カゲロウ


「ほらほら、姿を見せて!」

 アスカがその陽炎をちょんちょんと優しくつつく。


 陽炎は大きく揺れた後、少しずつ変化し始めた。


 物の形になり始めた。


 アスカよりも少し大きめの背丈。


 しかしそれは人ではない。


「この人が旅館の料理を一手に引き受ける料理人だよ!」

 そこにいたのは、今度は大きなトカゲだった。


 大きなぎょろっとした目。大きめの口。後ろ足二本で立ち、長い尻尾が見える。



「よろしくお願いします」


「カゲロウさんってみんな呼んでるんだー」


 アスカが微笑みかけるとカゲロウはもじもじとした。


「どうかしたんですか?」


 慧が声をかけると、カゲロウはより一層もじもじしだした。目線も泳いで、体が紅く染まった。



「人見知りでね、恥ずかしがり屋なんだよね。仕事中は特に見られると緊張しちゃうから透明になって料理してるんだよ」


 カゲロウは透明になった。


 しかしよく見ると、何かそこにいるようにゆらゆらと揺れている気がする。まさに陽炎のようだ。


「その時の様子が陽炎みたいだから、カゲロウさんなんですか?」


 カゲロウとアスカは首を横に振る。


「トカゲ楼って名前なんだよね? だからあだ名がカゲロウさん!」


 カゲロウはこくりと頷いた。


(あぁ、やっぱりトカゲ系なんだな)


「カゲロウさんって優しいから色々教えてもらえるヨ。あとね、まかないも絶品! あたりまえだけどね、サイコーなの!」


 アスカに褒められると、カゲロウは恥ずかしそうに体を桃色に染めた。




「カゲロウさん、今日朝ね、こんなに野菜がとれたんだよ!」


 アスカはかごに入った夏野菜を見せる。


 色彩が美しい野菜をカゲロウはまじまじと眺める。


 野菜を手に取り、あらゆる角度から観察。匂いを嗅いだりしている。


「シャク!」


 カゲロウはナスを一つかじった。目を閉じて咀嚼している。


 野菜の出来を確かめるための味見をしているようだ。


 飲み込んだのち、ウンウンと満足そうに首を振る。


 味の良い出来栄えということだろうか。


「今日の献立のイメージは沸きそう? 私はカレーが食べたいなぁ。まぁ、従業員の

わがままで決められないけどね」



 カゲロウは前足を組んで、思案する。


 そして、コクリと頷いた。アスカに微笑む


「ホント⁉ お昼はカレー⁉ やったー!」


 アスカは手を叩いてはしゃいだ。


 カゲロウは嬉しそうに目を細め、野菜を洗い始めた。


「あ、手伝うよ!」

 アスカは現れた野菜を切り始めた。


「じゃあ、俺も」


 慧は料理は全然できないので、野菜を洗う担当になった。



 カゲロウの包丁さばきはさすが調理担当、それ以上であった。


 恐らく日頃から料理するアスカと比べて、包丁を握る手さばきが素晴らしい。


 包丁から出る音が心地よい。




 この旅館で働くメンバーは皆すごい能力を持っている。人間でないということを置いておいても素晴らしい技術である。


 バイトのアスカもこの明るさ、人懐っこい性格を武器に大切な戦力になっているのは間違いない。


 慧は少し劣等感を覚える。


 初日ではあるが、自分がこの先彼らのようにやっていけるだろうか。


 そう思いながら調理の手伝いをしていく。



 カゲロウは大鍋に油とにんにくを火にかけ、大きなヘラで炒めていく。


「うーん、香りが立ってきたネ」


 次に肉を入れ、色が変わるまで炒める。


 その後、切ったとれたて野菜を投入し、さらに炒める。


「良く炒めると美味しくなるからね」




 慧も炒めるのを体験する。

「重いな!」



「下にあるものを上に持ってくるようにね!」



 野菜の色が変わってきたところで、カゲロウが赤い液体を鍋に入れて煮込み始めた。


「これは・・・トマトですか?」


「そうトマトをつぶしたやつを入れてるの。入れる水の量を半分にして、これを入れると美味しいんだよ」


 コトコトと煮ている間に、カゲロウは何やら瓶をいくつか取り出した。


「あ、スパイス。自分で調合するんですね。市販のルーじゃないんだ」


 慧がそう呟くと、カゲロウは「ウン」と笑顔で頷く。


「カゲロウさんは、神の舌を持ってるからね!」


 スパイスを混ぜて調合していく。


「カレーの匂いだ」



 カゲロウは鍋がよく煮えてるのを確認し、調合したスパイスを入れていく。


 赤かった鍋が、茶色に変化し、とろみもついていく。


「カレーになった! もう少し煮込んで完成かな。あぁ、お昼が楽しみだねぇ」

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