叫んだ彰子の身体から、黒いモヤのようなものが大量に現れる。それは昌巳の目の前でぐるぐると渦を巻きながら集まり、そして次第に萎んていった。


かわりに、大きな人影が姿を現す。


カーキ色の、軍の上官が扱うような軍用ロングコートを身に付け、同じ色をした立派な軍帽を目深く被っていた。黒いブーツがコートの下から覗き、両手は白い手袋を嵌めている。そして腰には、赤黒い色に染まった鞘に収まった日本刀がベルトで固定されていた。


軍帽の下から、鋭い三白眼が昌巳を見下ろす。軍帽が影になっていて表情はあまり分からないが、顔立ちは整っているように見えた。短い黒髪を後ろに撫で付け、身長はかなり高く細身だが鍛えているのか体格は良さそうだった。

そんな男が、昌巳をジッと見つめていた。



「あ………」



昌巳は背筋が凍り付くような感覚に陥った。まるで小さなカエルが巨大な蛇に睨まれたかのような、圧倒的な強者の雰囲気を感じたからだ。



「昌巳っ!!」



シャズが光の弓矢を男に放とうとしたが、それを前に出て止めた者が居た。左腕を今し方失ったハーリスだ。



「ハーリス!?」

「待てシャズ、アレに無闇やたらに攻撃を仕掛けたらダメだ」

「なぜだ!?昌巳が」

「冷静になれ馬鹿もんが!!アレを見て分からんのか!?」



ハーリスのいきなりの怒号に、シャズは面食らう。そして男に再度目を向け観察する、と………



「…………馬鹿な、まさかアレは」

「あの男こそ鳳凰寺夜眞斗だ。そして──」

「うっそだろオイ………アイツ、“神霊しんれい”かよ!!」



シャズとアルバートは驚愕した。出現した鳳凰寺夜眞斗の正体に。



神霊───

神格を持った霊のこと。その存在は希少であり、特に死んだ人間が神格を持つこと自体稀。神の如き力を持っている。



「神霊は中国で五十年前に見たっきりだが……アレは格段に強いな」

「あ、ああ……あんな強い神気と霊気は初めて見たぞ」

「そりゃ結界もボロボロになるわな!だってめっちゃヤバそうだもん!なにアレ!?ほんとに元人間なの!?」



夜眞斗が普通の霊ではないと分かっていたが、まさか神霊だったとは思ってもいなかった。しかもかなりの上位クラスだ。離れた場所からでもその力は感じ取れる。

それは術師でもある遥輝も、夜眞斗を見た瞬間鳥肌が立ち悪寒を感じた。しかし、



「は、ははははははっ!!まさか神霊だっとはなあ!!イイ、イイぞ!ますます僕のコレクションにしたくなった!!」

「は?お前マジで言ってんのか?」

「馬鹿なことは止めろ!神霊に怒りを買えばどうなるか、術師の貴様なら分かっているはずだろう!?」

「黙れっ!!堕ち神、あの神霊を捕まえろ!!」



堕ち神に命令する遥輝。その命令に堕ち神は右手を上げた。



「“やまと”っ!」



彰子の声に、夜眞斗は目を昌巳から彼女に向いた。



「“やまと”、ハーリスたちたすけてあげてっ」

【────】



丸い目からポロポロと涙を流す彰子の言葉に、夜眞斗は頷いた。

そして、二人に背中を向け日本刀に手を掛ける。


すらりと現れた刀身。しかしその刀身は鋼の色をしておらず、切っ先から根元まで真っ黒に染まっていた。


その刀を構え、身を屈めた瞬間……夜眞斗の姿が消えた。


主の命令で夜眞斗を捕まえようとした堕ち神は、右手を上げたまま消えた夜眞斗を探す。


次の瞬間、右手が切断された。



ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!!!



「なっ」



一瞬にして手首から上が無くなった堕ち神の姿に、遥輝もハーリスたちも驚愕した。


そして、左手も切断されてしまう。


あっという間に再び両手を失ってしまった堕ち神に、ハーリスたちは顔を見合わせた。



「切られたとこ見たか?」

「一瞬だが………凄い速さで移動し切り落としたぞ」

「なんてスピードだ……」



夜眞斗の持つスピードは、ハーリスたちでも捉え切れないほどの速さだった。


しかし、それだけではなかった。



「………!堕ち神の手が治らない?!」



シャズとアルバートが撃ち落とした時はすぐに生えてきた両手だが、何やら様子がおかしいことに気付く。


切断面がじゅくじゅくと疼いているだけで、一向に再生しないのだ。しかも切り口が黒く変色している。


さらに、



ァ゙……ア゙……ア゙ア゙ア゙……!!



「おいどうした!!早く捕まえろこのクズ!!」



堕ち神の動きが鈍くなり、声も次第に覇気が無くなっていく。それを見たハーリスは何かに気付いた。



「再生の阻害と、毒の付与……!」

「そうか!夜眞斗の刀で切られた者は再生を阻害された上、刀が持つ猛毒によって苦しめられるのか!」

「なんつー怖い武器持ってんだよ……」



夜眞斗の持つ刀の効力に、アルバートは額に手をやったのだった。



ア゙…ア゙ア゙ア゙ア゙ッ!!!



すると堕ち神は力を振り絞り、自分の鱗を夜眞斗とハーリスたちに向けて飛ばし始めた。


ハーリスは「闇」の能力を使い、自分の影を広げアルバートとシャズごと影で出来たドームに包み込んだ。影のドームに堕ち神の鱗が突き刺さる。



【─────】



夜眞斗は放たれる鱗を刀で切り落としながら、堕ち神にまた接近する。


それは最後の一振りだった。


地面を蹴り、堕ち神の頭上まで高く舞い上がった夜眞斗は、刀を天に掲げた。そして、躊躇なく堕ち神の頭へ振り下ろす。それはまるで豆腐を切るかのように、スッと刃が抵抗なく入った。


そしてあっという間に、大きな頭が首元まで真っ二つに切り裂かれたのだった。



ァ……ア゙………



「行け」



切り裂かれた頭は右と左に傾き、堕ち神の動きが止まる。そのすきに、影のドームを消したハーリスは右目の眼帯を取り去った。


右目から、赤い目玉が幾つも生えた身体を持つ蛇のような巨大な怪物がズルリと現れ、生え揃った白い歯が剥き出しになった口を大きく開けた。


バクン、と堕ち神の頭を食いちぎり、そして身体を飲み込んでいく。咀嚼しながら自分の腹の中に入れていく怪物に、遥輝はわなわなと震えた。



「ば、ば、馬鹿なっ、なんだあの化け物は!?一夜で村六つを滅ぼした堕ち神が、僕のコレクションがっ───」



その言葉を、ハーリスの拳が遮った。



「ぐええええええええええッ!!??」



ハーリスに殴られた遥輝は、傍にあった広い田んぼの中心まで吹っ飛ばされる。仰向けに気絶し、全身泥だらけになった遥輝を、ハーリスは冷めた目で見据えた。

ちなみに、ハーリスの左腕はもう再生している。袖は食いちぎられた部分から無くなっていた。



【ヒサシブリノ、ゴチソウ、ウマカッタ】

「腹いっぱいになったなら早く戻れ」

【ウン】



怪物は満足げにニタリと笑いながら、右目の中へ戻っていったのだった。



「はあ……腕は再生しても服は直らないんだぞ」

「片方だけノースリーブになったな〜」



眼帯を着けながら、剥き出しになった左腕を見てハーリスはため息をついた。

そして、三人の前に現れた夜眞斗に目を向けた。



「………ありがとう、手助けしてくれて」

【────】



夜眞斗は何も言わない。しかし三人に対し敵意を向けてはいなかった。


クイッと軍帽のツバを摘んで少し下げると、夜眞斗は彰子に目を向けた。



「“やまと”っ!」

「あっ、彰子ちゃん!」



彰子は昌巳から離れ、夜眞斗へと駆け寄る。夜眞斗も彰子に柔らかな表情を浮かべ近寄った。嬉しそうな笑顔を浮かべながら、彰子は両手を広げ夜眞斗に抱きつこうとした。


その時だった。全員、油断していた。



ちょきんっ



小さな黒い影が二人の間を横切り、軽い音が聞こえた瞬間、彰子の身体がグラリと前に傾いた。夜眞斗は急いで腕を伸ばし彰子を抱き留めようとする。


しかし、その腕は彰子の身体からすり抜き、彼女は地面に倒れてしまった。



【────!?】

「彰子っ!!」

「彰子ちゃん!!」



ハーリスたちが気絶した彰子に駆け寄る。ハーリスは彰子を抱き上げ息をしているか確認した。



「息はしてある……だがなぜ」

【きし、きししっ】



笑い声が聞こえ、そこに目を向けると、古ぼけた握りバサミを持った餓鬼のような小さな怪異が離れた場所に居た。



「はははははははっ!!これで神霊は僕のものだ!!」



左頬が腫れ泥だらけになった遥輝が笑いながら田んぼから抜け出してくる。アルバートは咄嗟に銃で怪異を撃ち殺した。かしゃん、とハサミが落ちる。



「貴様、何をした!?」

「はした大金をはたいて買った縁切りの術具じゅつぐが、まさかここで役立つとはなあ!」

「縁切り!?……まさかっ!!」



ハーリスは顔を険しくした。そして地面に落ちたハサミを見る。



「アレは“縁切りバサミ”か!」

「え!?」

「あらゆる縁を切る力を宿した術具だ!貴様、ソレを使ったな!?」



ハーリスの言葉に、昌巳は彰子に目を向けた。

夜眞斗が彰子の顔を触ろうとするも、やはりその手はすり抜けてしまった。シャズはまさかと息を飲む。



「彰子と鳳凰寺夜眞斗の縁を切ったのか!?」

「はーーーーっはっはっはっはっ!!僕の勝ちだ!!ガキと神霊の縁さえ切れればこっちのものだ!!」

「ちゃんとした儀式もせず、まだ小さい子供に縁切りをすれば、この子の身体にどんな影響を与えるのか分かっているのか!?」

「そんなこと僕が知ったことじゃないな!!それに、そのガキと神霊を引き離す予定だったんだろ!?じゃあ何も問題は無いじゃないか!!どうせ親無しのガキなんて居ても居なくても同じさ!!死んだって誰も困らないだろ!!はははははははははははッ!!!」

「コイツ……ぶち殺す……」



青筋をこれでもかと浮かばせたアルバートがメリケンサックを拳に嵌め、笑い続ける遥輝に近付こうとした。


しかし、次の瞬間、アルバートの背後から凄まじい殺気が溢れ出す。



「────!?」



アルバートはその殺気に片膝をついた。ハーリスは彰子を抱き締め、シャズは昌巳を守るように背中に隠す。



【────許サん】



血を這うような恐ろしく低い声が聞こえてきた。


その殺気と声の主は、夜眞斗だった。


夜眞斗は遥輝を鋭い三白眼で睨み付け、そして刀を地面に突き刺し近付く。



「な、なんだ貴様っ、僕を誰だと思っている!」



遥輝は笑い声を止め、近付いてくる夜眞斗に怖気付いた。



「僕は坂的家の次期当主なんだぞ!?僕に逆らったらどうなるか……」

【貴様を、絶対ニ許さナい】



夜眞斗はそう呟くと、遥輝の右腕を掴んだ。



「お、おい離せっ!!」



ギリギリと締め上げるように握り締める。すると、指と腕の隙間から黒い煙が現れた。



「あ゙っ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!!!」



ジュウウウウ……と言う音と肉が焼けるような匂いが辺りに広がった。夜眞斗は遥輝の腕を投げ捨てるように乱暴に離すと、遥輝は地面に倒れ悶絶した。握られた部分の袖は、夜眞斗の手の形に焼けていた。



「な、何がっ」

「………祟られちまったな」

「ああ」

「た、祟られた!?」

「神霊の怒りを買った………当然の報いだ」



遥輝は悶絶しながら右腕の袖に手を掛けた。



「あ、あ、なんだこれぇ…!?」



捲った袖の下から露になったのは………。



「ひいっ!」



ぐじゅりと膿のようなものが玉になって出てくる、夜眞斗の手の形になった黒い火傷だった。

それを見た昌巳は息を飲む。

ハーリスは彰子をシャズに託すと、遥輝に近付いた。



「神霊に祟られた貴様は、これから悲惨な人生を歩むことになるだろう」

「やだ、そんな……たすけ」

「断る」



手を伸ばした遥輝の左手をハーリスは叩き落とす。



「貴様がこれまでにやった悪行の代償が来たんだ。せいぜい苦しめ。そして地獄に堕ちろ」



そう言ってハーリスは遥輝に背中を向け立ち去ったのだった。



「自業自得だな」

「はっ!ざまぁ!!」



アルバートは中指を立て嘲笑う。シャズも冷めた目を向けた。



「ひっ!や、火傷が広がって……!うあっああああああああああああッ!!!」



腕にある黒い火傷がゆっくりと広がっていくのを見た遥輝は、悲痛な叫び声を上げたのだった……。



「ん………」



その時、シャズの腕の中で彰子が身動いだ。



「!ハーリス、彰子が目を覚ましたぞ!」

「彰子っ、彰子しっかりしろ!」



ハーリスは彰子の元に戻り頬に手を添える。

黒い目が、ゆっくりと開いた。



「嗚呼、よかった…!」

「大丈夫?どこか痛いところは無い?」



ハーリスと昌巳が心配そうに彰子に声を掛けた。彰子は丸い目をパチパチしながら、ハーリスたちの顔をジッと見つめる。そして、



「…………おにいさんたち、だあれ?」

「………え?」



そう呟いた彰子は、驚くハーリスたちを他所にキョロキョロと忙しなく辺りを見回した。



【────彰子……】



夜眞斗は彰子に近付く。しかし、彰子は夜眞斗がすぐ近くに来ても、反応しなかった。白い手袋を嵌めた右手が彰子の目の前で振られても、何事も無いように目の前を見つめている。



「まさか……彰子ちゃん……」

「………縁切りの、影響だ」



ハーリスは俯きながら、両手の拳を握り締める。



「夜眞斗……」

【………………】

「?やまと?だあれそれ?」



彰子は小首を傾げる。その姿に、ハーリスたちは何も言えなかったのだった。




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