第6話 死神さんと命知らず
藍里は迫りくるヤクザ達にわなわなと首を振って後退りしたが、竹刀をもった一人が藍里に掴みかかろうとした。藍里は細い悲鳴とともに咄嗟に目を瞑って、胸の前で祈る様に腕を組んだ。そのときだった。
「はぁい、ボーイたち。そこまでよ」
その瞬間、男の首元に大鎌の刃先が当てられた。あと一ミリでも動けば、喉を引き裂かれそうな状況に、男は震え出した。そのまま刃先から柄を辿っていけば、男のすぐ背後にモルテが口元を歪めて立っていた。目を開けた藍里は、その光景にあっと声を出した。
「モルさん!」
「な、なんだこのカマ野郎ぅ!?」
男はばっと鎌を押しのけ、仲間の元まで引き下がった。モルテは大鎌を軽々しく肩に担ぎあげると、ヤクザ達に微笑みながら藍里に向かって歩み出した。
「あら、“カマ”と“鎌”でかけたつもり? そんなユーモアじゃ、札束で釣ったレディも裸足で逃げ出すわよ」
「だ、黙れぇ! なんなんだよ、お前は!?」
「アタシ? アタシはただの……」
モルテは藍里の傍まで来ると、彼女の肩に手を回して男達にウィンクを投げた。
「この子の“ビジネスパートナー”ってやつ♡。アタシたち、大事な仕事の真っ最中なのよ。だからケダモノの皆さん、この金蔓ちゃんはお触り禁止」
「か、金蔓は余計ですよ!」
藍里が顔を真っ赤にすると、モルテは謝りもせず、ただ不敵な笑みを浮かべるだけであった。藍里はこれが神の傲慢さであると身に染みて痛感し、諦念の溜息をついた。一方で、ヤクザ達は第三者の登場に目を白黒させており、何とかリーダー格の竹刀の男が口を開いた。
「知るか! 俺らは“親父”の命で、ただちゃんころを取り返しに来ただけだよ! こうなったら体売るなり、臓器売るなりして何がなんでも返してもらうぜ! 世話になった親父の面を立てるためによぉ!」
「いやぁぁ、体も臓器もやぁぁぁぁ!」
藍里はヤクザ達に負けた後の顛末を考えて、背筋が凍った。しかし、彼女は驚くほどの非力である。卓越した頭脳も、超人並みの体力も持っていない。ただの、料理が得手なだけの平凡少女なのだ。だからこそ、藍里がこの状況を抜け出すには人ならざる相棒の手を借りるしかない。藍里はモルテの上着の裾を握り、一言「助けて」と紡ごうとした。しかし、口に出す前にモルテはそっと振り返って、「分かってる」といった風に頷いた。藍里はその表情に安堵し、口元を綻ばせた。
モルテは担いだ鎌を両手で器用に振り回し、空に弧を描きだした。そしてルーレットが止まる様にヤクザ達の前に刃を突き出した。
「さぁ、坊やたち? こんな珍竹林より、先にアタシの相手してよ?」
「っく、気味が悪い奴だぜ……。おい、てめえら、このカマ野郎をぶちのめせ!」
竹刀の男は、部下に声を張り上げるとモルテに向かって走り出した。他の者達もそれに続く。モルテはまた鎌を一回りさせると、藍里に「下がってな」と声をかけた。藍里が首を縦に振り、一歩引き下がった瞬間に乱闘は始まった。
いや、乱闘というよりモルテ一方からの「リンチ」である。彼は民家を血だらけにするのは気が引けたのか、大鎌の柄だけを使い、いともたやすくヤクザ達を叩きのめしていった。ある者には腹を、ある者にはみぞおちを。藍里が瞬きを三回もしないうちに、ヤクザ達 は伸されていた。相手は神だ、当然の結果だろう。藍里は予想通りの光景に苦笑いした。
モルテは大鎌の柄の先に顎を乗せて、物足りない気に頬を膨らませた。
「ちょっと、これで終わり? はぁ、最近の日本男子は体力ないのねぇ」
「死神、恐れ多い……。それはそうと、この人たち、どうしましょう?」
藍里は気絶するヤクザ達を不安そうに見下ろした。モルテは彼女に妖しい笑みを向けた。
「さあ、どうしたい? このままお命頂戴しちゃう?」
モルテの言葉に、藍里は勢いよく首を横に振った。
「それはダメ! “その時”でもないのに……。殺しだけは絶対にダメです!」
「甘ちゃんねぇ、じゃあどうすんのさ? 生かしても狙われ続けるだけよ、アンタ?」
「それでも、“殺し”だけはイヤです! 死神さんは人間じゃないから、命だって小石のように軽く見えるでしょうけど、私達人間には二度と戻ってこないものなんです! こんなに会いたいのに、千夏おばあちゃんだって、もう帰ってこないんですから……」
藍里の言葉に、モルテはいつもの涼しい顔を一瞬崩した。刹那に目を見開いたのだ。藍里はそれを見逃さずに、そういう顔もできるのかとふと思った。しかし次には、モルテはいつもの余裕綽々とした態度に戻っており、鎌から顔を上げると、ひらひらと手を振った。
「はいはい、じゃあボーイ達はおうちに返しとくわよ。全く、どうなっても知らないんだから」
藍里はモルテの決断に、歓喜の声を上げそうになった。しかし、モルテに遮られた。
「それより、アンタ、学校は?」
「あ……」
藍里はそのとき呼吸が止まった。リビングにある亡き祖父の古時計を見れば、時刻は既に八時。学校の始業時間は八時二十分。遅刻不可避である。藍里は常に色づく頬を真っ白にさせたが、次にはふらりと歩き出してモルテの手を握っていた。
「っな、いきなり、どうしたのよ?」
「敬愛する死神様。どうかその背に隠された翼で私を学び舎まで……」
「甘えてんじゃないよ、小娘」
「あいて」
モルテはうんざりしたような顔をし、藍里の額にデコピンを食らわせたのだった。
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