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「………“やまと”?それはなんだい?」
「“やまと”はしょうこのそばにいるおともだちだよ。だからぜんぜんさみしくない!」
でも……と彰子は悲しげな顔をする。
「しょうこはこのへやだいすきなんだよ?ぬいぐるみもえほんもいっぱいあるから!だけどね、“やまと”はイヤみたい……」
「………ハーリス、話の途中で悪いがこれを見てくれ」
シャズが後ろから声を掛ける。ハーリスは「すまない」と彰子から離れシャズに顔を向けると、シャズはしめ縄を指差した。
「このしめ縄……切れ掛かっている」
「それだけじゃねえ、壁に貼ってる札も皆ボロボロだぜ」
シャズとアルバートの言う通り、部屋の四方に結ばれたしめ縄の至る箇所がまるで強い力で引っ張られたかのように千切れかけ、壁の札も表面がくすみ所々敗れていた。
「この部屋に掛けた結界は、他の隔離部屋よりも強固にしているんです。しかし……もう限界が来ています」
「つまり、この子に取り憑いている何かのせいで、結界が今にも壊れかけているのか」
「はい……」
ハーリスはボロボロになったしめ縄と札から目を逸らし、彰子を見る。
彰子はぬいぐるみで楽しそうに遊んでいた。
「………昌巳、宮島彰子が保護される前、田上と言う家に居たんだったな?」
「は、はい」
「その夫婦に事情聴取したか?」
「奥さんの美和子さんはまだ精神面が不安定で事情聴取は無理だったみたいです。でも、夫の正樹さんからは話を聞いたそうですよ」
「事件の内容もか?」
「はい」
「………詳しい話は別の場所で聞こう」
ハーリスは彰子を一瞥したあと、隔離部屋から出た。シャズとアルバートも後に続き、そんな三人を影百合親子も追い掛けた。
「あの、彰子ちゃんにもっと話を聞かないんですか?」
「あの子に事件の話を聞くのも気が引ける」
「確かにそうですが………」
「まだ幼い女の子だ。殺されそうになった事件を思い出し、そのせいで取り憑いている何かが暴れたらどうする?」
その言葉に昌彦はハッとしたような表情をする。
すると、
「おにいさんたち、もうかえっちゃうの?」
「!」
振り向くと、隔離部屋で彰子がぬいぐるみを抱き締めながらハーリスたちを見上げていた。
「……少し離れるだけだ。また会おう」
「うん………バイバイ」
彰子は寂しげな顔をしながら手を振ってハーリスたちを見送った。
ゆっくりと隔離部屋の扉が閉まり、鍵が掛かる音がやけにフロア内に響いたのだった。
○
「職員が田上正樹さんに事情聴取をした所、こう述べていたそうです」
日本支部の最上階にある支部長室。そこでハーリスたちは昌彦から話を聞いていた。
「田上家に引き取られた当初、妻の田上美和子は彰子ちゃんを実の娘のように可愛がっていたそうです」
「何?」
「え、それおかしくねえか?確かその女ってあの女の子を殺そうとしてたんだろ?」
「はい。なぜ可愛がっていたあの子を殺そうとしたのか。その原因は、田上家に起こった怪奇現象なんです」
「怪奇現象ぉ?」
首を傾げるアルバートに、昌彦は頷いた。
「“朝洗面所で顔を洗っていたら、誰かが後ろを横切った”……“物が勝手に移動している”……“夜誰も居ない廊下から足音が聞こえた”……“開けていたはずの窓がいきなり閉まった”……など、そんな怪奇現象が毎日のように起こっていたそうなんです。」
「なるほど……その怪奇現象に耐性が無かった田上美和子は精神を病んでいき……」
「はい……ハーリスさんのお察しの通りです」
平穏な家族に突然起こった怪奇現象。
田上美和子は怖がりな性格だったらしく、原因不明の怪奇現象に毎日恐怖し、次第に心はボロボロになっていった。そして、自分があんなに可愛がっていた彰子が怪奇現象の元凶なのだと考え、彼女を一方的に恐れた。そして限界が来た美和子は、凶行を起こしたのだった。
「田上正樹さんも、あの子が家に来てから何かの気配を感じていたと仰られ、そして事情聴取の終わりにあの子を二度と自分たち夫婦に近付けさせないでくれと、涙を流しながら申しました」
「マジかよ……」
「じゃああの子供は、怪異を取り除いても帰る場所はもう………」
「そんなっ…!」
天真爛漫な笑顔をハーリスたちに向けていた彰子。両親は一年前に死に、親戚中をたらい回しにされようやく自分を受け入れてくれる人たちと巡り合えたのに………。
昌巳は口に手を当てショックな顔を浮かべた。
ハーリスは腕を組み、眉を少し寄せて何か考え事をする。そして………。
「………分かった」
「え?」
「な、何が分かったんですか?」
「宮島彰子は、しばらく俺たちの監視下に置く───」
まさに突拍子もないことを平然と言い放ったハーリスに、昌巳たちは声を上げて驚いた。
「お前ソレ本気で言ってるのかよ!?」
「ああ」
「相手はまだ正体不明の怪異だ!結界ですら壊すほどの力を持った存在なんだぞ!?昌巳が狙われたらどうする!?」
「もし仮に、彰子ちゃんに取り憑いている怪異が邪悪なものなら、彰子ちゃんにも何かしらの影響が出ている。だがそんな風には見えなかった。あと、あの隔離部屋に入った時点で昌巳に襲い掛かっていたはずだ。結界内に入ってたからな」
「あっ」
「ハーリス……つまりお前、あのガキに取り憑いてる奴は悪い奴じゃないって言いたいのか?」
「それはまだ分からん。本性を隠しているかもしれん。だが、昌巳は怪印の力のせいで怪異に狙われやすい体質を持っているのに、奴は昌巳に攻撃を仕掛けることもせず大人しかった。もしかすると……怪印の力すらものともしない、強固な自我を持った怪異かもしれない」
ハーリスの憶測に、昌巳は自分の首筋にあるだろう怪印を指で撫でた。
「それに怪奇現象も気になる。そのためには俺たちの元で観察するしかない。それに、結界を張っても壊れてしまう隔離部屋に居ても意味が無いだろう」
「確かに……」
「昌彦、そう言うわけだ。宮島彰子を今から解放し、俺たちに預からせてくれ。もちろんあの子に何かあったら俺が責任を取ろう」
「は、はい!分かりました!……私も、あの子をずっと地下に閉じ込めているのは気が引けていましたから。それにハーリスさんたちなら彰子ちゃんを助けてくれると信じてます。私の娘を守ってくれたように……」
と昌彦は嬉しげに笑いながら昌巳に目を向けた。
「あ、でも私が買い与えたぬいぐるみは彰子ちゃんにあげても構いませんか?あの子ぬいぐるみが大好きみたいなので!あと絵本も!」
「あの量のぬいぐるみを全部か?」
「小さい子供には甘いなこの人」
「あ、あはは……」
なんか締まらない父親に、昌巳は笑うしかなかった。
「おにいさーん!」
エレベーターが開くなり、職員たちと共に地下から出た彰子は両手を広げ満面な笑みを浮かべながらハーリスに駆け寄った。
「またあえたね!」
「言っただろう?また会おうって」
腰に抱きついてきた彰子の頭を優しく撫でる。
「今日からしばらく俺たちと暮らすことになったんだ。色々用意しないとな」
「?おにいさんたちとしょうこ、くらすの?」
「ああそうだ」
「………おじさんとおばさんは?」
その言葉に、ハーリスは左目を見開いた。彰子は小首を傾げハーリスの返事を待っている。
「………おじさんとおばさんは実は病気になってしまってな。残念ながら君と一緒に暮らせなくなったんだ」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあおみまいいきたい!おはな、ふたりにあげたいなあ」
「お見舞いは……無理なんだ。かなり重い病気だから安静にしておかないといけない。でないと、さらに病気は重くなるかもしれないからな」
「そうなんだ………おばさんとおじさんにあいたかったのに」
しゅん、と俯く彰子に、ハーリスは何とも言えない罪悪感を感じたのだった。
あながち嘘ではない。現に二人はまだ精神病院に入院している。特に妻の美和子は殺人未遂を犯してしまったのだから、しばらく外には出られないだろう。夫の正樹も、もう彰子とは会いたくないと言っていた。そんな今の二人に彰子を会わせてしまったら………最悪な結果になるのは安易に想像出来る。
「さあ行こうか。三人を待たせているからな」
「うん!」
彰子と手を繋ぎ、玄関口へと向かう。そこには昌巳たちが待機していた。
「よっ!やっと部屋から出られたな!」
「……おにいさんおなまえは?」
「俺はアルバート・エンドロック!嬢ちゃん、お近付きの印にアメちゃん差し上げますよ〜」
「わーい!」
どこから出したのか分からないが、美味しそうな棒付きキャンディを彰子に差し出したアルバート。彰子は嬉しそうな顔をしながらキャンディを受け取った。
「で、こっちの愛想が悪そうな奴がシャズだ」
「一言余計だ。………私はシャズ・エンドロックだ。そして隣りに居るのは世界一可愛い私の「止めろ」
「か、影百合昌巳です……よろしくね、彰子ちゃん」
ハーリスに頭をしばかれていたシャズを横に、昌巳は身を屈め彰子に自己紹介をした。すると彰子はジッと昌巳を見つめ………
「おねえさんなんでおにいさんのかっこうしてるの?」
「え…!?」
昌巳が着ている学ランを指差しそう言った。これには三人も驚く。
「お前、昌巳が女だって気付いたのか!?」
「うん!さっき“やまと”がおしえてくれたー」
きゃらきゃらと笑いながらハーリスに抱きつく。しかし、その言葉に昌巳は少なからずゾッとしたのだった。
「………昼になったな。先にご飯でも済ませるか」
「おう」
「そうだな」
「ごはん?」
「ああ、どこか近くにあるファミレスにでも行こうか」
「いきたーい!」
少し不穏な空気だったが、ハーリスは話を即座に変え、彰子と手を繋ぎ日本支部から出たのだった。アルバートたちもハーリスに着いていく。
「うしろのおにいさんってきょうだいなの?」
「そうだ。よく分かったな。それも“やまと”から教えて貰ったのか?」
「うん!“やまと”はしょうこのわからないこと、たくさんしってるの!すごいでしょー?」
「ああ凄いな………俺も是非お会いしたいものだ」
ハーリスの含み笑いの理由を知らない彰子は「じゃあ“やまと”にいっとくね!」と笑ったのだった。
「……ハーリスさんって子供が好きなんですか?」
「ああ」
「昔近所の小さい子供の面倒みてたしなー」
「へえ…」
なんてことを話しながら、三人はハーリスと彰子を見つめていたのだった。
ハーリスたちは日本支部から離れ、店が多く立ち並ぶセンター街へ向かった。
そこにあるファミレスに入り、定員に案内され一番奥の窓際に座る。
窓に背中を向け壁際にある席にアルバート、昌巳、シャズの三人が座り、その向かいにハーリスと彰子が座った。
「好きなものを選んでいいぞ」
「ほんとう?じゃあしょうこ、ビーフステーキ!」
「ワイルドじゃ〜ん。その歳でもう肉食系女子かよ」
「てっきりお子様ランチを頼むかと思っていた………」
広げたメニュー表に目を輝かせる。その姿に昌巳は「本当に普通の女の子なんだな……」と小さく呟いたのだった。
すると、
「お水お持ち致しましたー」
定員が水が入ったコップ数個をトレーに乗せて現れた。そして慣れた手つきでコップを置いていく。………と、
「ん?すまないが、一つ多いぞ?」
「え?」
「1、2、3、4、5………6?」
ハーリスを含め今この席に座っているのは五人のみ。しかし、さきほど配られたコップは六つあるのだ。
一人分、多い。
「あ、す、すみません!」
「おねえさんだいじょうぶだよ」
すると彰子は六つ目のコップを下げようとした店員を止め、コップを自分の隣りに置いた。
「これ、“やまと”のぶんだから!」
「………なるほど。すまないがコップはそのままにして構わない」
「は、はい、分かりました……」
店員は少し不審げな顔をしたが、そのまま去って行ったのだった。
「まあ、ご飯が来るのを待ちながら話でも聞こうか」
「おはなし?」
「ああ。君の友だちのことを知りたいんだ」
「いいよ!」
彰子は嬉しそうに笑った。
「君と“やまと”はいつごろから知り合ったんだい?」
「あのね、しょうこと“やまと”はあきちでであったの!」
「あきち……あ、空き地ね」
「“やまと”、そのあきちでひとりぼっちだったの。しょうこもひとりぼっちだったからさみしいきもちすごくわかる」
「……その空き地はどこか覚えてるか?」
「えっとね、さいしょのちがうおうちにいたときー。おうちのすぐちかくだった!」
「そうか。“やまと”とはそこで仲良くなったんだな」
「うん!しょうこ、“やまと”だいすき!」
ね!と彰子は誰も居ない隣りに顔を向けた。そこに“やまと”が居るのか、と昌巳は冷や汗をかいた。
「お待たせしましたー、ビーフステーキです」
「やったあ!」
それから数分して注文した料理がやって来た。
彰子は両手を上げ大喜びしながらビーフステーキを受け取った。
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