第24話 姉として
帝国暦516年3月、2月から続く戦争で、俺はツァーベル伯爵の領地に逆侵攻をかけていた。各都市には兵士の姿はほとんどなく、俺たちの姿を見ると簡単に降伏した。
そして、戦地への輸送のため集められた物資を接収し、積み上げられたその物資の確認をする。
「用を国に取り糧を敵に因るを実践できるか」
ポツリとそう言うと、横にいたカサンドラがその意味を聞いてくる。
「どういう意味でしょうか?」
「軍資金や武器は自分の領地のものを使うけど、食い物は敵地のものを奪うってことだよ。戦争で金がかかるのは輸送だ。食い物を遠くまで何度も送れば、金はかかるし輸送する人員も疲弊する。それならば、敵地の食い物を奪う方が何倍も効率が良いってわけだ。まあ、言うは易し行うは難しで、敵地の食い物をそう簡単に奪えることはなかなかないんだけど」
「では、その稀なケースがこれだと」
「そうなるね。まあ、これだけの物量になってしまうと、結局管理するための兵士が大量に必要になるんだけど」
ため息交じりに積みあがった物資を見上げる。
管理するための兵士が足りていないので、管理はベッカー商会に委託してある。兵糧以外にも軍資金としての金塊とか宝石の類も大量に接収できたので、それらをベッカー商会への支払いにあてているので、金銭的な余裕もあるので問題はない。
これらの物資の一部はカミルの部隊へ送っている。こちらと違って、カミルが戦っている場所は元々キルンベルガー侯爵の寄り子の領地、つまりは味方の領地なので現地で物資を接収するわけにはいかない。
そして、あちらも順調に捕虜を寝返らせて兵士数を増やしているので、必要とする兵糧はどんどん増えている。アーベンラインブルグ経由でカミルからの物資の追加要請が矢のように飛んできているので、それに対応するために、ツァーベル伯爵の領地から送っているのだ。ただ、実際にはアーベライン子爵領から送った分を、こちらから送って補充している形になっている。
それでも、自領内の物資が減っているわけではないので、物価高騰はおこっておらず、領民の生活は苦しくはならないので反乱の心配はない。むしろ、占領したツァーベル伯爵の領地での物資欠乏の方が後々の火種となりそうだ。
「早いところ、この戦争を終わらせないとな」
ポツリと本音が漏れたのをカサンドラに聞かれた。
「そうですね。この戦争でまた新たな孤児が生まれたかと思うと、一刻も早い終結をさせないといけないという気持ちになります」
自分の境遇と重ね合わせて沈む彼女の頭をやさしく撫でる。
「カミルも頑張ってくれているし、ツァーベル伯爵にはもう外に出て戦争をする力はない。自分の領地を守るために一度引いてこちらに向かってくることだろう。そうなれば、決着をつける良い機会だ。一度の戦いで討ち取って、早いところこの戦争を終わらせようじゃないか」
「はい」
とカサンドラは頷いた。
状況を説明しておくと、ツァーベル伯爵は他の貴族よりも先にキルンベルガー侯爵の寄り子の領地を切り取ろうと、戦力を分散して戦線を広げてしまった事で、俺の軍との戦いに於いて数的有利を確保出来なくなった。そのせいで、負けるにしてもあっさりと負けてしまい、他の領地を攻めている部隊を応援にまわすことが出来ていない。そこをカミルによって各個撃破されて、遂に残るは伯爵の本体のみとなってしまったわけである。
さらに、伯爵の本体は占領した地域の支配のため、全軍を俺の方に差し向けるわけにはいかなくなった。その結果、こちらの兵士数が約2,000人であるのに対して、戻ってくる伯爵の軍は1,500人程度となっている。待ち構えるこちらの方が兵士数が多いので、圧倒的に有利な状況となっている。
この場面は小説だと、まだまだ数の多いツァーベル伯爵をジークフリートとヨーゼフの武力によってギリギリの戦いを制して伯爵を討ち取って、奇跡の勝利をつかみ取るという話になっている。
小説ではカミルが登場せず、彼と同じ活躍をする武将が登場しないから、ツァーベル伯爵がアドルフを侮って全兵力を差し向けてこなかったのが幸運という描写だったかな。
「それで、伯爵を迎え撃つ準備は大丈夫か?」
俺はカサンドラに訊ねる。
「はい。社長が確認した敵の進軍ルートから、丁度良い広さの平原を選択しました。ここで準備をして伯爵の軍を迎撃します。事前に陣地を構築しておけば、相手に陣地構築中のところを攻撃されることもありませんし。それに、陣地構築以外にも色々とやっておきたいことがありますので。既にジークフリート殿が兵を率いて出発しておりますので、こちらもそろそろ行きましょうか」
敵の進軍ルートは定期的に確認してカサンドラに伝えてある。その情報を元に、彼女が作戦を立案してくれているのだ。敵よりも多い兵士で待ち構えるという最高の形で準備できるので、万に一つも負ける事はないだろう。
「わかった。カサンドラが立ててくれた作戦なら間違いないだろう。問題はここに誰を残すかだなあ。事務処理を考えるとブリギッタかエルナ様だけど」
ここで誰を残すかで頭を悩ませる。
「エルナ様はヨーゼフ殿にべったりですからね。エルナ様を残すのであれば、ヨーゼフ殿もここに残る事になるでしょう」
「ヨーゼフを置いていくのもなあ」
ここで大きなため息が出る。エルナは一応俺の家来となっているが、キルンベルガー侯爵家の威光がなくなったわけではないので、今のところ強く命令することはしていない。当の本人は後宮でヨーゼフが駆け付けた時から恋心を抱いているらしく、ヨーゼフと離れて作戦行動をとることを認めてくれない。
ヨーゼフの武力は戦場で使いたいところであるが、そうなると残していくのはブリギッタとなるのか。ブリギッタを残すのであれば、ここに残るのはエルマーになるのだが、エルマーも戦場で経験を積ませてステータスを成長させたい。
「エルナ様とヨーゼフ殿を置いていけばよろしいではございませんか。ジークフリート殿とエルマーがいれば十分です。それに、物資が集積しているこの場所も重要ですので、ヨーゼフ殿が居ても役が不足するという訳ではありません」
「それもそうか」
ヨーゼフは既に成長の見込みはないくらいに完成している。エルナもステータスの適性を見れば戦場で育てるような武将ではない。となれば、ここを守ってもらうのでも問題はない。
方針が決まったので、この後会議でヨーゼフとエルナが残るようにと伝えた。
「ヨーゼフとエルナ様はこの地に残り、周囲の服従していないツァーベル伯爵の勢力に睨みをきかせてもらう。そして、物資を確実にアーベライン領とこちらの前線に届けてほしい」
「ええっ、兄貴が既に準備しているのに、俺は残るんですか」
ヨーゼフは口吻をとがらせて不満をあらわにした。だが、エルナがその腕を取る。
「よいではないか。この地にとどまり物資を管理し、安全に送り届けることも立派な軍事行動である。それに、大多数の部隊を残せないとなれば、万が一敵が攻めてきた場合はヨーゼフくらいしかその状況を覆せる剛の者はおらぬではないか」
「言われてみれば、兄貴がいない今となっては俺が一番か」
ヨーゼフは手玉に取られて鼻の下を長くする。エルナのこういう才能はユディットには無いのが残念だな。後宮で揉まれて身につけたのだろうか。
さて、エルナとヨーゼフの問題は片付いたので、残りはツァーベル伯爵との最終決戦のことだ。こちらはカサンドラから説明がなされる。
彼女はテーブルの上に地図を広げると、ジークフリートが先発して陣地構築をしている平原を指差した。
「斥候からの情報では、敵の進軍ルートと速度からこの地が決戦の場所となるはずです。現在大急ぎで移動しているとのことなのですが、急ぐ理由はこちらが伯爵領の物資を多く接収したことにより、彼らの前線まで物資が届かなくなってきたというのがあります。現地調達にも限界がありますから、一刻も早く我々をこの領地から追い出したいのでしょうね。つまり、急ぎの移動で疲弊した敵を十分準備して迎え撃つので、難しい戦いではないということです。少々厄介なのは敵の騎兵くらいですが、それも策を考えております」
「ま、カサンドラがそう言うなら大丈夫だろうな。何か意見のある者は?」
俺は参加者の顔を見まわすが、誰も意見を言う者はいなかった。カサンドラは名実ともに我が軍の軍師であり、過去に於いてもその作戦にミスがないので、反対意見は出ない。時折、確認のための質問があるくらいだ。
「では、エルナ様とヨーゼフ以外の者は直ぐに出立出来る準備を。早く到着すればその分休息が取れるからな。解散!」
そう言って部屋を出ようとしたが、エルナに呼び止められた。
「子爵殿、ルドルフとディートリッヒの争いはどうなっておるのか?」
その質問にユディットも足を止めて俺を見てくる。
「密偵からの情報ではディートリッヒ様の方がかなり不利な情勢だとのこと。これはやはり、準備を進めて事を起こしたルドルフ殿に軍配が上がりそうですね」
「ディートリッヒから、受入の要請などはないか?逃げ延びるにしても、今の情勢では寄り子では子爵の領が一番安全かと思うが」
「オットーからはそのような連絡は受けておりません。それに、他領に打診しているという情報もありません。カミルが解放した領地への打診であれば情報が入っていてもよいとは思いますが、そういった報告も上がってきてませんから」
俺の情報にエルナは落胆する。
「意地を張らずに逃げれば良いものを」
「姉上、ディートリッヒ兄上はここが自分の矜持を見せる場面だと考えているのでしょう。父殺しの汚名を着せられ逃げ延びたとて、その汚名を雪ぐことは出来ません。戦って勝つことで己の正しさを証明すべきというのであれば理解は出来ます」
ユディットの言葉を聞いてエルナは自嘲気味に笑う。
「以前の私であればそう考えたであろうな。世継ぎを作ることも出来ずに後宮を追い出された身としては、プライドを捨てれば楽に生きられる道もあると知ってしまったのだよ。私がディートリッヒの立場であれば、たとえルドルフに打ち勝とうともキルンベルガー侯爵家の没落は阻止できぬとわかって、生き残る道を模索するであろうな。父の仇は討ちたい気持ちはあるが、現実的ではない。あの世で父になんと言われるかはわからんがな」
エルナはの言う事は正しい。キルンベルガー侯爵家の家臣は二つに割れており、その衝突によってどんどん死亡している。この兄弟の争いが収まったとしても、領地を運営するための家臣が足りないのだ。
その状態で周囲の貴族たちと戦わねばならず、時間が経てば滅ぼされるのは目に見えている。ましてや、寄り子たちも助けてくれないような貴族を寄り親とはしないだろう。実際にグーテンベルク男爵など助けた貴族たちは、俺を寄り親としたいという打診をしてきている。
そんな状況なので、生き残りたければ逃げるくらいしか選択肢がないのだ。しかし、ディートリッヒは小説では逃げ出すことはせずに、ルドルフと戦って戦死する運命となっており、ここでの行動もそれに倣っている。あとは、彼が生き残る事が出来るとすれば、それは俺がディートリッヒが討ち取られるよりも早くルドルフを倒すことだけだろう。
だが、多分それは間に合わない。ツァーベル伯爵を倒したとしても、直ぐに他の場所に攻め込むには人材が足りず、獲得した地域の防衛を固める方が優先されるからだ。ここでの優先順位を間違うと、バルツァー公爵に足元をすくわれかねない。
「姉上、変わられましたね。以前であれば自分の命よりも評価を優先されていたと思いますが、今はそのような選択をされなくなるとは」
「無様か?」
ユディットの感想に対してエルナが気分を害し、ユディットを睨みつける。ユディットはそれに気づくと慌てて否定した。
「いや、無様などということではありません。どちらが正しいのかはわかりませんが、私とてディートリッヒ兄上には生きていてもらいたいです」
「そうだな。貴族などといっても、実際には平民よりも生きづらいのかもしれんな。何よりも体裁を重んじ、そのために命を投げ出す。その体裁にいかほどの価値があるというのだろうか」
エルナを見ての感想は、吹っ切れた人間というものだった。負っていた重責が無くなった今、彼女を拘束するものは何もない。だからこそ、軍に於いてもヨーゼフとべったりだったり出来るわけだ。
「姉としてしてやれることといえば、弔い合戦くらいなものか」
エルナは最後は悲しそうに天井を見上げ、そう言うと部屋から出ていった。
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