12 手引きの気配

 時は少し遡り、ウェルタの部屋で戦闘となる少し前。モノはあてがわれた部屋で一人だった。

 昨晩に約束した首都へ行くという目標は胸の内にあったが、それはアトレと一緒にというものだ。そのアトレがウェルタと話すというのだから、モノは一人待つしかなかった。

 (ほんとならさっさとお暇すべきなんだろうけど、挨拶もなしに出ていくのは失礼な気がするしなぁ……)

 起き抜けにそう考えると、アトレの寝顔を見たいとその部屋を襲撃する直前、モノは廊下で偶然会ったテラウに話を通していたのだった。

 「もうちょっといさせてお願い」

 「オッケーですわ!」

 となどと言う軽いやり取りがあったことは二人だけの秘密となっている。

 とにかく、モノはそんな事情で未だウェルタの屋敷に滞在していたのだった。その娘が許可しているのだ。文句を言われることもあるまいと、モノはもう一度ベッドへ飛び込んだ。が。

 (待つだけというのも、暇だよね)

 アトレが女体への羞恥から足早にウェルタの部屋へ向かって早数時間、ウェルタの部屋で戦闘が始まった頃。モノはあまりの退屈さにいくつかの暇潰しを試みた。手遊びをしたり、姿見の前で可愛いポーズを決めてみたり、テラウの着るような可憐な服を夢想してみたり。そういった何もない時間を経て、モノはようやく大人しく本を読み出した。

 (太陽の時代と呼ばれた時代、空には二つの太陽があった。赤赤と大地に温もりをもたらす大太陽。青白く海をなびかせる小太陽。当時の民はこれら二つを双太陽と呼び)

 最初の一節でモノはそれをパタリと閉じた。文字を読んだり知識を得ることに抵抗はないモノだったが、知っていることを再確認する暇潰しが好きなわけでもない。大した確認もせずに手に取ったそれが娯楽書ではなく歴史書なのだから、堅苦しい入りに意気も萎えるというものだった。

 (よし、やめよー。もっとこう、いい感じの……そう、熱いラヴロマンスでもあれば)

 とても太陽の話を読んだ後とは思えない。モノにとって太陽よりも恋人の逢瀬の方が熱いものだというのだろうか。

 モノは部屋の隅に置かれた書き物机に並べられた本のタイトルと睨めっこしたが、その全てに圧勝した。どのタイトルも、モノの表情を硬くするものだったのである。そもそも、客人の部屋に置かれる本に煽情的せんじょうてきなものがあるはずもない。

 「はーぁ。おにーさんと行けばよかったかな」

 諦めてベッドに体を投げ出し、静寂に耳を傾けてしばらく経った時だった。何やら、廊下でばたばたと駆け回る音。扉が乱暴に開け閉めされる音。野太い男の話声らしき音。そういったものが次々とモノの耳朶じだを打つ。どこか剣呑さを含むそれに、女の勘というのだろうか、モノは思わずベッドの下へ身を隠した。

 「おい、時間は?」

 「まだ大分あるはずだ。よく探せ。白金プラチナの短髪で寝間着を来た女のガキだ」

 「わかった。俺はこのまま順に部屋を調べる。お前は奥から順に頼む」

 「よし、急ぐぞ」

 聞こえてきた会話に、モノは自分の髪をつまんでみた。どこからどう見ても、それは白みがかった白金色である。

 (え、私?なんで今?)

 モノに自分が探される理由の自覚があるとすれば、それは昨日つい昨日のことだった。自分をどこかへ連れていこうとし、テラウを誘拐した悪党達である。彼らはアトレが倒した騎士団の仲間によりどうにかなったはずだった。

 (……でも、他に思い付かないし)

 ベッドの下で息を呑むと、モノは内心であわあわと慌て出した。

 (えっと、考えろ考えろー!私を探す他の誰かっていったけ?)

 モノは頭の中の引き出しを次々に開けるが、

 (だめだー!心当たりが多すぎるー!!)

 自分の過去の面倒臭さにそれをすぐに諦めたのであった。そうこうしている間に扉の音が少しずつ近づいてくる。乱暴に開け閉めされるそれを一つ聞くたび、モノはびくりと体を震わせた。一つ、もう一つ。長くない時間をかけて、這い寄るようにそれは距離を詰めてくる。

 (この部屋だけ覗かないでー!頼みます神様とかー!)

 モノのあまりに都合の良過ぎる願いは、開かれる扉の音で打ち砕かれた。わざわざこの部屋だけを無視する理由が皆無であるため当然とも言えるが。

 「ち……。なんだってこんな面倒臭ぇ」

 ベッドの下から覗く足元に、モノは見覚えがあった。くすんだ鉄の脛当て《グリーブ》に先の丸いブーツ。昨日アトレが倒した騎士が確か、こんな装備を身に着けていたのではなかったか。

 (あれ、騎士?どうして?)

 騎士らしきその人物は重い音を響かせて部屋を漁る。ワードローブの中を調べると、

 (私のじゃないけどなんか覗くなー!)

 と表情を怒りに染め、ベッドに手を当て「まだ暖かい」と痕跡を探られると

 (体温感じるなー!気持ち悪いー!)

 と更に怒る。至って乙女な思考ではあったが、自分の危機については意識が回らないようであった。

 一通り部屋の確認が終わったのか、その人物は扉を開けると、最後の確認と言わんばかりに部屋をぐるりと見回した。その姿はベッドの下からでもほぼ全身を確認できる位置にあった。

 (やっぱり騎士だ)

 視界に収めた姿は、アトレが倒した騎士の姿と概ね一致していた。兜があったり剣を提げていなかったりと違いはあるが、鎧は同じ見た目である。

 「おい、こっちは終わったぞ。後はそこだけだ」

 廊下からの声に騎士は室外を振り向いた。足音と共に、もう一人の騎士が合流する。

 「ここにはいねぇ。隠れてんのか?」

 「屋敷からは出してないらしい。探せば見つかるだろ」

 「だな。いくぞ」

 二人の騎士は短く話すと、ようやく扉を閉めて出ていった。

 「はぁ~~……」

 安心感に力の抜けたモノは、騎士達がもう一度戻ってくる可能性を考えてベッドの下からは出なかった。

 しばらくそうしていると、今度は静かに扉が開かれる。びくりと身を震わせるモノだが、その姿を見るとベッドの下からずりずりと這い出て飛びついた。

 「おにーさんおそいです!!」

 「う、お……っと。……すまない、無事か?」

 「めっちゃ怖かった!あと気持ち悪かったです!」

 どこか上機嫌にも見える怒りを、アトレは暫し受け止める。数分はそうしていただろうか。その切れ目にアトレは口を挟んだ。

 「何があった」

 モノは淡々とした声に怒りがしぼんでいくのを感じると、ベッドに腰かけて暇潰しを始めた辺りのことから全てをアトレに説明した。アトレは書き物机の椅子に背筋を伸ばして座ると、眉根を寄せて何度か頷きを見せる。

 「そうか。騎士がお前を探していた、か」

 「はい。私、昨日逃げ出したみたいな悪い人から探される覚えはあるんですけど、騎士から探される覚えはないです」

 「……実はこっちでもちょっとあってな」

 アトレは屋敷に騎士が襲来した後の一部始終を詳細にモノに話す。全て聞き終えたモノの目は、どこか輝きを放つものとなっていた。何か面白いことに気付いた、といった眼光である。

 「なるほど……。あの、ちょっと話は外れるんですけど」

 モノは少し俯くと「んー」と唸り唇に指を添えて思案する。何かに気付いた様子に、アトレは黙って続きを促した。

 「この件には関係ないとは思うんですけどね」

 「関係ないならいい」

 アトレが冷たく返すと、モノは頬を膨らませてむすっとした。ベッドから立ち上がってアトレに寄ると、その両肩を掴んでがたがたと揺すり出した。

 「嫌です聞いてください。聞いてください。きーいーてーくーだーさーいー!」

 「……はぁ」

 大きく吐かれた溜め息を肯定と見做みなし、モノはアトレの肩から手を放した。癇癪かんしゃくじみたそれから解放されると、アトレは困惑気味に額を抑える。

 「返事はハイですよ」

 「ハイ」

 最早逆らう気力も起こらないだけのアトレであったが、その返事にモノは満足して「ふふーん」と機嫌のよく鳴いてみせた。

 「よろしーい。えっとですね」

 こうして強引に会話の主導権を握ると、モノはそれまでの表情とは打って変わって、妙に真剣な眼差しで言った。

 「執事のバルさん、なんかテラウさんを守るために動いてるように感じました」

 「それはそうだろう。テラウさんはこの屋敷の一人娘だ」

 「それはそうなんですけど」とモノはもう一度唸りを上げた。少し考えて結論は変わらなかったのか、先と同じ眼光でアトレを見上げる。

 「それにおにーさんの話を聞いてると、テラウさんに剣が向けられることはなかったみたいです」

 アトレはモノの指摘に目を丸くした。確かに、騎士達は戦いの中でテラウに剣を向けることはなかった。最後に突然襲い掛かった一人でさえ、剣を抜かずにテラウの方向へ駆け出しただけである。

 「……言われてみれば確かにそうだ。騎士達の目的がテラウさんの略取なら、彼女自身の命を取引材料にするのが一番効率がいい。一斉にかかれば誰か一人はそうできたはずだ」

 アトレはその不自然さに気付くと、ぴたりと黙って考え込んだ。テラウへの害意が少なすぎることは偶然ではないと、その直感も強く信号を発している。何かが腑に落ちる感覚に、アトレの頭はより速度を増して論理を回していった。

 (テラウさんは目的じゃない?そうだとすれば、連中の行動にとりあえずの説明はつくか)

 あまりにも大胆な仮定。それは”騎士団”の襤褸ぼろとも取れるが、同時に突っ込みどころも多いシナリオだった。それを誰かに披露しようものなら強い反論は免れないだろう。アトレはそうも考えると、頭の中で状況を再構築する。

 (だが、最後にテラウさんを襲ったあいつ以外はそれで説明がついてしまう。何のために?決まっている。俺達が行った戦闘は時間稼ぎだった。本命はモノの確保だ)

 自分達がウェルタの執務室で立ち回っている最中、モノを探す騎士達が屋敷をうろついていたという。だが、それには屋敷への侵入経路が必要となる。

 (モノを探し回っていた連中は少なくとも玄関からは屋敷に入れない。あの戦闘が終了した後も玄関の扉とウェルタの部屋は直接繋がっていたから、そいつらは予め屋敷に潜んでいたか、裏口かどこかから潜入する必要がある)

 この屋敷に裏口があるかどうかをアトレは知らない。それは仮定に仮定を重ねたものだったが、屋敷などと呼べる規模の建物に複数の出入り口がないことを想像する方が難しかった。

 (推測が正しければ、連中の行動は屋敷内の人間の手引きによるものだった可能性が高い)

 その時アトレの脳裏に浮かんだのは、何故かテラウ達を救出した森だった。眠る誘拐犯達、騎士の足跡。今日追い出した騎士団の不審さ。違和感は連鎖的に増大していき、それらはしかし繋がりそうで繋がらない。

 「おにーさん?」

 考え込むどころか微動だにしなくなったアトレは、モノの呼びかけに丸めていた背筋をピンと伸ばした。よく通る声に、意識は内から外へと引っ張られていく。考えに耽っていた目が外光を取り込むと、アトレはモノに話を聞いていたことを思い出した。

 「すまない。少し考えていた」

 「いきなり何も言わなくなるから調子悪いのかと思いました」

 「問題ない」

 「なら、私の推理を披露しましょう。なんと本命はこっちなんです」

 「……聞かせてくれ」

 モノはテラウへの害意が少ないことを指摘してみせた。何か他にも、自分にはない目線を与えてくれるかもしれない。アトレは真剣な表情でモノが口を開くのを待った。

 「バルさんのことなんですが……」

 執事に何かおかしなところはあっただろうか。アトレは記憶をひっくり返してその行動を振り返る。自分の戦闘はその様子を確認できなかったが、それ以外の点でおかしいところがあるとすれば。

 「恋、ですよ」

 モノは人差し指を立て、ふふんと鼻を鳴らした。自慢の推理だったのだろうか。どこかしてやったという表情まで浮かべている。能天気にさえ聞こえるそれに、アトレの張りつめていた何かは急速に萎んでいった。

 「何を言っている」

 半目になってやや張りを失った声を出すと、胸に抱いていた大事なものがしゅるしゅると抜けていく。アトレは自分が掴みかけていた何かが離れていくのを感じるが、むしろどこか頭がすっきりするのを感じたのだった。

 (今考えていてもわからないことなのかもしれないな)

 そんな風に割り切ると、冷たい反応を見せられむすっと唇を尖らせたモノへもう一度問いかける。

 「恋っていうのは、あれか。好いた惚れたの」

 前向きな聞き返しが嬉しかったのか、モノは表情を自慢げなものへと戻して腕を組んだ。再度鼻を鳴らすと、アトレに向かって自信あり気に語り出す。

 「そうです。おにーさんがしたことない恋です」

 「ぐ……」

 「あ、ほんとに刺さっちゃうとは……」

 てへへと悪びれるモノだったが、本当に効いてしまい胸を抑えるアトレ(恋愛経験無・女性経験無)へ、仕返しのチャンスとばかりにその推理を披露した。

 「おにーさん達の方にやってきた騎士団はバルさんが雇った役者さんだったんですよ」

 「お前の方に来た奴らはなんだったんだ……」

 胸の痛みは長引きそうだった。苦しそうに返すアトレに一切の余裕は見られない。どうやらアトレにその指摘はやめておいた方がよさそうだった。少しだけ申し訳なさを感じるが、モノは変わらず話を続けた。

 「それは、ほら。偶然って怖いですね?」

 「急に話がふわっとしたな」

 「とにかく、バルさんがテラウさんに恋してたなら、おにーさんの方で起きたことには説明がつくんですー!」

 「……一応聞く」

 「一応って何ですか一応って」

 文句を言いながらも、聞いてもらえること自体は嬉しいようだった。モノの口調は弾み、表情もどこか上気していた。

 「男の人って、好きな女の人にいいところ見せたがるじゃないですか」

 「それは、まあ」

 「バルさんはテラウさんを助けていいところを見せたかったのかもしれません!」

 ずびしと天井に指を立て、空にいるのだろう神にでも見せつけるかのような仕草。一人の時に姿見で取ったポーズの内の一つだった。(決まった)とモノは自信満々に瞼を閉じてニヒルな表情を浮かべる。

 「……聞いて損した」

 「なにおー!」

 両手を上げて怒るモノを横目に、アトレは椅子から立ち上がった。結果全員が生きていたとはいえ、命のやり取りがあったのだ。モノの言うことが正しければバルは自分の恋心、それも孫ほど年の離れた相手へのそれを動機として、その相手と親を危険に晒したことになる。荒唐無稽にも程があった。

 「だが」

 アトレはまたも、モノの言葉に引っ掛かりを感じていた。

 (実際、誰かがこの屋敷へ騎士を手引きしたのであれば、俺達が相手取った騎士団とモノを探した騎士達、その二つが連携していたと見ることもできる)

 仮定に基づいた推論に更なる仮定を重ねると、アトレは自分のやるべきことが明瞭となっていた。それらが正しいのか誤りなのか、それを確認する工程である。

 (この推論が正しいなら、俺達は時間を稼がれていたということになる。そしてそれには、少なくとも屋敷の裏口から人を通す協力者が必要となる。……裏口があって、しかも破壊などの工作がされていない場合に限るが)

 立ち上がり扉まで歩いたアトレはモノに刺された胸の痛みを忘れると、平時の冷静そうな表情を取り戻した。モノはつーんとした眼差しでその背中をじっと睨んでいる。

 「気付けなかったいくつかのことが分かった。ありがとう」

 アトレが見せた凛とした表情はどこかすっきりとしたものだった。人間、やることが決まると顔から雑念が消える者である。

 「ぉ、ぉーぅ。急に素直だと調子狂います」

 アトレがあまりにも気持ちの良い顔をするもので、モノはその様子に視線を彷徨わせた。アトレに刺さってしまった言葉に対する居心地の悪さが、視線を左右に泳がせる。もじもじと指を絡める様子は、これまでになく少女然としている。

 「俺は屋敷を回ってやることができた。お前は念のため安全な場所にいろ」

 「わかりましたー」

 モノは立ち上がると、トコトコとアトレの後ろにつく。モノはそこを一番安全だと判断したまでのことである。

 アトレがジト目でそれを見遣ると、「何か?」と言わんばかりにモノは笑みを浮かべた。溜め息を一つ吐いて、アトレは諦め半分にノブを回す。

 「……変に目を離すよりはいいか」

 「よし、いきまっしょー」

 扉を開け一歩踏み出す前、アトレはこの部屋に来た目的を思い出す。本来ここに来たのはモノの安全を確認するためであった。

 アトレは無責任にモノを助けた。依頼でもモノの願いでもなく、ただ自分の信条に従ってそうしたのである。だが、モノはまだ真の意味で助かったとは言えない。彼女を無事送り届けてこそ、アトレの責任は果たされたと言える。

 助けた者の責務として、助かるまで守り切るのは当然のことだった。だから、もしもモノに何かあれば、それは自身の責任不履行と同義である。そんな思いから、アトレはウェルタの部屋からここへとすっ飛んで来たのであった。

 「無事でよかった」

 それは誰に対しての言葉だったろうか。いずれにせよその願いはモノへと届く。モノははにかむと、アトレに半歩だけ近付いて機嫌のよい表情を浮かべた。

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