第34話 酒と煙草

 私が煙草を吸い始めたのは、16歳の時だ。当時、塾に通っていた悪友に教えてもらった。当時吸っていたのはマイルドセブンだった。ただ、特に吸いたいと思うわけではなく、なんとなく吸っていた。高校に入って少林寺拳法を始めたが、高二になって社長と呼ばれていた田中君が滝路の帰りのランニングの途中で、おい、加福行くか?と言われ彼が道着に隠し持、っていたセブンスターを私に見せる。おお、と私は言って一行から外れて展望台までの200メートルをダッシュで駆け上り、一服する。そして、田中君が、「俺ら、体にええことやってんのか悪いことやってんのか分らんなあ」と言って、二人でほほ笑んでいたのを思い出す。しかし、私はセブンスターは、少しきつく普段は、やはりマイルドセブンを吸っていた。大学に入ってもマイルドセブンを吸っていた。ただ、このころからどうも耳の下を押さえると痛いのを発見し、半年くらいはやめることはできた。ただ、痛みが治まれば、また吸っていた。会社に入っても吸っていたように思う。会社は喫煙可能であった。ただ、ひっきりなしに吸うのではなく、たまに吸うという感じであった。また、会社には冷蔵庫があり、ビールなども入れることが可能で、午後五時を過ぎたら飲んでも良いよ、という暗黙のルールがあったのだが、まあ、私もなんとなくコンビニで数本買って、たまに飲んでいた。


 話は飛んで、アメリカに留学したのだが、ルームメイトがマルボロライトのチェーン・スモーカーだった。彼は、そのマルボロに付いているクーポンのようなものを会社に送りマルボロの自転車までプレゼントされていた。ただ、私はアメリカのマルボロの高さに仰天して吸わなくなった。1998年、当時600円くらいだったと思う。違うかな。それでルームメイトにたまにもらい煙草をして、うーん、こんなにうまいのかと感動したりしていたのだが、同時に、私はアパートに併設されたジムで体を鍛えるなどしており、特に煙草を自分で買って吸うということはなかった。酒もあまり飲んでいなかったように思う。ただ、インターンシップで働いていた某大手旅行代理店で強烈な頭痛を伴うパニック障害を起こし、知り合いのミュージシャンに痛みにはウィスキーが効くと言われ結構飲むようになってしまった。それは、ともかくそのミュージシャンのステージにギターで飛び入りさせてもらうべく、彼の使い走りをやっていたのだが、彼がマルボロライト買って来いと言うので買いに行ったりもしたのだが、ここでも別段吸いたいとは思わなかった。問題は、私が帰国して躁うつ病を患い、処方された薬を飲むようになってからだ。酒と煙草がやめられない。今吸っているのは、アメリカンスピリットのライト。アメスピは動物実験をやってないのでオッケーだ。ウィスキーは、やまやで売ってる一番安いやつ。たまに、ガブ飲みしている。医師には、薬と酒の相性は最悪だから、絶対に飲まないようにと言われているが、飲まないような躁うつ用の薬を作れと製薬会社に言えと私は言いたい。煙草は、どうなんだろうというか、酒はやめられるが、煙草は絶対にやめられないと断言してもいい。しかし、これも薬のせいなんだろうな。まあ、暗い話はここまでにして、私がラスベガスのライブハウスで知り合いになったオーディエンスに、俺はもうアル中だ、酒をやめなければダメだという話をしていたら、「お前は、何を言っているんだ、俺は16から毎日欠かさず飲んでいるぞ」と言ったのには笑ってしまった。ああ、俺はあの頃に戻りたいよ。20年前だけど。また、ラスベガスのライブハウスで、ああいう人に出会いたいね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガチのエッセイ 加福 博 @Donnieforeverlasvegas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る