第23話 魔界人捜し

 夜もすっかり更けた頃、扉が微かに光を帯び、そこからぬうっと一人の男がすり抜けてきた。


 真っ黒な外衣をすっぽり被り、顔も体型もよく分からない。男が歩き出そうとしたその時、宋翠寧ソン・ツェイニン李九天リィ・ジゥティェンが飛び起きた。


朱松亭ヂュ・ソンティンか!?」


 宋翠寧が音を立てずに龍神へと変化する。その身は人の三倍以上ありそうだ。男が外衣から顔を出す。


「失礼、天界人で御座いますか。私、魔界人の王子言ワン・ズーイェンと申します」


 恭しく拱手する様はどこぞの貴族と思わせる。顔を露わにさせて分かったが、王子言はとても繊細な顔をしていた。ツノも生えておらず、一見人間と見分けがつかない。唯一区別がつくのが、白銀の髪の毛というところか。


 元人間の夫ではないことを理解し、宋翠寧がしゅるしゅると人の姿に戻る。


「我は龍神じゃ。人間界に買い物かえ」

「いえ、人捜しで御座います」


 二人は顔を見合わせた。


「近頃は人捜しが流行っているのかな」

「魔界は混沌としておるからのう。行方不明者の十人や二十人、いくらでもおる」

「随分物騒だな」

「返す言葉も御座いません」


 つまり、宋翠寧の言ったことは脚色されたものではないということだ。もしかしたらもっといるのかもしれない。


「それで、どのような方を捜しているのですか?」

「ええ、私より上背のある、肩より長い黒髪の……ツノは人間界なので隠しているかもしれませんが一本です」

「なるほど……」


 そこまでの情報だと、数刻前まで一緒だった男が思い出される。いくらなんでもそこまでの偶然は起きないだろうが。


「身分としましては、魔界王の第二皇子でして」

「もしかして、余夕旗ユー・シーチーですか?」

「そうで御座います!」


 合っていた。


 李九天が思わず頭を抱える。逃げ出したと言っていたが、こうして捜されているところを見ると、何かすれ違いが生じているのだろう。つくづく困った男だ。


「皇子をご存知ですか?」

「ええ。半日前までここにいました。待っていれば、またやってくるのではないかと」

「貴重な情報を有難う御座います……!」


 何度も頭を下げる様に、普段の苦労が垣間見える。


 その時、一里程離れた場所で魔気が放出された。三人が同時に同じ方向を見つめる。


「もしかして」

「恐らく、皇子ですね……全くあのお方は……迎えにいって参ります」

「ご苦労様です」


 そう言って、王子言が羽を広げて飛び立った。


「さて、寝直そうか」

「我が子はこのような時でもぐっすりじゃ」

「ふふ、まだ赤子だ」


 この世に生まれ落ちてまだ数年、もう少しこのままであってほしいと願う。すやすや眠る子どもに癒されながら、もうひと眠りするために横たわった。


 ぐっすり眠れるかと思いきや、明け方今度はやかましい喚き声で起こされた。もちろん、原因は王子言に捕らえられた余夕旗である。ご丁寧に法術をかけられた縄で縛られている。


「李九天! 俺を助けてくれ!」

「五月蠅い。香風が起きてしまう」

「もう陽も昇るからいいだろッ」

「よくない」


 宋翠寧も起き出し香風シャンフォンの体を布で包んで隠していたが、あまりの騒ぎにとうとう目を覚ましてしまった。


「……お早う御座います」

「おはよう。やかましくてすまぬ。早う魔界へ帰らせる故」

「申し訳御座いません。すぐに静かにさせます」

「俺は犬っころじゃない!」


 なおも暴れる余夕旗の横で、王子言が冷静に印を結び、魔界の扉をすり抜け始める。


「ご迷惑をお掛け致しました。これにて失礼致します」

「いえ」

「李九天!!」

「またいつか会おう」


 縄を引っ張られてどんどん余夕旗の姿が扉に吸い込まれていくのを、李九天は笑顔で見送った。

 きっと、今度は向こうで勤勉に励んでくれるだろう。そう願う。


 腹をさすった香風が朝餉を取り出そうと荷物を漁ると、龍神の鱗が出てきた。それを母に見せる。


「おや、それは我の鱗じゃな」

「母上。この鱗がいくつか落ちていたらしく、これを辿って母上捜しをしていたのです」

「なんと恥ずかしいことをした」


 龍神の姿で飛べば、鱗が落ちることも考えられる。しかし、鱗が落ちることは滅多に無いという。


「実は……お前の父を追いかけて争いになったことが数度ある。その時に落ちたのじゃろう」


 寂し気な顔に心が痛む。やはり自分が一緒にいて、母を喜ばせた方がいいのかもしれない。


 すっかり静かになったところで朝餉を食べる。母が傍にいて嬉しいのに、どこか寂しい気持ちになる。宋翠寧が香風を優しく見つめて言った。


「香風は強くなりたいのじゃな」

「はい」

「それなら、旅を続けたいのではないか?」

「それは……」


 初めて会ってもさすがは母というべきか、香風の心を理解しているように感じた。


「強くなりたいです。修行もしたい……でも、母上と一緒にいたい気持ちもあります。どうしたらいいのか、自分でも、分からなくて」


 一生懸命素直な気持ちを伝えていたら、いつの間にか涙が零れていた。泣くつもりなんてなかったのに。これでは母や師父が困ってしまう。


 涙を拭こうと目を擦るが、それはいっこうに止んでくれない。宋翠寧がちらりと李九天を見遣ると、笑顔で頷かれた。


「ふふ、困ったのう。我は慣れていない故」


 眉を下げながら、それでも香風を抱きしめる腕はとても優しい。


「我も一緒にいたい。大切な大切な家族じゃ。しかし、母の為にここに残るというのは止めておくれ。香風が一番したいと思うことを優先してほしい」

「うう……はい」


 潤んだ瞳で母を見上げ、そして師父へと振り向いた。


「香風、貴方はずっとイイコに生きてきた。これは素晴らしいことだ」

「有難う御座います」

「しかし、ここで二つを望んだからって悪いことでもない。我儘でもない。当然のことだと思うよ」

「でも……」


 選択を迫られた時、選べないことはどうにも居心地が悪い。選べないことが悪のように感じてしまう。しかし、それこそが未来への選択を狭めているとしたら。


「では、こうしたらどうじゃ。李九天と旅を続ける。たまにここへ帰ってくる。我はいつでも会いたいから、頻繁に帰ってきてもよいぞ」

「私も、香風がしたいことをしてほしい」


 二人から第三の選択肢を与えられ、香風の世界に新しい風が吹いた。

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