デルフィニウム
砂糖 雪
デルフィニウム
ある金持ちの屋敷の庭園では昼下がりの時間、庭全体に陽射しがいっぱいに射し込んで、木々や花々はまばゆい光に包まれて輝きながら佇んでいた。
そんな中、一本の背の高いジギタリスの花が、濃紫色のまだら模様の入った花穂のひとつひとつを震わせて、甲高い声でこう言った。
「ねえそこのデルフィニウムさん、そうです、そこのあなたに言っているのですよ。私、しばらく前から思っていましたけれど、この際はっきり言わせて頂きますね。あなたは、まったくこのお庭には不適切な存在です。その姿、私のことを真似てらっしゃるおつもりなのかもしれないですけれど、程度の全然ともなっていないことには、自身でもお気づきでしょうね。あなたの身体は、少し風が吹けばなぎ倒されてしまいそうな程、か細く弱々しいですし、花弁は、高貴さや美しさとはかけ離れた、禍々しい、毒々しい色をしていて、背丈も、私よりもずっとちんちくりんじゃありませんか。私でしたらそんな見てくれではとても恥ずかしくて、このお庭で図々しくも咲き誇ろうなどという気には、到底なり得ませんね。それともなんでしょう。あなたはただ生きるということに、人生の価値を見出しているのですか? もしそうだとすれば、その考えは今すぐお改めになってください。良いですか、花というものはですね、中でも、お庭で咲くことを許された特別な花というものはですね、美しいことにのみ、価値があるのです。美しくもなく、ただ生きているだけの花なんてものは、その辺りのコンクリートの上にしがみついて、馬鹿みたいに無様な姿を晒している、あの汚らしい雑草たちと、一体なんの差があるのでしょうか? いえ、差はありますね。お庭の価値を損なわせるあなたのような花は、生きているだけで損害を与えていると言えますから。ですからあなたには、そこの土から大切な養分や水分を吸い取ったり、私が頂く分の光を、たとえそのおこぼれだとしても、浴びるといった行為は、今後一切やめていただきたいのです。お分かり頂けましたか? 私はこのお庭全体のことを鑑みてこう言っているのですよ。そのためこのことは、花々全体の総意であるということを、よくよく理解なさってくださいね」
デルフィニウムはこのことを、細長い茎をふるふると、小刻みに震わせながら聞いていた。最後まで聞くと、彼女の咲いたばかりの小さな花弁が一枚、はらりと落ちた。彼女は生まれてからずっと病気がちであり、日々を生きることで精いっぱいだったために、人生の意義などについては、これまでちっとも考えてみたためしがなかった。そのため彼女は、ジギタリスの言葉を真に受けて、深い絶望と恐怖に支配された。死への恐怖と、自身の人生の無価値さへの絶望が、彼女を果てしない自己嫌悪の渦へと落とし込んだ。
そうして彼女は根を土に張り巡らせることを止め、太陽に背を向けて、ジギタリスの影に隠れるようにして生活をした。
すぐさま、凄まじい乾きが彼女を襲った。花弁は重力に逆らうことが出来ずにぐったりとへたれこみ、表皮は所々が黒茶色に爛れた。
やがて彼女は物を言わなくなった。ジギタリスは枯れ果てた彼女の姿を見ると満足そうに、
「あなたが利口な花で助かりましたわ。あなたの死も私の養分として糧になるのですから、あの世で私に感謝をしていただくと良いでしょう」
と、高慢ちきな声で叫んだ。
あくる日のこと、屋敷の主人の息子は、沈んだ眼差しと覚束ない足取りで庭園へとやってくると、ふと、枯れ果てたデルフィニウムの姿を見つけて、立ち止まった。
「ああ、なんてことだ。きみ、どうして萎れてしまったんだい。ここは日当たりが良くて、母さんは毎日水やりもしてくれているというのに。君のことは、よく覚えているよ。華奢で美しい身体に、可愛らしい紫色の花をつける、君のことを。そう、君はまるであの人のようだ。僕の愛していた、いや、今も愛している、あの人にそっくりだ。あの人は、逝ってしまったよ。君と同じように、今朝、何も言わずにね。あの白く弱々しくも美しいなめらかな肌は、力なく横たわって、瞳は閉じられ、土を被せられるんだ。ねえ、どうしてそんなことが許されるんだい? 僕らは愛し合っていて、世界は美しくて、あんなにも幸福に満ち満ちていたというのに。どうして彼女だけが、僕らだけが、その幸福を奪い去られなければならないんだ!」
そういって彼は、その場で日が暮れるまでの時間を泣き続けていた。その間彼はしきりに愛を語り、不幸を嘆き、自身の人生を呪った。
しかし花々に、彼の言葉を理解することは出来なかった。もし仮に理解することができていたとしても、既にデルフィニウムはただの物質となり、その養分は、ジギタリスの糧となっていた。彼女の精神は、魂は、ここにはもう存在せず、無になって消え去っていたため、それはなんの意味も持たないことだった。
デルフィニウム 砂糖 雪 @serevisie1
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