第9話 第二章~終~ 死神さんとブレークスルー

「坊ちゃん達、懲りもせずにまた……」


「ひゃあぁぁぁぁ!! モルさん、このままじゃ店が滅茶苦茶に!」


 藍里は青ざめた顔でモルテの肩を揺らした。チンピラ達は椅子やテーブル、調味料の瓶などを薙ぎ倒し始めた。平穏だった店内が、一瞬で修羅場と化す。モルテは藍里との不殺の誓いを破らねばならぬかと、身構えた。そのときだった。


「哲、それにお前ら……」


 今にも成仏しようとしていた玉川がぽつりと呟いた。藍里達はそれを聞き逃さず、ばっと振り向いた。


「え、玉川さんっ、あの人たち知っているんですか!?」


 藍里の問いに、玉川はそっと俯いた。


「なに? いまはクソ緊急事態なの。早く言いなさいよ?」


 モルテの催促に、玉川は意を決したように口を開いた。


「嬢ちゃん、わりぃ、ずっと言えなかったんだ。実は、俺はあいつらを束ねてるヤクザの組長だったんだ」


「っえ? そうだったんですかぁ!? じゃあ私に借金の取り立てを送っていたのに、のうのうと付いてきたんですかぁ!?」


 目を丸くする藍里に、玉川は更に顔を暗くした。


「すまん……。誰かから純粋に接されたのが、嬉しくて……。今まで組長だのなんだの、嫌悪や恐怖の視線しか浴びてこなかったもんだから、甘えちまったんだ。たとえ、それが債務者の娘でも……」


 玉川の言葉に、藍里は溜息をついた。どうにも責める気にもなれなかったし、そういう義理も持っていない。何も言えない藍里に、モルテは好機とばかりに口角を上げた。


「なんだ、丁度いいや。あんたの子達でしょ? 飯の礼に一肌脱いでよ?」


「俺が?」


「ええ、このお嬢ちゃんを救うために、暴れ牛達を止めてやって」


 モルテは片目で藍里に、ウィンクした。玉川は真剣そうな表情でこちらを見守る藍里を見つめると、一つ目を閉じて頷いた。


「ああ。最後に、美味い飯食わせてくれたしな。礼を返す時だ」


 玉川の返事を聞くや否や、モルテは不敵に笑って指を一つ鳴らした。その瞬間、暴れていたチンピラ達の瞳に星に似た火花が散った。一瞬の出来事に驚愕する彼らだったが、目の前に立っていた人物に気づき、あっと声を上げた。


「お、親父ぃ!?」


 哲、と呼ばれた竹刀の男があんぐりと口を開けた。他の者達も同様だ。玉川はふっと笑って、片手をあげた。


「よぉ、おめえら、ちと地獄に行くのに渋ってたところだったよ」


 哲はわなわなと唇を震わすと、竹刀を投げ捨てて、反社会組織特有の両ひざに手をつく、忠誠の姿勢を取った。部下たちもそれに続く。顔を上げた哲の瞳には、涙があふれていた。


「お、おやじぃ! 会いたかったです! 俺達、少しでも親父の無念を晴らそうと、

残ってた取り立てを全部終わらせようとしてて……」


「そのことだが……」


 玉川は哲の言葉を手で遮り、藍里の方を見た。


「この嬢ちゃんは見逃してやってくれ」


「えぇ? 何でですか!? だって、そいつの親父はびた一文借金を返してないでしょう!?」


「確かにその通りだ。だが、悪いのは父親だ。それに、この嬢ちゃんは、最後に美味い飯食わしていい思いさせてくれた。クズの俺を、こんなズタズタな成りの俺を“普通”として扱ってくれた。もう、責める気になれねぇや……。あぁ、金の方は、俺の口座から代わりに引け。どうせ、もう死んだから使い道もねぇしな」


 玉川の言葉に、哲は唇をぎゅっと噛んで頷いた。そして藍里の方をばっと見た。


「大蔵藍里、親父の命だ。今日からてめえは自由の身だよ」


 その言葉に、藍里はぱっと顔を輝かせてモルテを見た。彼の方も満足げに、僅かに微笑んでいる。殺伐としていた店内は、あっという間に元の平穏を取り戻しつつあった。そこで玉川はパンと手を叩いた。


「よし、じゃあおめえら、店に迷惑かけたんだ。全員で片付けるぞ!」


「おす!」


 組長の言葉に、部下は勢いよく返事をし、倒しに倒した家具や道具を元に戻し始めた。その様子を見たモルテはぷっと吹き出した。


「まるでカチコミにでも行くみたいじゃない」


「はぁ、でも一件落着って感じじゃないですか?」


「そうかしら? ほらあれ見なさいよ」


 モルテは妖艶に笑うと、前方を指さした。そこには大蔵家秘伝の味噌壺をふらふらと仲間と共に戻そうとする哲がいた。


「ああ、ちょっと、それ大事なヤツだから気をつけて下さいよぉ!」


 藍里は目を白黒させて、加勢に向かった。それを見て、モルテはまた一つ笑ったのだった。


「あっははは、ほんと、愛い子ねぇ。アタシを楽しませてくれるわぁ」



 一通り店内の片づけが終わったあと、休憩ということで皆で具沢山味噌汁を飲むことになった。やはり、万人に通用する絶品だったようでチンピラ達はこぞって涙を流して食らいついていた。その真ん中では玉川が快活な笑みを浮かべて座っている。藍里はおかわりの注文を何回も取らなければならず、幾回もお玉を動かした。


 味噌汁だけしかないが、さながら宴の模様だ。モルテはカウンターの隅でうまそうに煙管を吹かしていた。その横に、藍里は味噌汁の椀を置いた。


「はい、モルさんも飲んでくださいよ」


「あぁ、気が利くね」


 モルテはふっと笑うと、椀に口を付けた。瞬間、青白い肌がぽっと朱に染まる。


「やっぱ、美味いわね。こう、何なのかしら、百点の出来に、死神パワーをニ十点追加したような……」


「たとえが分かんないですけど、取り敢えず褒め言葉と受け取っときます」


 藍里は苦笑いすると、談笑するチンピラ達を見た。


「幽霊っていっても、あんまり人間と変わんないですね……。ちょっと見た目がスプラッターになるだけで」


「そういうもんよ。アタシだって、魂と人間の区別がつかなくなるもの。魂があるから人間なのか、人間っていうものだから魂を持ってるといえるのか。結局、肉体なんてタダのお人形に過ぎなくて、本当に人間って呼べるものは魂なのかもね」


「なにそのユニーク哲学。寝れなくなるんでやめてください……。あれ?」


「どうしたのさ?」


 藍里の声に、モルテは首を傾けた。少女はぴっと向こうを指さした。


「あ、あれ、玉川さんの体が透けてきてる……」


 モルテが向いた方向では、部下と笑い合う玉川の体が段々と光に包まれて、消失していっているのが見えた。それに対し、モルテはどこか納得した表情になった。


「先送りした“その時”が来たようだねぇ」


「え? じゃあもう玉川さんは__!!」


 その瞬間、玉川がこちらを向いた。その表情はこれ以上ないくらい穏やかで、とても反社会の組織の長には見えない。彼は藍里に向かって、ゆっくりと唇を動かした。


『ありがとな』


 最後にそう呟いた気がした。次には、玉川はほとんど見えなくなり、すでに別の世界へ行ったようだ。混乱する部下たちだったが、モルテがやれやれと事情を説明をしに行き、再び大粒の涙を流し始めた。藍里はただ手を合わせて、目を瞑るだけであった。



「嬢ちゃん、今までいろいろと悪かったな」


 去り際、哲は藍里にそう言った。彼女の方はぶんぶんと手を振った。


「いえいえ、こちらも情けない父親のせいでそちらに迷惑をかけて……」


「親父が許したし、もういいよ。あと、またこの店に来ていいか? 今度は普通の客としてな!」


 哲の言葉に、後ろに控えていた部下たちも頷く。藍里は綻んだ表情を見せ、両手を胸の前で握った。


「もちろんですとも! たくさん御馳走させてください!」 


 藍里の返しに、哲は満足そうに微笑むと部下に声をかけて店を去っていた。それに手を振る藍里だったが、すぐ横をモルテが通り過ぎようとした。


「モルさん? こんな夜にお出かけですか?」


「ん? これよこれ」


 モルテは片手に握った青白い火の玉を掲げて見せた。どうやら先ほど成仏した玉川の魂のようだ。


「それ、それが魂?」


 藍里は初めて見る人の核に目を見張った。モルテは機嫌よく、その魂に頬ずりした。


「そ。これがアタシら死神のマニー。ああ、そうだ。あんたにもマニーをやんないと」


 そう言うとモルテはポケットを漁って小袋を、藍里に投げ渡した。藍里が開けてみれば、そこには数千円が入っていた。


「うそ、このお金どうしたんですか!?」


「黄泉の者は有り金を現世の通貨に変換できるの。それは今回の報酬。幽霊は金なんて払えないしね。あんたの店が潰れてもらっちゃ困る」


「うわぁ、ありがとうございます! ひっさびさの稼ぎだぁ!」


 藍里は小袋を持って、小躍りしだした。モルテは目を瞑って微笑むと、回れ右をした。そのとき、藍里が動きを止めて声をかけた。


「モルさん! これからも、よき相棒として頑張りましょうね!」


 山奥の喫茶店に、少女の明るい声が響く。モルテは振り返らず、片手だけを上げた。


「はいはい! 全く、神を相棒と呼ぶだなんて図々しい子!」


 モルテの言葉に、藍里はぶつくさと反論したが、モルテは通常運転で無視した。

 やがて店が見えなくなった山道に来ると、彼は立ち止まって右手の甲を地面に向けた。


『エル・アンヘル・デ・ラ・ムエルテ・オフェ・ディエ・トゥア』


 モルテがそう呟いた瞬間、ただの土と草が散らばった地面に巨大な風穴が開いた。どこまでも底が見えない、暗黒の穴。しかし、これが彼ら黄泉の者達のあちらへの入り口である。モルテは片手に持つ魂を恍惚とした表情で撫でると、そっと形のいい唇を動かした。


「あぁ、“千夏”……。面白い子を残してクレタねぇ」


 そう言うと、モルテはばっと踏み出して穴に吸い込まれていったのだった。


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