第20話 エルナ
帝暦516年1月25日、新年を道中で迎えてから帝都に到着すると、そこは帝都とは思えないような輝きのない都市だった。既に宰相たちは西部へと移動しており、捨てられる帝都に残る者たちは移動するだけの力が無いものたちなので当然か。
往来の人通りはあるが、活気に満ち溢れているとは言えない。というか、行き交う人たちはみな顔に悲壮感が漂っている。どんよりと曇った冬の空がそのまま気分に反映されたかのようだ。まあ、建国から500年以上ものあいだ首都として機能しており、そこに居を構えたり商売の拠点として今後も変わることないと思っていた人達は突然それが裏切られたわけだから、その失望感たるや相当なものであろう。
小説では衛兵たちも宰相と一緒に移動してしまい、治安が悪化して強盗や強姦がいたるところで発生しているとなっていたはずである。使用許可がおりているキルンベルガー侯爵のタウンハウスも、既に使用人達は解雇されて誰もいなくなっていたのをいいことに、窓ガラスは割られて内部を荒らされていた。冬の寒風は賊と同じで入りたい放題である。
このような状態においても、後宮は最低限の護衛を配置してあった。宰相も後宮に入った女たちの生家に気を使った結果である。また、先帝の寵愛を受けていた者たちを無下に扱うことで、先帝を信奉する派閥との対立を避けたかったというのもある。ただし、こちらは遷都が落ち着けば粛清するつもりだったが。
ジークフリートとヨーゼフを兵士数名と偵察に出して、俺達はタウンハウスの窓を板で塞ぐ作業をしていた。街で板と釘を購入して窓枠の外から釘を打ち付けるという簡単な処置である。人と風が入ってこなければそれでよいという目的なので、見栄えなどはどうでもよかった。
あらかた処置が終了したころに、ジークフリート達が戻ってくる。
「子爵殿、千年都市と呼ばれた帝都とは思えぬほど治安が悪いですな。流石に我らにスリを働こうという者はおりませんでしたが、他の通行人にはスリやひったくりが手を出しておりました。捕まえてみたものの、突き出す衛兵もおりませんので、説教だけして解放しましたが」
ジークフリートの報告にヨーゼフが茶々をいれる。
「兄貴は優しすぎるんですよ。俺は腕を斬り落とそうって言ったのに。でね、俺が剣を抜いたらそいつが小便をちびって捕まえていた兄貴の服についたってわけで」
「余計な事を言うな」
「いってぇー」
ジークフリートの拳骨がヨーゼフの後頭部にヒットする。
「話が逸れて申し訳ございません」
ジークフリートが俺に頭を下げたのを手で制した。ヨーゼフの性格だとこんなもんだろうとわかっているので、いちいち怒るような事はしない。二人のやり取りは笑って受け流す。
「いいよ別に。気にしてないから続けてほしい」
「はい。このような治安の場所には長居をしたくないですな。ユディット殿の姉上を早いところ迎えにあがり、領地に帰るのがよろしいでしょう」
「そうだな。しかし、相手も準備があるだろう。我々が到着したのを伝えて、侯爵様のもとに帰る準備をしていただくのにも時間がかかる。1月末日に迎えに行くことにして、そう伝えるのが良いのではないかな?」
俺はユディットの方を見る。彼女は俺の視線に気づいてうなずいた。
「姉のエルナには一度連絡を取り、後宮を出る準備をしてもらうようにお願いする。そんなに時間は取れないのは理解してもらおう」
この辺は先ぶれでも出しておけばどうにでもなったのだが、俺としてはどうしても1月末日に後宮を訪れる必要があったので、敢えて先ぶれは出さずにこうした対応としたのである。この事情を知っているのは俺とカサンドラだけであり、他のメンバーはクリストファー暗殺という目的は知らない。クリストファーを暗殺する目的を説明するとなると、俺の事を伝えなければならず、それによる影響がどうなるかわからない事から、いまだにカサンドラ以外には俺がこの世界は小説の世界と知っている事は黙っている。
では、どうやってクリストファーを暗殺するのかといえば、俺のFAXを使って極小範囲での爆発を起こしてクリストファーを暗殺するつもりだ。それに、俺は挿絵やゲームのグラフィックでクリストファーを知っているが、他のメンバーはクリストファーの顔を知らないので、殺してこいという命令はどうやっても達成できない。
「明日一度後宮に行き、エルナ様にお願いしてみようじゃないか」
俺はそう言って話を打ち切り、その日は仕事の話は終了となった。ジークフリートとヨーゼフは酒を飲みに行くと言い、兵士達もそれについていくと言ったのだが、流石に全員が酒を飲んでしまってはタウンハウスの警備がおろそかになるので、酒を飲みに行くために警備を当番制とした。
酒をのまない俺は夕食後、カサンドラと打ち合わせを行う。
「帝都に入るのに衛兵による身元確認が無かったのを見ると、出る時も何もないと考えていいか」
「はい。クリストファーが暗殺されたとなれば、真犯人を探そうと彼の部下たちが出てくるでしょうけど、デュカスまでは簡単にたどり着いたとしても、我々が暗殺を成し遂げたとわかるかどうか。仮にわかったとしてもその時は既に領地に帰還している事でしょう。城門での足止めがないのは好機ですね」
「デュカスはジークフリートたちに討ち取ってもらえれば、死人にくちなしでクリストファーの部下たちも俺まではたどり着けないだろうけどね」
デュカスは暗殺に失敗した後、ルフェーブルにクリストファーと天秤にかけられて見捨てられる。そして、後ろ楯のなくなった彼はクリストファーによって処刑されその生涯を閉じる。
ならば、俺の手で始末したところで歴史に影響は無いだろう。自分の策に絶対の自信を持ち、クリストファーが死ぬところを見たいと後宮で自ら指揮を執るのが命取りだ。
そして、明日は後宮の下見である。人数制限のせいで中には入れないが、こちらの移動する経路は確認しておきたい。
カサンドラと一通り打ち合わせが終わったタイミングを見計らったかのようにドアがノックされる。
「誰か?」
俺の誰何に
「ユディットです。よろしいでしょうか?」
と声が返ってきた。
俺はカサンドラと顔を見合わせる。
「呼んだ?」
とカサンドラに訊いたが首を降って違うと言われる。ではどんな用事なのだろうか。断る理由もないので入室を許可する。
入室してきたユディットはその大きな体躯に似合わずに、借りてきた猫のように大人しく、いつもよりも小さく見えた。
「どうした?」
入室後、何かを言いたそうにしながらも言い出せないユディットに発言を促す。
「実は婚約者としてのマクシミリアン様にお願いがあって参りました」
「それでは私は退室したほうがよろしいですね」
とカサンドラが気を遣うが、ユディットはカサンドラの袖を掴んでそれを止めた。
「いや、明日の後宮でのことに関わるので、軍師殿にもいてほしい」
「後宮でのこと?」
ますますユディットが何を言いたいのかわからなくなり、前のめりに身をのりだした。
「はい。実は姉のエルナが昔から苦手で。姉はいつも私に女の生き方は良家に嫁いで跡継ぎを生み、立派に育てる事だと言ってきたのです。私はそんな生き方は納得できずに、よく喧嘩になっておりました。姉は実際に後宮に入り皇帝の側室となりました。明日もこうしてアーベライン子爵領で武将として働いている姿を見せれば、女としての生き方を言ってくることでしょう。その時私たちが喧嘩をすれば、父に頼まれた姉を連れて帰るということに支障が出るかもしれません」
「では、明日は行きたくないと?」
「いえ、ここまで来てそんなことは申しません。私が感情を抑えきれない場合はその場で罰を与えていただきたい」
ユディットの必死の訴えに、今の知力ならそんなことにないと思うが、その申し出を承諾した。
カサンドラはそんなユディットに厳しい視線を向ける。
「ユディット、これは命令です。いかなることがあろうともエルナ様と喧嘩をしないように。私に命令違反で貴女を処罰させないでください」
その命令に対してユディットは強く握った拳を自分の胸の前に置く。
「その命令、承りました」
それを受けてカサンドラは大きなため息をつく。
「ユディット様なら大丈夫だと思いますが、エルナ様はそんなに厳しい性格なのでしょうか?」
カサンドラの質問にユディットはこくんとうなずいた。
「岩を砕く川の激流のような人柄とでもいうか、意にそぐわなければなんとしても相手の考えを変えさせる人だな。我が性格も似たようなものだが、姉ほどは酷くない」
それを聞いてよく後宮に入れたなというのと、キルンベルガー侯爵の子育ては失敗したのではないかという事が頭に浮かんだ。
女性だからおしとやかであるべきというつもりはないが、男性であっても他人と意見があわないときに折れずに他人とぶつかるような奴は問題ありだ。妥協点を探してこそ次に繋がると思うのだが、貴族ゆえの傲慢さか相手に一歩たりとも譲る事がないのはいかがなものか。
まあ、息子に暗殺される時点で子育ては失敗してるのだけど。
それにしても、ユディットはしおらしくなったな。俺のところに来たばかりの彼女であれば、絶対にこんな申し出はなかっただろう。ユディットの成長を目の当たりにし、彼女の事が愛おしくなる。いかんな、これはカサンドラへの裏切りだ。そう思って、心の中に芽生えた感情の目をすぐに摘む。
これ以上ユディットをみているとまたその目が、夏の雑草のようにはえてきそうなので、ユディットとカサンドラには退室してもらい、明日に備えて寝ることにした。
翌日、領地から連れてきた者たちのほとんどで後宮を訪れた。数名はタウンハウスの警護に残ってもらっている。なにせ、見張っていないとまた誰かが忍び込みそうなので。
後宮は塀で囲われた小さな街である。その中で皇帝の妃たちが生活を完結出来るようになっている。そして、街はすべて女手で運営されていた。今まではだが。
皇帝の子種以外が入らないようにしていた後宮も、先帝の崩御と遷都によって今は厳格な管理がされなくなった。
後宮の正門にいる兵士に挨拶をする。
「キルンベルガー侯爵の名代として、侯爵の娘であるエルナ様を迎えにあがった、子爵のアーベラインとその家臣です」
すると、そこの一番偉そうな兵士が頭を下げる。
「子爵、どうぞお入りください」
「えっ、いいの?」
てっきり二人までとか、武器は置いていけとか言われると思っていたので、変な声が出てしまった。
俺が驚いたのをみて兵士は何かを納得したような素振りを見せる。
「子爵様はここに入れる人数を心配されてるようですが、それは明日からでございます。宰相の腰巾着であるデュカスが決めたルールは明日からここの警護を担当する奴の家来どもが守らせようとするでしょうが、今日までは我々が担当しており迎えに見えた方たちに何かを規制するようなことはございません。ここは既に皇室の血を守る役目はありませんからな」
そう言って悲しげに笑った。それをみて、彼はこの仕事に誇りを持っていて、それを踏みにじったルフェーブルが嫌いなのだということをさとる。
「とはいえ」
兵士は言葉を続ける。
「我らの誇りであるこいつは正式な命令書を持って来てないあいつらに渡しはしませんがね」
兵士はそう言うと、首に掛けていた深紅の薔薇を象ったペンダントを見せてくれた。
「それは?」
「こいつは後宮を守る兵士に渡される身分証です。任務につくときには、本物の兵士の証明であるこれを着けなければなりません」
それは良いことを聞いた。つまり、明日からここを守備するデュカスの兵士は本物の警護をする兵士であるという証拠は無いわけだ。
「どうしてそんなことを私に?」
笑みがこぼれそうなのを我慢して、彼が初対面の俺にどうしてそんなことを教えてくれたのか訊いてみた。
「子爵様は東部の貴族ですから、国賊を討ってくれる気がしましてね。それに、デュカスなら通行料を取るなんて平気でやりそうですから、我々もそうであったと思われたくなかったんですよ」
「通行料を要求されたらその場で叩き斬ってやるよ」
俺はそう返すと彼に失業して困ったら俺のところに来るように伝え、エルナのところに向かう。
歩きながら目に入る景色は、小説での描写はあったからしってはいたが、実際の後宮を見ると荘厳な建物と細部まで美しく見えるようにこだわった景観作りに圧倒される。
ここで繰り広げられたであろう女のどろどろとした戦いとは対照的なのか、むしろそういった人間の心の持つ汚い部分が、心を持たない建物の美しさを引き立てているのかもしれない。
護衛のため前を歩くヨーゼフがキョロキョロと周囲を見回すのが見える。それは警戒してというより、物珍しくてというのが正解だろう。
そしてついには感嘆の声を漏らす。
「いやー、寂れた帝都の中にもまだこんなに綺麗な場所が残ってたんですねぇ。こんな綺麗なところを破棄するなんてもったいねぇ」
ヨーゼフが口にしたことに激しく同意だ。勿体ないにも程がある。ただし、今の皇帝であるガブリイル2世は幼すぎて子供を作ることができないので、宝の持ち腐れではあるのだが。
後宮の街並みの美しさに目を奪われながらも、目的地のエルナの住まう宮に到着した。そばにいた女官に事情を話して中に案内される。通された部屋で待つこと十数分、やって来たのは小さなユディットであった。
小さいといってもユディットと比較してであり、カサンドラよりはやや背が高い。そして、栗色の長い艶のある髪は戦場に出ることで手入れが疎かになっているユディットよりも美しかった。
切れ長の目や、その他の顔立ちはユディットと似ており、何もいわれなくとも姉妹だとすぐにわかる。ただし、身長差からユディットのほうが姉に見えるが。
俺は彼女の前で膝をつき頭を下げる。
「侯爵様の命により、エルナ様をお迎えに上がりました。名をマクシミリアン・アーベラインと申します」
「話は既に父から聞いております。面をあげてください、子爵殿」
そう言われた声もユディットと間違うくらいに似ていた。そして、俺は促されたので頭を上げる。この辺の作法は作品では特に描写がなかったので一度目で頭を上げた。ユディットからのツッコミもないので、間違ってはいないのだろう。
そのユディットはというと、かなり緊張の面持ちでエルナを見ていた。エルナもそれに気付く。
「ユディットも遠路遥々ご苦労様。外出用のドレスではなく、甲冑を着ているところを見ると、子爵殿の婚約者としてここに来たという訳ではなさそうね」
「姉上、私は――」
エルナに言い返そうとしたユディットを、エルナは手で制した。
「誤解しないで、文句じゃないのよ。昔の私なら女としての生き方を貴女に説いて喧嘩になっていたでしょうけど、その私の持論である女の生き方を私が出来なかったのだから、何も言う資格はないの。良家に嫁いで跡継ぎを生む。それが出来なかった私がどうしてユディットに意見できるのかしら」
エルナの言動には自嘲がみて取れた。先帝の崩御で皇子を懐妊する事が叶わなくなり、これまで張りつめていた糸が切れたとでもいおうか、ユディットから聞いていたような自分の信念を妹に押し付けるような雰囲気は感じられず、ただ目的を失い自棄になる程ではないが、これからどうするのかわからぬままこの場にいるだけと見える。
「姉上、私は我が手でアーベライン家をさらに上、この国で一番の名家まで押し上げ、その後に跡継ぎを生み育てるつもりです。姉上の価値観を否定するわけではなく、手段が違うだけで目的はおなじなのです」
ユディットはエルナにそう訴えた。このままでは自棄を起こすのかと心配になったのかもしれないな。
さて、エルナの反応はどうだろうと彼女を見ると、ユディットの言葉にエルナは目を丸くした。
「たかだかウーレアー要塞に一番乗りしただけで大きく出ましたね。この国で一番の名家ということは東部ではキルンベルガー侯爵家、バルツァー公爵家があり、中央では宰相にリュフィエ将軍と今回新たに将軍に任命されたカーニー将軍が居りますよ。その他にもまだまだ大きな勢力を持った貴族家もあるというのに、子供を生める年齢のうちにそれらを押しのけてみせると?」
「我が手でというのは過言でした。アーベライン家の家臣団は優秀な人材が揃っておりますので、我が身など無くとも成し遂げる事でしょう」
そこで再びエルナは目を丸くする。
「あんなに自信の塊だったユディットがそんなしおらしい事を口にするなんて、何があったというの?」
「我が身の非才を痛感したのですよ。所詮はキルンベルガー侯爵家の檻の中だけしか知らぬ飼い犬でした。その檻から出てみたら世界のなんと広い事か」
「本当に変わったわね」
エルナの眼差しは妹の成長を見守る姉そのものであった。ユディットの潜在能力の高さについてはフォローを入れたいところであるが、それをするには俺がステータスを鑑定出来るのを説明しなければならないので、それは我慢しておいた。
エルナは俺を見て、
「子爵殿、妹のことをよろしく頼みますね」
と言葉は優しいが、キツイ目つきでお願いしてきた。お願いというが、事実上の命令に等しい。
「承知いたしました。それで、本来の職務の話に戻りますが――」
と、俺は月末に再びここに参内することを告げて今回は帰ることになった。帰り道でのユディットは緊張が解けたのか、姉との確執が解けたのかわからないが、表情は緩んでいた。そんな彼女を見て、数日後には戦場に連れていくのが申し訳なく思えた。
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