3章
第19話 帝都へ
515年12月、宰相アンドレ・ルフェーブルは遷都を決定した。東部と南部の貴族連合討伐が失敗し、西部のみが成功したので安全な西部に都を急ぎ遷すことにしたのだ。これは小説の通りだ。
が、予定外の事態が発生する。キルンベルガー侯爵が後宮に入っている次女をユディットと一緒に迎えに行くようにと指示を出してきたのである。
小説ではこの遷都はアドルフにとっても、クリストファーにとっても大きな転換点となる。
まずはアドルフ。寄り親であるキルンベルガー侯爵が、遷都を好機として弱体化した皇帝に取って代わるべきだと主張する長男のルドルフとの意見の対立から、その長男ルドルフに暗殺され、犯人であるルドルフはその暗殺は次男のディートリッヒによるものであると発表する。そして、キルンベルガー侯爵家はルドルフ派とディートリッヒ派で内戦状態に陥る。それはバルツァー公爵による策略であり、ルドルフを暗殺に走らせたのはバルツァー公爵が送り込んだ間者の唆しが原因であった。
そして、キルンベルガー侯爵家の争いにより、周辺貴族は寄り子の領地を切り取りにかかる。キルンベルガー侯爵家は寄り子を守るだけの力はなく、寄り子の離反と滅亡が相次ぐことになる。そんな中、アドルフはツァーベル伯爵の侵攻を防ぎ、逆に伯爵を討ち取ることに成功する。そしてバルツァー公爵に滅ぼされることになったキルンベルガー侯爵家の領地を引き継ぎ、東部平定の足掛かりとしたのであった。
次はクリストファー。彼は後宮にいる姉を迎えに行くのだが、そこでクリストファーを暗殺するための罠にはまり、幼なじみである腹心のサディアス・キッドマンを失い、命からがら逃げ延びる。なお、クリストファーの姉であるアンジェリカはサディアスの死体を見て、近場に落ちていたナイフを自ら胸にさして後を追ってしまう。アンジェリカは幼い頃から密かにサディアスに思いを寄せており、それは後宮に入ってからも消えることはなかったのだった。
クリストファーは後宮にいた女性の助けを借り、暗殺者の手から逃れて後宮を脱出し、自らの軍勢を引き連れて戻ってくると、そこで変わり果てた姿の幼なじみと姉を発見して、絶望にうちひしがれ、その後は姉を後宮から救いだすという目的を失い、変わりに姉と幼なじみの命を奪った帝国を消滅させるという目的を持つことになる、そんな作品の山場だったりする。
俺はというと、キルンベルガー侯爵の次女を迎えに行けば領地が危うくなる時に自分と主力メンバーがいないことになるし、迎えに行かなければユディットが単身で策謀渦巻く後宮に行き、命を落とすかもしれないということで、どうするべきかをカサンドラに聞いているところだ。
「侯爵の暗殺からすぐに近隣の貴族が攻めこんで来るのですか?」
俺の説明に納得できずに、カサンドラが訊いてくる。
「バルツァー公爵が近隣の貴族と共謀しているからね。準備をした上で侯爵の暗殺に走らせているんだ。混乱が収まる前に、広範囲からの攻撃を行うことで、バルツァー公爵の損害を減らす目的だったかな」
「そういうことですか。では、後宮のほうはどのような策謀があるのですか?」
「宰相リュフィエの腹心であるデュカスが、後宮の警備を乗っ取り、尚且つ後宮にいる夫人を迎えに来て中に入れるのは二人まで。もちろん入口で武器は没収というルールを作る。そして、丸腰のクリストファーとサディアスを襲うわけだ」
そこでカサンドラは考え込む。
「どうしてクリストファーはサディアスと二人で姉を迎えに行ったのでしょうか?そんなに偉いひとならば、部下に迎えに行かせればよかったのに」
「そこは彼が軍に入った最大の理由、姉を後宮から救いだすっていうのが実現しそうだったからだね。そういう設定だったはずだ」
まあ、見せ場を作るために作者の用意した理由なんだけど。ちなみに、クリストファーは後宮にいた女性の機転で、女装して後宮から逃げ出すんだけど、その女性が後の皇后になるのだ。
「で、デュカスはクリストファー以外の目撃者もバンバン始末しようとするから、そんなところにユディットをひとりで送り込むなんて出来ない。今彼女を失うのはすごく痛いからね」
「ユディット様は侯爵様の命令に従うでしょうし、事実を話したところで信じてもらえるかどうか」
カサンドラの事実を話すという発言で思い付いたことがあった。早速彼女に相談する。
「俺たちも帝都に行くとして、侯爵に暗殺に気をつけてくださいという手紙を出したらどうかな。侯爵が暗殺されなければ、バルツァー公爵も攻めては来ないだろ」
我ながら妙案だと思ったが、カサンドラの表情は暗い。
「侯爵様が暗殺されないと、社長がのしあがる機会が一つ減りますよね。このまま侯爵様がご存命ともなれば、自らの手で侯爵様を討つことになるかもしれませんが」
そう言われると悩むな。キルンベルガー侯爵は俺に何かしたわけではない。それを討つとなると大義名分はない。それどころか婚約者であるユディットの父でもある。対応を間違えればユディットが俺のもとを離れることになるだろう。
「例えばだけど、ここで俺がクリストファーの暗殺に手を貸して、彼を排除することが出来れば統一への道筋はどうなるかな。かなり確率が高まったりしない?」
「社長の話を聞くかぎりでは、そのクリストファーというのが帝国を統一するのですから、その彼を今のうちに殺してしまえば、最大の障害は取り除けるのですよね。試してみる価値は大いにありますね」
クリストファーの家臣団は彼のカリスマ性に惹かれて結集している設定だった。だから、クリストファーがいなければまとまらないはずだ。優秀な武将ばかりだが、各個撃破なら俺にも十分に勝算はある。
カサンドラはすでにクリストファー暗殺のため、キルンベルガー侯爵の暗殺をどう乗り切るかということに絞って考え始めていた。
「暗殺を成功させるためにはこちらからはジークフリートとヨーゼフは連れていきたいですね。それとユディットも行くとなると、あとはエルマーとカミルか。でも、そうすると領地の守りが足りなくなるか」
軍師モードのカサンドラはユディットの様付けを止めている。何度かこういう切り替えを見ているが、毎回教えたわけでもないのによく出来るなと感心させられる。
「社長、クリストファー暗殺未遂が起きる正確な日付はわかりますか?」
「516年1月末日に起きる」
「帝都に向かうにしても時間がありませんね。ユディットには侯爵様に手紙を書かせましょう。我が領地の間者がバルツァー公爵が他の貴族に侯爵様暗殺後の共同作戦を持ちかけている情報を掴んだとでもいう理由で」
「それなら俺の名前の方が良くないかな?」
「既にルドルフが準備をしているとすれば、貴族からの手紙は検閲されている可能性もあります。権力を握ったらすぐに粛清を始めるのに、自分に不利な人間の選別をしようとしていても不思議ではありません。それはユディットも同じですが、娘から父への手紙であれば政治的なものではないと検閲を潜り抜けるかもしれないので」
確かに検閲されていたら、真相を知っている真っ先に俺が狙われるな。ユディットに書かせても同じかもしれないが、可能性が高まるのであれば賭けてみるか。
「この後ユディットを呼んで、すぐに手紙を書くように指示するよ。それで、領地に残すのは誰にしようか」
ツァーベル伯爵が攻めてくるとなると、防衛に当たらせる武将にはそれなりの能力があるやつを起用しないとな。
そこでカサンドラが選んだのはエルマーとブリギッタだった。内政をやりつつ軍事もとなるとひとりでは無理か。そして、エルマーとブリギッタなら相性は抜群だ。ただ、ステータス的には不安が残る。
「エルマーとブリギッタにはことが起きる前から準備できるように指示を出しておきます。ツァーベル伯爵を刺激しないように、領境の砦に兵士を移動させましょう。今回は弓兵を準備するので、前回よりも防衛は楽になるかと思います」
「我々が帝都から戻ってくるまで持ちこたえてくれたらそれでいいか。反撃するにしても部隊を指揮する人材が揃うまでは何があっても防衛に徹するように厳命しよう」
「そうですね、エルマーはどうも社長のためにと前のめりになりすぎるきらいがありますので、そこは必ず守るように言いつけましょう」
エルマーはどうも俺のことになると前のめりになることがあるらしい。俺にはわからないが、カサンドラたちはそれが見えるそうだ。まあ、俺に伝わる形にならなかった事がかなりあるのだろう。気持ちは嬉しいが、こと戦争ともなれば失敗は許されない。エルマーには自重してもらおうか。それに、ブリギッタが首輪の役割をはたしてくれる事にも期待だ。カサンドラはそこまで考えてこの人選をしている。
「ではユディットを呼ぼうか」
俺の指示でユディットがやってくる。彼女にキルンベルガー侯爵の命を長男のルドルフが狙っている事を伝える。俺からそれを伝えられてユディットは驚いた。
「兄が父を狙っているなどとにわかには信じがたいが……」
「今回はバルツァー公爵の調略にのせられて、つい魔が差したという感じかな。ただ、前から心の奥底には早く家督を継ぎたいという思いがあったのだろうね」
「兄ももう30を超える歳となるので、焦りもあるのであろうな。しかし、それを敵の調略に利用されるとは我が兄ながら情けない。いや、いかにも兄らしいといえばそれまでか」
ルドルフの性格を思い出して納得するユディット。
「らしいの?」
俺は何に納得したのかわからず、ユディットに訊いてみた。
「侯爵家の跡継ぎとして敷かれた道の上を歩いてきただけで、自分で何か新しいことをしようという気概がない。そのくせ次期侯爵であるというプライドだけは高いからな。敵の甘言にまんまと乗せられたのも容易に想像がつく。次の当主と周囲に自慢していたが、いつまで経っても父が健康で代替わりの予兆がないので、その座を待てなくなったのだろうな」
ユディットのルドルフ評は正しい。作者の設定ほぼそのものだ。では、小説の中の彼女はルドルフの野望が自分にも迫ってくるのをわかっていたのだろうか?そんな疑問がわいてきた。なにせ、ユディットは小説に登場しないので、その辺りの描写はない。
「ユディット、ルドルフ殿は侯爵様の暗殺が成功した後に、他の兄弟の命も狙ってくるとは思わないか?」
「十分にあり得る。私のような女であろうとも、家臣が担ぐ可能性があるものは徹底的に排除するであろうな。未婚で婚約者もおらずに屋敷にとどまっておれば、毒か何かで亡きものにされていたであろう。修道院に送り監視をつけたとして、小心者の兄が枕を高くして寝られるとは思えぬな」
ユディットの修道院という単語にドキッとなる。物語の中の彼女は自分の運命を受け入れていたということか。改めてユディットを運命に翻弄された女性という眼差しで見ると、その儚い人生に同情がわいてくる。
そして、ユディットは手紙を書く事を承諾してくれた。次にエルマーとブリギッタを呼ぶ。彼らについてはカサンドラから指示が出る。
「エルマーは弓兵を訓練して砦の防衛に専念すること。ブリギッタはオットーと一緒に内政を見ながらも、ツァーベル伯爵が攻めてくるとなったら、砦でエルマーと一緒に防衛を担ってもらいます」
その指示にブリギッタは困惑する。
「戦争が起きるのは確実なのでしょうか?私は今まで軍を指揮した経験もないし、カサンドラのような作戦を考えたこともないのに砦で防衛する部隊の指揮を執るなど――」
「ブリギッタは自分の事を低く見積もりすぎなのよ。それに、貴女がいればエルマーが暴走することもないでしょう」
カサンドラはちらりとエルマーを見た。エルマーは図星だったようで、目を泳がせる。
「社長は防衛することを望んでいるの。砦から打って出ることは絶対にしないで。私達が帝都に行っている間に、帰る場所を失うようなことになっていたら一生を掛けてエルマーを追い詰めるから」
カサンドラはエルマーに釘をさす。エルマーは子犬のような目で俺に助けを求めたが、俺もカサンドラと同じ意見だ。
「エルマー、これは命令だ。もし命令違反をするようなことがあれば、俺はお前を処分しなければならない。そうした事態を招いてくれるなよ」
「はい…………」
こうしてエルマーとブリギッタにも指示を出すことが終わり、俺は少数の手勢を率いて新年直前の12月30日に帝都へと出発した。
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