第7話 魔獣
「ガア゙ァ゙───────!」
左上から大きな巨腕が振りかざされる。
岩をも容易に砕くであろうその一撃は、大ぶりで隙だらけだが、それを帳消しにするだけの威力を持ち合わせていた。
選択。
受けるか、躱すか。
否
──────────受け流す。
イメージするのは鹿威し。
流れ落ちる流水を地へ運ぶ、由緒正しき日本の業。
左手に構えた片手剣の腹を受け皿に、私に向かって伸びる直線のベクトルを右方向へ柔らかく曲げる。
と同時に、自身の体は受けきれない力を利用して左側へ。
竹が奏でる音色ほど趣があるわけでは無いが、銅鑼のような轟音とともに、黒い巨腕は私のすぐ右側の地面を凹ませた。
「ッつぅ..........」
受け流したとはいえ私の左手はビリビリと衝撃が響き、小さく声が漏れる。
だが、こんなことでバケモノの攻撃は終わらない。
私の右下へ位置する腕は、まるで磁石のようにこちらに向かって動き出した。
近い、ハヤイ─────────
予備動作の少ない横薙ぎ、人間で言う裏拳のような形。
まともに受ければ下半身がそのまま持っていかれるだろう。
ウケ────────避ける。
考えるより先に、身体に紫電が迸る。
足底に反発の魔術を施し、身体強化によりスピードが増した体を後ろへ跳ね飛ばした。
「おわっ........!」
バク宙のような形で3メートル後方を意識し飛んだが、その躰は思いのほか高く、そして遠くへ飛んでいた。
何となく、初めて電動自転車に乗った時を思い出す。
思った以上の加速力に身を置き去りにされそうになるあの感覚を。
何とか空中でバランスを整えると、私がいた位置に黒い風が通過したのを目視し、下半身がまだ無事なことに感謝する。
「グァ゙ッ゙────────!」
だが、目の前のバケモノは理性を失えど食物連鎖の頂点に君臨する者。
たかだか初動の一手二手、対応されたとて既に三手目は打たれていた。
獲物が空中にいるのは好機と捉えたか、巨腕の先に聳える四本の黒爪をこちらへ向けると、自らの体重をものともしないスピードで駆けてくる。
私の体を貫こうと放たれた黒爪は、一体いくつの命を摘んできたのだろうか。
血の匂いが染み付いているソレは、まともに受ければ......いや、例え少しかすっただけでもゲームオーバーは必至である。
バケモノの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
それは、これまでの狩りの経験に基づいた確信か。
──────だが、些か早計である。
私の元いた世界にはこんな言葉があった。
ピンチはチャンスだ、と。
ふわりと音を立て、私の落下動作は途中で中断される。
バケモノの表情が強ばる、異変に気づく。
だが、開始した行動を今更取りやめることは出来ないだろう。
絶好の好機に目が眩み、脳を焼かれ、考えることをやめてしまっているからだ。
だから、私の背後に控える打開に気づけない。
つまり何も地面だけが足場じゃないということ。
フィールドは森、ならばあるものは使わせてもらう。
私は、着地した丈夫な"木の幹"に慣性を利用して一瞬張り付く。
その後すぐ、脚に魔力を集約させ出力を上げる。
空気が歪み破れるような音とともに、私の脚に紫の妖光が立つ。
バケモノの爪先が私に届くすんでのところ。
瞬間、足元を爆ぜさせる。
二回ほど雷鼓の響く音を立てた後、黒爪が穿つは無機質な木と私が残した紫苑の残光のみ。
一際大きな軋み音を立てて一本の木が哀れな木材となった。
だが、木と木を跳ねるように移動した私は、完全にエモノの背後を獲る。
体重の乗せた一撃を躱された奴の体勢は依然として整っておらず、ましてや私の位置さえ確認できていないだろう。
距離はおよそ12メートル、一呼吸あれば十分だ。
手に、脚に力を込める。
反動で身が軋み、骨の髄に直接響く鈍痛を唇を噛み締め耐える。
バリバリと、空間が破れるような音に合わせて、私の魔力が体から溢れ、雷電と鳴り四肢に伝う。
右手に持った光剣に、逢魔が時の空色が強く宿る。
瞳孔が開くのを感じる。
ドロリとした視界の中で標的を捉える。
「スゥゥ.....──────ッ!」
一度大きく息を入れ、地面が5センチ抉れる。
ドンッという低い音、即ち反撃の狼煙である。
体が加速する。
身体強化により得た凄まじいスピードの中で、体を二回ほど回転させ捻りの威力を上乗せする。
黒い巨体の目前、右上から左下へ。
両手に握った二本の刃を同時に振り下ろす。
「ハア゙ア゙ア゙ア゙ッッ!!!」
「──────────ガアッ!??」
稲妻が走る様な音と、生きた肉を切り裂く感触。
エモノは苦しそうに唸り声を上げ、前方へズシリと手を付く。
だが──────────
「浅い......」
脊髄を断つつもりで切り込んだが、毛皮が思っていたより数倍硬い!
全力の一撃を不意打ちで仕留めきれないのは少しショックだった。
だがまだこちらの好機は続いている。
右手の光剣には反発の魔術を織り込んでいる。
それを利用しバランスを崩しつつ、左手の刃で肉を削ぐ。
体勢は整えさせない!
左下へ流れている両手をそのままに、三つ這いから立ち上がろうとしているエモノの左横腹へ回り込み、両手で切り上げる。
「─────────フッ!」
「グゥ゙ァ゙ッ!」
紫の光が花火のように弾ける。
光剣による効果は高い、反発によるノックバックでバランスを崩し続けている。
だが、刃の方はまたしても浅い。
毛皮を何とか断ったところで分厚い脂肪の膜を超えられない。
筋繊維を断たないと機能低下は望めない。
ならば──────────
「これならどうだ......」
線ではなく点の一撃。
左手の刃をヤツの左太腿目掛けて突き刺す。
ズぷり、と。
生々しい感触が手に伝わる。
身体強化の恩恵もあり、その銀色はいとも容易く黒い肉に呑み込まれていった。
「ガァ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
「アハッ♡」
そのエモノが心の芯から上げる慟哭に、胸の奥底にあるダメな部分がゾワゾワする。
「耐え難い痛みを味わうのは久しぶりかな?」
猛り狂うように剛腕を振り回し始めたので、その間合い一歩手前までバックステップする。
剣は抜かずに、突き刺したままにした。
私の目と鼻の先を黒爪が通過し、少し遅れてやってきた風が黒髪を靡かせる。
あと10cmなのに、届かないね。
駄々をこねる子どものように暴れ、剣が刺さった脚で踏ん張る度、そこからぴゅっぴゅうと腐った色の鮮血が噴き出る。
自らの筋運動により傷を広げていく様は実に愚かで、いつまでも愛でていたい愛嬌があった。
「フスー...ッ!フスー...ッ!」
「あ、落ち着いた?」
三つ這いで重心を後ろに引きながら威嚇してくる。
私は警戒心を解かせるために両手を広げ、にこやかに笑いかける。
もちろん、右手の光剣は強く握りしめたまま。
「ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙......ガヴッ!」
するとエモノはくるりと方向転換し、足を引き摺りながら明後日の方向へ駆け出した。
「あ......あー!」
そうだ、そっちの方向にはシスが居る。
ヤツはこの後に及んで彼女の魔力と血肉を求めていた。
いや、こんな状況だからこそ尚更栄養の補給をしたいのだろう。
だが、あまりにも遅い。
左腕を損失し、あまつさえ左太腿の機能を半壊させられたエモノの動きはあまりにもノロマで。
私は後手に回ったにも関わらず、直ぐに目の前に割って入れてしまった。
「この薄情者〜」
途中で違う女に乗り換えるなんて......!
上目遣いで睨みをきかせる。
「ヴガァ゙ッ!」
「わ」
右巨腕による左への横薙ぎ、だが踏ん張りの効いていないソレはあまりにも稚拙だったもんだから
「フッ!」
「..............ァ゙?」
「お姉ちゃん.....ッ!?」
躱すことも受け流すこともせず、身体強化のみの防御で受けてみてしまった。
吹き飛ばされはしなかったが、体がジンジンする!
「流石に......生身は痛い......なッ!」
「グガァッ!」
いつまでも私の左腰に手を回しているケダモノの手を、光剣でおもいっきり弾き飛ばす。
後ろでシスが心配そうな声を上げていた。
私より後ろにいる限りは安全だが、アイツの血飛沫が付着してしまう可能性がある。
それは嫌だ。
「シス」
「はっ、はいっ...?」
「下がって」
「あ...はいっ!」
「いい子」
既に立てるくらいには回復していたシスにそう指示すると、素早く移動し遠くの木の影へ隠れて行った。
悪ガキ達は.....はぁ、まだ気を失っているがまあ大丈夫か。
なるべく近くにならないよう立ち回ろう。
「ねぇ、私じゃ不満なの......?」
「グル゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙ヴ......」
一定の距離を保ったまま、睨み合いが続く。
というより、一方的に睨まれているが。
「ちゃんと口にしてくれないと、わかんないよぉ......」
「ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙......」
「........................」
「........................」
「........................」
「......................ゥ゙ガゥ゙!」
「わん!」
両者ほぼ同時に地を蹴る。
相手は直線、私は不規則な曲線を描きながら互いの距離が近づく。
初動、地を這うような剛腕の左フック。
対応、パリリッと紫電が走ったのち高く空中へ飛び上がりそれを躱す。
エモノの頭上をくるりと旋回しながら反対側へ着地、直後再加速。
距離を詰め、相手の嫌なトコロ。
隙だらけの左大腿後面へ光剣を振り抜く。
「────────ァ゙」
反発による衝撃と、それを受けたことによる力みで、またぴゅっと血が噴き出す。
エモノは振り返りざまに腕を大きく振るも、既に私はそこにはいない。
振り向いた首の動きに合わせて加速し、また背後を取る。
軽く飛び上がり、太くて硬そうな
刃では無い為突き刺さりはしなかったが、点になることで集約したエネルギーは大きく、可哀想な黒影はそのまま前方へ突っ伏した。
それによって、店主に借りた剣は完全にヤツの太腿に食込み、また痛そうに呻きを漏らす。
「ほ〜ら、頑張って......?」
少し血の混じったヨダレをボトボト垂らしながら、ユラリと身を起こす。
何か物言いたげな目でこちらを睨みながらグルグル唸っている。
「ゥ゙ゥ゙ゥ゙......ガヴ!グァ゙ヴ!」
「.......は?」
何となく、わかった。
コイツの言いたいことが。
剣を交え、命のやり取りをした事により、コイツの言いたいことが、ナントなく、リカイ、デキテ、シマッテ──
「────ぶざげる゙█゙よ゙?゙」
既にギリギリだった、糸が切れる音。
腹の底から湧き出た純度100%の憤怒。
発音すらまともに出来ていないほど、感情に任せた怨言。
「キミが 最初に 手を 出したん だよね ?」
体に力が籠る。
「あなたは へ へいき で シスを █おうと した ん だ よ ?」
腹の底からどす黒い魔力が、溢れる。
「あんな に 小さくて 幼い わたしの 大事 な 」
「なんの抵抗も できないような 子を 」
「ワタシに 二度も 大切な 人と 別れる 辛さを 」
ドロドロと溢れる。
「もう二度と 二度と........」
感情過多になり、溢れる涙を隠すように両手で顔を覆った。
「それなのに なに? じぶんが 不利に なったら そんなの ズルい 卑怯だ........って?」
覆っていた手の指の隙間から、ギロリと対象を射る。
「ガゥ゙ヴヴヴヴヴ」
「うるさいなぁ!!!」
「それじゃあ何?正面からヤり合えば勝機があるって、オモってるの?」
ワタシの言う意味が伝わったのだろう。
黒い影は二チャリと、目を逆三日月の形に変え、薄汚い笑みを浮かべる。
「..............へぇ」
──────────出力最大
巡る巡る、どくどく巡る。
怒りに任せてどんどん巡る。
纏う光はサイレンのように、淡くなったり濃くなったり。
鼓動に合わせて魔力が滾る。
ザラザラと、空間が歪み擦り合わさる音を立てて。
紫苑の蛍火は爛漫に、主人を囲んで踊り舞う。
もはや痛みは感じない。
そんなものを感じるリソースは、脳に残されていなかった。
───────呆れた。
もはや、楽には█なせない。
全てを剥奪し、恥辱の海に沈めて█してやる。
これ以上黒くなりようのない黒目に、ドぷんと烏玉の帳が堕ちる。
「さっさとこい」
「グギャ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」
質量に物を言わせた突進。
本来なら当たる筈も無いが、啖呵を切った以上避ける訳にも行かない。
当たることが確定している状況においては最強の攻撃方法。
身体強化を全身に施し衝撃に備える。
反発の魔術も起動準備を終えておく。
7m......
5m......
3m......
今
「ヴル゙ァア゙ア゙ア゙!!!」
「ガァァァアァァァア!!!」
もはやどちらが獣か分からない銅鑼声。
激突の瞬間に身体強化の出力を限界まで上げ、振り下ろした光剣をミートさせる。
「ァァあァアアあぁア!!」
「ガゥァアアアアアアア!」
激しい衝突音、骨の芯まで響く衝撃が襲う。
10メートル、ゴリゴリ地面をめり込ませながら踏ん張る事でようやく止まった。
刹那、予め準備していた反発の魔術を起動。
手掌から光剣に流し込み一気に爆発させる。
「ゼヤ゙ァッ!」
「──────────グァ゙ア゙!!!」
上へ斬り上げた事でヤツの体は立ち上がり、目の前にがら空きの腹が晒される。
「ハァァァァァア!!」
ソコに一呼吸で三太刀、身をしなやかに翻しながらも、確かな重量を持つ連撃。
まさに剣の舞、私の半径3m周囲を太刀筋をなぞる紫電が残光する。
相手の攻撃は躱さない。
全て受けきるか、弾くか、受け流す。
そうして相手が一度攻撃に転じる事に、こちらは三度以上必ず斬り込む。
エモノの表情が段々と歪んで行くのがわかる。
右腕一本の単調な攻撃、軋む体への負担を無視すれば、まず致命打にはなり得ない。
網膜にジュワジュワと恐怖を焼き付けていく。
脳裏にジワジワと敗北を浮かび上がらせていく。
紫の光と血が舞い散る。
計八回、こちらは二十四回の攻撃を終えた辺りから、一気にエモノの動きが鈍くなった。
スタミナが尽きたか、光剣によるボディブローが効いてきたか。
九回目の攻撃を弾いた時には四~五回ほど斬り込める隙ができるようになった。
「詰めだ」
エモノの左大腿部へめり込んでいた片手剣を、肉を少し■ってから引き抜き、疲弊仕切っているであろう腹部へ突き立てる。
一度では奥フカクまで刺さりきらなかったので、回し蹴りの要領で持ち手の尾を蹴り込む。
今度は、ちゃんと深く刺さった。
「ギャ゙ア゙ガッア゙ア゙ゴッア゙ア゙!」
仰け反る様にしながら、心地良い音色を奏でる巨体。
胃袋にでも刺さったのだろうか、口元からはヨダレに混ざって血の泡沫がぶくぶくと溢れていた。
大きな口を開けて鳴いている様は、まるで親鳥に餌をねだる小鳥のようで──
「お腹が、すいているんだったね」
福音のような、慈愛に満ちた声と同時に飛び上がると、大きく開いた顎に片手を添えてあげて、黒紫の魔力の塊を口の中へ放り込む。
具材はもちろん反発の魔術である。
「──────────」
耳を劈く爆裂音と同時に、巨体を足場にして後方へ飛び退く。
ヤツの顔からは大きな煙をあげており、確かな手応えは確信へと変わっていく。
「....ッハァ....ッハァ....!」
もう、動けまい。
私も、正直もう、疲れた。
目の前の黒影は依然として動かない。
だが.......何故倒れない?
理解したくない現状に頭が痛くなる。
再度呼吸を入れ直そうとした時
その大きな右腕がピクリと動き──
「──────ッもう!」
地面を抉る様にした、剛腕による振り上げ。
砂煙が巻き上がり、悪くなった視界の中で小石や木の破片が猛スピードで飛んでくる。
少し遅れた反応の中、咄嗟に顔を覆うように腕を組むが、小さい瓦礫たちは隙間を縫って容赦なく体に傷を残していく。
命に関わるものでは無いが、すごく鬱陶しい!
「この....小賢しい真似を....ッ!」
刹那────────
ぬるりとした感触が背筋を伝う。
これを私は知っている。
嫌な予感。
世界が少し遅くなったような。
そんな中、砂煙の中から、今一番見たくなかった者が姿を現す。
下顎は既に機能を失い、肉の皮一つで繋がっている。
バケモノの顔が。
表情なんてもう分かるはずないのに。
ソレは確かに嗤っていた。
「ア゙ァ゙ッ゙ッ゙!!!」
「──────────グッ!」
本日二度目。
右から左への横薙ぎ一閃。
そのまま遠くまで吹き飛べばまだ良かったのだが。
すぐ近くの大木に受け身も取れぬまま背中を強打する。
「────────カハッ!」
横薙ぎ自体は防御の姿勢を作った。
だが、この背中の痛みは想定外だ。
「〜〜〜つゥッ!」
衝撃により落とした光剣は、魔力供給が途絶えたことでただの木の棒になり、そのまま朽ちていった。
「ア゙ァ゙ァ...........」
バケモノが嬉しそうに唸る。
「な、なにさ.......」
ちぎれかけの下顎をぶら下げながらこちらへゆっくりと近寄ってくる。
一度集中を切らしたせいで魔力の流れが悪い。
まだ力は入らない。
「や、やだ.......来ないでよ」
「ア゙ァ゙ァ.............」
瓦礫により出来た傷が開いたのか、たらりと左目に血が垂れてくる。
目の前に迫るバケモノの息が興奮したように荒くなった。
「バァ゙っ.......バァ゙っ......」
「ちょっ、来ちゃダメだってばぁ!」
一歩一歩確実に距離を詰めてくる。
む、無理だ。
この状況を切り抜けるには足りないものが多すぎる。
私の脳内思考は、既に何を犠牲に選択するかの段階に入っていた。
右腕か、左腕か、右脚か、左脚か。
この身を捧げて少しでもシスが逃げられる時間を稼ぐ。
健気で可愛い妹、一人で逃げればいいものを今も尚、木の影からこちらを見守っている。
恐怖に脚は震えていて、涙を溜めた目からは折れた心が透けて見える。
なのにも関わらず、今にもこちらへ駆け出して来そうな危うさがある。
だから、心は痛むが強く睨みつけ、シスの足をその場に留まらせていた。
「シス....お願いだから、来ないでよ」
そんな願いを口にする。
手を伸ばせば届きそうな距離でバケモノは一旦停止し、少しふらつきながらも両足で立ち上がった。
そして───────
「オ゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙!!!」
「────────は?」
勝鬨を上げた.......ってか........?
目の前に聳えるバケモノは私を見下しながら、見た事かと言わんばかりの表情を向ける。
自分が上だと示すように。
自らの力を誇示するように。
「おい」
私は震える体で拳を握りしめ、不格好にも構えを作る。
「まだおわってねぇぞこら」
こうなったら、例え素手でも──
『────────馬鹿が』
───────何処からか、そんな呆れたような声が聞こえたような気がして。
ズダンッと
声のした方向から、何か煌めくものが飛んできたかと思えば、私とバケモノの間に突き刺さった。
それは剣だった、私の身長の半分くらいはあるであろう大人が使う片手剣。
だが、普通の剣と言うにはあまりにも透明で、透き通るアクアマリン色を放つクリスタルの輝き。
「これ...........」
見たことは無い、だけど直感する。
「ミスリル製の...魔法剣...?」
「ア゙ァ゙ッ!!!」
私の意識が逸れたことをいい事に、右腕が振り下ろされる。
「あっ」
目の前に死が迫る。
ひとたまりもなくぐちゃぐちゃになった私の姿が脳裏に浮かんで、これから死ぬ者には必要のない筈の吐き気が込み上げる。
分からない、わからない、ワカラナイ
だけど、死ぬ──────────
「お姉ちゃんッ.........!」
「──────────ッ!!」
声に反射した脊髄神経の刺激により動き出した体は咄嗟に半透明の剣に手を伸ばしていた。
死にエンカウントする0.1秒。
その恐怖に支配された脳のストレージが残りの1%を使って獲った行動。
地面から引き抜いた魔法剣は勢いそのまま鮮やかな弧を描いて頭上へ掲げられた。
なんの工夫も、なんの技術も、なんの力も使わずに行った咄嗟の行動は────
──────迫り来る不可避の巨腕と死の運命を、いとも容易く断ち切る。
後ろの方でボトリと、黒くて太い
「ァ゙──────────?」
バケモノからエモノへ変わってしまった目の前の黒い影は、未だに理解が追いついていないようだった。
目の前に迫っていた勝利が、たった数秒で裏返ったのだ。
そしてそのカードの裏の文字は敗北ではなく死の一文字。
いざ目の前に来ると分からないものだ。
生物として、死に実感なんて湧くはずないのだから。
私もさっきはそうだった。
半透明の剣を握っている手掌から、ぐんぐん魔力が吸い上げられていく。
刀身の色が私の色に染まっていく。
停滞していた魔力の流れが無理やり作られ、体全体を再度駆け巡る。
ぁ.....やばい....コレ......
受動的に作られる魔力の流れ、初めて感じるその快楽に飲み込まれそうになる。
じ、自分でするのと全然....違うンだけどッ!?
濃密な魔力が脳を、身体をとめどなく流れ、魔法剣に吸引されていく。
....ゃっ....ばぃ、これ....なんか怖い....!
「あっ.....ん.....アハハッ♡」
蕩けた目でエモノ見る。
黒い脚の生えたマトリョーシカみたいになったソレは、狼狽えながらもまだ両足で立っている。
ヨタヨタとわたしから離れようとするので、両膝の健に剣先を走らせると、スパスパっと子気味良く斬れてくれた。
ズシンと膝を付き、少し目線が近くなったにも関わらず一向に目が合わない。
放心状態、上の空といった所か。
ならば仕方ないと思って、ソイツの黒い太腿を足場に飛び上がり、正面から抱きしめるような形で首元へ飛び移った。
落っこちちゃわないように脚で首をホールドして、抱きしめるように左手を優しく後頭部へ回す。
荒くなっているエモノの鼻息が顔にかかる。
右手に持った剣の先端をエモノの上顎に軽く突き立てると、体全体がぴくんっと跳ねて呼吸も少し荒くなった。
「ねぇ、目を見て?」
「ァ゙........ァ゙.......」
上顎に突き立てていた剣先を脳天目掛けてゆっくり刺し込む。
力はこれっぽっちも要らなかった。
つぷり、と可愛らしい音と立ててゆっくり
「ねぇ、音を聞いて?」
「ァ゙.........ァ゙ァ゙........」
5cmほど挿入った所で、剣先が硬い骨をコツンとノックする。
頭蓋骨底かな?
だが、そんな最後の防壁もザリザリと音を奏でながらゆっくり貫通していく。
「ねぇ...ちゃんと私を見て?その目に焼き付けて?」
「ァ゙ァ゙.......ァ゙ァ゙ァ゙.......」
尖った剣先を中で動かし、敏感になっている脳をこちょこちょと優しく責める。
剣の動きに合わせて体がビクビクして、私の体も一緒に揺れる。
早くなったエモノの呼吸に私の黒い髪の毛がゆらゆら靡く。
機能を失いつつある眼球からは、懇願のようなものが読み取れた。
だが、まだ足りない。
「ほら、我慢して?まだ逝っちゃだめ」
「ァ゙ァ゙ァ゙......ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙.....!!」
ゆっくりと、ゆっくりと。
脳天目掛けて刺し込む。
挿し込み口からは血と黄色い脳髄液が溢れ、じゅぷじゅぷと音を立てていた。
既にエモノの目は白目を向いており、その巨体はとめどなく跳ね続けている。
「悪い子なんだから最後まで我慢してっ!わたしの妹に手を出したことへの、濃厚な後悔と懺悔と贖罪を搾り取ってあげる」
「ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!」
ガタガタガタガタガタガタガタガタ
ついにはトロッコに乗ってるみたいになった。
「やんっ」
すると突然、目の前でぶぴゅっという音がして、わたしの顔にネバネバした液体がかかる。
「うへぇ、なに鼻水〜?」
エモノの鼻先にいたせいでダイレクトに顔にかかってしまった。
目とかに入らなくて良かった。
「──────────ァ゙!!!」
「あっ」
びっくりしたせいで少し力んで、剣が深く刺さり過ぎてしまった。
ヘンな色に染まった剣先が、魔獣の頭頂部を貫通して少し出ている。
巨体がバランスを崩し始め、倒れるのを察知したわたしは、すぐさま剣を引き抜き飛び退く。
ズシィーンと地面に沈みこむように、その身は倒れて動かなくなった。
「あ〜あ....逝っちゃった」
地面に這い蹲る骸を、色の無い瞳で見下す。
服の襟を持ち上げて、顔にかかった液体を拭う。
お腹から冷たい空気が入ってきて気持ちがよかった。
辺りには心地よい静寂が訪れ、柔らかな小雪がシンシンと降り始める。
ようやく、終わった。
時間としては短かったんだろうけど、長かったぁ。
それに少し、いやだいぶ疲れた。
私は右手に握ったままの剣を軽く振って、付着していた魔獣の腐り血を払う。
その後、地面へと突き立てる事でようやくその手を離した。
魔法剣による魔力の吸引が終わり、体内の魔力循環が悪くなってことで、またズシリと体が重くなる。
「っふぅ〜......」
それと同時に、脳にかかっていた霧のようモヤがパァ〜と晴れていく。
「...................」
..............ん?
あ、あれ?
私....さっきまでどんな事を思いながら......?
魔獣と戦っていた時の言動を思い出し、頭の中で反芻する。
特に魔法剣を手にしてからの言動。
「あ、あわわわわ」
わっ私、なんか変態っぽくなってなかった!??
バシュンと顔が熱くなる。
あまりの羞恥に頬がジンと赤くなり、熱々になった顔全体から汗が音を立てて蒸発していく。
いや、あれはなんかこうわかんないけど魔法剣のせいだから!たぶんぜったいそうだから!潜在的なものとかそういうんじゃないんだからぁ!!
心の中で自分に言い訳し、正常であると言い聞かせる。
頭をフルフルすると、自己暗示の効能もあってか熱は引いていった。
遠くの木の影で、未だ忠実に指示を守って待機している妹が、こちらを伺いながらウズウズとしている。
流石にもう安全だよね。
「シス、おいで」
にへらと笑いながら手招きすると、私の白い天使が目尻に涙を浮かべながら駆け寄って来てくれる。
「─────────お姉ちゃんッ!」
「わァ」
手前で減速して私の胸に飛び込み、ひしっと抱き着かれた。
あぁ、命を懸けた甲斐があった。
我が生涯に一片の悔い無し。
「ばか!お姉ちゃんのばかばか!死んじゃうかと思った、もう会えなくなるのかと思った!すごくすごく怖かった!あのカイブツに襲われた時よりも、お姉ちゃんに二度と会えなくなるかも知れないって思った方が怖かった!怖かったよぉ.....!」
「あ、あはは、ごめんね。でももう大丈夫、大丈夫だから、ね?」
「大丈夫じゃない!お姉ちゃん傷だらけで、血まみれで!体にいっぱい火傷みたいな痕も残ってるのに!今も痛くて、辛くて苦しいのに!」
チラリと目をやれば、私の腕や脚には雷に打たれた時にできる、なんだったか.....リヒテンベルク図形?のような痕が残っていた。
「うん、確かに痛かったし辛かった。でも私にとってはね、シスが傷ついたり怖い思いをする方がもっともーっと嫌なんだ」
胸の中で嗚咽を漏らすシスの頭をふわりと撫でる。
思えば、こうしてしっかり触れ合うのはいつぶりだろうか。
村で私は差別対象となる事を知ってから、何となく少し距離を置いてしまっていた。
妹なら姉に甘えたいものだろうに。
しばらく泣き続けていたシスの頭を撫でてなだめていると右側から人の気配が近ずいてきたのを感じる。
「オイ、黒髪」
長身の男は、煙草をくわえたまま器用に口を動かす。
鼓膜を揺らす低音。
落ち着きの払った声で、シンプルに失礼な言い方をしてくる。
私と同じ黒髪、伸びきったボサボサの髪は適当にかき揚げられており、無気力な眼でこちらを見下してくる。
シスを私の後ろへそれとなく誘導し、その黒目を見返す。
だが、感情の薄い瞳からはなんの情報も読み取ることは出来なかった。
「なんですか、黒髪のおじさん」
「俺の名前はジャック・シガーだ、黒髪じゃない。それから、おじさんでもない」
「あっそ、私にもセイバー・フレンスタって名前があるんですけど」
「.......そうか。それで黒髪」
「〜ッ!!」
なんなんだこのおじさん!
急に現れては無愛想だし口悪いしなんか怖いし!
あと絶対おじさんだし!少なくとも私のお父さんよりは絶対に年上だ!
「年齢は」
「はぁ、不審者に教える訳にはいかないんですけど」
「答えろ」
「.........十です」
なんなんだよ!
なんでそんな圧かけるのさ!
確かに失礼なことは言ったけど、それはそっちもじゃん!
「魔術を始めて何年だ」
「...............」
「.............こたえ」
「八年ですぅ!」
ここからしばらく圧迫面接は続いた。
実戦経験は〜とか
剣を扱ったことは〜とか
固有魔術の発現は〜とか
投げかけられた質問には答えないと終わらない事を悟り、機械的に答え続ける。
「そうか、だいたいわかった」
「これで満足ですか!?このロリコン!」
「ふむ、まぁいいだろう。それから俺はロリコンじゃない」
「もっと話し方に抑揚をつけなよ!」
すると、顎の無精髭を手で擦りながら何か思案しだす。
ほんと、無駄な体力を使わせないで欲しい。
本当は今すぐ帰って眠りにつきたい、2年くらい眠り続けたい、シスを抱き枕にして。
「それにしても、あの状況で素手で挑む馬鹿がいるか」
「そっ、それは......」
馬鹿というワードで思い出した。
そうか、あの時
「この魔法剣、おじさんが?」
「そうだ。馬鹿が馬鹿げた行動に出たからな、おかげで勢い余って投げちまった」
「馬鹿馬鹿言うなこのロリおじ!」
「だまれ黒髪......はぁ、それにしても随分酷い魔力酔いの仕方だったな?」
「うっ.......」
魔力酔い。
過剰に魔力を巡らせたりすると起きる現象、所謂ハイになった状態を指す。
あそこまで出力を上げる事は禁じられていたので、今まで経験したことは無かった。
この男、着実に嫌なところを付いてくる。
思い出さないようにしていた物を掘り返さないで欲しい。
「あ、あれは......その......初めてだったから......」
「あぁ、そうだろうな。魔力神経の焼き跡が残るくらいだ」
「それがなにさ......」
「魔力障壁も使えないガキが、よくやったと言ってるんだ」
「というか、見てたなら助けてくれても良かったんじゃないですか?」
「だからこうして剣を放り投げただろう」
「いやいや.......」
一度大きく煙草の煙を吸い、音を立てながら息を吐き出す。
その後、付近に突き立てていた魔法剣をズボッと引き抜いたかと思えば、道化師のような手捌きで回転させ私へ突き付けてくる。
ただ、向いているのは剣先ではなく持ち手の方だった。
「こいつをお前に預ける」
「展開がよめない」
to be continued....(ドン)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私には....話を短くまとめる才能が...無いッ!
お世話になっております、茶夏ひのこです:)
紆余曲折ありましたが何とか納得のいく物にはなりました(血涙)
実際に読んでみて、『話が長い!』だったり『進行が遅い!』など御意見ありましたら、是非とも参考にさせて頂きたく御座いますで候(三重敬語)
また、次回も納得の行くまで試行錯誤して参りますので、気長に待って下さると幸いです( .ˬ.)"
次回はガッツリご褒美百合タイムにしたいと思っております。えへへ楽しみだねぇ。
魔獣「姉妹百合でしか得られないものがある、その礎になれるのであれば、悔いは無い」
ビーツセイバーで世界ランカーの私は異世界でもやっぱりはぐれ者、されど最速「人間関係は狭く深く派なだけだから!」 @HinoChana
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