第24話 新たな旅立ち
──そうやって考えてもいいんだ。
なんだか贅沢な気もするが、無理なことでもないと思えた。何より、自分の母からの提案だ。
「私はもっと強くなりたい。そのために、師父と旅を続けたいです」
「うむ、分かった」
ちらりと母を見遣り、少し甘えた声で香風は続けた。
「でも、私の家は母上のところと思っていていいですか……?」
「もちろんじゃ」
くしゃくしゃに頭を撫でられる。香風は一番の笑顔を見せた。
「……ところで、父には会いたいとは思わんか」
「父……上」
今まで卵を産んでくれた母のことばかりを考えていたが、母がいるのだから父もいて当然だ。人間の父。母から逃げた父。
魔界扉に目を遣り、香風は緩く首を振った。
「母上を困らせる父上とは会わなくていいです」
「あっはは、それはそうか」
再び旅に出ることが決まったが、母探しはすでに解決しており、いつどこへ行くのかは決まっていない。まだいてもいいし、すぐに出発してもいい。どうしようか悩んでいると、宋翠寧が紙人形を一つ作成して香風に手渡した。
「人形に我の気を染み込ませた。これに話しかければ、我と会話することが出来る」
「本当ですか!」
このような便利な法術があったとは驚かされた。これなら、どこにいても母を感じることが出来る。
今まで母がいないことが当たり前だったのに、今度はいないことが寂しくなっていた。心というものは行ったり来たりで難しい。
「ちょっとやってみます」
言うが早いか、香風が翼を広げてひとっ飛びした。どこまで行ったのか、すぐに姿が見えなくなってしまった。代わりに、宋翠寧の頭に香風の声が届く。
『母上、香風です。聞こえますか?』
「うむ、聞こえるぞ。愛らしい声が」
『ふふ』
満足そうな声とともに、香風がまた飛んで帰ってきた。
「忙しい弟子だ」
「それもまた愛らしい、じゃろ?」
「うん」
二人で穏やかに話す前には、
──なるほど、これが家族。実に良い。
「昼餉を終えたら出発しようか」
「はい」
宋翠寧が立ち上がる。
「どれ、母に修行の様子を見せておくれ」
そう言われて、香風が羽をぱたぱた動かした。
「分かりました!」
まずは準備運動として型から。次に光を追いかけ回し、その後は李九天と組手をした。宋翠寧が頷く。
「なかなか筋がある。我ともやろう」
「母上とですか!」
「それはいい」
李九天が見守る中、親子の組手が始まった。
最初はぎこちない動きをしていたが、宋翠寧が全て避けるので、全力で向かっていくようになった。
それでもぎりぎりで避けられる。当たったとしても、最小限の衝撃しか与えられなかった。
──すごい。これが龍神……!
実力の差を見せつけられても、香風は笑顔のままだった。
楽しい。そして、もっと自分は強くなれる。それを肌でひしひしと感じた。
結局、半刻近く組手は続いた。汗だくになった香風がその場に倒れ込む。
「ま、参りました」
「かなり良い線じゃ。このまま行けば、大人になる頃には我をも超そうぞ」
「やったぁ……」
今は腕を上げるのも精いっぱいで、それでも母の優しい言葉に素直に喜んだ。
宋翠寧はというと、汗を滲ませているものの息は乱れていない。龍神は武の神と並ぶくらい戦闘に長けている。
李九天が二人に拍手を送る。
「素晴らしい組手だった。さすがは龍神」
「武の神に褒められるのは気分は良いのう」
龍神が腰に手を当て高笑いする。
「そういえば、貴方はお相手の
「そうなのじゃ、困ったことに」
魔界扉を正しく作る腕といい、龍神から逃れられる速度で飛ぶことが出来る点でも才能があることは明らかだ。李九天は一度会ってみたいと思った。
「母上は、父上が戻ってきたらどうするのですか?」
息子からの素朴な問いに、宋翠寧が目をくるりと回して答えた。
「そういえば、追いかけることばかりでその後どうしようか考えてもみなかった。とりあえずは痛めつけるとして」
「ほ、ほどほどにしてください」
「分かった」
涼し気な笑顔が怖い。果たして父は無事永らえることは出来るのだろうか。香風は少し不安になった。
「あの、私も父に一度会いたいので、もし見つかったら教えてください」
「分かった。それまでは生かしておこう」
「有難う御座います」
その時は改めて父と一緒に命乞いをして助けてもらおう。
「そろそろ昼餉にしようか」
「あ、そういえば朝餉でもう食べ物が無くなったんでした」
「大丈夫。ほら」
すると、李九天が大きな猪を茂みから取り出した。
「近くをうろついていたから確保しておいた」
「やった! 丸焼きにしましょう!」
猪の丸焼きは香風の好物だ。魚も好きだが、やはり大きな肉の方が食べ応えがある。
李九天が木の枝を地面に置き、そこへ右手の人差し指と中指を伸ばして火を付ける。あっという間に燃え上がった火の上に縄で括り付けた猪を置いた。
「もう美味しそうだなぁ」
焼き上がるのを待つことも好きだ。段々良い匂いがしてきて、食べるのを想像して涎が零れそうになる。
「我も一緒に待つとしよう」
横に母が座る。香風が小さな体を横にもたれさせる。とても温かい温もりを感じた。
時間をかけてじっくりと焼き上げ、その場で平らげた。余ったものは置いていくことにした。宋翠寧があとで食べると言っていた。
荷物を全て入れ、李九天とともに並んで立つ。横には光、前には宋翠寧がいる。
「良い顔つきじゃ」
「それでは、母上。修行に行って参ります」
「うむ。もっと強くなった姿を母に見せておくれ」
「はい」
悲しみの涙は出ない。これは前向きな旅立ちだ。
「あの、渡したいものがあるので、手を出してもらえますか」
「何かくれるのか?」
宋翠寧が屈んで両手を差し出すと、そこに先日の髪飾りがそっと置かれた。
「綺麗じゃ」
「母上のことを考えて作ってもらいました。よかったら付けてくれると嬉しいです」
「なんと、我のことを……ありがとう。大切にする」
その場で髪飾りを付けた龍神が恥ずかし気に微笑む。
「どうじゃ」
「とても似合ってます」
「そうか」
香風に褒められて、宋翠寧はしばらく髪飾りを触っていた。
「武神よ、くれぐれも我が子を頼む」
「もちろん。楽しみにしていて」
お世辞でもなんでもない。李九天自身も香風の才能を実感している。
「寂しくなったらいつでも紙人形に話しかけておくれ」
「分かりました」
宋翠寧の姿が見えなくなるまで、香風は手を振りながら歩き出した。
第一章 完
武の神と半神の子 凜 @takanarin
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