再び旅館に向かって



 その週末のこと、慧は自転車にまたがって旅館へ向かう。



「この道を行くのは久しぶりだな」



 約一カ月ぶりの旅館。



 旅館までの道を行く。



 交差点、お店の看板、公園などを通り過ぎていく。



 あの交差点を曲がる。



 道は覚えている、すいすいと進む。



 そして出てくる、あのトンネル。



 慧はトンネルに入る前に一度止まった。





「よし、行くか!」

 慧はトンネルに入っていく。



 やはり思っていたよりも長いトンネル。





「こんなに長かったっけ?」



 トンネルを抜ける、




 一カ月ぶりのそこは少し様子が異なっていた。



「秋になってる」



 旅館までの道に生えていた植物は色が変わり鮮やかになっている。



「着いた」



 この間までは何も考えずに入っていた旅館の入り口にどこか不思議な気持ちになる。




「なんか、卒業した後に校舎に行く気分。緊張するな」



 庭の植物も変わっている。


 久々の旅館の庭、慧はしばらく立ち、眺めていた。



「こんにちは」



「うわ!」



 後ろから声をかけられる。



 津軽がいた。



「そんなにびっくりしないでくださいな。慧君」



 津軽はケタケタと笑う。



 今日も額にバンダナを着けている。



「お久しぶりです、津軽さん」



「さぁさぁ、皆が待ってますよ。あそこの扉から入ってね」



「はい、ありがとうございます」



 初対面もこうだったなと思い出す。






「ガラガラ!」



 静かに開けても、大きな音を立てて開く旅館の扉。



 受付にいた女将が顔を上げる。



「いらっしゃい。慧君」



「待ってたよ!」



 アスカもひょこりと顔を出した。



「あ、はい。お願いします」



 久々のバイトは、この旅館だ。



 女将は穏やかに笑う。



「来てくれてありがとうね」



「今日はどうしたんですか?」



「ちょっとね、忙しくなりそうなのよ」

 アスカが答える。



「お客さんが大勢来るとか?」



 慧一人ごとき増えても大した戦力にはならないだろうと慧は思った。



 ここには優秀な者たちが集まっているのだから。



 しかしできることはしっかりとやりたいとも思っている。



 アスカはしばし考え込んで、

「まぁ、そんなとこ!」

 


一言そう言った。



「慧君、荷物とかは裏のお部屋に置いてきて! そのままになってるから。あとこれ着替え」



「はい」



 アスカから着るものを受け取り、裏の休憩部屋に入る。



 確かにすべてそのままだった。



 慧が荷物を保管しておく場所にも「慧君の!」の手書きのシールが貼ったままになっている。



 夏のバイトが終わってもう一カ月が経っているというのに、まだ片付けられてなかった。



 少しだけ慧は嬉しくなった。



 自分の場所がまだここにあるような気がして。

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