旅館の中へ


 旅館の敷地は下で見た時よりもずっと広かった。


 庭の向こうに見える旅館、建物自体は相当古そうだが、趣のある雰囲気が漂っている。


 しかし、その前に目を引くのは、庭である。よく手入れがされており、多くの植物が生き生きと葉を広げ、花を咲かせている。そしてその花を目当てに蝶が舞っている。


「見事だな」

 ふと声に出してしまった。


 目を奪われた。



 心なしか太陽の光も優しい。


 まるで楽園のようだ、そう感じた。




 すると、横からヌッと何かが視界に入ってきた。


「わぁ!」


「あらら、そんなに驚かないでくださいな」

 そういって声の主はケタケタと笑った。



 恐らく還暦をすでに迎えている、バンダナを額に着けた女性だった。



「すいません。大きめの犬か何かだと思って」



 その人物は犬なら大型犬だが、人にしてはずいぶんと小柄だった。



「お泊りの方ですか?」


「あぁ、いや、これを見て来たんです。バイトの募集ってチラシを」

 慧はチラシを女性の前に出す。



「おや、まぁ!」

 女性は目を大きく開き驚いた表情を見せたがすぐに微笑み、


「では中に入って働いている人に伝えてくださいな」

 そう言った。





 さらに庭を進むと、大きな引き戸の前に着いた。


 恐らくここが旅館の入り口だろう。


 大きめの引き戸には木彫りで細やかな装飾が施されており、立派だった。


(お客さんじゃないけど、ここから入っていいのかな)


 そんなことを思ったが、入る場所はここしかわからない。





 ゆっくりと戸を開く。


 しかし、


「ガラガラ!」


 その動作に似つかわしくないほどの大きな音が鳴った。


 慧は旅館内に歩みを入れた。







 慧は中に入ってまた驚いた。


 外見は古かったのに、中はそれを微塵も感じさせない造りとなっていた。


 高めの天井は解放感抜群。

 

 赤茶色のカーペットが地面に敷かれ温かみを与える。


 旅館と言いつつも、洋の部分を持ち合わせており、古い洋館の特徴を持っている。




 しかし木材を用いた柱や梁といった造りは日本家屋、和であることを感じさせる。


 洋と和がうまく融合しているこの場所は、荘厳で非日常を感じながらも落ち着くものになっている。



(明治時代のイメージって感じ)

 慧が入り口に立って室内を眺めていると、奥の方から人が出てきた。





「お帰りなさいませ~!」


 元気の良い若い張りのある声が響く。


 着物を着た若い女性だった。


 歳は同じくらいだと感じる。


 笑顔が素敵で元気ハツラツな印象を受ける。





 女性は慧の顔を見ると驚いた表情を見せ、

「おや、あなたは!」

 そう女性はつぶやいた。


「?」


「あぁ、すいません! 何でもないです。お泊りですか?」


「あぁ、いやそうじゃなくて、これを見て来たんです」


 再びチラシを見せる。


「あ! バイトの応募ですね!」

 パァと表情を明るくさせ、声を弾ませて言った。




「じゃぁ、少し待っていてもらっていいですか? そうだな、あそこのラウンジで!」


 女性が指をさす。


 そこには大小さまざまなソファ、テーブルが置かれていた。


「はい、わかりました」







 適当なソファに腰を下ろす。


 慧は周りを見渡す。


 誰もいない。


 音がない。


 静かだ。


「・・・」







(こんなに静かでいいの?)

 大きな空間にポツンと残された慧。


 この後の出会いがウソのような静けさである。

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