第2話 参加

カクは穏やかな日常を取り戻していた。


高校は、特徴のない地元の私立へ入学した。

とらやん含め、中学の同級生は大体公立に進学したので、中学が同じ人は顔見知りがぽろぽろといるくらいであった。

母が私立を勧めてきたので、カクは言われるがままそこにした。


中学はあの事件の後からリモート授業になった。

受験もリモートで行われた。学校の成績、過去の模試の成績を参照した上で、オンライン試験による選抜はさまざまな物議を醸したが、他に方法がなかったのだ。


前期はおおよそどこの学校もリモートでの授業だった。後期からぼちぼちと登校が始まった。


後悔ルグレの存在による犯罪抑止効果は抜群だった。

人々は互いに過干渉しないことを推奨された。

昔の感染症の際の標語を捩り、パーソナルディスタンスと名付けられた。


そんな経緯もあって、穏やかで歪な日常をカクは過ごしていた。


・・・


「ほら、お米ちゃん泣いちゃうから早く食べて。」

「ほんとその言い方やめてよ。」


いつもの朝。


「今日さ、帰りにとらやん家寄る。」

「え。なんで。」


母が戸惑うのも仕方がない。ここ最近世間ではとにかく他人ひととは表面上の付き合いをすることが最良の選択肢とされている。


「昨日電話してて、とらやん、元気なさそうだったから。」

「そう。でもねえ。」

「まあ、なんか、会って話せたらなって。とらやんのお母さんにも。その。」

「……気をつけてよ。危ないなって思ったら帰ってきてね。」


とらやんのお母さんは、ヨミになった。


当時、日本で3体目のルグレが現れた。

夕暮れのスーパーマーケット、とらやんのお母さんはその場に居た幼稚園児に覆い被さる形でヨミになっていたという。その子は助かった。


とらやんのお母さんは勇敢であった。

以来とらやんのお父さんは酒に溺れて、とらやんは高校に一度も登校できていない。

それでもきっと、とらやんのお母さんの選択は間違えていなかったはずだ。


マスコミは勇敢な女性として、それから何度か特集を組み、褒め称えている。


TVで聖母のように取り上げられる虎屋聖美とらやきよみさんを見ると、カクは何度もあの元気で、怒るとちょっと怖かったとらやんのお母さんを思い出す。


虎屋さんの影響により、ヨミ遺族年金の設立はスムーズに進んだという。


・・・


週2回の登校日。


出席者はクラスの3分の1ほどだろうか、授業自体はリモートでの配信も行われている。

ルグレに出会わないことが生き延びるための最良の選択肢である今、外に出ることを良しとしない家の方が多かった。


カクの母も反対派であったが、そもそも最初のルグレである777に出会った時も大丈夫だったのだからと説得し、必ず見かけたら逃げること、接触しないことを約束に承諾した。


とらやんに直接会うのはあの日以来だ。


まばらに座った生徒、淡々と進む授業、やけににこやかな教師、授業が終われば静まり返る教室。


「では、本日の授業、終了いたします。生徒の皆様のおかげで、今日も大変素晴らしい実りある授業となりました。また、明日の授業配信でも皆様のお力を借りれたらと思います。お疲れ様でした。さようなら。」


張り付いた笑みで心にもないことを言う教師。


カクはゆっくりと立ち上がり、深呼吸した。


・・・


「花屋虎や」への道のりを歩く。


あの日のとらやんの優しさをあれから何度も思い出した。


今の自分に何が出来るのか、会ったところでとらやんの力になれるだろうか、そんな不安にカクの足取りは重くなっていく。


気づけば俯き歩いていた。その時。


悲鳴が聞こえた。そして若い男性の大きな声。


「ルグレだ!」


顔を上げるとちょうど、曲がり角から多くの人がこちらに向かって走ってくる。


どうやら曲がり角の先にルグレが出現したようだ。


母の顔が浮かんだ、ルグレにあったら逃げるんだよ、絶対近づいちゃダメ、真剣な表情だった。


逃げなきゃ、そう思った。

身体を反対方向に向けて走り出そうとする、そうするとこちらへ向かってくる人がいることに気づいた。


「だめよ、行っちゃ。あなたまで連れてかれちゃうでしょ。」

「でも、まだあの子いるの。嫌だ、嫌。離して!」

「もう間に合わない。」

「何言ってるの、やめて!」


曲がり角の先には逃げ遅れた人がいる。


カクは走り出した。


・・・


灰紫の煙。横転した車椅子。車椅子から半分身体を起こした姿の青年。


その先に、ルグレと思わしき白髪の男性がいた。


まず、車椅子を起こさないといけない。

灰紫の煙の中をカクは一直線に向かう。


「大丈夫ですか、逃げましょう!」


青年の身体と車椅子を一緒に起こそうとするが、なかなかうまくいかない。

身体中から汗が噴き出る。


「大丈夫、君は逃げて、僕は平気。」

「そんなことできません!」

「ほんとに、大丈夫だから、有難う。」

「逃げないと、ヨミになってしまいます。あなたのお母さんがこちらへ向かおうとしてました。」


カクを宥めて柔らかに微笑んでいた青年の顔に、翳りが見られた。


「とにかく、君は逃げて。」

「なぜですか、一緒に! 一緒に逃げましょう。」


カクはなんとか青年ごと車椅子を起こすことに成功したものの、タイヤのはまりが悪いのか、横転した際に歪んでしまったのか、うまく動かない。


「本当に有難う。逃げて、君を巻き込みたくない。」

「なんでですか!」

「父さんなんだ。」

「え。」

「あのルグレは父さんなんだ。きっと僕を迎えにきた。」


そんなことって、あるのか。


頭が真っ白になる。


どうしたらいいんだ、諦めた青年の笑顔の先には、白髪の男性のルグレがいる。


ルグレは近づいてくる。ゆっくりと歩いている。


逃げないと。


「有難う、助けに来てくれて。」


違う、違う、ここで置いていくわけにはいかない。


「すまない。すまない。父さんが悪かった。」


灰紫の煙に包まれている白髪の男性はどこか遠くを見ている。


ルグレが目の前にいる。


・・・


父親の言葉を聞いた青年は、目を伏せた。


「父さんは悪くない。」


先ほどまでの落ち着いた声音とは違い、青年の声は小さく震えていた。


カクは強く願った。

何かよくわからないけど、目を瞑って強く願った。

それは祈りに近かった。


強く、強く、救いを求めて。


そら。」


青年の声が聞こえた。


「空から。」


カクは目を開く。

花弁はなびらが舞っていた。


「なんだ、これ?」


空から、無数の色とりどりの花弁が舞い降りてくる。

それに呼応するかのように灰紫の煙が収まっていく。


身体が、かくんと崩れ落ちた。


・・・


「待って待って待って!!すごいの見ちゃった見ちゃった〜!!」

「なんだあれ、意味あんのか。」

「え〜!!なんか〜、ありそうじゃん!!」

「あー、そろそろバレそうだし行くぞ。」

「今?!!盛り上がってきたのに〜!!」


・・・


777。


歌声がする。


まっすぐで曲がってて、包まれるのに突き放される。


彼の歌声を何度聴いても、彼自身を掴むことはできない。


憧れ。


ステージの彼と目が合った。


・・・


カクはゆっくり瞼を上げた。


「まじか、夢か。」


なんだ、ほんとやんなっちゃう。

急にカットチェンジするし、欲張りな夢だった。

あれ、でも昨日とらやんに会えたんだっけ。


突然部屋の扉が開く。

いや、ノックしてくれよ、と声をかけようとしたその時。


「かっちゃん、今日はね、おでん作ったよ。もうね、電子レンジ使ってないよ。凄いでしょ〜。」

「いや、どうしたの。急に。」


母はカクの顔を見るやいなや強烈な叫び声を上げ、手にしていた鍋ごとおでんをぶちまけた。


「かっちゃん、かっちゃん。馬鹿、バカバカ野郎。」

「え、え。」

「バカカク。」

「んん?」

「ほんと、ほんと。カク。」

「母さん?」


そうか、きっとこれは。


「母さん、おでん大丈夫?」

「そんなのどうだっていいの。」

「母さん、僕の目を見て。ゆっくり聞いて。」

「カク……。」

「一緒に病院行こう。あの母さんが鍋を使ってる時点で恐ろしいよ。」


母さん、ボケが始まったんだ。ちょっと早いけど。


「ちゃうわ!!!!!」

「え!聞こえてる?」

「アホか!!!!!かっちゃん、ルグレに出会って寝込んでたのよ。」

「え……?」

「覚えてないの?」


・・・


話はこうだ。


ルグレに出会ったカクは、驚きのあまり失神してしまったよ⭐︎

そのまま眠りこけたからヨミにならずに済んだよ⭐︎

青年?車椅子?花弁?何それ⭐︎


夢の方がまだよい。

スーパーラッキーな間抜けな中坊の扱いを受けることになろうとは。


まずは病院で1週間過ごし、容態が安定してるし、寝てるだけだからと、栄養剤と訪問看護で2週間過ごしたらしい。


母はまた少し痩せたように見えた、と言っても、ポニョポニョがプヨプヨになったような変化ではあるが。


そんなこんなで、どうやらまた取り調べを受けるらしい。


・・・


登校日。久々に入った教室では、案の定腫れ物扱いを受け、面食らった。

授業を受けながら、ぼんやりとあの日の出来事を思い出した。

それから目覚めてからのこと。


母はカクが寝込んでから、気を紛らわすために、少なくともカクが産まれてから触れたことがなかったフライパンや鍋に手を出したらしい。

カクが目覚めた今、電子レンジ調理にまた戻っていた。

あのおじゃんにしたおでんを食べたかったなとカクは思う。


とらやんには目覚めた夜に電話をした。

カクの回復を喜んでくれたが、電話越しの声色は一層暗くなったように感じられた。

次の登校日の帰りに会おうと言ったら、またルグレに出会ったら大変、と言う。

やんわりと断られたような気がした。


授業を終えた。

今日、また取り調べを受けなくてはならない。


・・・


取り調べへの足取りは重かった。

色々聞かれても自分だって何が何だかよくわかってないのだ。

夢でした、と言った方が良いのだろうか、そんなことを考える。

警察署に着く。


大きなその建物をぼんやりと見上げる。

足を踏み出した、その時。


「こんにちは、珠木くん。」


振り返るとそこに、柔らかな笑みを浮かべた、くるくるとした金髪の男性がいる。海外の血を感じる顔立ちは誰が見ても整っているものであった。


こんにちは、と条件反射で返すが、疑問が浮かぶ。なぜこの人は僕の名前を知ってるのか。


「会いたかったんだよ。よろしく。」


爽やかに握手を求めるその手を受け止めて良いのか。


「僕はルネ。カクって呼んでいいかな?」

「ええと。」


流されて手を握る。


「急に言われたら困るか、ごめんごめん。」

「いや、まあ。」

「とりあえず一緒に来てくれる?」


そんな誘い文句でも、誰もが一緒に行ってしまいそうな男であった。

その誰もに見事にカクも仲間入りした。


案内されたのは、警察署の隣の建物であった。

警察署に負けじとでかいその建物に入り、エレベーターに乗る。


「カク、先に言っておくね。僕は君に仲間になって欲しいと思ってる。」


エレベーターはぐんぐんと下に向かっているようだ。目の置き場もなく階層表示を見上げる。


「君となら一緒に働けると思うんだ。」


涼やかな声で語りかけてくる。

何の話をしているのか、さっぱりだが、カクの心はざわめく。

何かの始まりを感じる。


「そして、世界を救うことができる。」


話のスケールのデカさにカクは思わずルネの横顔を見る。

彼も同じく階層表示を見上げていたが、その横顔には出会った時の明るさを感じられなかった。


カクの視線に気づいたルネはパッと口角を上げる。


「よく分かんないと思うけど、一緒に頑張ろう、ね。」


エレベーターの扉が開く。

迷いなく前を行くルネを追う。近未来を思わせる通路をぐんぐんと進んでいく。

日本の地下にこんな場所があるなんて、特大のエンタメだろうに、TVでやっているのを見たことがない。


きっと質問をしたら何かの答えは貰えそうだったが、カクは、ルネの願いと彼の横顔に適した言葉を選べなかった。


やがて、突き当たりの扉の前で歩みを止めた。

ルネが手をかざすと、スッと扉が開く。


後悔ルグレ対策対処隊日本支部へ、ようこそ。」

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