久々のマドンナのお願い



 それから一カ月、慧は今も毎日授業に出ている。



 気候は秋らしくなってきた。空は高く羊雲がモコモコとしている。



 単位が取れればいいから計算して授業を休むなんてことはしていない。



 授業も一人で受けているから知り合いに気を遣って話をすることもない。



 一番前で授業を受け続けている。



 授業に集中できるのが快適だ。



 もうすぐ文化祭、学校はいつもよりも装飾などでおしゃれになってきている。



 今は昼休み。食堂で弁当を食べようと廊下を歩いているときのこと。




「あの人だよ、私がかわいいと思った人! 見られてラッキー!」



「わぁ、かわいい人!」



「あれ、ほとんど化粧してないよね」



「パーツ整ってる〜」



 後ろにいる女子たち何人かが呟いているのが聞こえた。






 慧の肩を誰かがトンと叩いた。



「慧君!」



「アスカさん⁉」



 アスカのことを他の女子たちが見ている。アスカのことを言っていたらしい。



 アスカは自分で言うだけあって、かわいいようだ。



 自称ではなかったことに慧は少し安心する。



「あれ、誰だろう?」



「彼氏じゃない?」



「やっぱ彼氏いるのかなぁ」



 がっつりと彼女たちの会話が聞こえてくるので、慧は恥ずかしくなった。



(彼氏じゃないって)




「ここで会うのは初めてだね!」



 大学で初めて二人は会った。



「お久しぶりですね」



「お久しぶり!」



 旅館外で会う二人、お互いの印象は特に変わらなかった。



 いつも通りだな、とお互いに思った。



「よく見つけられましたね。偶然ですか?」



 二人の大学は大きくないが、狭いというほどでもない。



 おまけに学生の数もそこそこにいる。



 特定の一人を探そうと思ったら、なかなか大変なはずである。



「偶然じゃないよ。前にも言わなかったっけ? アタシ、勘がいいのよ」



「そうかもしれませんけど…」



 いくら勘が良いと言っても、ピンポイントに迷わず人を見つけられるものだろうか。



 しかし今はそんなことはいい。



 慧にとって大切なのはなぜ彼女が自分を探していたのかということである。



「それで、どうかしました?」



「ちょっと来て。こっち!」



 アスカは近くの空いている教室に入っていった。



 慧も彼女の後を追う。



「どうかしたんですか?」



「ここに座って」



 アスカが席を指定する。



 慧は素直にその席に座った。



 アスカの様子がいつもと違うなと慧は感じていた。



 慧が席についた途端、アスカは机越しにズイっと顔を近づけた。



「ちょっと大変なの⁉ この週末、旅館に来てくれる? バイトで」



「え?」



 混乱。



「何かあったんですか?」



「詳しいことは旅館で。どう? 来れる?」



 強引なお願いに困惑する慧。



 目の前にはアスカの目。



 微動だにしない彼女。



 慧の心の底を見透かす目。



 慧がこの目を見るのはあの日、慧が旅館の秘密を知った以来二回目であった。



 慧はそらすことができない。




 しかし、

「……フッ!」

 笑ってしまった。



 自然と口角が上がってしまう。



 どこかその言葉を待っていたようにも思えた。



 あそこでまた過ごすことを待っていたようにも感じる。



 いや、間違いなく待っていたのだ。



「わかりました。行きます」



 断るなんて選択肢はない。



「よし!」



 アスカはいたずら娘の笑顔をした。



 いつもと変わらない、あの笑顔。


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