第27話 アンジェリカ

 帝国暦516年5月、ユディットを中心としたルドルフ討伐軍はツァーベルブルグを出発すると、アーベラインブルグを目指した。一直線にルドルフを目指さないのにはわけがある。書簡を送った貴族に考える時間を与えるためである。それに、軍を動かすとなると時間もかかるので、時間稼ぎのために一度アーベラインブルグに立ち寄るというもっともな理由を用意したわけだ。

 アーベラインブルグまでの道のりには何のトラブルもなかった。盗賊の類が軍隊を襲う事はないにしても、ルドルフがなにかの計略を仕掛けてくるかとおもったが、そのようなことはなかった。

 ただし、アーベラインブルグに到着したその日に、クリストファーによってウーレアー要塞が奪還されてしまったという連絡があった。その件について、カサンドラ、ユディット、ヨーゼフと会議を行う。

 なお、カミルは特命を与えて別行動をしてもらっているので、この場にはいない。


「ウーレアー要塞がクリストファー・カーニーによって奪還されたとなると、そこを足掛かりに東部に侵攻してくるのではないか?」


 俺はカサンドラに訊ねる。


「今はその可能性は低いかと。間者の情報によれば、西部に遷都して宰相がそちらに移動したので、中央にまで目が届かないのをよいことに、カーニー将軍がまるで領主のように税制にまで口を出しているとのこと。それをリュフィエ将軍が反乱だと騒ぎ立て、カーニー将軍討伐に動きそうとのことです」


 カサンドラの言う事は小説の歴史である。クリストファー・カーニーは帝国を打倒するための足掛かりとして、旧帝都を中心に自分の領地としてしまう。宰相ルフェーブルは東と南への備えのため、そのことに目を瞑っていたが、リュフィエ将軍は看過できないと討伐軍の編成を進言する。

 その裏には皇帝をないがしろにして国を私するルフェーブルに反感を持つ、忠臣マクレ財務大臣の暗躍があった。マクレ財務大臣は皇帝の権威を取り戻すために、ルフェーブルの排除を目論んでおり、そのためにルフェーブルが支配する強力な軍の弱体化をさせるため、娘を女好きなリュフィエ将軍に嫁がせて、カーニー将軍を排除するように毎日娘からリュフィエ将軍に話をさせたのである。妻におだてられたリュフィエは自分こそが皇帝の一番の忠臣であると考え、クリストファーの排除へと動く。

 ルフェーブルが気づいた時にはリュフィエ将軍の考えは変更できないところまで来ており、ルフェーブルの説得も聞かずにクリストファー討伐軍を率いて攻撃を仕掛けるのだ。

 クリストファーもそんな動きを察知していないわけではなく、というか、マクレがクリストファーにリュフィエが貴方を狙っていると書簡を送って備えさせていたこともあり、リュフィエの急襲は失敗に終わる。

 この時マクレはリュフィエとクリストファーの戦いを長引かせてお互いを消耗させるつもりであったが、結果的に野心をもったクリストファーを生き残らせてしまう結果となって、帝国滅亡の要因を作ってしまったのだった。

 そんな状況なので、小説のクリストファーはウーレアー要塞を奪還した後は、東部に対しては要塞の防衛のみで攻め込んでは来ない。それに戦力を割いてしまえば、リュフィエとの戦いがこんなになってしまうからだ。カサンドラはそれを知っている為、先ほどのような予測となったわけである。


「どのみち、ウーレアー要塞を目指すとなると、ルドルフ討伐の兵を割くことになり、二正面の戦となれば我らに不利。今はルドルフに集中したい」


 ユディットの意見で話がまとまり、会議は終わることとなった。

 久しぶりのアーベラインブルグということで、内政の状況も気になってはいたが、それよりもオットーにアンジェリカとサディアスの様子を確認する。


「オットー、定期的に報告は貰ってはいたが、アンジェリカとサディアスの様子はどうだ?逃亡を企てるような動きはあるのか」


「サディアス殿はいまだに歩くことも出来ません。医者の話では傷の影響で、今後も歩く事や剣を握ることが難しいとのことです。アンジェリカ殿がサディアス殿を置いてここを去るという選択肢もなさそうですが、仮に逃げたとしても女一人ではアーベラインブルグから脱出するのは難しいでしょう」


「しかし、あの美貌だ。監視している兵士が篭絡される可能性もあるのではないか」


「そちらについても、上官が兵士を監視するようにしておりますし、アンジェリカが篭絡しようとしてきたことを報告すれば、一生遊んで暮らせるほどの褒美を取らせるとしてあるので、動きがあれば察知できます。むしろ――――」


 というところでオットーは言葉を切った。


「むしろ何だ?」


 俺が発言を促すと、オットーはしぶしぶといった感じで口を開いた。


「マクシミリアン様を篭絡しようと狙ってくるのではないでしょうか。今までは不在でしたのでそうも出来ませんでしたが、アーベラインブルグに駐留されている今ならチャンスと考えてもおかしくはありません」


「ふむ」


 その可能性について考えることは無かった。何故なら、俺は別世界の俺の命がかかっているので、アンジェリカを手に入れられるとしても、クリストファーとの戦いにおいての切り札を自ら捨てるような事はしない。だが、オットーはそんな事情を知らないので、俺が篭絡される可能性を考えたのだろう。そして、それは本人にはとても言いにくい事だ。


「気を付けるようにしよう」


 アンジェリカとサディアスの確認が終わったので、カサンドラとブリギッタを呼んで内政の話をすることにした。

 ブリギッタは夏休み終了直前の宿題の終わってない子供みたいに、絶望が顔に現れていた。


「社長と一緒に遠征していたので、人材育成の方が止まっておりました。これを今から挽回するかと思うと、いつ寝られるのか心配です」


 年度目標が決まっており、それを達成するためにブリギッタには強大な権限と莫大な予算を与えてある。目標を達成するのは当然ながら、それを大きく上回る成果が出れば追加の報奨を与え、未達であればペナルティを与えることになっている。

 遠征に参加したことで遅れたが、それをもって計画の遅れを正当化させるかは今のところ決めていない。俺たちが帝都に行った時に砦を守っていたというのもあるのだが、あまり優しい顔をすると他の家臣たちから依怙贔屓と言われかねないのだ。


「エルナを付けてやりたいところだけど、今回のルドルフ討伐には参加させて、こちらの正当性を目一杯アピールしたいからなあ。育てた孤児たちは計算や読み書きは出来るけど、国家の仕組みづくりを任せられるほど優秀な人材は今のところいない。東部が平定出来れば少しはカサンドラにも手伝わせてやれるんだけど」


「この忙しさだと、子供を作っている場合じゃないですね。エルマーがツァーベルブルグに赴任している間にも、仕事を進めておかないと」


「エルマーが会いに来られないように、色々と仕事を押し付けておこうか?」


「それはそれで社長を恨みます」


 ブリギッタに睨まれたので、あまり無理しないようにと言って話を終わらせた。

 ブリギッタが退出した部屋で、カサンドラに質問される。


「年度目標が未達だった場合、ブリギッタを処罰されるおつもりですか?」


「未達度合いにもよるけど、人材育成を内政の柱に据えているのだから、それが遅れたとなればなんらかの形でペナルティを与えないとならないな。まだ半年あるから挽回は可能だと思うけど、戦争に行かずにブリギッタの補佐が出来る人材となると、今のところ思いつかない。今後、バルツァー公爵とも戦うことを考えたら、なんとかしないといけないんだけどね。ブリギッタにも戦場に出てもらうことになりそうだから」


 大きなため息をつくと、カサンドラもため息をついた。


「東部の人材が少なすぎるんですよ。作者とやらに会ったら文句を言ってやりたいですね」


「まったくだ。クリストファーのところなんて軍人ばかりなのに、内政も完璧にこなしているんだからな。元々開発の進んでいた中央を押さえて、内政がまともなら軍資金も豊富に集まってくる事だろう。羨ましいよ」


 そんな話をしていたら、祝勝会の開始だからと部下が呼びに来た。ルドルフ討伐に出発したのだが、ツァーベル伯爵を倒したことの祝勝会を開いていなかったので、オットーが企画してくれたのだ。

 祝勝会は和やかななムードで終わり、俺は寝室にやってきた。

 尚、ユディットとカサンドラは別室となっており、寝室では一人だけだ。これはうっかり手を出して妊娠させないための処置である。ユディットもカサンドラも俺が求めれば拒否はしないだろうから、俺が誘惑に負けないようにするために、一緒に寝ないようにしているのだ。

 明日はまたアーベラインブルグを出発して、ルドルフ討伐に向かうので早く寝ようと思っていたら、入り口を守る兵士が呼びかけてきた。


「アンジェリカ殿が閣下への面会を希望されておりますが」


 アンジェリカが俺のところに来たのか。これはオットーが心配していたことが事実となったな。しかし、ここでアンジェリカとサディアスを逃がす訳にはいかない。アンジェリカは籠の中の鳥であると認識させるためにも、一発ガツンと言ってやろうと思い入室を許可した。

 室内に入ってきたアンジェリカはアフロディーテが裸足で逃げ出すほどの美しさを纏っており、ろうそくの明かりに照らされる金髪は、ミダス王が触ったのではないかと思うほどの輝きを放っていた。

 これはうっかり篭絡されるかもしれない。


「夜分に面会の無礼をお詫び申し上げます」


 アンジェリカは頭を下げた。


「無礼とわかっていながらも、そうせざるを得ない事情があったのでしょう」


「はい」


 と言ってから、アンジェリカは少し悩む表情を見せた。


「どうしましたか?明日も早いので言う事が出来ないのであれば、寝かせていただきたいのですが」


 俺は意地悪くそういうと、アンジェリカは意を決して話し始めた。


「私には閣下に差し出すものが体以外にございません。ですから、お願いの対価としてこの体を閣下のご自由にしてください」


「それはお願い次第だな。私には妻が二人いて、女性には不自由していないので」


「存じております。なので、娼婦のように扱うのでも構いません」


 アンジェリカは必死に俺にうったえてくる。どうしてそんなに必死なのかわからないが、俺を篭絡して逃げる隙を伺うにしても、もっと愛嬌を振る舞うとかやりそうなものだと思う。なので、その必死さの裏側の事情を話すように促した。


「では、早くお願いとやらの内容を教えて欲しい」


「サディアスの治療を続けていただきたいのです」


「それだけか?」


「はい」


 彼女は力強い目線でこちらを見てくる。


「閣下はクリストファーの姉である私の身が必要なのでしょうけど、サディアスまでは必要としておられないのかと。ですが、私はサディアスが死んでしまうのを見たくないのです。敵兵として処刑されるのも耐えられませんし、治療の終わってない体で放り出されても直ぐに死んでしまうでしょう。だから、私の体と引き換えに、サディアスをこれからも生かして欲しいのです」


 アンジェリカの必死さに納得がいった。サディアスの後を追って自殺するような彼女は、俺の気分次第でサディアスが殺されてしまう事を危惧したのだ。

 勿論、俺はクリストファーがサディアスも大切にしていることを知っているので、サディアスも人質として使う気満々だ。だから殺してしまうような事はしない。でも、アンジェリカはそんな俺の考えを知らない。だから、体を差し出してでもサディアスの助命を願い出たのだ。

 俺は悩むふりをして少し時間を置く。

 そして、口を開いた。


「体を差し出すという言葉に嘘偽りはないでしょうね?」


「勿論です。どんな恥辱にも耐えてみせます」


「よろしい。ではついて来てくれ」


「ここではないのですか?」


 俺のついて来てくれという言葉にアンジェリカは困惑した。俺はお構いなしに彼女の手を引くと、部屋を出る。

 外に出ると、部屋を守っている兵士が驚いて固まったが、直ぐに俺に敬礼した。

 兵士に見送られて俺は廊下を歩いて、ブリギッタの執務室を目指す。


「ブリギッタ、喜べ。部下を連れてきたぞ」


 俺が部屋に入るなりそういうと、ブリギッタは驚きをもって迎えてくれた。


「部下ですか?私の見間違いでなければアンジェリカ妃に見えますが」


「そうだよ。彼女が身を差し出すと言ってくれたので、ブリギッタを手伝わせることにした。辛くても耐えてくれるということだけど、週に1日の休暇と、出産育児休暇は取らせてやってほしい」


「いいんですか?」


 ブリギッタは疲れ眼で俺とアンジェリカを交互に見る。

 アンジェリカはブリギッタの質問に首肯したが、彼女もまた戸惑っている様子だ。

 ブリギッタに説明はしていないが、アンジェリカのステータスは高い。彼女を鑑定した結果は次の通りだ。


アンジェリカ 25歳

武力31/A

知力89/S

政治78/S

魅力100/S

健康100/A

忠誠30(+70)


 忠誠はサディアスが生きているならという条件だ。


「アンジェリカが働くのは惚れた男のためだ。遠慮はいらないぞ」


「そういうのを聞くと遠慮するじゃないですか。私だって新婚で愛する旦那様がいる身ですから」


 ブリギッタはチラリとアンジェリカの方を見た。


「だから週に一度は休みを取らせて会えるようにするし、出産育児休暇は与えるという条件なんだよ」


 アンジェリカとサディアスは別々の部屋で暮らしているが、面会に設けている制限は兵士の立ち合い程度だ。今は日中ずっと会う事が出来るが、仕事をするとなるとそうもいかない。なので、休日を設定している。勿論、アンジェリカを使い潰すつもりもないというのもあるが。

 出産育児休暇は子供を作ろうとしても、兵士が監視しているので今は難しいと思う。どのみち、サディアスがそれどころではないので、まあ将来的な褒美だな。


「あの、出産育児休暇というのは何でしょうか?」


 アンジェリカはピンと来なかったようで、出産育児休暇が何であるのかと訊いてきた。この世界は労働基準法などないし、女性の権利どころか労働者の権利という概念が薄い。出産育児ともなれば女性は解雇されるのが一般的だ。女性が働ける職種も少なく、需要と供給のバランスが取れていないため、女性労働者の替えはいくらでもあるという経営者の考えもある。

 俺としては優秀な女性に離職されては損失が大きいので、手放さないために制度化したのだが、他の領地では一般的ではないので、アンジェリカが知らないのも無理はない。

 こうしてアンジェリカがブリギッタの部下となって、教育制度の策定が進むこととなった。


 翌日、行軍していると同じ馬車に乗るカサンドラが俺に質問してきた。


「アンジェリカ様に随分と手厚い福利厚生を与えましたね。何か考えがあっての事でしょうけど?」


「まあね。人を服従させるには希望を奪うか与えるかだよ。抗うのを諦める位徹底的に全ての希望を奪うか、服従の先にいつかこの辛い状況が終わるという希望が見えるかだ。アンジェリカは希望が無くなれば生きようとする気力がなくなって、死を選ぶのが見えていたから、好きな男との子を作って暮らせる未来を見せた。サディアスが回復するのかはわからないけど、俺がクリストファーを倒せば彼女を拘束する理由は無くなる。その時は自由にしてやるつもりだよ」


「好きな男性と結ばれるのには、弟が死ななければならないって残酷ですよね」


 カサンドラが勘違いをしていることに気づいて訂正する。


「そうでもない。クリストファーが降伏してくれたら、命まで取るつもりは無いからね」


「随分とお優しいことで。寝首をかかれる心配はしないのですか?」


「それについては、統一すればゲームクリアーだから俺が殺されるような事は無いと思っている」


 そこで心の中でゲームマスターに問いかける。


「実際のところどうなんだ?」


「統一したら待っているのは自然死だよ」


 そう回答が来たので一安心だ。

 カサンドラは俺の答えに納得すると、安心したのか寝始めた。

 彼女も夜遅くまでブリギッタを手伝っていたのを知っているので、そのまま寝かせておく。やはりカサンドラはブリギッタと仲が良く、友人のピンチを見てみぬふりが出来ずに無理をした。アンジェリカが居なかったら、きっとカサンドラは陣中からでも無理してブリギッタへのアドバイスをしていた事だろう。

 俺はすやすやと眠るカサンドラを見て、そっと毛布をかけた。

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