11 ハッタリの剣
ブラドが剣を抜くと、がたがたの切先から赤黒い雫が
怒りの形相はしかし、剣を抜き放つと共に恐ろしい程に冷酷なそれへと変化する。ブラドは絶対の自信をもってアトレに宣言した。
「次はお前がぶっ倒れろ」
アトレは鼻を鳴らすと剣を下段に構え直し、ブラドを直視する。相手の右肩に担がれた剣は両の手で握られ、その太刀筋は一撃必殺を狙うものが伺い知れた。雫がまた一つ落ち、屋敷の床を汚す。
「ハッタリはいい」
「いいぜ。来いよ」
手の甲を見せ挑発的に手招きをすると、ブラドは担いでいた剣を高く持ち上げた。その様はアトレが森の騎士へ放とうとした大上段とよく似ている。大きく強く、そして威圧的だった。
雫が一つ、切先から落下する。
それが床に弾けるか否かという瞬間、アトレは勢いよく踏み込んだ。魔力に光る足跡は、未だアトレの発動した魔法が健在であることを示す。
アトレが発動したのは、身体能力を向上させるだけのシンプルな魔法だった。世界中の魔法を見渡しても、これほど地味な魔法はそうあるまい。騎士全員を相手取って瞬時に制圧するものでも、依頼者を必ず救い出せるというものでもない。アトレが発動し続けているそれは、言ってしまえばその程度のものだった。しかし
(速い)
その踏み込みはブラドの予測を超え更なる速さを見せる。単に身体能力の向上だけではない。上体を沈みこませ、視界から消えたように錯覚させる術理をも使用している。流れる空気に存在感を感じていなければ、ブラドはアトレを見失っていただろう。
想定を上回る速度は、しかしブラドに大きな驚きを与えるものではなかった。先の突進を一度見ていた上、明らかに人間離れした
一人目の騎士は突進の威力を誤認して床に這いつくばっている。二人目は自分の有利に慢心し意識を飛ばしている。それをブラドはよく見ていた。そして確信する。あの力と速さには対応はできないだろうと。
アトレの身体能力を把握していたブラドは、敢えて剣の雫を垂らしていた。剣を抜いてからアトレが踏み込むまでの全てが、相手に踏み込ませるための
相手から踏み込ませる言動。そのタイミングを取りやすくするための雫。アトレの行動はブラドの手の内にあった。その策中においてタイミングを支配すること、それは相手の攻撃を支配することと同義。いつ来るのか分かっているのならば、相手が踏み込んでくるだろう位置に攻撃を置いておけばよい。ブラドはアトレが踏み込むその瞬間から、何もない空間へと剣を振り下ろし始めていた。
ブラドのイメージには一片の綻びさえもなかった。その通りに迫るアトレを確認する必要さえもない。目を瞑っていても攻撃は当たる。絶対の確信は、それを超える手応えとなってブラドの体に響く。
「なッ!」
想像を超えたという事実は、想像を裏切るという事実でもあった。アトレに当たった刃は金属音と共に手応えを与えると、込められた力が霧散するようにそれは大きく跳ね上げられた。
絶対の自信で振り下ろしたそれはしかし、その迎撃を更に上回り予想したアトレの剣にせき止められた。交差し火花を散らした二つの剣は一瞬だけ拮抗を見せたが、ブラドが先に確信した通り、彼自身が対応できる力の大きさではなかった。
結果としてアトレは、ブラドの攻撃を易々と弾き返す。握りの強さが仇となり、ブラドは身体ごと大きく仰け反りを見せた。それでも剣を取り落とさなかったブラドは、尻餅をつかないよう必死に体勢を立て直す。絶対の隙は当然見逃されることはなかった。
「―――ふっ!」
短く息を吐きつつ、アトレは振り上げられた剣を振り下ろす。それは刃で切り裂くものではなく、寝かされた柄で相手の側頭部を打撃するものだった。
見え見えのそれに、ブラドは一つの空想を抱く。自分が瞬時に体勢を立て直し、迫る攻撃を避けてみせ、更に相手の隙を突き勝利するというもの。
これまで幾度となく想像の力で相手を打ちのめしてきた。だが、
「ァ……」
それは短い唸りと共に這いつくばる。ブラドは根拠ある想像の力を武器にしたが、最後に
「……次はお前か?」
ウェルタを取り押さえるもう一人にアトレが無機質な視線を向ける頃、執事バルはその老齢とは裏腹に、騎士二人を相手取り善戦していた。その内片方は床に伏し、残るは手負いの後一人。アトレが無力化した数を合わせれば、既に四人の騎士が倒されたことになる。室内の状況は騎士達の大きな不利を示していた。
「賊風情が中々やる」
低い声でそれを挑発するのはバルだった。腰を低く拳を構える姿は堂に入っている。歴戦の勇を感じさせるその背中は、見ているものを安心させるだろう。
戦いの中、バルは位置関係をうまく調整していた。背後にテラウを置く形とし、眼前の敵をそちらへ近付けないようにする意図を見せる。この戦いの意味をよく理解した立ち位置だった。
「……チ、あんたらも強ぇじゃねえか」
手詰まり感のある騎士は、最早剣を構えるまでもなかった。だらりと下がった腕の先に消沈した戦意を示すよう、剣も頭を垂れている。
「……どうやら俺達の負けだ。今回はここらで手打ちにしねぇか」
剣を納めつつ、騎士は疲れた声で提案した。バルは怪訝さを隠さない視線でそれに相対する。
「何を勝手な。負けが見えたらそれで仕舞いか」
「違ぇよ。この辺で止めとけば上には報告しない。ここが騎士団に目を付けられることもない」
上、つまりは騎士団という組織のことだろう。そう推測すると、アトレは騎士の申し出には強いメリットを感じた。が、それは当然、約束が守られればの話だ。
「お前らがここに来た目的自体、御屋形様との約束を無視したものだった。何故それを信じられる」
バルも感じたところは同じだったようで、言葉は騎士らへの信頼を微塵も見せないものだった。あるいはその卑劣振りに一定の信頼を置いていたのかもしれないが。
「確かにな。なら、どうするよ」
「……」
バルは殺意すら感じる目線でぐるりと室内を見渡した。室内には四人が倒れ、残る二人の内一人は刃を収めている。ウェルタを取り押さえる最後の一人も、その視線に腰を引かせて刃を遂に収める。室内を巡る強い視線は、最終的にアトレを的にした。
「アトレ様」
アトレは抜いた剣をそのままに視線だけをバルに向ける。騎士共といいこの老執事といい、身に覚えのない怒りを勝っているのだろうか。味方へ向けるには強すぎるバルの視線に、アトレはまたも疑念を感じるのだった。
(何か恨みでも買っただろうか)
アトレは傭兵稼業だ。依頼を受けさえすれば誰かを害することもある。何かの巡り合わせで、騎士やこの執事に恨まれることもあるかもしれない。
「連中を外に放り出します。お手伝いを」
「わかった」
執事の現に、アトレは脳裏に浮かんだ思考を仕舞い込んだ。バルは部屋の扉に立つと、特に何かした様子もなくそれを開いた。どうやら外へ直通する魔法の効力は切れていなかったらしい。扉から外気が執務室へと流れ込むと、それはアトレら三人を労うように室内の熱を冷ましていく。
(外とは繋がりっぱなしか。まあ、連中を叩き出すには都合がいい)
二人で意識の無い騎士を外へと引きずり出していく。意識のある騎士達は、こんなところにいられるかと速足で屋敷の門から外に出た。
「……へ」
そんな中、一人の意識ある騎士がゆらりと起き上がった。アトレが最初に吹き飛ばした後、痛みに
「……」
不気味な程沈黙に沈んだ騎士は、部屋の端に
「……え」
テラウの困惑は何かの引き金だったのだろうか。か細い鳴き声のようなそれが室内に霧散すると、騎士は剣も抜かずにテラウへと駆け出した。
「お嬢様!」
声を上げたのはバルだった。騎士とテラウの間に割って入ると、老執事は何かを確信するかのようににやりと笑みを浮かべる。
「まだやる気か……!」
アトレが青い残光を残しながら騎士を蹴り付けると、その体は扉の外へと吹き飛んでいく。派手な鎧の音と共に地面へ転げ落ちると、アトレは再び剣を抜いて室内を警戒し始めた。そこには意識なく倒れ込むブラドが一人と、それを不安げに見つめるウェルタがいるだけだった。
「お怪我はありませんか」
アトレに室内を任せ、バルはテラウに気を向けた。膝を付いて華奢な肩を掴むと、正面からその翡翠のような目を見つめる。老いに
「ええ……。じい、ありがとう」
テラウは力強い、しかし優しさの籠った目線に正面から向き合うとバルの手を取り、震える膝をなんとか黙らせて立ち上がった。執事も共に立ち上がると、握られた手を更に強く握り返す。
「お嬢様のご無事こそ、このバル至上の幸せでございます」
見つめ合う二人の間には、傍目には主従の強い絆が感じられるものだった。が、危険はまだ室内に残っている。外に放り出した騎士が次々と起きて部屋へ攻め入るかもしれないし、室内のブラドが先の騎士と同じことをする可能性も残っている。アトレは発動した魔法が切れかかっているのを感じると、ブラドを鎧ごと屋敷の外に引きずり出した。
「執事。門を閉じてくれ」
「かしこまりました」
アトレが剣を納めて部屋に戻ると、バルは手早く門の結界を張り直した。すると外に倒れる騎士の姿は見えなくなり、アトレが門を開こうと力を込めても、門はびくりともしなくなった。
「これを開けられるのは?」
「私と御屋形様、それとリオ以外には不可能でしょう」
「この高い門をわざわざ超えては来ないだろう。一先ずは安心か」
二人は室内に戻るとバルは一度扉を閉じ、再度それを開く。すると扉の外には屋敷の廊下があるばかりだった。外との接続が解かれ事の終わりを感じたのだろう。ウェルタはしなしなと椅子に体重を預け、バルは未だ事の終わりを信じられないといったテラウの両肩を再度優しく掴む。
「二人とも無事なようだな」
テラウは掴まれた瞬間にバルの手を
「アトレさんも、ご無事で嬉しいですわ」
「ああ。なんとかなったようだ」
他人事のように返すアトレだが、テラウはその活躍を思い返して興奮も冷めやらぬという風だった。
「あんな恐ろしい相手を次々と倒して。勇ましかったですわ。ええ、震えてはいましたが、アトレさんの背中から目が離せませんでしたもの」
テラウにとってその様子はまさしく白馬の王子様だったろう。自分を背にして二人、その後瞬く間に連中のリーダー格を倒して見せた姿は、恋に焦がれる年齢の少女からすれば鮮烈な印象を抱くものだった。
「いいや、連中、騎士とは思えないくらいだった」
その高揚とは逆に、答える声は至極冷静だった。アトレは連中を難無く倒していたが、しかし気になったのはその技量ではなかったようである。
アトレは室内に取り残されたブラドの剣を拾い上げると、付着した赤黒いそれを指で掬い上げて匂いを確認した。
「何、どういうことだ?」
「これを見ろ」
ハッとして身を乗り出したウェルタに、アトレは指先を向けて見せた。「血じゃないのか?」とウェルタはそれに顔を近付けると、怪訝な表情はより深みを増すものとなる。
「これは……血、じゃないな」
「ああ、血にしては酒臭い」
アトレはぼろぼろの剣の刃を下に持ってみせる。すると鍔から赤黒いそれが垂れ刃に滴っていく。一見するとそれは血のように見え、匂いにさえ気付かなかったのならそうだと思い込んでも不思議ではなかった。
「特注品らしい」
「なぜこんなものを」
「わざわざ血に似せるくらいだからハッタリの為だろう。しかもあのブラドとかいう奴、これを使った戦闘に慣れている様子だった」
ブラドは雫を使ってアトレの攻撃を誘った。大上段に構えられた剣は通常、その切先が頭の後ろに来る。視界の外に垂れる雫を利用できる者がそれに慣れていないというのなら、それは無理のある話だろう。
「騎士の戦法というには、あまりに賊っぽい」
アトレは奇妙な仕掛けが施された剣を扉の側に立つバルへ手渡すと、神妙な顔でウェルタを向いた。
「……一つ思ったことがある」
「私もだ。奇遇だな」
どうやら二人の思うところは同じらしかった。「君からどうぞ」とウェルタが順番を譲るとアトレは依頼を受けてからの様々な違和感を思い返した。
「他にも気になる部分はいくつもあるが……あいつは最初から騎士じゃないんだろうな、多分」
「私も同意見だが、最初というのはなんだ?いつからのことだ」
アトレは腕を組み、頭の中でそれらを並べ立てる。結論はシンプルなものだった。
「あんたからテラウさんの救出依頼を受けた時からだ」
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