仙人と呼ばれる男


「こらこら、その辺にしときなよ、旦那」


 着物を着た男が突如、男の背後に現れた。


 慧は気が付かなかった、男に顔を向けていたのにもかかわらずだ。


 およそこの男もただものではない。



「ヒヒヒ、良いじゃねぇか。手を握ったわけじゃなるまいしよ」

 鬼は顔を真っ赤にして愉快に笑う。


「他の女性に夢中になっちゃいけねぇな」


 着物の男は鬼の横に座る。



「あんた・・・何してるんだい?」


「ウェっ!」

 鬼がびくりと体を震わす。


 顔を真っ赤にした女性の鬼が立っている。


 鬼の顔が白くなる。


 女性の鬼が鬼の耳を引っ張る。


「ごめんなさいねぇ。うちの旦那が失礼を。ほらあんた、子供たちが花火するんだってよ!」


「いててて! わかったから、放してくれー!」

 鬼は軽々と連れていかれれた。



「まったく、あんなに素敵な奥方がいるのにねぇ」

 着物の男は笑う。



 慧はこの男は見たことがなかった。今日チェックインしたのだろう。

「あの、お名前訊いても良いですか?」


「名前かぁ・・・」



 着物の男は間を置く。


「仙人と呼ばれているよ」



「仙人・・・」



 慧の読む小説に出てくる仙人とは全く装いが違う。


 黒々とした長い髪の毛を結び、顎ひげをたくわえている。


 見た目の年齢はおよそ四十から五十代くらいだが、若々しい男である。


「本名は人間では発音が難しいからね。みんなそう呼ぶんだ。もちろん違和感があるなら他の呼び方でも構わないよ。髭男とかね」

 仙人はニヤリと笑う。



 いい歳をしてセクシーな見た目の印象から、「エロ親父」とかでもいいのか、と慧は思ったが、流石に口にはしない。


 あまり関りを持ちたくないので、「仙人」と呼ぶことにした。


 この男は勘が鋭そうだから。


 すると仙人のほうから声をかけてきた。


「名前を訊いてもいいかい?」


「はい、石坂慧です」


「慧君か、良い名前だねぇ。ちょいと将棋を俺と指してくんねぇかな? できるかい?」

 唐突に仙人は懐から将棋盤を取り出す。



「はい。ルールくらいはわかりますけど・・・強くないですよ。それにお客様と将棋は・・・」


 ちらりとケイコのほうを見る。


「大丈夫だよ。私も将棋見たいな」

 ケイコは興味深そうににこりと笑う。



「早速始めよう。ケイコちゃん、日本酒をもらえるかな。種類は任せるよ」

 仙人は日本酒を飲みながら駒を並べる。


「では、よろしくお願いします」


 対局が始まった。


 指しながら仙人は話し出す。


「将棋を指すと、相手のことがわかるんだ。その人物が自分では気が付いていないこととかね」

 そう言う仙人は実に楽しそうに将棋を指す。



 駒を動かしたときのパチンという音が愉快に弾ける。


「はぁ」

 慧は盤上に集中する。


 仙人の言葉は集中している慧にはあまり入っていっていない。



 静かなバーに駒を動かす音が響いた。




「なかなか面白いねぇ」


 勝負はすぐについた。


 仙人の勝ちだった。


「参りました」


「ありがとうございました」


 お互いに一礼する。



 仙人は満足そうに息をついた。


「指し方はとても慎重だ。とにかく相手からの攻めを受ける姿勢に徹する。しかしあまり受けすぎていてもいつかは攻撃されて突破されてしまう。だから適度に攻めの手を入れる。まるで自分自身を見せたくないかのようだ」


 仙人は朗らかに笑う。


 しかしその目の奥はどこか慧の心の奥を覗いているようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る