5章

第47話 新領地より

 帝国暦517年8月、俺たちは南部から東部帰還して、ウーレアー要塞にいるブリギッタのところに立ち寄った。クリストファーは西部を平定して南部と東部に勢力を向ける準備をしているという情報が密偵からもたらされたので、今後についての打ち合わせをしようと思ったのだ。


「陛下、南部の平定おめでとうございます」


 要塞の入り口でブリギッタが俺を出迎える。


「内政をする土地が増えて、人材がいないのにめでたいとはなあ。そうだ、ブリギッタに内政の仕事を与えようか」


 俺がそう言うとブリギッタはニッコリと笑う。


「ご遠慮いたします」


「あんなに素直だったブリギッタはもういないのか」


「社長の教育の賜物ですよ。毎回毎回無理難題を言い渡されれば、性格だってねじ曲がります。カサンドラだってそうでしょう」


 そう言われてカサンドラの方を見る。俺はブリギッタに向き直ってから頷くと、背後から殺気のような物を感じた。


「あらあら、副軍師殿はもっと仕事を欲しているとみえますね」


 カサンドラがそう言うと、ブリギッタはカサンドラに謝った。


「言い過ぎた。ごめん」


 まあ、カサンドラも本気でブリギッタを追い詰めようとはしていないのはわかっている。二人は本当に仲が良いのだ。路上生活時代から苦楽を共にしているからな。


「さて、それはそうとウーレアー要塞の守備ご苦労であった。度々手紙を受け取って状況を聞いてはいたが、敵の動きはどうであった?」


「はい、こちらに本気で攻めてくるようなことは無く、挑発して逃げてばかりで、追撃を誘うような動きばかりでした。いいつけどおり、追うような事はしませんでした」


「それで正解だな。向こうは寡兵で勝つために罠をしいていたはずだ。どこかの守りが崩れたら、今度はそこを狙うつもりだったろう。ブリギッタの使命としてはウーレアー要塞を守ることだけだったので、最悪ここより西側に領地は放棄してもよかったのだが、未だに支配地域が西にあるのは大きなプラスだな」


 俺の言葉にカサンドラが頷く。


「これならばウーレアー要塞の西に部隊を展開し、カーニー将軍の軍を迎え撃つ事が出来ます。広範囲に展開させて、一箇所が攻められたならば、別の部隊が敵を背後から攻撃する。これで相手を消耗させることが出来るでしょう。要塞に籠っているのでも良いですが、相手の補給を絶つのであればやはり要塞の外に出なければなりませんので。ただしそれも敵の出方しだいですけど。それに、戦わずに済む道もあるかもしれませんね」


 カサンドラの最後の言葉の意味をブリギッタは即座に理解した。


「アンジェリカとサディアスはどうなるのでしょうか。交渉が決裂した場合は処刑をお命じになりますか?」


 ブリギッタが焦った様子で俺に訊く。


「そんな事はしない。ただ、じゃあお返ししますともならないけどな。特にアンジェリカは今後もこちらの内政の仕事をさせる」


「よかった」


 ブリギッタがホッとしたのは、アンジェリカの命が助かる事なのか、自分の補佐役が居なくなることは無いという事なのか、どちらなのだろうか。


「社長、カーニー将軍がこちらに軍を動かす前に、二人が生きている事を知らせて交渉に入るべきかと」


 カサンドラに言われて頷いた。


「そうだな。戦争を回避できるならそれが一番だ。早速カーニー将軍に書簡を送ろうか」


「どうせ生きているのが本当かどうか、本人に会わせろって言われるでしょうから、アンジェリカをこのウーレアー要塞に呼び寄せましょう。サディアス殿は万が一を考え保険の為にキルンベルガーブルグに残すべきです。アンジェリカの口から生きている事を告げさせればそれで十分ですから」


「カサンドラ、そうなるとカーニー将軍の軍をこの地まで招き入れる事になるが」


「要塞に入れなければ問題はありません。どのみち彼らはこの周辺を支配しておりましたので、地形を知られてしまうという心配は不要です。後はカーニー将軍がこちらの計略だと考えて交渉に乗ってこない事が心配ですね」


「それなら大丈夫だ。カーニー将軍はアンジェリカの事を考えて軍に身を投じたわけだからな」


 俺とカサンドラの会話にブリギッタが疑問を抱いた。


「社長はカーニー将軍をよくご存じのようですね。カサンドラもそれを不思議に思わないなんて、何かあったの?」


 その疑問にカサンドラがこたえた。


「社長とは南部で半年一緒にいたのよ。その間に敵の事を調べるのは当然じゃない」


「そういうことね」


 ブリギッタが納得して会話が終わる。

 一緒にいたユディットが要塞の復旧状況を確認したいと言うので、爆発で崩れた城壁を確認することにした。

 要塞の中に入ると、城壁の工事は終了しており、建物の建築が急ピッチで行われる。

 ユディットがブリギッタに訊ねる。


「城壁は終わったか?」


「はい。特に西側の城壁を先に復旧されましたので、そちらは問題ありません。東側については薄めにしております。万が一敵の手に落ちた場合にも、我らが取り返しやすいようになっております。西側には陛下の指示どおり武者返しという斜面を作ってありますので、この後ご覧ください。確かにあれは攻める側にとっては嫌なものですね」


 武者返しとは下の方は緩やかで、上に行くほど急な斜面になっていく城壁の技法である。一見梯子もなくのぼれそうだが、のぼっていくにつれて無理な事に気づく。そして、斜めになっているので梯子をかけづらい。守備側からしたら石や熱した油の攻撃は従来の城壁のように出来るという優れものだ。


「ふむ、話には聞いておったが実際に見てみたいな」


「では最初にご案内いたします」


 ブリギッタがユディットを案内する。俺たちもそれに続く。広い要塞を歩いて西側の城壁に辿り着く。内部から見る分には普通の城壁だ。そして、階段を使って上までのぼり、外側を眺める。


「確かにこの斜面は厄介そうであるな。しかし、我が脚力ならばのぼれそうでもあるぞ」


 ユディットが俺を見た。


「のぼるだけならね。でも、守備側には兵士がいて、矢が飛んでくるし、石は落ちてくる。それに熱した油ともなれば足も滑るだろう」


「確かにその通りか。これは居城にも取り入れたいところだな」


「城壁を改修している時に、敵が攻めて来なければね。新規で築城するのであれば、武者返しを最初から導入できるよ」


「覇業達成の暁には千年続く国の中心に、堅牢な城を築城するべきだな」


「千年後の技術の進歩で城壁が意味をなさない可能性もあるけどね」


 飛行機やミサイルが登場すれば、城壁は意味をなさなくなるだろう。千年もあればそれなりに技術は進歩するはずだ。俺はそれを知っているから、ユディットの案には乗り気ではなかったが、彼女はそれが気に入らなかったようで


「子孫のために堅牢な城を建てるべきであろう。城壁が意味をなさない未来はまだ来ず、現状は城壁によって防衛戦の勝敗が決まるのだから、つくらぬ選択肢はない」


 とむすっとしてしまった。これは機嫌を直してもらうのが容易ではないな。と心の中で後悔した。

 ユディットの性格からして守りはいらない、攻めればいいって言うと思っていたんだけどなあ。


「ユディット様、人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。どんなに立派な城塞を築いたとしても、人を上手く使う事が出来なければそれは砂上の楼閣。どんなに技術が進歩しようとも、最後に勝敗を決するのは人ですよ」


 カサンドラが仲裁に入ってくれる。ユディットはカサンドラにそう言われて、怒りを納めた。


「そうであったな。城塞にこだわったところで、千年王国が出来るわけでもない。人を育ててゆかねばな」


 ユディットが頷いた隙に、カサンドラこちらを向いて素早くウインクをした。グッジョブだ。

 武者返しに気を取られてしたばかり見ていたが、視線を上にあげてみると地平線が綺麗に見える。


「良い眺めだな」


 俺が感心していると、ブリギッタが


「これが全て社長の領地ですよ」


 と言ってきた。


「いいや、新たに取得した領地は攻め取った者に恩賞として与える」


「みんなそれが恩賞と感じられないから、社長に献上するのですよ」


「欲のない部下たちばかりで困ったものだな」


 南部ですら統治する人材が足りなくて、マルコとケビンにホルツマンまで駆り出しているというのに。なお、ケビンは御用商人という地位は変わらないが、商業アドバイザーという役職を与えて、無理矢理に父親の仕事を手伝わせている。


「もう数年経てば、今はまだ未成年の子供たちが成年しますから、それまでの辛抱ですね」


「それまでに過労死しないことを祈っていてくれ」


「社長が過労死するのであれば、私はその前に過労死してますよ」


 ハイライトの消えた目でブリギッタが俺を見る。そんなに酷使していたかなと思って振り返ると、かなり無理な仕事を押し付けていることを思い出した。


「休みは取れ。これは命令だ」


「でも、納期も守れっていうんですよね」


「そこは相談だよ。計画を立てて実行した結果を確認し、途中で計画を修正することは当然ある」


 PDCAってやつだな。ブラック企業ではないので、プランを絶対視して途中での変更をしないなんてことはしないぞ。


「それでは都度ご相談させていただきます。我が国の男どもは領地を広げたらそれで終わり、後は文官である私たちの仕事でしょうって態度が頭にくるんですよね。エルマーなんて『俺は目に一丁字も無いから』って言って、書類には目を通そうともしないんですよ」


「それは良くないな。それに本当に一丁字もない奴はそんな言葉を使わないだろう」


「そうですよね。社長からも言ってやってください。カミルだって書類には目を通しているのに」


 ステータスの知力はエルマーの方がカミルよりも高い。なので、カミルが書類には目を通しているのに、エルマーがそれをしないというのは能力の問題ではない。昔から、怠け癖があったような気はしないのだけど、ブリギッタが甘やかしすぎなのではないだろうか。


「わかったよ。次にブリギッタからそういう報告があったら軍籍をはく奪するって言っておく」


 俺がそう請け負うと、ブリギッタは焦った。


「それだと子どもが生まれた時に、父親が無職っていうこともあるから困ります」


「エルマーが仕事をすればいいだけだろ。そうやってなんだかんだでブリギッタが甘やかすから、エルマーがいつまで経っても大人になり切れないんだぞ。そんな奴に父親が務まると思うか?」


「いつかわかってくれると思うんですよね」


 なんだかブリギッタが駄目男に貢いでいるような気がしてくるが、エルマーは戦で武功をあげているので、駄目男っていう訳ではないんだよな。単に、頭を使うよりも体を動かしているタイプなだけで。


「エルマーはこの先にいるんだよな」


「はい。拡大した領地の一番先頭にいて、敵の斥候を見つける仕事をしております」


「わかったよ、会いに行ってくる。アンジェリカをここに呼びつけるにしても、彼女の到着までに時間があるしな」


「承知いたしました」


 そんなわけで、俺はエルマーに会いに行く事になった。今回ユディットはウーレアー要塞に残って書類仕事をしてもらう事になった。南部へ救援に行っていた部隊と、東部に残った部隊、それに中央に進出した部隊を再編して、クリストファーとの戦いに備えるのだ。

 そして、俺に同行するのはカサンドラとカミルである。カサンドラは占領地を実際に見て、今後の作戦を立てたいといい、カミルは近衛として俺の護衛を務めるというわけだ。

 エルマーが守備する町までは何の問題もなく到着する。そこで久しぶりにエルマーに会った。


「社長、お待ちしておりました」


「元気そうでなにより」


 俺たちを出迎えてくれるエルマー。出会った頃はカミルと体格は殆ど変わらなかったが、今では二人が並ぶとエルマーの方が一回り小さく見える。武力が84で止まってしまったエルマーの方が俺の心の補正でそう見えているのか、本当に小さいのかはわからないが。


「だいたいの話は聞いているが、敵の動きはどうだ?」


 俺はエルマーに訊ねる。


「大きな動きはありません。斥候を各地に放っている程度で、こちらの姿を見ると逃げていきます。連中、こちらと戦うだけの力が無いんじゃないですかね」


「今までは西部と南部にも兵士を出していたからな。しかし、南部を諦めて西部を平定した今となっては、この地を奪還しようとしても不思議はない。ところで、ブリギッタがエルマーが書類仕事をしないと嘆いていたが」


「えっ、社長にそれを報告したんですか」


 俺に言われるとエルマーはばつが悪そうに小さくなる。


「あまりいい加減な仕事をしていると、ブリギッタに捨てられるぞ。そうなったら俺も庇いきれないからな」


「ブリギッタが俺を捨てるなんてありえませんよ」


 ブリギッタの話になったら途端に強気になるエルマー。しかし、これでは少しお灸をすえてやらねばと、厳しい話をする。


「それはどうだろうな。ブリギッタは今仕事にとてもやりがいを感じている。そこに、本来エルマーがやるべき仕事を押し付けられて、俺の依頼した仕事が中途半端になったとしたら、彼女はどう思うだろうか?」


「それは……」


「ブリギッタのやろうとしている事は、今後千年の礎となるような事だ。間違いなく彼女の名前は歴史書に残る。それとエルマーを天秤にかけてみたらどうなるであろうな」


 青くなって泣きそうなエルマーに対してカミルが


「今からでも書類に目を通して、自分でやる事だな。まあ、独身になったとしても俺はずっと友達だ」


 という慰めをするが、効果は無かった。当然か。


「まあまあ。私も一度はブリギッタを説得してみるから」


 とカサンドラもフォローする。


「社長、俺今から書類に目を通して来ます」


 エルマーは一目散に執務室へと向かった。


「これで目的は達成かな?」


 俺が二人に問う。


「愛別離苦、愛する者と別れる苦しみに比べたら、苦手な書類の仕事をするくらいどうということは無いでしょうね」


 カサンドラが笑う。すると、カミルもつられて笑った。


「エルマーはブリギッタが甘やかしすぎなんですよ」


「カミルはローゼマリーに監視されているからな」


 俺のツッコミにカミルが渋い顔をする。


「ローゼマリーは自分にも他人にも過ぎるんですよ」


「まあ、愛し合っているならいいじゃない」


 カサンドラがカミルの背中を叩くと、カミルが真っ赤になって俯いた。


「よし、帰ろうか」


 ということで、俺たちは元来た道を戻ることにした。

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