第5章 黄泉返りの魔王 15

 魔法馬に牽かれた馬車はシクラメンから街道沿いに北へとひた走る。


 サスペンションを追加する時間はなかったので、車体は結構揺れているが、分厚い低反発素材でなんとかお尻が痛くなるようなことは避けられそうだ。


 秋の深い時期で、王都よりかなり北ということもあり、そこら中を埋め尽くす雑草も色づいているものが少なくない。


 それらの平原はかつては小麦畑だったのであろう。

 区画を分けるための畝の痕跡が見受けられる。


 だがそれも注意深く見れば気付く、という程度のもので、なにも考えずに景色を見ていれば、ただの野っ原にしか見えない。


「この地を農地として活用できたなら、シクラメンの食糧自給率も改善するのでしょうけれど」


 リディアーヌがわざわざ御者台のほうに顔を突き出して物憂げに言う。


「かといって、独立の余地があるほどに食料を生産させたくもない、ですよね?」


「確かにそうです。シクラメンは王国と繋がってはいますが、飛び地のようなものです。辺境伯のことは信用していますが、次代や、その次となると分かりません」


「殿下がそこまで気にすることでもないのでは?」


 リディアーヌは俺のところに嫁に来る。

 いや、実際には俺のほうが婿に行く形だから、リディアーヌの王位継承権は残る。


 だが現状でもその順位は低いし、レオン王子とかが結婚して男子が生まれたら、その子のほうが順位が高くなるだろう。


 つまりリディアーヌが王座に座る可能性はほぼ無い。


「もしも何か良くないことが起きて、私よりも継承順位の高い者がひとりもいなくなったとき、こうなるなんて思ってなかった、とは言いたくないのです。野心はありませんが、準備はします」


 うーん、根っからだなあ。

 やっぱりリディアーヌに秘密にしてることを開示するのは止めたほうが良さそうだ。

 彼女の性格からすると、俺たちのことより、彼女自身のことより、国益を優先するに違いない。


「では私との婚約も政治的なものですか?」


 意地の悪い質問だとは思ったが、明確にしておきたい。


「そういう側面もあることを否定はできません。そうですね。私のところまで継承順が回ってくるようなことがあれば、私はアンリ様、貴方に玉座を譲ります」


「――はい?」


「だってそのような状況になるということはもう王国の火は消えかかっているでしょう? 逆転の一手はもはやアンリ様の魔法しかありません。その後、魔法の力で王国が残ったとしましょう。そのとき、玉座に相応しいと誰もが納得するのはアンリ様です」


「止めましょうか。この話は」


「それがよろしいですわね」


 意地悪な質問をしたから、意地悪で返されたんだと思いたい。

 お願い! そうであって!


「雑草こそ生い茂っていますが、草を刈って、土を耕せば、耕作地として使えそうですね」


 俺は話を逸らした。逸らせてるか?


「ですが、帝国軍が悠長にそれを見ているだけということもないでしょう。帝国の公式見解では大森林を含むこの帝国南方はすべて帝国領土であって、王国が武力で不法占拠しているということになっていますから。もしも王国が耕作地を広げるようなことをすれば、嫌がらせ攻撃くらいはしてくると思います」


「簡単ではないですね」


「ええ、まったく……」


 国家を取り巻く情勢というのは流動的でなおかつ複雑だ。


 なにもかもを略奪して版図を広げてきた帝国は、ここのところ領土の拡張に成功していなくて国内の不満が貯まってきているというし、王国は王国で先の戦争の旨味だけ覚えている貴族が結託して不穏な動きをしている。


 というか王国の場合はもうタカ派が主流になりつつあるんだよな。

 国王がハト派で、うまくバランスを取っているから戦争になってないだけで、おっさんが国王でなければ、とっくに戦争をしているだろう。

 もちろん俺という戦力を利用して。


 その場合、俺は王国を出奔するだろうから、あのおっさん、認めたくはないけど本当に有能なんだよな。


「その帝国を相手に不可侵条約を結ぶのが今回の目的ですけど、アンリ様はなにかいい案はございますか?」


「そういうのは殿下にお任せしていますよ。余計なことはしないほうがいいと殿下も首を縦に振ってらしたではないですか」


「逆に避けるべき行動の指針にはなるかと思いまして」


「別に必ず失敗するわけではないですからね」


 そうは言いつつもちょっと考えてみる。


「根本的に今回の訪問は、皇帝直々の招待です。応じたこと自体がすでに貸しにはなりませんか?」


「帝国側からすれば挨拶の機会をあげたのだから、そちらが感謝するべきだ、となるでしょうね」


「うーん、話にならない。当たり前のことですけど、こちらから何らかの譲歩をして不可侵条約を締結するというのは無しですよね」


「はい。王国の見解では帝国とは対等です。不可侵条約を結ぶに当たって、こちらが一方的に差し出せば、上下が生まれてしまいます」


 つまり上から見下してくる相手に対して、対等な交渉と妥結をしなければならない。


 ちらと振り返るとシルヴィは分かってるけど黙ってる感じだな。

 ネージュはちょっと分からない。


「要はどちらも得をしたと思えて、なおかつプライドが傷つかない。可能であれば擽るような取引材料があればいいんですよね」


「そうなりますね」


 こちらにあって、あちらにないもの。

 あちらにあって、こちらにないもの。

 その交換こそが双方に利益を生むものではないだろうか。


「となると交易ですか? 帝国は慢性的に食糧不足です。一方で王国は余裕がありますよね。こっちは帝国の鉄が欲しくはありませんか?」


「そうなんですが、鉄が欲しいと言うと値を吊り上げられてしまいますから、なにか囮になるような品目が欲しいですわね」


「つまり、本当はこれが欲しいんだけど、無理だったら鉄で妥協してやるか、って譲歩したように見せる、と? それは立場が下にはならないんですか?」


「この場合は寛大な姿勢を見せたと言い張ることができます」


 むっず! 分かんないよ。こんなの。


「ついでに食料供与の手札も隠して引き延ばしましょう。こちらが出せる手札で、もっといい取引材料はありませんか?」


「……申し訳ありません。降参です」


 俺は両手を挙げて降参のポーズを取る。

 するとリディアーヌはあらあらと口元を手で隠す。

 シルヴィも肩を竦めた。


「そんなに難しいことではありませんよ。というか、これはアンリ様の手札でもあります」


「というと、魔法、ですか?」


「ええ、そもそも相手はそれを見たがっているのです。せいぜい派手に披露して、高く売りつけてやりましょう」


「しかし魔法を売る、とは?」


「私はこういうのを考えています。『一度だけ王国に損害を与えない形で帝国皇帝の望む魔法を使う』という条件です。ちなみに若返りの魔法が使えたりはしませんか?」


 おっと、踏み込んできたな。

 これ、知られると付きまとわれそうで避けてたんだよな。


「時を巻き戻す。年齢を引き下げる。そういう魔法は使えませんが、見た目だけ若くすることなら可能です。それも自由にというわけではありません。シワを無くし、肌に張りを取り戻し、シミを取り除く。その程度のことです」


「ではそのことは伝えずに、いくらかだけ若返る魔法ということにしましょうか」


「騙すんですか?」


「見た目が若返るなら十分ではありませんか。相手が真に望むものではないかも知れませんけれどね」


 リディアーヌはクスクスと笑う。


「しかし皇帝がそれを望むとは限らないのでは?」


「かなりの確率で不老不死を望んでくるでしょう。交換条件で若返りを提案してください。それで通ります。まさか不老不死は可能とか言うことはありませんよね?」


「無理ですよ!」


 俺はぶんぶんと首を横に振る。


「まあ、それ以外でも応えるのが無理そうなら交換条件として若返りを、応えることが可能な要望が来たらそれでもいいですね。要は相手の要望を聞いている振りをして、こちらの提案を通すのです。それでも駄目だったときは食料のカードを切ります」


 もうやだ、交渉術。

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魔法チートをもらって転生したけど、異世界には魔法がありませんでした 二上たいら @kelpie

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