第2話 もう、君に逢えないから──

 あれから3日間、君は学校にこなかった。担任からは『登校を拒んでいる』とだけ伝えられた。


 登校を拒むって、急にどうしたのかと不思議に思うが、納得しているふりをしてドクドクと大きく脈を打つ心臓をしずまらせた。

 もしかして、あの告白が関わっているんじゃないかと思うと不安がつのり、最近は寝不足気味だ。よくつるんでるいつきにもからかわれながら心配されるという始末。

 とにかく早く姿を見せてくれ、とおがむ日々はあっけなく終わった。


 君がいなくなって1週間経った頃、今日は、いや今日もやけに教室がざわついていた。主に女子だったけど。まぁ、そうなるのも無理はない。

 だって、礼唯れいは穏やかで、頭が切れて、優しくて、顔も手も綺麗で、全員の味方なのだから。突然登校しなくなったら誰もが不審に思うだろうな。


「ねぇー菜夏ななー。礼唯れいちゃんのことホントに知らない?」

「わかんないんだってば。スマホでも繋がらないし」


 人が集う度にクラスが世間話などで騒がしくなり、少し居心地が悪くなったから気を紛らせようと最近書店で買った話題の恋愛小説を開いた。物語はもう終盤に差し掛かっている。

『私も好きだよ』と君に言ってほしいなっていつも夢見てる。まぁ、叶わなかったら、じゃなくてに願っちゃったとでも言えばいい……なんていう問題ではない。これは深刻な問題だ。もしそうなったら、最悪家から出なくなるかもしれない。


 ……そういえば、菜夏は君の友達だったはずだ。君のことを知らない、スマホも繋がらないと言っていた気がする。いくら登校していないと言っても、そこまでするだろうか。

 さて、そうこうしてるうちに担任がガラガラと扉を開き、閉めることも忘れて教卓の前に立った。心なしか顔が少し青ざめている。


「……今日は、皆さんにお知らせがあります。落ち着いて聞いてください」


 その言葉にしんと場が静まり返る。続けて担任が信じられないような言葉を紡いだ。

「最近お休みしている水瀬みなせ礼唯れいさんですが……」




「先日、亡くなりました」




「…………え?」

 もはや誰が言ったかわからない、か細い困惑の声だけが響いた。


「交通事故だそうです」

 ずんと低い声が、頭からこびりついて離れなかった。正直、君が息絶えたと聞いた時は呆然ぼうぜんとしていたが、少しずつ整理がついてきた。そして静かに長く、永く目眩めまいがした。


 嘘だって、冗談だって、誰か言ってほしい。でも、そんな気持ちとは裏腹に皆うつむいて黙っている。

 そんなの、認めたくない、よ。どんどん小さくなる心の声が自分の内側で反響する。


 それと同時に、何者かに背中を突き飛ばされて、僕は暗い海の底に向かって沈んでいた。

 何も聞こえない、見えない。唯一感じるのは上からの微かな光と学級委員兼礼唯の親友の菜夏のくぐもった涙混じりの叫び声。それさえも鮮明ではなかった。


 とにかく、何も考えられなかった。考えたくなかった。ぼっーとしているうちにHRホームルームは終わった。「起立」という掛け声に反応できず座ったまま動けなかったが、クラスの窓際の1番後ろだったことが功を奏してバレなかった。

 そのまま1限目の生物の授業の準備をするが、ノートさえ開く気になれなかった。授業は全て右から左に聞き流して誰もいない前の席を見つめていた。1週間前までいつも通りに座っていた君の席を。

『2年生の大事な時期になにをしてるんだ』と頭の中の自分が吠えると、『もう大事じゃなくなったんだ』とまた別の自分が諭した。


 そう、もう終わったんだ。君に恋焦がれていたあの時は。今思うと、その時期が1番幸せだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 簡単に途切れた君との運命線は、もう戻らないと悟った。間違いだったらよかったのに。


「……と、碧斗あおと! ちょ、聞いてる!?」

 揺さぶられていることに気づいたのは1限目が終わった後の休み時間だった。

「……いつきか……なんか用?」

 僕はどうでもいいように力なく言った。

「用って程じゃないけどさ……」


「水瀬のこと、あんま……思い詰めんなよ」


 僕が何か言う隙もなく、いつものおちゃらけた樹らしくない言葉だけ残して、あいつは去っていった。

 思い詰めるな、か。ふざけているけど、根は優しい樹のことだから、きっと気にかけてくれているのだろう。

 でも、残念ながら、今の僕には響かなかった。



 あれから数時間後、キーンコーンと学校のチャイムが鳴った。廊下から「今日図書館で勉強しよー」「部活帰りラーメン食いにいかね?」などと弾んだ声が耳に入る。


 僕は無言で席を立って、下駄箱まで急いだ。人ごみの隙間をくぐってマンションまで、まるで体育祭のリレーのように駆け抜いた。リレーなんて出場したことないけど、今なら誰にも負けない気がした。

 日が傾くのが早くなり、もう空があかく染まりかけていた。エレベーターで12階のボタンを押し、扉上の光っている数字を見つめた。

 ピンと軽快な音と同時に、迷惑にならないよう抑え気味に走り、かぎでドアを開けた。

 母さんの「おかえり」という声も無視して、自分の部屋に入りバタンとドアを閉めたところでやっと一息ついた。


 ゆらりと椅子に座って机の上に乱雑に置かれた真っ白なコピー紙に黒ボールペンで『父さん、母さん、ありがとう 碧斗』とだけ書く。遺書いしょともなんとも言えない、走り書きの文字はこれからの自分の結末を指差していた。

 やること全てを終えて、窓のさんに手を掛けた。見下ろせば、影に覆われている暗い色の道路。どうやら人はいないらしい。



 その時、僕は身体を空中に投げ出した。夕焼け色の空がどんどん遠退いていく。

 まぶたを閉じれば、カメラのフィルムのように1コマ1コマが色鮮やかに繋がっていく君との想い出。ほんの少しだけ心が満たされた気がした。さて、あと何秒か。

 予想より続いたはやがて終わった。


 ドンッとにぶい音が後ろで鳴り渡る。失っていく聴力に比例して瞼が落ちてくる。完全に閉じられて、できた暗闇の奥から君が出てきた。終焉しゅうえんのときでも、君と一緒だなんて幸せ者だな、僕は。

 しかし、その幻影さえも次第に薄くなり始めた。あぁ、終わるんだな。直感的に察した。



 最期さいごに、一瞬だけ見えた──手を差し伸べてくれた男の子は一体誰だったのだろう。

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イエローウインターコスモス 彩霞 琴葉 @ruritsubaki

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