討ちをされて、気が付けば、攻めこまれていた」
ということで、後になって慌てても、
「時すでに遅し」
ということになるのだ。
「保元の乱」
などというのが、代表的なものだったに違いない。
しかし、
「室町幕府、将軍後継問題、御家人のお家騒動、そして、管領による、権力闘争などが渦巻く中で巻き起こった、応仁の乱の時、各地の守護が、京都に集結し、いくらに興じていた時、地元では、主語がいないということで、守護代は、御家人などが、反乱を起こし、領地を奪い取るということを行い、守護は完全に、どうすることもできず、急いで、領地に戻らなければいけなくなった。
そのまま、反乱を収める場合もあれば、結局反乱がそのまま居座ることになるが、どちらにしても、この時代からの大名は、
「戦国大名」
として、
「内に外に」
と、敵をまわりに抱えることになってしまうのだ。
「戦に明け暮れ、領地を拡大していく」
そうしないと、隣国から攻めこまれ、相手にみすみす領地を取られてしまう。
そのための、
「戦いの城」
というものが必要になる。
当時の城というのは、基本的には、山城が多かった。
平地には、居住地としての、館が作られ、その後方にある山に。
「詰めの城」
という形で、隣国から攻められたりすると、領主はそっちに籠って、攻めてを迎え撃つということになる。
いわゆる、
「籠城戦」
っである。
当時の城は、山の上にあるので、基本的には、
「天然の要塞」
ということである。
天然の城」
というと、山なので、濠といっても、空堀であり、その堀切によって、相手の侵入を阻んだり、
「上から」
という地の利を生かし、石を落としたりして、攻撃を粉砕するというやり方を用いたりもするのだった。
戦争において、どのように相手から攻められないか?
ということを考えていると、次第に、城の形も変わってくる。
特にまわりにも山があれば、そこに、支城を築くというのも当たり前にあったことだ。
これには2つの理由があり。
「本城が攻められた時、逃げられる」
ということと、
「本状を攻めている敵を後ろから忍び寄って、挟み撃ちにできる」
ということである。
ただし、失敗すると、本陣から、別動隊が現れ、支城からの軍は、別動隊によって、やられてしまうということにも、なりかねないであろう。
そんなことを考えていると、
「戦争をいかに、うまく進めていくか?」
ということのキーパーソンは、
「城」
だということは、この時代から分かっていたことだろう。
そういう意味では、城の目的は、
「攻めてくる相手を寄せ付けない」
ということに終始することだろう。
その後に起こってくる、大名による、
「政務を行う場所」
あるいは、
「大名の住居としての側面」
と言われるが、そうではない。
逆に皮肉な言い方をすれば、
「切腹の場所」
といってもいいだろう。
「相手の兵に攻められ、相手に天守まで来られると、もはやこれまでといい、腹を切り、そのまま天守に火を掛ける」
というのが、天守の役割であり、運命だともいえるだろう。
「実に儚い、役割であり、運命だ」
ということになるのであろう。
そんな天守の出現は。戦国時代の後半くらいであろうか?
天守の最初と言われるのは、
「松永久秀の信貴山城」
と言われたり、最近では、
「荒木村重の有岡城」
いわゆる今の、
「伊丹城」
だと言われている。
いずれも、今では残っていない。
特に、信貴山城というと、織田信長に攻められ、信長が、
「差し出せば命は助ける」
と言った、茶器があるのだが、言い伝えとして、
「その茶釜に爆薬を仕込んで、爆死した」
と言われているが、真相というのは、かなりあやふやだという話だった。
有岡城というと、黒田官兵衛を幽閉したということで有名なところで、ちなみにいえば、信貴山城の松永久秀、有岡城の荒木村重、それぞれに共通点があったというのは、皮肉なことではないか。
というのは、
「二人とも、織田信長を裏切った」
ということであった。
松永久秀に至っては、2回も裏切っているのだ。
だからなのか、信長に、
「降伏勧告」
を受けた時、最後まで断り、自害して果てたのだ。
織田信長というと、
「殺してしまえホトトギス」
という狂句が残っていることから、
「残虐非道な人間」
と評されているが、実は、それ以外の三英傑である、
「豊臣秀吉」
「徳川家康」
の方が、残虐だったといっても過言ではないかも知れない。
秀吉は、自分の悪口を書いたとされる連中を探し出すように命じておいて、それができなかったからといって、捜索した連中を、家族もろとも処刑したのだ。
もちろん、
「家族もろとも」
というのは、残虐だと言えばそうなのだが、当時とすれば、仕方のないことである。
なぜなら、
「平清盛と、源頼朝」
という二人の関係を考えると、当然、皆殺しは仕方のないことだろう。
というのも、
「平治の乱で勝利した清盛が、子供の頼朝を、二位の前、つまり、義理の母親の嘆願にて、命を助けたこと、さらに、弟の義経、範頼までをも助けたことで、この三人が、結果として、平家滅亡を導いたのだから、清盛としては、一緒の不覚だったといえるだろう」
ということであった。
そういう意味で、
「勝者が処刑を行う場合、家族もろともというのは当たり前のこと」
だったのだ。
だから、家康が、
「大阪の陣」
で、豊臣家を滅亡させた時も、隠れていた秀頼の息子をも見つけ出して、処刑したというのも同じ考えだったことだろう。
このように、秀吉も家康も、残虐性では、引けを取らないといってもいいだろう。
しかし、信長というのは、この二人にも増して、残虐だったといえるのだろうか?
よく言われる、残虐性であるが、その代表例が、
「比叡山焼き討ち」
ではないだろうか?
確かに、女子供まで、すべてを虐殺したというのは、ひどいことであることは分かる。
しかし、信長はわけもなく、いきなり攻撃したわけではない。
当時の寺は荘園の利益などもあり、裕福になっていて、僧侶としては堕落していた。
しかも、政治に口は出すは、敵対勢力に加担するわということで、
「仏門」
という隠れ蓑に隠れてのやりたい放題だったのだ。
だから、信長は、
「今後、敵対勢力に加担すれば、比叡山を焼き討ちし、皆殺しにする」
と警告までしていたのだ。
それでも、比叡山は、
「そんな罰当たりなことはできないだろう」
とタカをくくっていたのだ。
世情を見ていれば、本願寺に苦しめられている信長を見れば、宗教団体を、大名と同じだと考えていることは分かりそうなもの。
「堕落は、世間を見る目まで曇らせていた」
ということであろうか、可愛そうなのは、門徒の人たちである。
ただ、これも、
「本願寺などへの見せしめ」
と考えれば、このやり方は、
「人間としてどうなの?」
と言われるかも知れないが、
「この時代ということであれば、おこが、残虐だというのか?」
と言えるだろう。
何と言っても、いきなりではなく、ちゃんと忠告もしているのだ。
そして、どうせ、やつらは、
「信長といっても何もできないではないか?」
といって笑っているだろうことは、誰にでも想像のついたことであろう。
常識にとらわれるのであれば、それだけのことができていればいいのだが、それができていないことでが、やつらの命取りだったのだ。
そう考えれば。
「皆殺しは、比叡山の僧の側に責任がある」
といっても過言ではないだろう。
比叡山の僧は、油断もしただろうが、やはり、
「自分たちが間違っているかも知れない」
ということを、まったく考えていないことでの、検挙さを失っていたのだろう。
「寺を焼き討ちにすれば、天罰が下る」
ということで、いくら信長でも、天罰が下るようなことはしないと思ったのだろうが、感覚の違いというのは、恐ろしいものだ。
僧侶たちも武装したりはしていたが、武士ではないのだ。武装して戦うということの意義や目的が、最初から違っているのだから、考え方が違うのは当たり前。
いくら比叡山の連中が、
「御仏がおわす」
といっても、武士からすれば、
「僧侶がいうように、民を救うというのであれば、今の戦乱の世をどうにかしてから言え」
ということなのであろう。
「民を救うこともできず、坊主どもは、肉を食らい、酒を飲み、女を抱く。それこそ、酒池肉林ではないか?」
と言われてしまうと、僧侶も何も言えなくなるはずだ。
そもそも、平安時代に荘園を寺社がもつようになって、
「それら荘園を守る」
ということで、僧兵というものができたのだから、
「僧兵と武士とは、元々の成り立ちという意味では同じではないか?」
と言えるのではないだろうか?
それを思うと、
「僧兵と、武士とが争うのは、おかしなことでもある」
と言えるだろう。
しかし、戦国時代は、武士によって作られた戦乱の時代。
農民や僧侶にとっては、ある意味、
「迷惑」
ともいえるだろう。
しかし、自分の土地や生活を守るためには、地元の武士が、他の土地からの侵略から守ってくれないと困るというのも、道理である。
武士の世の中として、
「封建制度」
というのは、庶民たちと武士との間、あるいは、武士の間での取り決めであるので、僧侶にはあまり関係のないところであろう。
そんな時代から、お城というと、山城から、平山城になったり、平城になったりしてきた。
これは、城下町に聳える領主の権威の象徴という意味で、城をどこからでも見えて、さらに、街全体を、要塞化するという目的もあったのだろう。
そんな城も、江戸時代になって、徳川幕府成立後、豊臣政権が滅んだあとは、
「そんなものがあると、今度は幕府への謀反につながる」
ということで、幕府とすれば、
「超大敵がなくなったということで、今度は、各大名の力を削ぐ」
ということを目的に、
「改易」
によって、取り潰し、
「参勤交代の義務」
によって、藩の財政を圧迫させる。
ということによって、力を削ぐことに特化した政策をとるようになった。
その後、今度は、改易によって、職を失った武士が、溢れるという、
「失業問題」
を引き起こしたり、
「幕府の財政が、揺らいでくる」
というさまざまな問題が起こっては来たが、それでも何とか、
「ペリー来航」
までは、幕府の権威というものが保たれていたようだ。
だが、開国から、明治維新にかけて、
「尊王倒幕運動」
から、新政府確立と、時代は移り、
「近代兵器の前では、城はもういらない」
ということで、
「廃城令」
が出された。
これは、軍による徴用として使えない限り、基本的に取り壊すというものであったが、中には、民間に払い下げなどということをして、残された城もあったりした。
それでも、戦争中の空襲では、そのほとんどが焼失し、戦争が終わってから、復興のための天守であったり、観光目的での天守建造という、
「模擬天守」
というのもできてきたのだった。
今の観光で見ている天守のほとんどは、この、模擬天守ということになる。
「本当に天守がその場にあったかどうか、関係ない」
ということであったり、
「実際に天守があったのかどうかも分からない」
というものもあったりするのだ。
つかさは、そんな城めぐりをしている時、それくらいの知識はちゃんと持っていただろう。
実際に、記憶が欠落している中で、
「城めぐりが好きだったような気がする」
という記憶の中で、
「城についての知識もある程度は持っていたはず」
と感じていた。
そして、その城というものの考え方を思い出していくうちに、
「私は、何か重要な仕事のようなものを持っていたような気がするんだけどな」
という思いと、
なぜか感覚的に、
「その重要なことが、複数あったような気がするんだよな」
と感じたのだが、それが何なのか、正直分からなかった。
その複数のことが、
「関係のあることなのか?」
あるいは、
「関係のないことなのか?」
ということで、自分が、記憶を失っていることの意義のようなものがあるのではないか?
と、勝手に感じるのであった。
さて、そんな中で、つかさは、自分の中にある
「欠落した記憶」
というものを思い出そうとしていた。
しかし、実際には、その欠落している記憶が残っているはずだった。
その記憶がどこにあるのかというと、分からない。
だが、その記憶をもし引っ張り出したとすると、記憶を失ってから今までにできた記憶がどうなるのか?
ということが怖かったのだ。
しかも、つかさは、
「自分の記憶の欠落が、いつから始まったものなのか?」
ということが分からない。
分からないからこそ、
「戻ってくる記憶よりも、失う記憶が、どこからなのか?」
ということの方が怖いことを恐れているといってもいいだろう、
もっといえば、
「そもそも、記憶が欠落していることを、途中まで分からなかったのだから、どこから記憶がないのか? などということが分かるはずがない」
といってもいいだろう。
実際に、記憶が欠落している部分というのは、道の途中で陥没しているようになったところで、完全に、通れないところではない。
しかし、無理をすると、せっかくの足場も崩してしまい、自分が谷底に落下するだけではなく、完全に、元にいる人も渡れなくなってしまう。
だから、誰も渡ろうとせず、その場での救助を待っている。
つかさもその感覚があるから、無理に記憶を取り戻そうとしないのだ。
それなのに、まわりは、皆、
「記憶が戻ればいいよね」
と、実にいい加減なことをいう。
自分がその立場になれば、本当にそう思うのだろうか?
そんなことを考えていると、
「記憶が戻れば、それまでの記憶が消える」
という子供の頃に見たアニメを思い出した。
その時、魔法使いの話で、魔法使いの女の子が、
「自分が魔法使いだということを明かさなければ、友達を助ける魔法が使えない」
という。
「そこで、彼女は使おうとするが、それをするには、魔法の国の掟で、人間に魔法使いであるということがバレると、人間のその記憶から、魔法使いや自分たちの存在の記憶がすべて消されて、自分たちは人間界にはいられない」
というものであった。
これは、魔法使いの女の子にとっては、厳しい選択であった。
「友達を救うには、魔法使いであることを明かさなければいけない。そうなると、人間界にはいられなくなり、相手の記憶は消されてしまう。ただ、自分の記憶が消えるわけではないということであった。消してもいいのだが、彼女は消すことを拒んだのだ」
ということである。
もし、彼女を救わないとなると、記憶があるだけに、後悔の念が、一生残るというものである。
そのどちらかを選ぶのか?
ということになれば、最初は迷ってはいたが、すぐに答えは出る。
つまり、迷っているというのは、
「踏ん切りがつかない」
というだけで、最初から答えは決まっていたのだ。
それを分かっているのかいないのか、彼女にとって、まだ子供だとはいえ、
「一世一代の決断だ」
といってもいいだろう。
これが人生の、最初の節目となるのであった。
その魔法使いの女の子は、
「私は、まだまだ魔法使いとしては、未熟なので、今は訓練の真っ最中であり、自分の本分は、立派な魔法使いになること」
ということであるのは、百も承知だった、
正直、人間の世界に来るまでは。
「すべてが、そのために用意された世界」
だと思っていた。
「しかし、人間世界で勉強するうちに、人間の世界というのは、自分たちの都合のいいようにできているわけではなく、魔法を使ったからといって、そのすべてが解決するわけではない」
ということであった。
それは、すべてにおいて分かってるはずのことだったのだが、まだ子供のその女の子には、そのあたりの、
「リアルな考え」
というのは分かるわけではなかったのだ。
だから、本来であれば、
「友達を助けるためであれば、魔法を使って助けてあげて、そのまま普通に記憶を消されて、魔法の国に帰ってしまえばいいだけだわ」
と思うはずなのに、どうもそう思えない。
どうして、そう思いきれないのかということも自分で分からない。
「どうしたことだというのだろう?」
と考えるのだ。
そう考えると、堂々巡りに考えが入り込む、一種の、
「負のスパイラル」
というのだろうが、考えれば考えるほど、ロクなことはないのだ。
つまりは、
「私がその子のためにしたことで、自分がつらい思いをすることになるのだ」
ということが分かっている。
友達のためとはいえ、自分を犠牲にすることが本当に正しいのかどうか考えさせられる。
人間の世界にいれば、何があろうと、
「友達を助けるのが当たり前だ」
ということになるのだろう。
もちろん、魔法の国でも、その子が選ぶことは最初から決まっていると思っている。
逆に友達を見捨てるようなことになったのだとすれば、果たしてどうなるのか?
物語としては成立しないので、そんな話は、
「現実でも現れないだろう」
と思う。
もし、彼女が友達を裏切ったら、彼女はそれなりの制裁を食らうことになる。
「半永久的に、魔法使いにはなれず。記憶を失ったまま、どこかの夫婦の間に、人間として生まれ変わる」
ということになるかも知れない。
そういう意味でいけば、
「ひょっとすると、人間として普通に生まれてきた子も、魔法使いの国で、
「何かをやらかしてしまった」
とかいうことで、
「バツとして、人間として生まれ変わる」
ということになるのだった。
じゃあ、人間として生まれ変わったとすれば、もう、魔法使いとして生まれ変われる可能性を逸したということであり、
「これ以上の罰はないだろう」
ということになる。
そうなってしまうと、
「子供心の中にも、魔法使いとしての意識があることで、必ず友達を救わなければいけない」
と考えなければいけない。
それができないのは、やはり罰を受けることになり、
「結果として、これくらいの厳しいバツであっても、受けなければいけないのだろう」
ということになるに違いない。
それを考えると、
「考え方としては、人間も魔法使いも、あまり変わりない」
といってもいいのではないだろうか?
魔法使いでも、人間でも、考えていることは同じなのだ。
しかし、特殊能力を魔法使いが持っているので、人間に比べて、その制限は大きい。魔法使いの方が人間よりも、少しだけまわりを見れているから、そうなのである。
魔法使いは、人間を分かっていない。
人間は、魔法使いの能力と、その存在を知らない。
それぞれに、一長一短であった。
しかし、今回の問題をすべて魔法使いに押し付けるというのは、これが物語であり、物語であっても、人間の考え方は、
「そのすべてが人間中心だからだ」
ということである。
女の子はその子のために魔法を使い、すぐに魔法使いであることをその子に知られたがそのつかの間、こっちのことをまったく覚えておらず、昨日まで行っていた学校でも、近所でも、誰も自分たちのことを知らない。必然的に、魔法の国に帰らなければいけない。それは実に悲しいことで、人間は、まったく何のお咎めのないのだ。
「一体自分たちが何をしたというのか?」
人間を助けただけで、これでは、
「私たちは人間を助けるために存在しているだけだ」
ということになるではないか?
それを考えると、
「こういう物語は、やはり人間中心なんだ」
ということになるのであった。
だが、結局は、人間が作っている物語なので、
「人間が創造することであり、想像以上の創造はない」
ということになるのではないだろうか?
それを思うと、結局は、
「いかに、人間を感動させるかということを、魔法使いの女の子を使っていかに表現するかということに掛かっている」
のであった。
そんなことを考えていると、失った記憶の相手と一秒でも一緒にいるということの辛さが感じられるのであった。
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