第26話 結婚
帝国暦516年4月、俺がツァーベル伯爵を倒して領地を奪い取ったことで、バルツァー公爵にそそのかされてキルンベルガー侯爵の寄り子の領地を攻めていた貴族たちは撤退した。攻められていた領主たちがキルンベルガー侯爵家を見限って、俺の寄り子となる事を宣言したためであり、既に占領をしていた者たちは占領を続けるが、そうでないものたちは俺と戦う事を避けた形だ。
いまや俺も伯爵を名乗って、周囲の貴族をまとめ上げる寄り親というわけである。もっとも、バルツァー公爵だけはキルンベルガー侯爵領を攻め続けているが。
そして、戦いで最も功績をあげたカミルが俺のところに帰還した。俺のところといってもアーベラインブルグではなく、ツァーベル伯爵の居城があるツァーベルブルグにである。
俺の方も占領したばかりの土地を安定させなければならないため、3月からここを離れる事が出来なかったのだ。そしていま、カミルをねぎらうために主だった家臣が城にある謁見の間に集まっている。
「閣下、ただいま戻りました」
臣下の礼をとるカミルを見ると少しくすぐったい気持ちになる。
「御苦労。まあなんだ、カミルに閣下と呼ばれるのは首筋がかゆくなるな」
手で首を擦りながら苦笑いすると、カミルも苦笑した。
「俺も貴族になりましたし、いつまでも礼儀作法が路上生活の孤児のままという訳にはいきませんよ」
その言葉に場が笑いに包まれる。
「で、欲しい領地は決まったか?」
「そうですねえ、欲を言えば閣下のすぐそばがいいです。そうすればいつでも駆け付けられますから」
カミルは真面目な顔でそう言った。たしかに、旗本のような立場で俺の居城近くにいてくれると安心だ。しかし、今後は帝国統一の為、俺は政治の中心都市をころころ変えていくことになると思う。そのたびに転封移封していたのでは大変だろう。
そんなことを考えていたら、一つ思いついたことがあった。
「わかった。じゃあ領地は領地として与えるが、そのほかに近衛の称号を与える。そうすればいつでも近くに居られるぞ。それに、カミルに領地経営が出来るとも思えないしな。代官はブリギッタに選ばせよう」
「俺が近衛――――」
カミルが喜びのあまり言葉を失った。
「不満か?」
「いえ!命に代えても社長をお守りいたします!」
思わず社長という呼び方に戻ってしまったカミルをカサンドラが笑う。
「社長呼びに戻ってる」
「あああああああああ」
カサンドラの指摘にカミルは頭を抱えた。それをみて爆笑が起こる。
カミルは顔を真っ赤にして恥ずかしがり、右手で顔を押さえて左手を俺の方にひらいて突き出した。ちょっと待ってのポーズだ。
「閣下の近衛として恥ずかしくないよう精進いたしますので、もう少しお時間をください」
「待ってるよ」
「はい」
そんな緩んだ空気の中、突如としてシステムが情報を伝えてくる。
―― ディートリッヒ・キルンベルガーが死亡しました ――
―― ディートリッヒ・キルンベルガーの支配地域がルドルフ・キルンベルガーのものになりました ――
小説の通りにディートリッヒがルドルフに討たれたのだった。
「カミル、本当にご苦労だったな。ゆっくり休んでくれ。本日はこれで解散とする。カサンドラは残ってくれ」
そうしてカサンドラ以外は退出した。広い部屋に二人きりである。
「社長、どうされましたか?」
「ディートリッヒが討たれた」
「予定通りですね」
カサンドラは小説の歴史を知っているので驚きもしない。
「さて、ツァーベル伯爵の領地を得たことで、一部がバルツァー公爵の領地と接することになった。小説のアドルフはツァーベル伯爵の領地で内政に力を割いたので、バルツァー公爵がキルンベルガー侯爵家を滅ぼすのを見ていただけだったが、俺たちはどうしようか」
小説の流れと違うのは、俺の元に多くのキルンベルガー侯爵の寄り子が集まった事だ。そして、ツァーベル伯爵を討ち取ったのも小説よりもはるかに早い。アドルフと比べて人材が豊富だからだな。
ここで一度状況を整理すると、帝国東部の最大勢力であるバルツァー公爵は東北部を支配している。そしてその南側にあるのが東のツァーベル伯爵、西のキルンベルガー侯爵である。まあ、多少の小規模領主がいるのだが、大きな勢力とはなっていない。
帝国を中国の地形に例えるならば、黒竜江省、吉林省、遼寧省、内モンゴル自治区がバルツァー公爵の領地で、河北省、山東省がツァーベル伯爵の領地、山西省、河南省、安徽省、浙江省がキルンベルガー侯爵の領地である。
で、アーベライン子爵領は安徽省と浙江省の間くらいの位置というイメージだ。あくまでもイメージだが。勿論、これには寄り子の持っている領地も含んでいる。
そして重要なのは、ルドルフの領地は俺によって海につながるルートを遮断されたということ。これで塩の流通を止めれば財政的にもかなり疲弊するだろう。というのをカサンドラが提案してきた。
「塩の流通を止めてしまえば、高くとも塩を買わざるをえないでしょう。そうすれば軍資金が減り、戦力を削ぐことも出来ると思いますが」
「そうなんだけど、それをした結果領民に恨まれると、領地取得後の内政に問題が生じそうなんだよね。それならばルドルフを正当な後継者と認めて、バルツァー公爵との戦いにおいて支援しながらお互いを消耗させるかだな」
「それですと、ルドルフを討つ大義名分が無くなってしまいます。それにユディット様とエルナ様が反対なさるでしょう」
「そうなんだよなあ。それならば先にルドルフを討つか。ユディットには旗頭となってもらおう」
「わかりました。その方針で作戦を立案いたします」
いつもと変わらない口調のカサンドラをまじまじと見た。彼女も俺の視線に気づく。
「どうされましたか?」
「いや、冷静だなと思ってね。これからの事を思うと」
これからの事とは、ユディットにキルンベルガー侯爵の正当な後継者を名乗ってもらい、それを俺が支援する理由として結婚をして夫婦になるというものだ。侯爵を名乗るため、ユディットにはあえて爵位を与えなかったのである。
前世の知識からどうしても側室という考え方になじまず、一夫一妻制という常識がある。俺の事を好きだと言ってくれたカサンドラを差し置いて、政略結婚でユディットと夫婦になることに俺は抵抗があった。
「社長のこれからなされる覇業を考えたら、夫婦となる宣言など小さな事です。それに、結婚だけが愛の証拠だとも思ってませんしね」
それを聞いたら我慢が出来ず、カサンドラを引き寄せてキスをした。
唇を付けると、最初は驚いて目を丸くしていたカサンドラも、少ししたら目を瞑って体を俺にあずけてきた。その先に行きたいところだけど、今カサンドラに妊娠されて出産育児休暇を取られると命の危険があるので、そこは理性で押しとどめた。上半身の知性は制限がかかっているが、下半身の理性には制限はないようで良かった。
唇をはなしてから、もう一度カサンドラを抱きしめる。
「ありがとう」
と感謝の言葉が自然と出た。カサンドラは春の陽気のような心地よい笑顔を見せた。
「そのお気持ちがあれば、他に望む物はありません」
こうして俺はユディットと正式に結婚して、キルンベルガー侯爵家の正当な後継者としてのユディットを支えるという大義名分を得て、ルドルフを討つという方針を決定した。
一週間後その方針を伝えるために、ユディットとエルナを呼ぶ。執務室には俺とカサンドラとユディットとエルナの四人が集まった。執務室にはツァーベル伯爵の集めた豪華な調度品が多数あり、触って落としたらどうしようと、毎回入るたびにビクビクする。
そんな俺とは対照的に、エルナは遠慮なしに高価そうな壺を手で触る。
「流石伯爵、見る目はあったという事か」
「壺の良し悪しがわかるのですか?」
俺の問いにエルナはニヤリと笑う。これは見下している目だな。
「貴族として持つべき教養だよ、伯爵閣下。騙されて偽物を掴まされるような事が他家に知られたら、社交界で長く笑いものにされるからな」
「今度機会がありましたら、目利きの方法をご教授願います」
「よろしい。ユディットも目利きが苦手だから、二人まとめて教えてしんぜよう」
ユディットが目利きが苦手なのは初耳だったので、確認するべく視線を彼女に向けると、慌てて目を逸らした。どうやら事実らしい。
ユディットは咳ばらいを一つすると、
「それで、我ら姉妹を呼んだ理由はいかなるものでしょうか」
と話題を変えた。
「ディートリッヒ様がルドルフに討たれた」
俺の口からそう伝えるとふたりは少し驚いたが、それだけだった。事前に形勢不利は伝えてあったので、ある程度は予想していたのだろう。なお、カサンドラとの話し合いから一週間後にしたのは、討たれた情報が伝わるのに不自然さがない日程にしたためである。
「そうか」
とエルナは言ったきり黙る。
「それで、我が軍はキルンベルガー侯爵の仇を討つために動こうと思う。かねてより相談していた通り、ユディットにはキルンベルガー侯爵の正当な後継者を名乗ってもらう。そして、俺と結婚することでアーベライン伯爵軍が動くための大義名分を得る」
それを聞いてユディットは首肯した。
「式はどうするのか?」
エルナは結婚式をどうするつもりかと訊いてきた。
「侯爵が亡くなってから日が経っておりませんので、喪にふくすためにも大々的に執り行う訳にはいきません。宣言のみでよいかと――」
俺の発言中にユディットが手を握って来た。
「皆に祝ってもらわなくてもよい。が、神の前で結婚の宣言をさせてはもらえぬか?」
そう言ってきたユディットの顔を見ると、真っ赤になっていた。そして、俺の目を見てこない。それで凄く照れているのがわかった。それが単なる政略結婚で終わらせてはならないという気持ちにさせる。
「わかりました」
「では、今から城にある聖堂に行こう」
強く手を引かれて驚く。
「今からですか?」
「駄目か?」
シュンと委縮してしまったユディットを見て駄目とは言えなかった。
「いや、いまから行きましょう」
打って変わってパッと明るくなったユディットは、カサンドラの手も引いた。
「カサンドラも一緒に行こう」
「私もですか?」
「そうだ。貴殿はマクシミリアン様の事を好いておるだろう。ならば一緒に神に結婚の宣言をしようではないか。嫌か?」
「嫌じゃないです。ただ、私なんて身分が違いすぎるから」
遠慮するカサンドラにユディットが優しく話す。
「カサンドラも貴族ではないか。しかも貴族の子女ではなく当主なのだ。何を身分で遠慮することがあるか。さあ、共にマクシミリアン様と結婚して夫婦の契りを」
「はい」
カサンドラが力強く頷き、三人で手を取り合って聖堂へと向かった。
その日、聖堂にて俺達三人は神に結婚の宣言をした。そして翌日、家臣を集めてユディットとカサンドラとの結婚の報告と、ユディットがキルンベルガー侯爵の後継者として侯爵を名乗ることを告げた。そして、父殺しのルドルフを討つことをユディットが宣言する。鎧をまとったユディットには神々しさが漂う。
「現在キルンベルガー侯爵の喪にふくしているため、結婚の言祝ぎは不要である。それに、父の仇を取らねば、あの世で父にも祝福されることは無いだろうな。皆の者、どうかルドルフを討つために力を貸してほしい」
それを受けて俺が発言する。
「俺は我が妻の願いを叶えようと思う。意見のある者はあるか?」
当然ながら、反対意見は出てこない。
「では、これからの予定について軍師から説明を」
俺に促されてカサンドラが説明を始める。
「侯爵を僭称するルドルフを討つために侯爵閣下、伯爵閣下を中心として5,000の兵で敵の本拠地であるキルンベルガーブルグを目指します。しかし、バルツァー公爵とその他の貴族の動向にも注意を払わねばならないため、イェーガー卿は5,000の兵をもって北部の砦を守備していただきたい。エルマーは3,000の兵でツァーベルブルグの守るように。南部の砦にはアインハルトが2,000をもって向かうように。ブリギッタはアーベラインブルグに戻り、オットーと共に内政を。シュプリンガー卿とエルナ様は侯爵閣下に同行していただきます」
エルナはユディットの侯爵家継承を認めるということを知らしめるために同行してもらう。そして、その護衛はヨーゼフだ。正直、もっと連れていきたいところだけど、カミルも近衛に任命したために連れていくことになり、留守を任せる武将を考えるとこうせざるを得ない。
「ルドルフを討つための兵士が少ないのでは?」
エルマーがカサンドラに質問をした。
「それについては、キルンベルガー侯爵の寄り子だった貴族に書簡を送り、ユディット様とルドルフのどちらにつくか態度をはっきりさせます。ユディット様につくのであれば兵をつれて馳せ参じよ。ユディット様がルドルフを討つ前にこちらにつく態度を見せればよし。そうでなければルドルフ派として討伐対象とするとね」
「それだけで、こちらの味方になってくれたら楽なんだけど、うまく行くかなぁ」
「その書簡にはルドルフが侯爵様暗殺の犯人である証拠を掴んだと付け加えます」
カサンドラのその発言に、みんなの注目が集まる。
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