君が生きている、それだけで


 黄昏館にも、冬が訪れていた。



 あのとき青々としていた山々は、いまはすっかり葉を落とし、灰色に沈んでいる。



 海から吹く風が、どこか寂しさを運んできた。



「今日は寒いな」



 そう呟きながら旅館の庭に入ると、裏口の方にあやがいた。

 


 あやは外で山の方を見ていた。



「こんにちは」



 慧の声に、あやは穏やかに微笑んだ。



 初めて会った頃よりも、その表情はずっと柔らかい。



 小さく息を吸い、あやは続けた。



「慧さん、この間、私がいた場所へ行って……彼を探してくださったそうですね。どうでしたか?」 



 恐らく慧が今日この時間に出勤すると女将に訊いて待っていたのだろう。足元は寒さからかよく動いたようで足跡が地面にたくさん残っている。



(足まで見えるようになったんだ)



 あやは首をかしげて慧を見た。



「とにかく、中に入って温まりましょう」



 慧はあやを旅館の中へ誘導した。



 旅館内はとても暖かかった。



 コロちゃんズがエントランスにある大きなストーブに薪をくべていた。



 ヒラヒラと紅く揺れる炎が心まで温めてくれるようだ。



「それで、どうでしたか?」



 椅子に座るとすぐに前のめりであやは訊いてきた。



「男性はいませんでした」



 男性が生きていることはアスカには止められているのでこれ以上は言えなかった。



「そうですか……」



 しばらく、あやは何も言わなかった。



 その顔には、静かな寂しさが滲んでいた。



 顔にかかった影が印象強く慧の脳裏に刻まれた。



***



 その夜のこと。



 慧の電話が鳴った。



 画面には幼馴染のレナの文字。



「もしもし」



 慧が電話に出るとレナが話し出した。



「慧ちゃん、高校の同窓会を冬休みの間にやるらしいんだけど、行く? 四季島先生も来るって」



 どうやらこの間高校の文化祭で同級生が久しぶりに集まろうと言ったのだそうだ。



 年末は黄昏館でバイトが入っていた。



「ちょっと、まだ行けるか分からないな」



「わかった、でも嬉しい。行こうか考えてくれるなんて」



 あまり高校までのクラスメートと仲の良い人がいなかった慧。あまり会いたい人もいない。



 恐らく夏にバイトを始めなかったら迷うこともなく「行かない」と言っていたはず。



 ずっと止まったままだった慧の時間が動き出している証。



 自分は今生きている、大げさだがそんなことを思った。



 しばらくとりとめのない話を続けた後、慧はあやの話を切り出した。



「もしもの話でさ、自分と大切な人が車に乗っていて、事故で自分だけが亡くなったとしたら、生き残った大切な人に対してどう思う?」



 そう慧が訊くと、レナの声色が変わった。



「何なの? 縁起でもない話」



「心理テストみたいなもんだよ。どう思う?」



 電話の向こうから唸り声をあげ、考え込んでる様子のレナを、慧はしばし待った。



「……嬉しいんじゃない?」



 思いもしなかった答えに慧は息をのんだ。



「嬉しい?」



「うん。大切な人が生きていてくれるって、嬉しいと思う」



「もう会えなくても?」



「……うん。大切な人って、自分が“生きていた意味”を教えてくれる人だと思うの。

その人が生きていてくれるなら、それだけで嬉しいと思う」



「そっか、そうだね。俺もそう思うよ」



「なんでそんな話をしたの? 何か悩みでもあるの?」



「無いよ。どうして?」



「だって、自分が亡くなったらとか、いきなりそんな話をするなんて心配になるよ」



 少し語気を強めた言い方。



 そして、ほんの少しの悲しみの色。



「ごめんごめん。思い悩んでいることがあるわけじゃなくて。……バイト先のお客さんにそんな話をされてさ」



「前から思ってたけど、そのバイト本当に大丈夫なの? あんまり内容を話してくれないから」



 黄昏館のことは話したくても話せない、そんな事情があるから、レナに誤解されて

しまっている。



「大丈夫だよ。すごく良い所だよ」



 今の慧にはそう言うしかなかった。



「本当に悩みはないの? あるなら相談して。私はなんでも、いつでも聴くから」



「大丈夫、ホントになんでもないんだよ」



「慧ちゃん、どこにも行かないでよ……? さっきの話だけど、残された方はずっと悲しいと思う」



 ハッとさせられた慧。



 電話越しで伝わるレナの涙声。



 胸が締め付けられる思いになる。



 ここまでレナが慧を心配するのはこれまでの慧の行いがあるからだろう。



 いつ死んでもいいと思っていた――そんなこれまでの自分が、胸の奥で静かに揺ら

いだ。



「もう変なことは考えていないから。どこにも行かないから……、ごめん大丈夫だ

よ、ありがとう」



「うん」



 電話を切ると、慧は窓の外を見た。



 今日は星が良く見える。



 レナを心配させたのに、胸の奥が温かくなる。



 そんな自分が、ひどく情けなかった。



「俺は、本当にバカだな」



 そんな独り言は、どこまでも高い夜空に吸い込まれていった。

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