傘を広げて

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第1話 降るはずのない雨

 雨が降っている。


「ざまぁみろ! 天気予報め! 僕の言った通り『雨天』になったろ!」


 繁華街から少し離れたビルの2階のカフェで、客もスタッフもいないのに店長の相馬は一人でTVに向かって大笑いした。

 カウンターのパイプ椅子を客席横に置くと、相馬は椅子に座って両足を乱暴にテーブルの上に乗せた。外から持ち込んだ炭酸飲料をグビグビと胃袋に注ぎながら今週末の競馬のオッズを確認する。


 店長のイカれた行動もそうだが、店内の衛生環境も飲食店と思えないほど汚い。蜘蛛の巣は当然として、名前も知らない虫がそこら中で走り回ってる。机も椅子も埃を被っており、冷蔵庫の中身はカビだらけ。

 もしこのカフェと公衆便所で食事をしなければいけないという究極の二択を迫られたら、ほとんどの人は後者を選ぶのだろう。


「ただいま~ 本当に雨降ったんですけど」


 競馬サイトからカフェ入口にいる声の主に視線を移すと、相馬は得意げでうざったい笑顔を向けた。


「僕の言った通りだろ! それで雨宮くん、コンビニも僕の予想通り使えなかったろ?」


「ううん、コンビニは問題なかったよ」


「へ、へぇ、僕もやっぱり今問題ないと思ったさ!」


「はいはい」


 カフェに入った大学生ぐらいの女の子は畳んだ傘を床に捨てた。

 店内が汚れているんだから今更多少濡れたってかまわない、それにすべてが終われば傘は


 雨宮は相馬の横に座ると買った来たであろうビニール袋の中身をテーブルに広げた。それでも乗せた足を退かすつもりのない相馬にムカついたのか、雨宮は容赦なく自分の上司を椅子から蹴り下ろした。


「あ~あ、太もも骨折したわ~ もう競馬場いけないわ~ 雨宮くんのせいだわ~」


「そうですか……じゃあ、どうせ診てもらうんだからあともう何本か折っても変わんないよね~」


「……すみません、ちゃんと座ります」


 今年で35になる相馬はバイトの女の子に叱られて座りなおした。

 気を取り直した二人は静かな店内で食事を摂り始める。汚い店内も予想外の雨も初めてではない、もっとひどい状況の店内も経験したことある。

 幸い今回は簡単に食料を入手できたが、そううまくいかないときもある。だから「仕事」をする前にのんびりできる時間があれば大切にしなければいけない。


「雨宮くん、最近彼氏できた?」


「店長、それセクハラ」


「ッチ、いるかどうかの結果で馬変えようと思ったのに」


「うっわぁ、クズぅ……ナルシスト、ギャンブラーにセクハラ上司って……フルコースじゃん」


 相馬を蔑む雨宮はどこか楽しげで、イタズラっぽく笑う彼女はこう見えても実家の神社の専属巫女。色々あって、今は暇つぶし代わりに相馬のカフェでバイトしてる。

 神職に就いているおかげか、雨宮は大抵事前に今日みたいな案件の発生を予知できる。そういう時はなるべく相馬の元へ急ぐようにしてる。


 しばらくして食事を終えた二人は立ち上がって入口の傘立てから各々の傘を取り出すと、雨宮が先頭に行きカフェの窓ガラスを割って外の歩道に飛び降りる。そのすぐ後ろには相馬も続き、何のためらいもなく2階から飛び降りて傘を広げる。


 ポタポタと傘に落ちる雫は赤く、水よりも粘性を帯びて鉄の匂いを放つ。


「鮮血の雨もまた、彼の心の涙……ね」


「……」


 広がる街やビルの足元は血の雨に染められて一面紅。

 遠くから聞こえる悲鳴、獣の雄叫びと遠吠え、それらは血の雨音に包まれて不快感を掻き立てるハーモニーを奏でる。


 ここは誰もが知る日本の普通の街、物語に出てくるファンタジーの世界ではない。

 だが一つだけ幻想があるとすれば、それは……


「僕みたいな崇高な心ならともかく、しょうもない奴の心なんて具現化したって碌な結果にならん。だろ?」


「言い方うざいけど、その通りだね」


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