第51話 五間

 帝国暦518年1月、新年を迎えるとともに中央に放った間者からオスカー・ロッドフォードが東部に軍を動かしたとの連絡を受ける。


「間者のもたらした情報によれば、敵兵は12万人を動員してこちらに向かっていると。直ぐに迎撃の準備をしなければな」


 俺の指示にユディットとカサンドラが頷く。


「而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり、成知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。必らず人に取りて敵の情を知る者なり。勝つ者とは敵の情報に通じた者のこと。敵が事前の情報通りの兵力と、進軍ルートを選択したという事は、既に勝利の条件を整えたような物です」


 カサンドラがそう言うと、ユディットが続ける。


「聖智にあらざれば間を用うること能わず。仁義にあらざれば間を使う事能わず。微妙にあらざれば間の実を得ること能わず。間者を使いこなす旦那様こそが真の君主であるということだな」


 最近はユディットも孫氏について学んでいる。いつカサンドラが妊娠して戦場に立てなくなったとしても、自分がその代わりを務めるためだとか。でも、その逆でカサンドラにはユディットの代わりが務まらないので、やはりユディットはステータス最強の影の主人公だな。


「それで、五間はどうなっているのかな?」


 俺はカサンドラにこちらの間諜について訊ねると、彼女はにっこりとほほ笑んでこたえる。


「私とブリギッタが不仲であり、私が怒ってキルンベルガーブルグに引き籠ったという情報を流しております。敵が第二軍師のみがウーレアー要塞に残ったと侮ってくれたらよいのですが。また、ユディット様も私に同行したという事にしてあります。つまり、敵を遊撃する我々は誰であるのかというのはわからないことになりますね」


「旗は掲げないのか」


「はい。ここで旗を掲げてしまっては、敵も我らを包囲しようとするでしょう。そうなってはこちらの守備陣形が意味をなさなくなります」


 この世界には国際法とか戦時のルールみたいなのは無いので、正規軍は旗を掲げている必要はない。ただし、どこのだれだかわからないと手柄もアピールできないし、同士討ちになってしまう可能性もある。それなので旗を掲げて戦争をしているという訳だ。俺やユディットは手柄をアピールする必要もないので、敢えて旗を掲げることをしなくてもよいのだ。

 さて、そんな風に今後の進め方を話していると、兵士が慌てて情報を伝えに来る。


「陛下!」


「そんなに焦って何があった?」


 俺が訊ねると、兵士は呼吸を整えてから報告する。


「オスカー帝の家臣であるベンジャミン・スレイド中佐がこちらに寝返りたいという書簡を送ってきました。直ぐにでも陛下とお会いしたいとの事。中佐は現在敵軍の先頭を進んでおり、こちらと戦闘になる前になんとかご判断いただきたいとのことです」


 俺に直接書簡を送ったところで目に入らないだろうから、配下の者に書簡を送りつけて、俺への伝言を依頼したようだった。はたして、このタイミングで敵方からの寝返りというのは信じて良いものだろうか。俺はカサンドラを見た。


「社長、まずはお会いしてみるのがよろしいのではないでしょうか。社長であれば、相手の真意を見抜くことが出来る事でしょう」


 カサンドラの言い方には含みがあった。俺はそれで自分が武将の忠誠を数値で見る事が出来るのを思い出す。本心からの寝返りであれば低くても忠誠が表示されるが、偽りであり武将がオスカー帝に忠誠を誓っている状態であれば、忠誠そのものが表示されないのだ。0であっても寝返りは本当だが、表示されなければ偽りということである。流石にそれを具体的にここで伝える訳には行かないので、カサンドラはああいう言い方になったわけだ。


「そうだったな。それではカサンドラとユディットはここには居ない事になっているので、一般兵に変装してもらおうか。俺とブリギッタでそのベンジャミン・スレイド中佐に会う事にしよう」


 直ぐに報告に来た兵士にスレイド中佐と会う事を伝えるように指示し、彼の到着を待った。

 数日後にスレイド中佐がウーレアー要塞に到着する。部隊を率いてここに来るわけにはいかないので、彼だけがここにやって来たのだ。

 早速スレイド中佐を俺のところに案内させ、今回の寝返りについての話を聞く。俺の後ろには護衛兵士に扮したユディットが控えており、万が一スレイド中佐が俺を攻撃してきた場合には彼女が対処できるようにしてある。

 そして俺の隣にはブリギッタがおり、その横にブリギッタの秘書的な立ち位置でカサンドラがいる。顔写真が出回るような世界ではないので、これだけで二人が将軍と軍師だとはばれないだろう。


「陛下、お初にお目にかかります。ベンジャミン・スレイドであります。オスカー帝からは中佐の階級を賜っております」


 スレイド中佐がうやうやしく頭を下げた。見た目は30歳くらいだろうか。クリストファーの元に集まっていた武将たちは、若くて能力はあるが、家柄が無いから出世できない者達という設定だったので、彼も若いのだろう。


「そなたが今回寝返りをしたいと言ってきたと聞いているが」


 俺はスレイド中佐を睥睨した。彼は真っ直ぐ俺を見てくる。


「いかにも。クリストファー帝には皇帝としての正統性がありましたが、オスカー帝にはそれがございません。筋で言えばクリストファー帝が陛下に降伏したのですから、我らも陛下に仕えるべきでしょう。また、オスカー帝には人望というものが無く、クリストファー帝が目をかけてくれたような事を彼に期待は出来ません。そういったことから、将来を見据えて陛下に仕えようと思った訳です」


 三国志には苦肉の策というのがあるが、スレイド中佐が並べた理由を聞けばオスカーから俺に乗り換えるのも一理あるかと思える。オスカーが部下をもう少し丁寧に扱っていれば、小説での東部での叛乱も成功していた可能性もあるのだ。結局自分が優秀過ぎて、部下にもそれを求めたがゆえに部下が離れていってしまったという設定なのだ。

 さて、問題は彼が本心からこれを言っているのかということだ。

 俺はスレイド中佐を鑑定してみた。


ベンジャミン・スレイド中佐 31歳

武力86/S

知力82/A

政治80/A

魅力86/S

健康98/S


 うん、忠誠が出てこない。こいつは黒確定だな。

 俺は芝居がかった仕草でスレイド中佐に話しかける。


「はてさて、スレイド中佐には俺に忠誠を誓う心が見えないのだが」


 スレイド中佐は慌てた様子もなくそれを否定する。


「これから武功で忠誠を示させてください。この後オスカー帝が攻めて来ますので、私もその迎撃に加わりましょう。私の部下にも寝返りを勧めますので、必ずやお役に立てるかと」


「ふむ。それであればまずは敵陣へと戻り、こちらの合図があるまでは戦うふりをしてもらおうか」


 その提案にスレイド中佐は難色を示した。


「それではタイミングによっては私が敵陣で孤立してしまう可能性もあるのではないでしょうか」


「はて、俺に忠誠を誓うというのであれば、作戦に命をかけるのは当然ではないかな?」


「命はかけますが、状況にもよります」


 そう反論が来たので、俺はブリギッタに同じことを訊ねた。


「第二軍師、お前は俺の命令ならば敵に寝返ったふりをして、合図とともに敵陣の真っ只中でこちらの味方だという事を宣言できるか?」


「はい。私の命は陛下に捧げております。どんな困難な命令であっても、それを拝命いたします」


 ここでスレイド中佐にあらためて問う。


「ということだが、中佐はどうなのか?」


「承知いたしました。おっしゃるように命をかけねば、忠誠を疑われることもありましょう」


 と素直に従う姿勢を見せる。おそらくだが、何らかの合図をもってこちらをかく乱する事が狙いだったのだろう。だからウーレアー要塞になんとかして配置されるようにしたかったのだろうが、それを無理に進めようとすれば俺に疑われるからと、こちらの提案にのってきたふりをしているわけだ。

 さて、ここでたねあかしをしようか。


「ところで、クリストファー帝が言っていたが、そちらでは俺の能力についての研究をしているとか。俺の能力は複数あって、その中の一つに相手の忠誠心を数値で把握できるというものが有る」


「忠誠心を数値でですか」


 この情報はスレイド中佐は当然知らなかったようで、俺がそう言うと驚きを隠せなかった。


「そうだ。0から100まででどの程度忠誠を誓っているかを把握できるのだが。いや、0からというのは性格ではないな。0ですらない、忠誠を誓うつもりがないのも把握できる。そして、中佐はその0ですらないというのがわかるのだ」


「これはお戯れを」


 動揺を隠そうとするスレイド中佐だったが、突然の情報にそう上手くは隠せていなかった。目が泳いで次の言葉をどうしようかと必死に考えている様子がよくわかる。


「敵の送り込んで来たこの間者を捕縛せよ」


 俺の指示でユディットが素早く動き、スレイド中佐を床に倒して上からおさえつける。


「ぐっ」


 スレイド中佐はユディットから逃れようと体を動かすが、ユディットにおさえつけられては逃げる事も出来なかった。そしてしばらくして観念する。


「さて、これをどう利用しようか」


 俺はブリギッタとカサンドラに訊ねた。すると、カサンドラが


「スレイド中佐には上手くこちらに取り入る事が出来たという書簡を書いてもらい、彼の指揮する部隊もこちらに呼び寄せましょう。そして、オスカー帝には作戦が上手くいっていると思わせておけばよろしいかと。おそらくはウーレアー要塞攻撃の時に、内部から門を開けさせるとかを考えていたのでしょうから、決定的な場面でそれが偽情報だったと知らせて罠にはめます。まあ、スレイド中佐がとらえられてしまったのが知れたところで、こちらに損はありませんので、どうなろうが問題はありません」


 と言った。ブリギッタもそれに同意する。ただ、ユディットが少し不満そうで


「この場で斬れないことが残念だな」


 とつぶやいた。その言葉を聞いてスレイド中佐が愕然とする。


「俺は女などに取り押さえられたのか」


 それにユディットがカチンときた。


「男だろうが女だろうが実力には関係ないだろう。アンジェリカがクリストファーにそちらの国は実力主義と言いながら、女を評価していないと言っていたが、部下にもその考えが染み込んでいるようだな」


「噂には聞いていたが、本当に男女が平等であるという価値観なのだな。だが、そういった新しい価値観を誰もが受け入れられる訳ではない。当の女ですら新しい価値観に戸惑い、拒否感を覚えるものもいることだろう」


「それは否定しないがな。しかし、自分が負けたことを受け入れられないような愚か者は話がちがうぞ」


「…………」


 ユディットにやり込められてスレイド中佐は黙ってしまった。


「連れていけ。監視を厳重にしろ。そして、まずは部隊を呼び寄せる書簡を書かせるのだ。反抗すれば利き腕と反対側ならば折ってもよい」


 ユディットの指示で兵士が縄を持ってきて、スレイド中佐を捕縛して連れていった。ユディットはボールを拾ってきた犬のように、褒めてというオーラを出しながらこちらに来る。


「流石はユディットだ。あっという間にスレイド中佐を取り押さえてしまったね」


 そう言われると彼女はまんざらでもない表情となる。


「歯ごたえの無い相手だった。これで相手の間諜を逆手に取る事が出来るようになったな」


「まあそうなるねえ。問題は受け入れた部隊をどうするかだけど」


 俺が髪の毛をぐしゃぐしゃとかくと、ブリギッタが部隊の使用について意見を言う。


「要塞の補修工事に使いましょう。武器を持たせなければよいのですから、工事の人夫としてならば問題ないでしょう」


「確かにそうだな。ただ、奴隷のように酷使して逆恨みされることのないように、休暇と給金には気をつかって欲しい」


「承知いたしました」


 こうして方針が決定し、スレイド中佐に無理矢理書かせた書簡で彼の部隊をウーレアー要塞に引き入れる事が出来た。要塞に到着した部隊の兵士達は、いきなり囲まれて武装解除を命じられ、縄で縛られたスレイド中佐を見せられた時は大きな度惑いを見せたが、逃げられないと悟って大人しくこちらに従うことになった。こちらが出した条件も悪いものではなかったというのもあるだろう。

 なお、スレイド中佐は書簡を書くのを最初は拒否したので、ユディットの命令どおり左腕を骨折することになった。腕の次は足だという脅しで、遂に諦めて偽の書簡を書くこととなったのだ。痛めつけずにこちらで偽の書簡を書いても良かったのだが、万が一筆跡でばれたらというのがあったので、スレイド中佐本人に書かせることにこだわったのだ。

 なお、書簡は要塞の城壁の上から石に結んで投げ落とし、それを夜中に回収するという方法で伝達が行われるとスレイド中佐が白状した。要塞に来て直ぐに誰かと接触するのは難しいと考え、そういう手段にしたのだという。勿論、平文で誰が読んでもわかるような内容にはなっていないので、誰かに拾われたとしても問題はないという。その暗号の法則を聞き出したので、こちらとしては敵方の暗号の解読が楽になった。まあ、当然数か月後には暗号の法則は変更されてしまうだろうけど。

 これで敵の間諜も終わって、後は直接対決だな。

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