第9話 私たちはずっと……


 ミドリは自分の生い立ちを話している途中に、深く深く深呼吸をしました。ミドリと過ごした一晩の記憶を手繰り寄せながら、女の子はじっと、ミドリの話に耳を傾けます。横では海藻がゆらゆらと揺れ、海藻も二人の会話を静かに聴いているようでした。


「私は、モモ……ううん、フィリアを置いていきたくなかった。置いていく辛さも、置いていかれるのも辛さも知っていたから。帰ると伝えた時のモモの表情で、フィリアがこれまでどれほどさみしい思いをしてきたか、分かってしまったの。私とおんなじだって気づいてしまったの。……本当はフィリアを置いていきたくなかった……。でも、私の居場所は海の中じゃなかったの……」


 ミドリの声は震えていました。女の子はなんとも形容し難い気持ちになりました。結局、女の子は選ばれなかったのです。いくら同情されたとしても、置いてけぼりをくらったのです。重くどんよりした空気が海底に溜まります。水圧がいきなり強くなったような感じがしました。


 ミドリは覚悟を決めたように話し続けます。


「気がついたら、胸の内に翠色の小さな宝石のかけらがあったわ。これはさみしさの塊のようなものだった。私の体の一部だったもの。だから、かけらをフィリアに渡した。それがどれほど残酷なことか知っていたのに。……私は、宝石のかけらとなって、ずっとフィリアを見つめていたのよ。見つめるうちに、私はフィリアがどんどんどんどん大好きになっていったの。フィリアには人を癒す力があるって気が付いたわ。フィリアは海の力そのもの。そして、フィリアはずっと一人で、たくさんの人のさみしさを埋めていたのよ」


 話しているうちに、ミドリの声の震えがおさまっていました。それどころか、力強い瞳で女の子を見つめています。


 女の子は考えます。果たして、そうなのでしょうか。女の子には人間たちのさみしさを埋めていた、という意識はありません。海の力そのもの、というのも大袈裟な気がします。


「フィリアと出会った人間は満たされ、笑顔で海を去る。さみしさのかけらを置いて、みんな去っていってしまう……。でも、フィリアはこの海でずっとひとりぼっち。私はそれを眺めていて、苦しくなってしまったの。だから、願った。フィリアの本当の友達になれますようにって。フィリアの心からの笑顔が見れますようにって。……そうしたらね、私、宝石の少女になれたのよ。ほら、見て。私の姿、フィリアとそっくりでしょう?」


 ミドリがその場でくるりと回ります。キラキラと光る粉末がミドリの動きに合わせて舞いました。艶やかな翠色の髪の毛がふわりと軽やかに揺れ動きます。


「……気にしていなかったけれど、たしかに、私にそっくりだわ……」


 女の子はぼそりと呟きました。今まで出会ってきた人間と姿形がこんなにも違うのに、どうして、違和感なく人間の少女だと思ってしまったのでしょう。


「でしょう?私、嬉しかったの。フィリアとお話しできるって考えただけで、わくわくしたわ。ずっと石の中にこもって見つめることしかできなかったから……。私にとって、フィリアは特別。特別な女の子なの。名前を変えたのはね、私とフィリアの新しい出会いだと思ったからよ。それにモモよりもフィリアの方が貴女にはぴったりだと思ったから……。愛と友情。素敵でしょう?」


 女の子はうなずきます。フィリアと名付けられたときはあまり嬉しくはなかったのに、今ではその名前が特別な名前のような気がして、少しだけ嬉しい気持ちになりました。


 ですが、まだ、ミドリが宝石の少女であることを飲み込めません。


「つまり、ミドリは人間じゃなくて……、私と同じ宝石ってこと……?」


「ええ、そうよ」


 女の子の胸の内に一筋の光が差し込みます。


「ということは、地上に帰らなくてもいいってこと?」


 そうです。宝石の少女ならば、地上に行けないのです。行く必要もないのです。それは、女の子にとって希望でした。胸を指す明るい光でした。


「ええ、そうよ」


「ほんとに、ほんとう?」


「ほんとうに、ほんとうよ」


 そう答えるミドリの顔はとても優しくて、女の子は心がいっぱいになりました。あったかくて、苦くて、柔らかくて、胸の内がぐるぐるとうずいて、熱くなります。そして、その熱さは胸から這い上がって、女の子の目から涙の宝石となって溢れ出るのです。とても温かい温かい涙でした。


 女の子はミドリに思いっきり抱きつきました。


「私はもう、一人でいなくていいの?」


「ええ。ずっと一緒にいるわ」


「私はもう、ひとりぼっちじゃないの?」


「ええ。ずっとそばにいるわ。私が宝石になってからと同じように……」


 ミドリは地上に帰って、宝石になってもずっと女の子を見つめてくれていたのです。ミドリは女の子にとって、母のようで、父のようで、姉妹のようで、親友のようでした。


 女の子は泣きました。泣いて泣いて、今までのさみしさを吐き出すかのように、体の中の熱さがなくなるまで泣きました。


 深い深い海の底で、互いの存在を確認し合うように二人は抱きしめ合い、友愛を確かめ合いました。

 


 

 ここは人のさみしさを飲み込む神秘の海。


 今でも、時折、さみしさを抱えた少年少女たちが海の中へと迷い込みます。


 女の子はその子たちと友達になります。一緒に遊んで、海を探索します。そして、少年少女たちは、皆、宝石のかけらを置いて、海の外へと帰っていくのです。


 その度に、親しい友と別れるさみしさを女の子は味わいました。でも、女の子はもう孤独ではありません。胸が張り裂けるほどさみしい夜を迎えることはないのです。


 翠色の少女が髪を靡かせて、人間の少年少女をお見送りした女の子に手を振っています。


 女の子にはなんでも話し合え、なんでも受け入れ合える、大切な友達が海の中にできたのです。


 海の中では今日も女の子たちの笑い声が響き渡るのでした。

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さみしがりやの宝石 佐倉 るる @rurusakura

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