第1話 故障
中間政府が管理するスミルナ星域の末端の惑星、スロールの住人、ニック・コーネルは13才だ。まだまともに物事も考えられないような年齢で、政治だとか世論だとかにはまるっきり興味なく、認識すらしていないようだった。自分が政治的思想の対立の渦中の中心に置かれることになるなんて、到底考えられなかった。
母は何年も前に事故で死に、父は母が死んだと同時に行方不明になった。当時、ニックは幼かったがその時の心境を鮮明に覚えていた。今でも両親のことを思い出して時々とてつもなく寂しくなる時がある。だからといってニックは悲観的に生きているわけではなかった。一緒に住んでいるグレゴリオ老夫婦がいるからだ。しかもここら辺では珍しい一軒家に。おまけに学校もある。学校は通信制で直接会うことはほとんどないが、授業と宿題は気を紛らわしてくれる。
ある火曜日の午後のことだ。ニックは学校の授業を授業を終え、遊びに行くために、グレゴリオ夫妻に一言言って外へ出た。外といってもドーム状の超強化ガラスが張られた、その内側だけのものだ。ガラスの向こうは、どんよりとした黄色で覆われ、地形すら見ることができないほどに見通しが悪かった。物語はここから始まる。
ニックは地面の芝を踏み、遠くにある白色のドアを目指して走った。この芝は、超高温ででこぼこした惑星の地表を避けるために人工的に作られたものだ。ドアに着く前に焦げ茶色の大型犬が寄ってきた。「わんぱくな奴め」ニックが犬をなでると犬は満足そうに尻尾を左右に大きく振った。
ニックが扉の中へ入ると、そこは家の一部屋くらいの大きさで、壁にはパネルがついている。持っている学生証をスキャンしてパネルに表示された場所を選択すると、少し時間が空いてドアに「ロック中」と表示された。そしてまた数秒時間がたつと体の芯が掃除機に吸い込まれているような感覚がし始めた。そして徐々にその感覚が和らぎ、完全に消え去るとさっきと同じ見た目の扉が見えた。次に見えた光景は同じではなかった。目の前には数々の集合住宅が並んでいる。
ニックは走って目的の場所に行った。建物の中に入り、エレベーターで昇ってある一室のチャイムを鳴らした。するとドアが開けられ、ニックと同い年ぐらいの子が出てきた。
「やあノーラン」
「入って」
言われるがままにニックは家の中へと入っていった。
「前に借りた〝核人間〟ってゲーム面白かったよ。他に入ってたゲームもいくつかあったけどあれが一番だったな。核エネルギーで悪い奴をドカンとさ」
ニックがそう言うとノーラン返した。
「ああ、あれは傑作だった。エドはゲームクリエイターの中でもとびぬけた力がある。彼の評価は常にトップクラスさ。それで、宿題がまだ送られてきてないんだけど?」
ニックはエドの宿題をこなす代わりにゲームを借りていた。
「忘れてた。帰ったらすぐに送るよ。ホントだ。でもゲームは忘れてない」
そう言ってニックはポケットから小さいカードと取り出した。
「忘れるなよ。新しいゲーム入れるから、それ」
そうしてノーランは3Dホログラムパーソナルコンピューター(3DHPC)にカードを差し込んだ。そして間もないうちに。
「どうして…」
ノーランはそうつぶやいた。画面にはこう表示されている。
〝エラー データを読み込めません メモリーカードが損傷しています 修復不可〟
ノーランは何度もカードをさしては抜いていたが問題は一向に変わらなかった。
「僕何もしてない」
ニックは不思議に思いながらも楽観的に受け止めていた。
「諦めがつくまでやってみる」
しかし他にいろいろ試行錯誤しても問題は解決しなかった。ノーランは悪態をつき始め、その場は緊迫した空気に、ニックはそれを読み取って現実的な考えに変わりつつあった。
「でも、ホントに何もしてないんだ。神に誓って」
しばらくの沈黙が続いた後、ニックは自分の責任で頭がいっぱいになっていた。……ぼくは何もやってないのに。弁償しなければならないの?でもそんなお金は持ってない。おばあちゃんたちに言ったら絶対に怒られる。それだけはダメだ。
「何もしてないわけないだろ。俺が貸す前は問題なかったし実際にお前がゲームできたんだ。だから原因がお前にあるんだニック」
「きっと直せる」
ニックはパニックになりかけていたが何とか言葉を搾り取ることができた。
「直せない。メモリーカードそのものが物理的に壊れている」
「ごめん。でも、壊れていても問題ないだろ。……ほら、僕にゲームを貸せなくなるだけだから。だろ……?」
ノーランは声を荒げて言った。こんなに起こっているノーランをニックは初めて見た。
「自分で壊しといて〝問題ないだろ〟だって?これは俺のものだよくそんな口がきけるな!残念だけどこれがないと困ることもあるんだ。反省してるなら今すぐ家に戻ってばあちゃんとじいちゃんに金をせびってこいよ。」
ニックはパニックになっていた。おばあちゃんたちに……絶対にダメだ。怒られたくない。
「落ち着けよ。そんなに怒ることじゃない。でも……無理だ。言っても怒られるだけで金はくれない」
「無理かどうかはお前が決めることじゃない。100%お前が悪くて俺は完全な被害者だ。保護者の責任解決のための手段が〝怒る〟だけならそいつは相当な能無しだぜ。もしそうだった場合はそう言っといてくれ。じゃあな。早くいけ!」
なんで僕だけ悪者扱いなんだ。僕は何もしてないのに。
ニックは小さな声で言った。
「……僕は何もしてないっていっただろ」
「俺の声が聞こえなかったのか?お前はこの声量でも聞こえないような世界に生きているのか。だとしたら今のお前の声はもっときこえないはずだな。そうすれば少しはわかるんじゃないか?実際にはお前が何もしていなくはないってことを」
ニックにはもはやノーランの言葉は届いていなかった。自分だけが非難されている状況を理不尽だと思い込み、怒りに震えている。ニックはこもり続けた自分の殻を破るように言った。
「何もしてないって言ったろ!」
ニックは下を向いて大声でそう言った。沈黙が流れる。だが言葉は返ってこない。そして耳を切り裂くような大きな音がいくつも聞こえた。そして自分の左手に激痛が走るのを感じた。これまでに感じたことのないような痛みだった。だがその痛みもすぐに治まった。それは徐々にではなく急にだった。
何事かと思い左手をみた。出血がひどく、傷は手首近くにまで及んでいた。内側から割れたような感じがする。そしてさっきの大きな音を思い出し重い顔を動かした。徐々に目線を上げるとノーランはたっていないことが分かった。足の裏が見えたからだ。そして赤黒い血。床に広がりつつある血の元にはノーランが倒れている。体のあちこちから血が出ていた。まるで花瓶が割れたかのようにノーランの顔にはひびのような傷があった。まったく動きはない。……そんな、どうしてノーランが。なんでこんなことに。死んでいるのだろうか。でも僕は何もしてない。僕のせいじゃない!
ニックの周りの壁や天井、物にひびが入っていたが、ニックはそれどころではなかった。気にする余裕もなかった。血だらけの左手はポケットに突っ込んだが隠すにはズボンにしみこむ血が目立ちすぎた。痛みはほとんど感じなかった。ニックはすぐにノーランの家を出て自分の家に帰っていった。帰る途中、ニックはずっと〝僕のせいじゃない〟と自分に言いきかせていた。だがそれで問題が解決するはずもなかった。
家に戻ると、グレゴリオ夫妻が心配の色をきかせた。ニックの息があまりにも上がっていて、ただいまも言わずに自分の部屋に戻ろうとしたからだ。幸か不幸か、あまりにも早く自分の部屋に戻ったため姿を見られることはなかった。部屋の前にきたおばあちゃんに、ちょっと遊んでただけだと説明しても信じてはもらえなかった。だがニックの性格を見通してか今はそっとする道を選んだ。依然として出血し続けている左手を布団のシーツで強く巻いた。それでも血は止まらなかった。現実から逃げるようにニックは布団の中にくるまり、今あったことについて考え込んだ。
──これからどうなるの。逮捕されるの……?でも誰にも見られてないし。ノーランを見つけたって僕がやったなんてわかりもしない。大丈夫だ。でもこの手をおばあちゃんたちに見られたら……?絶対に怒られる。それだけは嫌だ。
そんなことを永遠と繰り返しているうちに、目を開けるとあたりが暗くなっているのに気付いた。その目覚めは気分の悪さからくるものだった。いつの間にか布団はベッドのわきに追いやられていた。手に巻いたシーツは血で重く感じられた。ニックは、気づかずに寝ていたんだと思った。
だるい体を何とか支えながら部屋を出てリビングに向かった。床にはポタポタと血が滴っている。早く手を洗いたかった。少し行くと料理をしているおばあちゃんが見えた。
「あらニック。呼びに行こうとしてたとこなの。もうすぐ夕食ができるわ。」
「うん……」
おばあちゃんはニックを見ずに言った。ニックはいつもとは違う、心ここにあらずな返事をした。ニックにとっておばあちゃんが気づかなかったのは幸いだった。しかしリビングに入ってきたおじいちゃんにばれてしまった。
「ニック!どうしたんだその手は!」
そう叫びながらニックの元へと駆け寄っていく。眉はハの字に吊り上がり、目は大きく見開いている。それにつられておばあちゃんもニックの方を見た。
「ああ、なんてこと……」
昼間の事件を隠すというニックの夢は立たれたのだろうか。おじいちゃんは近くのキッチンの流しでニックの左手を洗わせた。赤黒く染まり切ったシーツを外した時、グレゴリオ夫妻は息をのんだ。血を水で洗うと傷の形が鮮明に見えてきた。ニックはその時はじめて自分のそれをはっきりと見た。ひびが入ったような傷だ。ニックは自分でもこの傷は異様だと思った。洗っても洗っても手から落ちる水は赤く染まっていた。
「痛くないのか。その手は」
おじいちゃんがそうニックに言った。ニックはいたくないと答え、またもや2人は息をのんだ。
「早く医者に診てもらいましょう」
おばあちゃんがそう言うとニックが隙もなく返した。
「だめだ。絶対に。やめて」
「このままにしとけば感染症になる危険性がある。それに不便だろう。治療をしなければならない」
2人はニックを説得して半ば強引に病院へと連れて行った。ニックはその間も気分の悪さが悪化していった。左手の出血は収まってはいたが完全ではなかったため再度布で圧迫して抑えた。病院でニックの左手を洗浄した後、医師はニックの傷を興味深く観察した。
「この傷口は初めて見るものです。どうすれば傷がこんな風になるのか分かりませんが、とりあえず止血を」
そして傷口はほとんど止血できた。だがニックの具合は最高に悪くなっていた。目の前がぼやけて周りが白く輝いて見える。まともに立つことすらできない。世界が回っていく感覚がする。そしてニックは床に倒れた。おじいちゃんとおばあちゃんの声叫ぶ声が遠くへと離れていくようだ。次にゆっくりと眠るようにニックは気を失った。
目を覚ますと、見慣れない真っ白い天井が見えた。ここはどこだろうかと起き上がろうとする。だが体が思うように動かない。この具合からすると体調面ではなく手足が縛りつけられているらしかった。
そして間もなく人がやってきた。白衣を着ている、ニックにとっては少し前に会った医師だ。医師はなるべくニックに近づかないように壁に白衣をこすりあて、ニックがギリギリ、医師の顔上半分を認識できるところくらいまできて止まった。医師はこわばった声で文章をまるまる暗記したかのように言った。
「レイスオル病院324号室のベッド上のニック・コーネル様に中央政府からのお手紙がございますのでそれを読み上げたいと思います。以下の内容につきましてわたくしが説明するのは医師としての説明責任であるため、わたくしの意見ではない事を承知していただければと思います」
ニックは急に胃が締め付けられたような感じがした。なんでこの人は急に僕をあからさまに恐れるようになったんだ。僕が何かしたか?僕はどうなるのだろうか。
医師はポケットにしまってある手紙を取り出すと、きれいに折りたたまれた紙だったはずの手紙は手の中でうねり始め、指はタップダンスを踊るかのように動いた。気が付くと手紙はくしゃくしゃになり、医師は平然と同じ調子で続けた。
「中央政府からの召集のご説明
中央政府魔法省情報管理部案内連絡課より
この度中央政府は、スミルナ星域メランデル星レイスオル区レイスオル病院324号室医療ベッド上のニック・コーネル様に新西暦5056年6月17日に強制召集をかけることを決定いたしました。
ニック・コーネル様は13才でありますが未成年者の犯罪及び事前犯罪対策における法律第三条 未成年者の親権および監視権を持つ者はいかなる場合でもこれに介入することは許されない、であることに注意してください。
強制召集の目的としましては、中央政府安全維持法第十四条強制召集の目的 1.国家存続の危機となりうる可能性のある個人あるいは組織として認められた場合の代表者の意思決定権の審議 となります。
現在、拘束中のニック・コーネル様をお迎えにあがる方々がいますので、これから特別にニック・コーネル様自身がすることはありませんのでご心配には及びません。
既にお分かりかと思いますが、強制召集は義務であり拒否権はありません。もし強制召集に逆らうのであれば、中央政府安全維持法第十五条強制召集をかけられた者はいかなる理由があろうとこれを拒否してはならない。にあたり、20年以上の懲役刑になりますので悪しからず。
では、幸運を。」
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