13 足跡なのに手がかりとはこれいかに

 「それで、やることって何ですか?」

 廊下を行くアトレの後ろにちょこちょことついて行くモノは、目を細め遠くを見る仕草であちこちに視線を向けながらアトレに問うた。

 「裏口の有無と破損の確認、それに、ウェルタの部屋で戦闘が会った時に屋敷の人間が何をしていたかの把握だ。何よりもまず、ウェルタの所へ行ってそれをする許可を貰う」

 「りょーかいです」

 ぴしっと額に手を添える。指先を綺麗に伸ばした、妙に気合の入りそうなポーズだった。アトレはそれを横目にウェルタの部屋の前に立つ。

 「アトレだ。入っていいか」

 アトレがそう言うと、扉は内側から開かれた。執事のバルがそれを出迎える。

 「……お入りください」

 恭しい仕草を伴って入室が促されると、アトレはモノを伴って部屋の敷居を跨いだ。室内からは血腥ちなまぐさい空気が霧散していたが、床に出来た染みや乱雑に足跡の残る絨毯はどこかその記憶を持っているようにも見える。

 戦闘が終わって少し経ったが、緊張が切れて力の抜けた様子のウェルタは、気怠そうにアトレを認めた。執務机に突っ伏す姿は、とても客人に見せる姿勢に見えない。

 「すまない。安心したからか疲れが出てしまってな」

 「いや、無理もない」

 ウェルタは何とか体を起こしてみせると、今度は突っ伏すのではなく頭を下げて見せた。

 「申し訳ないことをした。口には自信があったが、結局、それでは連中を止められなかった」

 アトレへのもともとの依頼は演技に付き合うことだった。予想できていたこととはいえ、強引な話の運びとなったことをウェルタは詫びる。

 「いや、構わない。どうやらこちら、というか俺にも原因があったようだからな」

 「……ん?」

 ウェルタは目を細めてアトレを見た。隣に立つモノをようやく認めると、なるほどといったように頷きを見せる。

 (そういえば、屋敷に来てから二人が会うタイミングはなかったんだったな)

 アトレはモノを指すと「こいつはモノだ」と礼儀の欠片もない紹介をした。モノはアトレの前へ出ると、テラウから借りたスカートの左右を軽く、両手で摘まみ上げ、頭を下げた。気品を感じる仕草はカーテシーという。先程までの奔放な少女から、その雰囲気は育ちの良い令嬢へと裏返る。

 「初めまして、ウェルタ様。モノ・シュニーです。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」

 「初めまして、モノさん。ウェルタ・ノーだ。娘の友達から様付けはむず痒い。もっと気を抜いてくれていい」

 「ありがとうございます。ウェルタさん。光栄ですわ」

 明らかに猫を被った様子のモノを一旦無視し、アトレはここへ来た要件をウェルタに伝えた。屋敷の中を我が物顔で闊歩する不心得者の話に、家主は複雑な表情を見せる。

 「モノさんを探してる騎士、か」

 「ああ。だが客観的に判断するなら、こいつの言っていることが嘘である可能性も当然ある」

 無理もない、とモノは苦笑する。あの場にいたのは自分だけなのだ。その思考自体におかしな点はない。が、理屈と感情は別であった、モノは内心で「全面的に信用しろー!」と抗議の声を上げる。

 「俺自身としてはモノの言葉を疑う理由はないが、あんたはこいつを信用したくないだろう」

 「ああ。モノさんを疑わないということ自体が屋敷の者を疑うことに繋がるからな。どちらにせよ気分は悪い」

 「どっちを取るかはあんたが決めていい。あの騎士達に不審なところもあるしな。だが」

 アトレは一度言葉を切って、どこか遠い目でウェルタ後ろ、窓の外に広がる街を眺めた。瞳の中には、赤い夢が浮かんでいる。

 「踏み出せば戻れないこともある。それに、元々受けた依頼はもう果たした。俺達はここで屋敷を出てもいい」

 アトレの言は、この部屋に踏み入った目的は真逆のものだった。どこか暗い物を感じる声色にモノは心を向ける。理解しようと寄り添う心に、しかしモノはアトレを知らなさ過ぎた。恩人を理解したいと思う気持ちは、寂しい独り相撲であった。

 (どうしてそんな悲しい声を出すんだろ)

 そんな思考を置き去りに、アトレとウェルタは場を進行させる。

 「確かにここで終わって報酬を渡してもいいだろう」

 「ああ。多分その方が、あんたは平和でいられる」

 「……そうだな。そうしよう。バル、寝室のベッドテーブルだ。アトレ君への報酬が入っている。取ってきてくれ」

 主人の決定に執事は頭を深く下げると、音もなく執務室から出ていった。

 傭兵は淡々とした表情でそれを見送ると、「報酬は手渡しに限る」と壁にもたれかかってバルの帰りを待つことにした。胸当ての留め金を外し、報酬を仕舞い込む準備も抜かりない。

 「おにーさん、終わりですか?誰がここを襲ったとか、私を探してたとかは」

 「依頼人がそう言ってるんだ。終わるしかない。……傭兵は望まれてしか、人を助けられないんだ」

 「……なら、何で私のことは」

 「お父様!」

 モノの台詞を遮って、勢いよく部屋の扉が開かれた。現れたのは依頼主の娘であり救出対象、テラウだった。床を強く踏み鳴らし父親へ歩み寄る姿は、どこか怒りに満ちているようであった。テラウは執務机の前に立つと両手でそれを強く叩き、体を乗り出して父に迫る。

 「そこですれ違ったバルから聞きました。今回の件はここで終わりなんて、本当ですの?」

 その剣幕に父ウェルタは思わず身を引いた。すると引いた分だけ娘は迫る。

 「私、昨日今日ととても怖い思いをしましたわ。お父様も剣を向けられて……。真実を暴かないと気が済みません!」

 「しかしだな、テラウ。そうすればこの屋敷の誰かは確実に路頭に迷う。その誰かにも家族はいる」

 「大丈夫です。私の家族であるお父様が被害を被ったのですから、相手だって何も言えません」

 若さの見せる向こう見ずだろうか。テラウは自分の考えが誤りでないと確信しているようだった。だが事実、その言い分は真っ当なものだった。むしろ、ウェルタの言こそ甘さの見えるものだという見方もあった。ウェルタはううむと考えこむ。その隙をテラウは逃さなかった。

 「お父様。放っておけば次があるかもしれません。その時、助けてくれるアトレさんがここにいる保証はありませんのよ」

 テラウの言葉はまたも正しい。事実、旅人のアトレは報酬を貰ったらここから立ち去るつもりだったし、そうなれば次この街を訪れるのはいつになるか、まるでわかったものではない。一か月後かもしれないし、一生来ないかもしれない。

 何もアトレにしか頼れないわけではない。”まともな”騎士団に頼ることもできるだろうし、統治者の地位が持つ金に物を言わせて私兵隊でも作る線もある。しかし、アトレ程度の傭兵がどの程度いるか、他の傭兵の実力はそれに及ぶかを考えた時、ウェルタの信頼は完全にアトレへと偏っていた。目の前で次々と悪党を叩き伏せたその姿は、まだ記憶に新しい。

 広い執務室に四人。暫し無言が木霊した。しばらくそうしていると、やがてウェルタは深く溜息を吐いた。重いものを吐き出すと、どこか疲れの色を見せた瞳がアトレを向く。アトレは報酬を仕舞い込むために外した胸当ての留め金をもう一度嵌め直した。バチンという音が無言と混ざって部屋に霧散すると、ウェルタは意思を固めたようだった。

 「……そこまで言うなら、アトレ君に調査を続けてもらおう」

 ウェルタは結局、娘にも甘かった。使用人の誰かが屋敷を去るだろうことを半ば確信しながらもアトレへ期待を預ける。テラウはようやく執務机に乗り出した体を引っ込めると、両手を合わせて喜んだ。

 「お父様……。嬉しいです。きっとアトレさんなら、私達にとっていい結末を導き出してくれますわ」

 「アトレ君。さっきのは撤回だ。調査を頼めるだろうか」

 アトレは弾みをつけて壁から離れた時、部屋の扉がもう一度開かれた。その音に誰もが扉を振り向く。

 「お待たせいたしました」

 執事は全員の視線に一度ずつ目礼を返すと、コツコツと踵を鳴らして主人の前に進み出た。懐から紙帯に纏められた紙幣をチラリと伺わせる。

 「お持ちしました。御屋形様、お渡ししてもよろしいでしょうか」

 報酬を手に待つバルの手はどこか震えていた。よく見れば、僅かに息を切らしているようにも伺える。

 「バル、急いでくれたところ本当にすまない。やっぱりアトレ君に調査を続行してもらうことにしたよ」

 執事は覗かせた紙幣を懐に仕舞い込むと、黙礼と共に数歩下がった。テラウの僅か右後ろに控えるその位置は、ウェルタよりもテラウに仕えている風に思わせる。モノが言うバルからテラウへの恋心という言い分を信じるなら、二人の距離はそのように見えるのだろうか。

 (恋、か。老齢の執事と統治者の愛娘。一般的に見るならバルの方が不相応だが)

 (うっわー絶対意識してる距離ー!でも執事さんなぁ……テラウさん的には”じい”だしなぁ……)

 アトレとモノの認識は、二人揃って失礼にも程があるという脳内(もの)であった。

 「バル、無駄骨になってすまないが」

 「……かしこまりました」

 短いやり取りの後、バルは扉の音と共に退室する。扉越しの足音が遠ざかる頃、アトレはウェルタに厳しい目を向ける。「いいのか?」と聞きたげな表情に、ウェルタは首を振ってそれを否定した。ウェルタからすれば使用人達も家族だった。その誰かを今から疑おうというのだ。胸が痛まない由もない。きつく目を閉じたかと思うと、ウェルタは重い口をゆっくりと開いた。

 「……アトレ君。私にとって不幸にも、誰かが関わっていたという証拠や推論が出てきたら」

 最悪の想像は恐らく的中するだろう。目的がモノであったとはいえ、誰かが屋敷に賊を手引きしたことはかなりの確率であり得る話だった。ウェルタは固まり切らない覚悟を隠すかのように目を伏せ続けた。

 「わかった。報告する」 

 アトレがそう口にすると、ウェルタはゆっくりと立ち上がった。ゆったりとした足取りで扉へ向かい、ノブを緩く握る。

 「……少し休む。何か困ったことがあればバルやリオに言ってくれればいい」

 「了解した」

 「……こことテラウの部屋以外は自由に立ち入って構わない。好きに調べてくれ」

 「あとひとつ聞きたい」

 「なんだ。まだ何かあるのか」

 ノブを捻り退室間際のウェルタを、アトレは後ろから引き留めた。最後の確認だと言わんばかりの、厳しい表情だった。止めるならここが最後だと、アトレは言外に伝えたのである。

 「俺達はどこまで調べるべきだ。依頼人」

 呼びかけに、ウェルタもその意図に気付く。結局のところウェルタがやらないと言えば、これまでの話は全てなかったことになる。執事を再度呼び戻して報酬を渡せば終わりだ。だが、ウェルタの胸はもう決まってしまっていた。

 「誰が、どのようにしてかだけ知れればいい。動機を知ればきっと、私はその者を許したくなるだろうから」

 心はいらない。ウェルタはそう言ってノブを捻る。アトレが「わかった」と短く返事をすると、ゆっくりと扉が開かれた。恰幅の良い体つきが、今やどこか小さくさえ見える。

 「テラウ。お客人を手伝って差し上げなさい。……お前の言い出したことだ」

 ウェルタは最後にそう言うと、その返事も聞かずに去って行った。その背中を見送った娘は、拳を握り小さく呟いた。意思の表明は毅然とした眼差しと携えたものだった。暗い空気の漂う執務室に、それは強い光を伴って輝く。

 「もちろんですわ。必ず全容を暴いてみせます」

 テラウはしばらく扉を見つめ気持ちを固めると、「さて!」とアトレを向いた。

 「アトレさん、よろしくお願いいたしますね」

 飛び切りの笑顔に、しかしアトレもそろそろ慣れてきたのか、少なくとも表面上動揺を見せることはなかった。「ああ」と不愛想な表情をそのままに扉の方を向く。残る二人は意図を悟ったのかアトレにつられたのか、その表情は真剣さを帯びたものとなった。

 「まずは裏口の確認だ。……まさか無いなんてことはないよな?」

 「ふふ、もちろんあります。厨房から出入りできますわ。正門からぐるりと回ってくることもできます」

 テラウの案内で一行は厨房に顔を出すと、そこではリオが床を掃除しているところだった。身長に対して大きな箒を器用に扱い、部屋の隅へ塵を集めている。いくつかの足跡に気付くと厨房の入り口を振り返り、一行の姿を認めてパタパタと駆け寄った。

 「お嬢様!いかがなさいましたか?」

 「裏口を見に来たのです。お父様の執務室でのことで」

 「何かあったのですか?」

 テラウは少し前にあった出来事を説明し始めたが、その大半はアトレが活躍したという内容を強く誇張していた。アトレはそれをマメに訂正し続けると、モノに起きた出来事を含めた全てを何分かかけて話し切った。その間モノは、厨房をふらふらと興味深そうに探検していた。

 「お嬢様……。自ら動かれるなんて、なんて立派なんでしょう!」

 「いいえ、私が言い出したのです。真実を知りたいと」

 「協力させてください!裏口ですね!」

 リオを先頭に、一行は厨房の隅に備えられた扉の前へと立った。いかにも裏口と言わんばかりの、どこか無機質な扉である。

 アトレは扉をよく観察すると、ノブや枠、蝶番に至るまで破損や取り換えた後が無いことを確認した。

 「一度取り外されたり、破壊後に取り換えられたなんてこともなさそうだ。使い古されている感じもある」

 「はい!私は朝にここから出てついさっき帰ってきましたが、そういうことはなさそうでした!」

 「使い慣れているリオさんが言うならお墨付きみたいなものですねー」

 面白いものが無かったのか、どこか退屈そうな表情でモノは一行にの元へ戻った。厨房といっても、所詮は大きいだけの台所である。モノが期待するようなあれやこれやは欠片も姿を見せるはずもない。

 「扉に異常がないということは、誰かがモノさんを探す騎士達を手引きしたと見て間違いないでしょう」

 「ですね?」とテラウはアトレを向いた。アトレはそれに首を振って応えると「それはまだ早合点だ」と扉の前に立ち、ノブを握る。

 疑問符を浮かべたテラウを無視し、アトレは扉の丸いそれを回してみた。それは硬く、アトレがそこそこの力を込めてもびくりともしない。二度、三度とノブを回そうとするが、それがびくともしないとわかると、アトレはそれを諦めてリオを横目に見た。

 「この扉を開けられる人間は?」

 「私と御屋形様、それとバル様だけです」

 アトレが想定していた人数より、その答えは少ないものだった。どうやら屋敷の中でも特別な人間にしか開けないらしい。アトレの想定では使用人の大半がこの扉を開くことができ、自由な出入りが可能だった。また、それの適うメンバーにも疑問が残る。

 「テラウは開けられないのか?」

 屋敷の令嬢は「ええ」と首肯してみせた。意外な答えにアトレは短く疑問を返す。

 「何故だ?」

 「この扉は正門と同じように魔力で鍵をするものなんですが、私は魔力の扱いが拙くて」

 苦笑する令嬢の表情はどこか恥じらいの混じるものだった。能力が無い、という事実が本人的には恥ずかしいらしい。テラウは肩を小さく寄せると、照れくさそうにアトレから視線を外す。

 「魔力が扱えれば開けられる、というわけでもなさそうだが」

 アトレはその様子を無視してリオを向き直した。魔力云々で開くことができるのなら、アトレであっても扉は開く。先の戦闘で発動した単純な魔法は、だが紛れもなく魔力の操作に一定の技量がある証明でもあった。

 「登録した魔力でしか開きません。登録には御屋形様の立ち合いが必要となります」

 「所有者と同時に魔力を流し込んで魔力を覚えさせるものか。この手の魔具ではよく見るタイプだな」

 「はい!当家の場合、所有者は御屋形様ですね」

 アトレが後ろから強い視線を感じて振り向くと、モノが扉をじっと見つめていた。扉の前を譲ると、モノは「ぐぎぎぎー」と唸りながらそれを全力で回そうとする。アトレはそれを横目に、端的な質問をリオへ投げていった。

 「今ここを開けられるのは、間違いなくさっき言った三人か?」

 「はい!そもそも私とバル様以外に魔力を登録した使用人がいませんので!」

 やがてモノは諦めたのか、テラウにバトンを託すように力無く掌を叩いた。「ふんぬー!」と令嬢らしからぬ声と共に体ごとノブを回す。「何をやってるんだ」と呆れ気味のアトレと「あははは……」と苦笑気味のリオであったが、アトレはまたもそれを横目にリオへ問う。

 「正門とここ以外に屋敷の出入り口はあるか?」

 「それもありません!二か所だけです!」

 欲しかった答えを端的に得られると、モノに次いで力尽きた様子のテラウにアトレは最後の質問を向けた。令嬢は手が痛い程に頑張ったのか、手首を揺らして唸っている。

 「テラウさんが開けられないのは、魔力の扱いが苦手で、その登録ができないからといことか」

 「はい。一応はそうなります」

 聞きたいことを一通り聞いたアトレがリオに礼を言うと、「それでは、失礼しますね!」と元の仕事へと戻っていく。部屋の隅に立てかけていた箒をもう一度持つと、「あ、そういえば」と今度はアトレに手招きをした。

 「何か気付いたか」

 「これなんですけど」

 アトレは自分の足元を指差されると、そこにちらりと視線を向ける。一見すると何もないが、よく見ればそこには足跡が残っていた。爪先はやや細く、踵の跡は比較的しっかりしている。

 「足跡か。連中のものだろう」

 「そうだと思います!お掃除しても大丈夫でしょうか?」

 「いや、少し待ってくれ。モノ、来てくれるか」

 もう一度ドアノブに挑戦していたモノだったが、アトレの呼びかけに応じるとぱたぱたと駆け寄ると、何か発見があったのかと辺りをきょろきょろと見回した。

 「どうしました?」

 「ここをよく見ろ。足跡がある」

 モノはしゃがみ込むと、アトレが指差す先をじーっと見つめると、すぐに足跡の形を捕らえた。

 「ほんとですね。でもこれ、私の部屋に来た人のじゃないです」

 「言い切ったな」

 モノはしゃがんだまま、足跡の輪郭を指でなぞっていく。細い指を床の埃に汚しつつアトレへ答えた。

 「あの人達のブーツは先が丸かったですし、靴底の全面が床に触れる形でした。これはつま先が細いですし、そちらに向かって跡が薄くなっています。少なくとも、私の部屋に来た騎士の人じゃないですね」

 モノは立ち上がって汚れた指先を嫌そうな目で見ると、どこから持ってきたのか、リオが清潔そうな布を手渡した。「なかなか落ちない―」と指先を拭いている。

 「リオがこれを確認したのはいつだ?」

 「朝にお嬢様方の朝食をお部屋へお持ちした後、すぐにここの裏口から出て市場に行ったんですが、その時には間違いなくなかったと思います!お昼過ぎに帰ってきた時に見つけたものですね!」

 リオ本人が足跡をつけたのでなければ、その言い分は騎士を手引きした容疑者を更に絞ることになる。扉を開けれれる三人に同じ足跡を持つ誰かがいれば、それは最も疑惑の濃い人間であった。

 「誰か、この足跡に覚えはある奴はいるか?」

 必然、アトレはその主を確かめることにする。全員が改めてその足跡をじっと見ると、それに答えたのは驚きを見せたテラウだった。

 「私、見覚えがありますわ」

 「誰のものだ?」

 テラウは口を抑え、自分の想像に恐れるように顔を青くした。最悪の想像といった風に唇を噛んだり、あちこちに視線を投げてその否定材料を探すが、残念ながらそれは欠片程度も見つからなかった。やがて覚悟を決めたのか、テラウは重い口をゆっくりと開く。

 「じいの……執事のバルが履いている靴です」

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