サンゲ!!!!!

初桜 光

第1話 後悔

その日、カクはいつも通りだった。


起きて、母が電子レンジを的確に使って作った朝ごはんを食べる。

ご飯を食べながら、スマホをこっそりいじる。


@official_777_01

次のツアー会場は7日後、日本!

777、初上陸。チケットは即日完売御礼!

全公演配信決定!

詳細は下記HPをチェックしてください。


「こら、ご飯の時はスマホ禁止。」

「はいはい。」

「何、どうしたのにやけて。」

「スリセ、昨日オーストラリア公演だったから、タイムラインにレポが流れてくんの。」

「へえ、そう。よかったね、でもスマホはダメ、目の前で待ってるでしょう、お米ちゃん。」

「ほんとその言い方やめて。」


いつもの朝だった。


・・・


777“スリーセブン”が現れたのは、7年前。

始めは世界各地で路上パフォーマンスを行った。


安物のギター片手に現れ、一度聴いたら忘れられない、心を奪われるメロディー。各地の言語に合わせた歌詞は、時に若者の心を燃え上がらせ、時に年老いた者の心の琴線に触れた。


どこに行っても、投げ銭用に置かれた裏返したシルクハット一杯にコインや札が詰まった。


路上パフォーマンスをしていたのはほんの3週間ほどであった。

驚異的なスピードでメジャーデビュー。

まさにセンセーショナル、情熱的で冷静沈着なパフォーマンス……、とよく分からない紹介文と共に日本メディアも慌てて取り上げた。


当時日本でも一度だけ、路上パフォーマンスを行った。吉祥院の尾頭公園おかしらこうえんであった。


幼い珠木覚たまきかくは、母に連れられて尾頭を訪れていた。朝から併設の動物園でゾウやサルを眺め、お昼にはアヒルのボートに乗った。

ほとほと疲れた母は、フリーマーケットを見ようと誘う。フリーマーケットの終着点は丁度公園の出口だからだ。


カクがビヨンビヨン伸びるわっかを手に取り、母が困惑したその時。


ギターリフが掻き鳴らされる。

カクは思わず振り向いた。いや、正確にはその公園にいた者は全て振り向いただろう。


「あら、あのお兄ちゃんかっこいいねえ。」


母が掛けた声が届くか届かないか、カクは駆け出した。


公園の少し奥まった所、少し苔の生えたそのステージにその人はいた。

ギターを乱暴に鳴らしているようなその手先は妙に繊細にも映る。

カクはステージの真下からその人を見上げた。

あっという間に多くの人がステージの前に集まった。その中には警備員もいたが、止めることはなかった。


生きている、ことを謳う歌詞であった。

追いついた母はカクと手を繋ぎ、そっと涙を流したが、カクは知る由もなかった。


カクはまだ知らない単語が多くてよく分からなかった。ただ目の前に現れたその人は、カクにとって「かっこいい」の意味を生まれて初めて教えてくれる人であった。


演奏が終わり、静寂。

わっと湧き上がった拍手にスリーセブンは表情を変えることはなかった。

しかし、目線を下げた先にいたカクと目が合うと、ふっと口の端を上げた。


シルクハットの中にカクは500円玉を入れた。

それは1ヶ月分のおこづかいであった。


・・・


それから7年、中学3年生になった今も『スリセ』はカクのヒーローだ。もちろん世界中の老若男女のヒーローでもある。


ヒーロー、と言っても、スリーセブンは定期的に顔が変わった。それは整形とも特殊メイクとも言われているが、真相は分からない。それに伴い、男性とも女性とも、まことしやかに語るネット記事は氾濫した。

ただカクにとっては性別はどうでもよかった。


中学になり、スマホを手に入れたカクはネット上に多くのスリセ好きな仲間ができた。

スリセを世界各地へ追いかけるファンは少なくなかったが、カクには難しかった。


しかし、ついにチャンスが訪れた。

まさに7日後、スリセは初の日本ドーム公演を行う。カクはチケット争奪戦を見事勝ち抜いたのだ。


「今日帰りに発券すんの?」

「そう。今日からだから。」

「やったなぁ、えーどうする、最前だったら。」


通学路で、幼馴染のとらやんに会う。

とらやんはカクのスリセ話をよく聞いてくれる優しい奴だ。


「今回のシングル、まじでやばいの、すっげぇんだよ。」

「なになに。」

「誰1人再生できないの。」

「え。」

「いや、ほんとまじでかっけえ、やること全部すんげぇんだよなぁ。凡人には考えつかないことをやり遂げちゃうんだよなぁ。スリセ。」

「いやいや、普通にそれ詐欺かなんかの手口だよ、だいじょぶそ?」

「トゥイターでは発売日から再生できるようになる説が濃厚。」

「いやいやいやいや、CDでしょ、CDだよね?そんな特殊加工あんの?」

「わっかんないけど、なんかすげえじゃん、丁度発売日は日本ツアーだからさ、わんちゃんというかもうほぼ確で披露されると思う、やばくない?」

「お、おう、やべえな。」


いつもの通学路だった。


・・・


チャイムが鳴る。

昼休みは次の漢字テストをぼんやりと復習した。とらやんにははぐらかしたが、最前が来たらどうしようとか頭の中は帰りのコンビニで一杯である。


学校内は携帯使用禁止、と言っても多くの生徒がこそこそと使用していたが、カクはわりかし校則を守るタイプであった。


「え、待ってやばくね?」


クラスの女子が妙なトーンで声を上げる。

視線はスクバの中。腕を入れてバレバレなスマホの見方をしていた。

わらわらと仲間がスクバの中を覗く。


「え、やば。」「嘘でしょ。」「CG?」「フェイクじゃないの?」「いやいや中継だって書いてあるもん。」「え、まじか。」「なにこれ、えぐ。」「いやなんかすご、ほんとうのやつ?」「やばやばすぎん。」「えー。」


わっと喋り出した女子。ここまでは普段もよくある光景だった。しかし、彼女たちはやがて黙ってカクの方を見る。

今まで少なくともカクは女子にそんなように見られるタイプではなかった。良くも悪くも目立つようなことはしてこなかったからである。


思わずカクが口を開きかけた、その時。

ガラリ、と教室のドアが開く。


「はい、ほら座ってー。」


国語の田本先生だ。結構厳しいので、スクバスマホが怒られるのではないかと、カクは少し怯えた。


「ほらほら座るよ。ほら漢字テストやるよー。あ、ちょっと待って、ごめん、私忘れちゃった。取ってくるね。あー、ほら座っといてよ。」


「ほら」の回数があまりにも多いので、ホラ本先生という影の名を持つ、田本先生だったが、珍しく忘れ物をしたらしい。

ドアをまた開け去っていく。


教室は妙なホラ本の様子に、一瞬の静寂が生まれた。


「あれ、ホラ本も好きだったんじゃなかったけ。」

「え、そうだっけ。」

「確か最初の自己紹介で言ってたもん。」


「……ねえ、珠木くん、見た?」


・・・


その日、カクはスクバの中の小さな四角で憧れ続けた人の死を知った。

隣の女子のトウィターのタイムライン。

燃え盛る、シドニーのセントラルハウス。

三角形を組み合わせた帆のような特徴的な建物はその隅々が赤く赤く燃えて、煙はまとわりつくようであった。


その人は自身のアカウントからライブ配信を行っていた。その切り抜きはすぐに出回った。


ホールの真ん中、ガラス製のギターを手にしたその人はギターを掻き鳴らす。

歌う。

やがて爆発音。連続する。

その人はまるで聞こえていないかのように、歌い続ける。

歌う。

その人は歌っている。

徐々に呼吸が苦しそうなのが分かる。

画面は徐々に煙に包まれていく。

カメラが壊れたのか、煙のせいか、やがてその人は見えなくなる。声も聞こえなくなる。

ただ爆発音、遠くのサイレン。


777はもういない。


・・・


7日経った。

その日からどう過ごしてきたか、カク自身よく分からなかった。

連日、ニュースもワイドショーも、777の死の真相を追い続けていた。

それをカクが見ることはなかった。母がテレビをつけなかったし、カクもつけなかった。

毎日見ていたタイムラインも開くことはなかった。


「かっちゃん、お米ちゃん泣いちゃうよ。」

「うん。今食べる。」


箸が止まっていたらしい。


「今日ね、あるんだってよ、献花台。日本ドームに。」

「そうなんだ。」

「行ってきたら、学校帰りに。」

「うん、まあ、うん。」

「ほらこれ、お花買う時に使ってさ。」

「ありがと。」


500円玉をそっと置いた母は、洗濯物を取りに行った。


・・・


とらやんは花屋の息子であった。

帰りに店に寄りたいと伝えた。


「今日は朝から沢山人が寄ってくってさ。」

「うん。」

「ウチ駅前だからさ、めちゃめちゃ洒落た格好の人とかたくさん来て、父ちゃん見惚れたり話したりに夢中ですーぐ勘定忘れて、母ちゃん怒ってる。」


とらやんは終始明るく喋り続けた。


「おーう、よう来てくれたなぁ。」

「ただいま、今日LINE見た?」

「見た見た、お前学校でスマホ使うのバレんなよ。ほい、カクくん。献花、行くんやってな。」

「うん。これで、一本、なんか。」

「ほいほい、珍しいのがちょうどお昼に入ったんよ。」


虎屋のおじさんは、手際よくラッピングして、カクにすっと差し出した。

青い薔薇。


「ちゃんと棘とか切っといたからさ、ブルーローズ、そんな曲があるんやろ。」


思わずとらやんの方を見ると、困っているような微笑んでいるような、なんとも言えない表情をしてこちらを見ていた。


「ありがとうございます。」

「あとこれこれ、お母さんから預かったよ、チケット、ない人は入れないんだってさ、ほらね。」

「え。」

「たぶん、来るはずだからって。整理券取るの超大変だったって、今朝のお客さんも言ってたから、お母さんが取ったん?凄いねぇ。」

「……ありがとうございます。」


チケットを受け取る、7日前行けなかったコンビニの店舗が記されていた。

時間は18:00。ああ、もしもライブがあったらこの時間に開演するはずだった。


「とらやん、また明日。今日はありがとう。」

「いってら。」


虎屋親子に頭を下げる。

顔を上げて、2人の顔を見た。

カクはぐっと拳に力を入れた。手の中のチケットとラッピングのビニールが小さくクシャと音を立てる。

向かう、のだ。


・・・


日本ドームの最寄り、電気橋でんきばし駅を降りると、辺りは異様な空気であった。


すすり泣き、嗚咽がそこかしこから漏れ聞こえる。献花から戻ってきた人たち、向かう人たち、皆項垂れて地面を見つめている。

仲間で訪れていた人たちでさえ、たまにぽつぽつと喋るが、その会話が続くことはなかった。


好奇の目でスーツのサラリーマンや、制服のJKが眺めている。

報道陣はこの行列にカメラを向け、帰り際の人をつかまえ、マイクを向けていた。


道中では、演説をしている者もいた。


「彼の死を無駄にしてはならない、彼は訴えかけているのだ。死によって。今こそ我々は立ち上がるのだ。」


カクの心に響くことはなかった。中身がないように思えた。


ただこの道のりは、カクにスリーセブンの死を実感させた。

もう本当にいなくなってしまった。

尾頭の緑の中で出会ったあの人は、スマホの中で派手なライブ演出の光とスモークに包まれていたあの人は。

その事実が、踏み出す足を震えさせた。


・・・


入り口では、念入りなボディーチェックと手荷物検査。整理券の確認が行われた。

スタッフはおそらくライブ当日のために雇われた人達なのだろう。わりと時間通りに進んでるだとか、上手くいけば巻いて終わるかもだとか、そんな会話が聞こえてきた。


「お並びの方、こちらの入り口からお入りください。」

「はい。」


入り口に向かう、少し俯いて深呼吸。

一歩踏み出す。


ギターリフが掻き鳴らされる。

カクは思わず顔を上げた。いや、正確にはその場内にいた者は全てその音がした方を見ただろう。


その人がいた。

歓声。

人々は駆け出した。

あっという間に人々の波にカクは押し流されていく。


目が離せなかった。

積み上げられた花束の中央に、その人はガラスのギターを肩にかけ、マイクスタンドに向かっている。

ずっと憧れ続けたその人が今また、目の前でステージに立っている。


後悔、を吐露する歌詞だった。

まだ一度も聴いたことがなかったその曲が、未発表曲の「regret」であることは分かった。

英単語の「リグレット」という読み方だと思っていたが、「ルグレ」と歌っていることにも気づいた。


こんなこと、有り得ていいのだろうか。

あの映像は盛大なフェイクで、世界中を巻き込んだ嘘だったなんて。


スリーセブン、あなたに僕はずっと会いたかった。もう一度こうして目の前であなたを見たかった。


驚きは通り越していた。興奮、喜び、感謝、全てをないまぜにした、この感情に名前をつけることは難しかった。


熱気に包まれる、周りの皆も同じように喜んで……いる?


・・・


目に映る光景全てが信じられなかった。


目の前の人がかくんと倒れるのを慌てて支えた。興奮のあまりに腰が抜けちゃったのだろうかと思った。


「大丈夫ですか?」


声を掛けても返事がない、聞こえなかったのかもしれない、でもそのままカクに身を倒す形でずるずると重くなった。

顔が見える。目を瞑っていた。

体調不良の人なら誰か呼ぼうと、周りを見渡す。


あちらこちらで人が倒れていた。

同じようにかくん、かくんと倒れていく。


最初はカクと同じように支えている人やら、係員を呼ぼうとする人やら、無視してライブに夢中になる人やらいた。

でもやがて、その人達もかくん、かくんと倒れていくのだ。


やがて皆、光景のおかしさに気づき始めた。


「逃げろ!」


男性の大きな声がした。人々は訳も分からず逃げていく。

悲鳴。


カクはどうにもならず足を動かせずにいた。

倒れた人たちは皆、体調不良には見えなかった。皆、まるで眠っているかのように、安らかで、そう、亡くなってしまっているかのようで。


ギターの音が止まった。

はっとして、顔を上げた。その人がいた。

目が合った。

スリーセブンは、ふっと口の端を上げた。


灰紫の煙に包まれて、その人は消えた。


カクはその場から動けなかった。


・・・


警察・消防・救急隊というような人達が現れて、カクはようやく会場を出た。

手にしていた青い薔薇は騒動の中でもみくちゃにされ、踏み潰されて通路に落ちていた。


カクは重要な目撃者として、取り調べを受けることとなった。

しかし年齢も考慮されてか、そこまで酷い目には遭わなかった。

取り調べを終えた後、迎えにきた母はとてもやつれていた。

カクを抱きしめ、よかったよかった、と呟いていた。


やがてその現象に名前がついた。


死んだ人の姿をした「regret(後悔ルグレ)」というものが現れると、生きた人を「黄泉(ヨミ)」に連れて行ってしまう。


ヨミになると、呼吸が停止した状態になる。

だが、その状態のままであっても腐敗することも成長することもない。息をしていた時と同じ姿のまま時が止まる。


最初は日本に出現したルグレの実在を疑われていたが、ルグレは各地で現れた。

決まって亡くなってから7日後、存在する時間はあまり長くないが、その間に出会った人をヨミ状態にする。


世界は混乱に陥った。

ルグレになるかならないかの条件もよく分からず、ヨミから戻れるのかもよく分からない。


殺人事件は激減した。

犠牲者がルグレになる確率がとても高かったのだ。

ルグレになることを望んで、自ら命を絶ってしまうケースが激増した。


およそ1年間は世界中が引き篭もりのような生活を送った。しかし、どうにもならないことを悟って通常の生活を取り戻していった。

ルグレへの恐怖を抱えながら過ごす日々となった。


カクは、高校ではルグレに出会ったことを言わなかった。

その頃にはルグレに出会った人は各クラスに数人いたりいなかったりで、ルグレに出会っても生還できるケースもあるということも判明していた。


生還方法はシンプルで、とにかく逃げるというものであった。だが、逃げなかったカクがどうして生き延びたのか、カク自身が最も不思議に思っていた。


あの事件があるまでは……。

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