第7話 死神さんと初客さん
「はぁ……」
「ったく、浮かない顔してどうしたの?藍理」
昼休み、藍里は購買で買ったジャムパンを憂鬱そうに噛み潰していた。向かいに座る友人の真美子はおにぎりを片手に彼女を覗き込んだ。藍里はその視線に、「別に」とだけ返すと教室の窓を見つめた。
窓の外では、モルテが不敵な笑みを浮かべながら、縁に腰かけてこちらを観察していたのだ。ストーカーか?藍里はどこまでも付いてくる死神にそろそろ嫌気が差してきた。そんなに女子高生の日常が気になるのだろうか。
どうやらモルテが見えるのは藍里だけらしく、真美子は視線の先を追っても眉をひそめるだけであった。そのとき、二人のランチに影が落とされた。
「あらあら、“黄泉平坂の店長さん”じゃない? その辛気臭い顔、赤字続きの営業で参ってるんじゃないかしら?」
「__ルクレール!」
藍里の目の前に現れたのは、敦賀でも有名店の喫茶店「ルクレールカフェ」の跡取り娘、楓・ルクレールだった。楓は喫茶店のオーナーであるフランス人の父と、日本人の母との間に生まれたハーフである。藍里とは小学校からの腐れ縁であるが、持ち前の勝気で意地汚い態度だけは受け入れることができないでいる。加えて、同じ高校に進学した今でも、こうやって没落した大蔵家を事あるごとに罵ってくるのだ。いじめっ子気質は健在のまま成長した哀れな少女である。
「ちょっと、ルクレールさん? 何の用?」
真美子がぎっと睨んだ。しかし楓は気にもしない風にツインテールの先を払うと、藍里の顔にぐっと近づいた。
「いいこと教えてあげる、何にでも“終わり”っていうのがあるの。もうあんな店、終わらせなよ? どうせ誰も来ないよ。皆、私のパパんとこに食べにくるんだから」
憎たらしい。藍里はその歪んだ笑みに唾を吐いてやりたくなったが、この女と同じ格に成り下がるのはごめんだった。その代わり溜息ぐらいなら許してほしいと息を吐こうとした。そのとき、あることに気づいた。
「あれ、ルクレール、あんたいつから髪の毛がクロワッサンになったの?」
目を丸くした藍里は、楓のツインテールをそっと指さした。楓は訝しんだ様子でそっとそれを触った。そしてつんざくような叫び声をあげた。
「いぎゃぁぁぁぁぁ!! なによこれぇ!」
なんと楓の頭には栗色の二つくくりではなく、ほんのりと湯気が漂うクロワッサンがぶら下がっていたのだ。楓の声に合わせて、周囲の生徒たちもざわめきだした。目の前の超常現象に唖然とするクラスメイトたち。しかし、藍里だけはこの騒動の黒幕を知っていた。
「ま、まさか……」
窓の外をそっと見れば、窓縁に顔を押し付けて大爆笑をするモルテがいた。助け船か興味本位か知らないが、お得意の魔法で楓の髪を美味しく仕上げてしまったのだろう。恐ろしい、神というのは名ばかりではない。しかし、いくら何でもこれはやりすぎである。
泣き叫びながら教室を飛び出す楓を目で追いながら、藍里はそっと拳を握りしめた。
「いくらなんでもやりすぎですよ!?」
授業を終えた夕暮れの帰り道、藍里は隣を歩くモルテの肩を非力に揺らした。彼は年甲斐もなく頬を膨らませて呟いた。
「だって、あんた面倒くさそうにしてたじゃん? ああいう生意気そうなのは分からせてあげないと」
「だからって、あんなの新手のホラーですよ! 確かにめんどくさい子ですけど、一応幼馴染なんですから……。ていうか、ちゃんと戻してあげたんですよね?」
「安心しな、今頃綺麗なツインに戻ってるわよ。それより、あれを見てみな」
そのとき、モルテは歩みを止めて向こうを指さした。藍里がその方向を見ると、あっと口を開いた。
「事故、ですかね?」
信号が点滅する横断歩道ではパトカーやら救急車が止まっており、人だかりができていた。近くでは不自然に停車したトラックが鎮座しており、顔面が蒼白した運転手が警察と何やら話をしていた。物騒な現場だ。しかし、それがどうしたのだろう。藍里がモルテに視線をやると、彼はなにやらハッとした手をぽんと叩いた。
「ああ、あんたら生者には見えないんだったね」
そう言うとモルテは「ちょっと待ってな」という言葉と共に、藍里の両瞼をそっと触った。嫌がる彼女だったが、次の瞬間には手がどかされていて先ほどとは違う景色が現れた。
「な、なにあれ?」
事故の野次馬の外れに、明らかに雨雲のようなどす黒い雰囲気を漂わす男がいた。強面な顔に髭を蓄えたその男は真っ白な肌をしていて、頭部から大量に血を流し、足や手がおかしな方向に曲がっていた。けれども、男はただ茫然と事故現場を見つめているだけであった。言わずもがな、人ならざる亡霊である。
「ゆ、幽霊!?」
「ああ。ちょっと魔法をかけてあんたにも見えるようにしたんだよ。多分、あの事故の被害者だろうね」
「ひぇぇ。っていうか、なんでそんな悪趣味な魔法かけてくれたんですか!?」
藍里がぷりぷりした様子で歯を剥くと、モルテは呆れたように首を振った。
「何言ってんだい、決まってるじゃないか。“初客ゲッツ”だよ?」
そのときモルテはどこかの異空間から大鎌を取り出して、藍里の首に突き付けた。
「平和ボケして忘れてるようだけど、例の“一週間”の約束、いまが果たす絶好のチャンスじゃない?」
藍里はそのとき、ハッとした。ああ、そうだった。自分はこの男に命を握られているのだ。この人外との同居も、料理を作るのも、全て生きるため。祖母との約束を守るため。そのために、自分はまず一週間の期限で魂を成仏させないといけないのだ。
「じゃ、じゃあ、私の初の仏のお客さんは……」
「ああ、あの男だよ」
「え、えぇー……」
藍里はこれでもかと眉を下げた。しかし、迫りくる大鎌からは逃れることもできず、ただがっくりと肩を落として首を縦に振ったのだった。
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