メスの調教と混浴と五千円

フィステリアタナカ

メスの調教と混浴と五千円

 フラれた。二年間付き合った彼女は、先輩とやんごとなき関係になって、僕はその事実を受け止めきれないでいた。もうやだ。こうなりゃ焼けだ。僕は少し離れた居酒屋に行って酒をたくさんあおることにした。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「一人です」

「では、こちらにどうぞ」


 生ビールを注文し、スマホを見る。映し出された文字列はただ流れるだけで頭の中に入ってこなかった。


「おう、兄ちゃん。飲んでいるか?」


 そう声をかけられ、顔の赤くなった中年の親父が僕のところに来た。


「まだ、飲んではないです」

「そうか。何飲むんだ?」

「生中です」

「中生な――おっ、姉ちゃん! 中生一つ!」


 どうやら親父さんは生ビール中ジョッキを中生と呼ぶらしい。


「お前さん随分とまあ、辛気臭い顔をしているな」

「そうですかね」


 やはり落ち込んでいるのが顔に出ているようだ。


「そんなときは飲むに限るぞ」


 「お待たせしました」と生ビールが二つ運ばれてくる。


「おっ、来た来た」


 親父さんはジョッキを持ち、嬉し気な表情を浮かべていた。


「じゃ、乾杯といきますか」


 僕も目上の人と乾杯できるようジョッキを低く構えた。


「失恋なんてクソくれぇ! かんぱーい!」


(親父さん。なんで失恋したってわかったんですか?)


 ビールを飲む。親父さんはゴクゴクと勢いよく飲んで、ビールが三分の一くらいになった。


「美味いねぇ」


 僕はビールの苦さが、心を映しているように思えた。


「で、どうなんだ? 失恋したんだろ?」


 僕はもう一口ビールを飲む。


「まあ、女なんてたくさんいるからな。五歳から七十歳までは行けるだろ?」


(親父さん。随分とストライクゾーンが広いんですね。高校生以下は犯罪ですよ)


「高校生以下は……」

「じゃあ、近所のばあさんを紹介してやる」


(年上好きですが、そこまで年上は……)


「大丈夫です。間に合っていますから」

「まあ、これも人生経験だ――おっ、姉ちゃん。中生二つ!」


(親父さん? 僕のビール、まだこんなに残っていますよ)


「人生いろいろ楽しいことがあるぞ」

「はぁ」


 親父さんは来たビールを飲み始める。


かかぁが五千円しかお小遣いくれないのはイヤなことだがな」


(親父さん? まだ今月始まったばかりですよ? こんなところで飲んでいて、大丈夫なんですか?)


「五千円ですか」

「そうだ。ガキ子供がたくさんいるからな」

「そうなんですね。お子さんは何人いるんですか?」

「六人だ」


(少子高齢化の日本の救世主だな。六つ子だったらおそ松くん)


「それは大変ですね」

「ホント困っちゃうよ。みんな俺と似てなくて真面目でな」


(それって何人か托卵たくらんされているんじゃないんですか?)


「気晴らししなきゃ、やってられねぇぜ。なっ!」


 親父さんはビールを飲み干し、三杯目に手をつける。


「メスはしっかり調教しないとなぁ」


(何をこんなところで言っているんですか? 女性を調教するなんて、変態ですよ親父さん)


「第四コーナー回ってから踏ん張りがきかねぇんだ。ラストでまくられたことが何度あったか」


(競馬の話だったのね。変態は僕の方か)


「パチンコも出ねぇし」


(お小遣い、五千円ですよね?)


「道路に落ちているタバコはおいしくねぇし」


(この人すごいな。絶対に腹とか壊すだろ)


「癒されてぇ――あそこの混浴にでも行ってみるか」


(親父さんも男なんだな)


「お猿さんとカピバラがいるらしいんだ。最高だろ」


(人類を超えての混浴なんですね。カピバラの入る温泉気になる)


「面白そうですね」

「だろぉ」


 親父さんは僕のお通しを勝手に食べている。


「ところで兄ちゃんはどこで働いているんだ?」

「いえ、大学に行っています」

「そうか、大学か――食堂で働いているんか? それとも事務方か」


(親父さん。僕は大学生なんです。大学職員ではありません)


「あの、僕、大学生なんです」

「大学生? そりゃすごいな。大学院に行って学歴ロンダリングした方が就職いいぞ」


(大学院に行くお金はないです。ただでさえ奨学金を借りているのに)


「奨学金借りているので無理です」

「はぁ。奨学金借りてまで勉強するなんてお前バカか? もったいないだろ」


(親父さんは、勉強にお金を使いたくない派なんだな。ギャンブルには使うけど)


「そうですね。もったいないですね」

「そうだ。勉強するくらいなら、若いときは遊ぶんだよ。働けば何とかなるだろ?」


(この日本社会は格差社会になっていくんです。僕は高校生から積み立て投資していますよ。それも積み立て金額は月五千円です)


 その後も二人で飲む。親父さんの話を聞いていると、失恋などちっぽけなように思えた。


「すまんな、ちょっくらションベン行ってくる」


 そう言って親父さんは席を立つ。


(そうだよな。前を向かなきゃ)


 僕は生温なまぬるくなったビールを飲む。ビールの苦みと痛んだ心。自浄作用が起きたかのような、そんな感覚があった。


「すみません。ラストオーダーになります」


 僕は追加で枝豆を注文する。来た枝豆を食べながら親父さんを待っているが、中々帰ってこない。


(酔い潰れているのかな)


 トイレに行ってみるが親父さんの姿は無く、仕方がないので席に戻った。


(どこにいるんだろ――あっ)


 テーブルの上にある二枚の伝票を見て、気づく。親父さんは今月五千円しかないということを。


(やられた)


 こうして僕の財布から一万円札が消えたのだ。

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