飛花落花

サヤマカヤ

第1話

 この国は武力によって急激に大きくなった。

 ローレイン国とフェヒノマ国を征服し、昨年クロノクリスタ国改め、クロノクロフ国として建国されたばかりだ。


 それまでいた老齢の軍師が孤児を弟子にし、己の全てを叩き込んでいた。

 まだ若いその軍師は、若さ故の大胆さと、幼い頃から師匠と共に戦場を見てきた冷静さを併せ持ち、狡猾な戦術も厭わない男だった。

 その若き軍師が智略を巡らせ、クロノクリスタ国よりも大きかった二つの国を攻め落とした。


 しかし、王はまだ国土を広げようとしている。

 その理由の全ては民のため。

 元々貧しい土地に国があったため、飢饉が頻発に起こりやすかった。


 ローレイン国は豆や芋の栽培が盛んで、フェヒノマ国は自然災害が少なく、良質な麦が採れた。

 それも今は我が国のもの。国を豊かにし、民に幸福を与えるものだ。


 そして今は、北側の水不足が問題視されていた。

 平原が広がっているから家畜は育てやすいが、水源が少ないため日照りになると干ばつが起こりやすい。

 人が飲む水にも困る場合、移転するにも限界がある。家畜を捨てて水のある場所へと移動しなければならなくなる。


 蛮族が治めている北の土地には大きな山があり、その山の麓には大きな湖とそこから繋がる川もある。

 この国の領土はギリギリその川に届いていなかった。届いていれさえすれば用水路がひけるのに。


 これまでも何度となく、水源の豊かなその地を手に入れようとしてきたが、蛮族に優秀軍師がいるのか勝機すら見えたことがなかった――――



「国土を広げ!食糧不足の憂いが減った今こそ!北の水源を手に入れるために全力を尽くす時!!我々の戦いが民を救う!!」


 今は、明日から北の地に向かう騎士たちの壮行式を行っている。

 第一王女である私も式には参加していたが、私は陛下のお言葉も将軍らの声も耳に入っていなかった。


 どうして?という疑問と、早く部屋に戻って取り掛からなければ間に合わないということ、それしか考えていなかった。



「姫さまっ、どうなさったのですか?」

「……急がないと。すぐに刺繍に取り掛からないと」


 壮行式が終わると、私は自室へと急いだ。

 走らないギリギリの速度で、長い廊下を渡る。

 階段を上っている間も、無事を祈ってハンカチに刺繍をして、房飾りも作らないといけないと、そればかり考えていた。


 壮行式には、あの人の姿があった。

 私が慕っている人の姿が。


 近衛騎士の彼が、どうして戦場へと向かうのか。

 それも先陣を切って向かう第一陣の中にいるのか。


 壇上から明日、戦へ向かう騎士を見ていると、すぐにあの人がいることに気がついて動揺した。

 王女歴十六年。顔にも態度にも出ていなかったはずだけど、内心は荒れ狂っていた。



 ◇



 兄や妹と遠乗りに出かけたある日。

 突然目の前を横切った小動物に驚いた私の馬が立ち上がり、私は振り落とされた。


「きゃぁ!?っ!」


 私は強い衝撃に備えて体に力を入れてぎゅっと目を瞑ったが、ドンと来るはずの落下の衝撃は思ったより痛くなった。

 沢のある斜面側に落とされたから、一瞬にして斜面の下まで滑り落ちたのは目を瞑っていてもわかった。だけど、思ったより体に痛みを感じない。

 と思ったら、一人の近衛騎士が私を庇うように抱き抱えていた。


 護衛のために斜め後ろを走っていた近衛騎士が、落馬中の私を空中で受け止めて私の下敷きになったまま斜面を滑り落ちたらしい。

 思ったより落下の衝撃がなかったのも、斜面を滑り落ちているのに大きな怪我がなかったのも、彼のお陰。

 私は、密かに気になっていた彼が助けてくれたと知って、心臓が跳ねた。


「勝手にお体に触れ、失礼いたしました」

「いいえ。あなたのお陰で無事です。ありがとう。それよりも、怪我は?」

「問題ありません」


 問題ないと言った近衛騎士の制服は、腕や背中が所々破れていた。

 頬にも傷ができている。

 問題ないと言える状態ではなかった。


「まあ!だめよ!見えない場所も怪我しているかもしれないわ」

「ロザーリア!無事か!?」

「お兄様!私は無事ですが、彼が!」


 沢を降りて私たちの下に駆けつけたお兄様に近衛の状態を伝えると、お兄様も念のため医者に診せたほうがいいからと遠乗りは中止になった。


 城に戻るとお兄様に言われて私も医者に診てもらったが、全くの無傷だった。

 私を守った近衛は背中に軽い打撲と、腕や背中、顔に擦り傷切り傷はあるものの、大きな怪我はなかった。

 それを聞いて心底安堵した。


 私を身を挺して守ったことが陛下にも報告されて、この近衛騎士は私付きとなった。

 今までは広く王族を守るための近衛だった彼が、私専属になったのは嬉しかった。


 そばで守られているとよくわかる。

 優しい人なのだと。


 基本的に私たち王族は近衛と会話はしない。

 しても連絡事項を言われて、返事をするだけ。

 雑談のようなことは一切しない。


 ましてや、私は今や大きくなったこの国の第一王女。

 戦いの最中にあったから今まで婚約者もいなかったが、近い将来、外交のための道具として嫁ぐことになるだろう。


 だから、ずっと見ているだけだった。

 王女と近衛の距離でも側にいられることが、唯一、今与えられた幸せだと感じていた。


「あっ」

「っ!」


 その日、初めて履く新しい靴にまだ馴染んでいなくて、階段を降りている時に滑ってしまった。

 彼が咄嗟に支えてくれたから事なきを得たけれど……


(え……っ)


 抱き止めてくれた腕にぎゅっと一瞬だけ力が加わって、抱きしめられた気がした。

 気の所為かと思うほど一瞬の出来事。


 驚いて見上げると、彼の瞳は真剣で少しだけ切なさを感じさせた。


(そう。そうなのね)


 彼の秘めた想いに気付いたとき、嬉しさのあまり泣きそうになった。


 彼の腕に添えたままだった手に一瞬だけ力を込めてから名残惜しげに手を離す。

 今、私にできる精一杯の意思表示。

 彼は一瞬驚いた顔をしたけど、意味が伝わったのかすぐに優しげに目を細めた。



 お互いの気持ちに気付いてからも、私たちは王女と近衛騎士。

 二人の間に会話はない。

 目が合うとほんの一瞬、瞬きをしていたら見逃しそうなほど一瞬、お互いに目を細めるだけ。

 段差のある所で差し出された手に手を添えたとき、少しだけきゅっとお互いに力を入れるだけ。


 いつかは終わりが来るとはわかっていたけど、どうして私付きの彼が壮行式に参加しているのか。

 彼は今、どうして私の後ろではなく、第一陣の騎士らと共にいるのか。


 何も聞いていない。

 どうして何も言ってくれなかったのか。

 昨日までは側で守ってくれていたのに。


 でも、あの場にいたということは、もう撤回はされない。

 そうなれば私に今できることは一つしかない。


 武功を祈って房飾りを作り、無事を祈って手巾に刺繍をする。

 房飾りは青の糸で作る。

 手巾は青の糸で剣と盾を、紫の糸で名前を刺繍する。


 二年も私付きの近衛をしてくれていたのだから、一言くらいあってもいいのにと思う気持ちや、いつの間にか私から離れたくなってしまっていたのか?まともに会話もできない相手をずっと想っていてくれていると思っているのは、私が奢っているのか。それとも……と様々な思いが綯い交ぜになる。


 房飾りと手巾の刺繍が完成したのは、もう夜も更けようとしている時間だった。


 メイドを呼び、彼を呼び出してもらう。

 最初はこんな時間にと躊躇う様子だったけど、私の切羽詰まった様子に、渋々了承してくれた。

 彼に迷惑と思われても、誰かに仲を勘繰られても、今は関係なかった。



 暫くして、ノックの音が響いた。

 起きて付き添ってくれていたメイドに合図を出すと、彼が室内へと入ってきた。


 寝ようとしていたのか、もしかしたらもう寝ていたのかもしれない。

 いつもは後ろに撫で付けていた髪が降りていて、服も私服だった。


 こんなときでも、彼の初めて見る姿を嬉しく感じる。


「ごめんなさい、こんな時間に」

「いえ」

「どうしても、これを渡したくて……」


 兎に角急がなければと夢中で彼の武功と無事を願って作ったし、どうしても渡したかった。

 でも、いざ渡そうとすると、これを渡したら彼は戦場へと行ってしまうのだという実感がわいてきた。


 差し出した手は微かに震えていたし、声も震えていたかもしれない。


 房飾りと手巾を受け取るためゆっくりと伸びてきた彼の手が、私の手ごと包み込んで強く握り込まれた。

 見上げてみると強い光を宿した瞳と視線が重なる。


「必ず、武功を上げて帰ってきます」


 一筋流れた私の涙を掬い取ってから、彼はすぐに部屋を出て行った。



 第一陣は翌朝早く出立した。

 花吹雪の舞う中、彼の剣にはしっかりと青い房飾りがつけられていた。



 ◇



「殿下、どちらへ」

「神殿よ」

「お供いたします」


 彼が戦地に行ってから、私は城の横に作られた神殿で無事を祈るのが日課となった。

 元々、以前の戦中も時折神殿で祈りを捧げていたから、変に思われることはないはずだった――――


「ロザーリアは?今日も神殿?」

「左様でございます」

「そうか。もう一年になるな……。戻り次第、陛下の執務室に来るように伝えてくれ」

「畏まりました」



 神殿から戻ると、「王太子殿下が訪ねて来られて、陛下の執務室へ来るように仰っていました」と侍女から伝えられた。


「陛下、お呼びと伺いました」

「ロザーリア、痩せたのではないか?」

「そうでしょうか?きっと大人の女性になってきた証拠ですわ」


 陛下の執務室に行くと、王太子であるお兄様もいた。

 お兄様は私の姿をみて、痩せたと心配してくれる。

 確かに、北の地の戦争が始まって以来、食欲はない。

 けれど、食欲がない理由は悟られてはいけないから、大人になったのだと言う。


「そうか。ならば、そろそろ婚約者を決めても良いな?ロザーリアには友好の証としてスタニス国の王太子殿下へ嫁いでもらう」

「……はい」


 私とお兄様の話を父親の顔で心配そうに話を聞いていた陛下が、為政者の顔をして言った。


 思ったより早かった。

 今まで戦争を理由に、私たち兄妹は婚約者が決まっていなかった。


 王太子であるお兄様の婚約がつい先日決まったばかりだったから、私も遠くない未来に決まると思っていたけど、こんなに直ぐの未来だったとは。


 北の地の戦争はいつ終わるかまだわからない。

 もしかしたら、彼が帰ってくる頃には私はもうこの城にはいないかもしれない。

 せめて、無事に帰ってくる姿だけでも見たかった。

 遠くからでもいいから、一目でもその姿をもう一度見たかった。



 それからひと月もしないうちに、お兄様に呼び出された。


「ロザーリア。これは、ロザーリアがヘルベルト・ドゥラークに渡したものかい?」


 ドキリとした。

 ヘルベルト・ドゥラークとは、彼の名前だから。


 平静を装って、お兄様が差し出している物を見る。

 お兄様が見せてきたのは、一部が血で汚れた青い房飾りだった。

 血は黒く変色していて、血がついてからかなり時間が経っていることが窺える。


「これ、は……」

「昨日、負傷して戻ってきた騎士が持ち帰ったものだ。ヘルベルトが付けていた房飾りに似ていると。その騎士が言うには、同じ編隊でずっと側で戦っていたはずのヘルベルトの姿は近くになかったそうだ。ドゥラーク侯爵家へ届けてもらおうと思って持ち帰ったと言っていた」

「そんな……」

「ただヘルベルトが付けていた房飾りと似ている飾りが落ちていて、姿が見えなくなったという事実しかわかっていないが」


 房飾りを手に取り、房を掻き分けると中から紫の色糸が見えた。

 間違いなく私が彼に渡した房飾りだった。


 王家の私たちは普段青い瞳をしているけど、瞳に光が差し込むと紫が混ざる。

 だから、この国では青と紫は王家の象徴ともいえる色。


 服の隠しに仕舞っておける手巾には青と紫の色糸を使って刺繍したけど、はたから見ても目立つ房飾りは一見すると青一色に見えるようにして、房の内側に数本だけ紫の色糸を忍ばせた。


「ふっ……うぅっ…………っ!」


 彼が亡くなった可能性に思わず慟哭した。




 それからも、私は神殿通いを続けた。

 落ち着いて考えれば、房飾りは剣から落ちてしまうこともある。

 姿が見えなかったなら生きてる可能性は充分にある。


 戦いが終わるまでは希望を捨てたくなかった――――



「あの房飾りはやはりロザーリアがヘルベルトへ贈ったもののようです」

「やはり」

「ロザーリアはまだ神殿通いを続けています」

「そうか……」



 ◇


 彼の決定的な訃報が届かぬまま、北の地の戦いも終わらない。

 彼が北の地に出向いて、王都には二度目の春が来た。


 これほど長く続くということは力が拮抗しているのだろう。

 一体いつまで続くのかと憂いていると、漸く北の地で戦っていた騎士より我々クロノクロフ国勝利の報が舞い込んできた。


 私がスタニス国へと嫁ぐ日が迫ってきたある日、北の地へ行っていた騎士たちが帰還し始めた。

 数日間、彼を見逃さないようにと窓に張り付いて城へ帰還する騎士を見ていた。



(っ!?)



 続々と帰還する騎士らを城の窓から見ていると、列の後方に彼の面差しによく似ている人がいた。

 私の記憶にある彼よりも一回り以上体が大きくなっていて、勇ましく猛々しい雰囲気になっていた。だけど、間違いない。



(生きていた……生きていたんだ……!)



 窓の外を見ていた私は、急に音を立てて椅子から立ち上がり、窓に張り付いて全く動かなくなった。

 その後、急に床にぺたんと座って嗚咽を漏らして泣き出したから、メイドたちは慌てていたけど涙が止まらなかった。


 私が来月嫁ぐことを知ったら、彼はどう思うだろう。

 悲しんだり怒ったりしてくれるだろうか。

 あんなに会いたかったのに、今は会うのが怖い。


 北の地で勝利を収めて騎士たちが帰還しても、私の輿入れの準備は止まらない。

 むしろ、二重の祝賀気分に盛り上がっているように思う。


 彼に私の輿入れが伝わるのも時間の問題だった。


 私の知らないところで、勝利を祝う宴の準備が行われていた。


「ヘルベルト・ドゥラーク。此度の働きに褒美を遣わす。希望を申してみよ」

「ロザーリア王女を賜りたく」

「なっ!?何を言っておる!貴様!」

「そうだ!王女は間もなくスタニス国へ嫁ぐことが決まっておる!」

「鎮まれ」


 今回の戦では、ヘルベルトが朝方に隙を突いて蛮族の長を討ち取り一気に戦況が変わった。 寝首を掻いたともいう。

 だが、そのおかげで二年近く続いた戦いに終止符が打たれた。

 この戦い一番の功労者であるヘルベルトを呼び、先ほどまで褒め称えていた者らが、望みを聞いた途端に声を荒らげだす。

 しかし、重鎮らの騒ぐ声が国王の一言で一斉に静寂が訪れた。


「他に希望は?」

「ございません」

「然すれば勝手に用意するまでである」


 このときのやり取りは城の中にすぐに広まり、私の耳にも入ることとなった。


 武功をあげた者が通常なら手の届かない女性を希望することは珍しいことではない。しかし、すでに他国に輿入れすることが決まっている王女を堂々と欲するのは、前代未聞だった。


 私がその話を聞いた瞬間、咄嗟に感じた感情は歓喜だった。

 彼もまだ私を想っていてくれているのだと。

 でも、すぐにもうどうすることもできない切なさや罪悪感に支配された。



「お姉様!」

「リザーリア、どうしたの?」

「お姉様にお願いがあるの」

「お願い?」

「ええ。スタニスの王太子殿下を私に下さらない?」

「何を言っているの?そんなことできるわけがないわ」

「知っています?お姉様。スタニスの王太子殿下はとても美形らしいですわ。それにまだ若いのに人格者なんですって!」


 天真爛漫で突拍子もないことをして周囲を驚かせることのある妹だけど、意味がわからない。


「そのようね。だからって、もう決まったことだし、欲しいならあげるなんて簡単なものではないのよ」

「お父様にはもうお願いしてきました!」

「えっ……!?」

「リザーリアがどうしてもと言うなら、ロザーリアが譲っても良いと言ったら良いだろうって!だから、お姉様!私に下さい!」

「ほ、本当に陛下はそう仰ったの?」

「本当です。リザーリアも来年成人します。いつお嫁に行ってもおかしくないでしょう?どうせならかっこよくて素敵な旦那様の元へ嫁ぎたいのです。そして、リザーリアはどうせなら王妃になりたいのです!」


 妹の話に唖然としてしまった。


 本当に陛下がそんなことを言ったのだろうか?

 本当にこの子はそれだけの理由で?



「スタニスとの約束では、『スタニスの王太子とクロノクロフの王女との婚姻を持って友好を結ぶ』だそうです。リザーリアでも約束を果たせます。だから、お姉様は好きな人と幸せになるべきです」

「え……」


 まさか、妹に気付かれていたなんて。

 もしかして、お兄様や陛下にも知られていたのかしら……。


 私が顔を青くしているのなんてお構いなしに、リザーリアは話し続けた。


「絶対に一番の武功を上げて、褒美にお姉様を望むために近衛だった彼が志願したそうですね。次男の彼がお姉さまを娶るにはそれしかないからって。命懸けで望まれるなんて羨ましいです。もしもこのままスタニスに嫁いでしまったら、きっとヘルベルトは命を絶って、悪霊になってお姉様を呪ってしまいますよ!?」

「ヘルベルトはそんな人じゃないわ!優しい人だから……きっとわかってくれるはずよ」

「もう。素直にならないと後悔しますよ?お姉様は好きな人と幸せになって、リザーリアはかっこいい旦那様を捕まえることができる!ね?良いことしかありません!私、お父様にお姉様から了承を得たって言いに行きますからねっ!」

「あっ!リザーリア!?待っ……」


 パタパタパタとあっという間に走り去ってしまった。


 リザーリアは末っ子で、確かに陛下もリザーリアには甘いところがあるけれど。

 国と国が絡んだ話なのに。


 それに、彼が私以外の希望はないと言ったら、褒美は勝手に用意すると陛下が仰ったと聞いた。

 つまり、私を降嫁させるつもりはないということ。

 いくらリザーリアが言ったところで今更覆らない話。



 数日後、祝いの宴が開かれた。

 彼と顔を合わせるのは気まずかったけど、王女として出席しなければならない。


(あ……)


 帰還のときに遠くに見た彼は髪が伸び、髭も生えていた。

 だけど、髪を切り髭も剃った状態になると、以前と変わらない優し気な顔立ちの彼がいた。

 体は大きくなったし、雰囲気も精悍になったけど、私には以前と変わらない彼に見えていた。


 ついつい彼のことを見ていると、彼と目が合った。

 けど、咄嗟に逸らしてしまった。


「待っていて」とも、「待っている」とも約束はしていない。

 だから、罪悪感なんて感じなくても良いはずなのに、宴が進んでもそれ以上彼のことが見れなかった。



「今回の一番の功労者で敵の大将を討ち取った、ヘルベルト・ドゥラークに褒美として、辺境伯の位を授ける。今後は、ヘルベルト・ハリストン辺境伯と名乗り今回勝ち取った北の地の領主として、今後も蛮族との戦いに備えよ」



 いよいよ今回の戦いで褒美を授けられる者達が発表され、それぞれの褒美の内容も伝えられる。彼は一番最後に名前を呼ばれた。

 彼に与えられる褒美を聞いて「やはりそれくらいの褒美が妥当なのだろう」と思った。

 こういうときの褒美で叙爵はよくある。この国の慣例からすると伯爵以下の爵位が多かった。

 侯爵家次男の彼が、侯爵位と同等とされる辺境伯の叙爵されるだけでも褒美としては破格だろう。

 私は妥当な褒美の内容に納得しつつ、落胆していた。


「また、今回勝ち取った北の地は我が国がまだクロノクリスタだった時代からの悲願の地。その地を勝ち取ったことは、これまでにない喜びであり最大の褒美をつかわすに相応しい働き。よって、ロザーリア王女を降嫁させることとする。王女としっかり彼の地を守るように」

「はっ!」


 今聞こえてきたことが信じられなくて、現実と思えない。

 ぼーっとしていると、目の前に人が立った。

 のろのろと顔を上げると彼がいて、いきなり抱き上げられた。


「きゃっ!?」


 私を抱き上げたまま、彼は嬉しそうな顔をしてその場でぐるぐる回った。


 何回転しただろうか。

 目が回り始めた頃、ぐらりとバランスを崩して二人で倒れた。


 けれど彼は私をしっかりと抱き止めて離さず、私は彼の上に崩れ落ちただけだった。

 あの日、落馬したときのように。


 急いで顔を上げると、彼は私の下敷きになりながら、嬉しそうに目を細めていた。

 たくさんの人が見ているのに。

 急になんてことをしてくれるのだ。


「危ないじゃないヘルベルト!」


 私を膝に乗せたまま、上半身起こした彼がへにゃりと笑った。

 その顔があまりに愛おしくて、初めて見る表情に心臓が早鐘を打った。


「……やっと、私の名を呼んでくれましたね

「え?」

「嬉しい。ずっとあなたに名前を呼んで欲しいと思っていました。……ロザーリア王女、陛下からお許しをいただきました。私と結婚してくださいますか?」

「……謹んでお受けいたします」

「ロザーリア王女……!」


 まさか彼との結婚が許されるときが来るなんて。


「あー…………、二人ともおめでとう。でもそろそろ離れたらどう?まだ祝宴の最中だよ?陛下がすでにちょっと寂しそうだから、離れて。ヘルベルトも自重して。降嫁が撤回になったら困るでしょう?」


 幸せを噛みしめて二人で見つめ合っていると、お兄様の小声が割って入り、今の状況を思い出したのだった。



 ◇


 ヘルベルトはすぐに騎士を引き連れて北の地へと戻り、王女を迎える準備を整えた。

 半年後、ハリストン辺境領に冬が訪れる前にロザーリアはヘルベルトの元へと嫁いでいく。

 国境では常に蛮族との闘いが行われているため穏やかに夫婦生活を送ることはできなかったが、それでも二人は子宝にも恵まれ、愛する人と共に寄り添える幸せな人生を送れた。


 ◇


 姉の幸せを思ってスタニス国へと嫁ぐ決心をしたリザーリアだったが、スタニスに発つ直前になって実は後悔していた。


(スタニス国ってどんな場所かしら……。あのときはお姉さまのためと正義感に駆り立てられて行動したけど、やっぱり早まったかもしれないわ!会ったこともない人に嫁ぐって、なんて怖いのかしら……どうしましょう!)


 しかし、いざスタニス国の王太子に会った瞬間リザーリアは一目惚れをする。


(かっこいい!ほんとうに美形で、とても素敵だわ!こんな人が旦那様になるなんて!私ってなんて幸運なのかしら!お姉様と交代して正解だったわ!)


 王太子もまた、可憐で天真爛漫なリザーリアの魅力に惹かれ、いつまでも仲睦まじい国王夫妻としてスタニス国民の憧れとなったのだった。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛花落花 サヤマカヤ @amayas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ