ザラキ

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ザラキ

 初秋の朝。白金台の屋敷から黒いセンチュリーが滑るように走りでた。

 後部座席には与党最大派閥のオーナー、大森貴一が踏ん反り返り、護衛のSPが乗車する黒いセダンに先導されて永田町へ向かう。

 秘書の佐藤が助手席から言った。

「先生。楽園族が一万人を超えたことで、日本の信用格付けが格下げになりました。またそのせいで海外投資家による資金の回収が始まったようです」

「国の統治からはみ出した者が一万人も群れているのに、それを見過ごしているような政府は信用を失って当然だろう。だから早く潰せと言っておいたのに。高橋の気の小ささには愛想が尽きたな」

 大森は車窓を眺めながら鷹揚に言った。

 因みに高橋とは今の内閣総理大臣なのだが、大森は高橋を傀儡扱いしていて、最大派閥のオーナーである自分こそが真の総理だと自負していた。

 佐藤が言った。

「まさに未曾有の超常現象ですが、それにしても携帯電話が圏外になるような山奥によくぞ一万人も集まりましたね」

「それだけ日本には困窮者が多かったということだ。楽園にいれば食べるには困らない。街中のホームレスや絶対的貧困層までが楽園族の予備軍だと思えば、もう一桁多くても不思議ではなかろう」

「はい。仰る通り公安局もまだまだ増えるだろうと予測しております。あそこは林野庁の管轄区域ですから、いつでも立ち退き命令を出せましたのに、楽園族を社会的弱者だと擁護する野党に牽制されて後手を踏みましたね」

「そうだ。党内でも高橋の責任を問う声が高まってるしな。マスコミがアンチ楽園族へと煽ってくれたら面白くなるだろう。よし、機は熟した、高橋を潰すぞ」

 従順だったのは最初だけで、徐々に高橋は勝手な行動を取る様になり、大森との関係が悪化していた。

 そして遂に、最大派閥の力で総理をすげ替え、己の権力を確たるものにしようと、大森は腹を括ったのであった。


 ブラウン色に統一されたリラクゼーションサロンの一室で、焦茶色のガウンを着た女性がリクライニングチェアに仰向けに寝ている。

 女性は地方局の女子アナで、天然キャラで売り出し中の木梨芽依であるが、誰もが眠ってしまうというリラクゼーションマッサージにより、既に眠りに落ちていた。

 そして女性マッサージ師が意地悪な笑みを浮かべると、ボールペンぐらいの白い棒を芽依の左右の鼻の穴へそっと差し込んで立ち去っていった。

 部屋には芽依だけになり、五分ほどたつと、静かに開いたドアからお笑い芸人と撮影クルーが忍足で入ってきた。

「木梨アナ‥木梨アナ」

と、坊主頭のお笑い芸人が耳元から囁きかける。

「ん‥ん。えっ。なに。なに‥」

 鼻から棒をぶら下げたまま、寝惚け眼で戸惑う芽依。

「ハ〜イ! ドッキリテレビでございます〜」

 ドッキリテレビと書かれたパネルを手に小躍りするお笑い芸人。

「はあ。ドッキリって‥なにが‥ちょ、ちょっとこれ、抜けないんですけど。どうなってるんですか!」

 慌てふためく芽依、棒を抜こうにも、頑として抜けそうにない。

「ほっほっほっほ。それはブラジリアンワックスと申しまして。その棒の先端に塗られたワックスと鼻毛がガチガチに固まったところで、一気に抜いてしまう脱毛方法なんですね。ワハハハハハ」

「ワハハハハって、意味が分からないんですけど! リラクゼーションマッサージの体験取材だと聞いて来たのに、どうして鼻毛を抜かれることになるんですか!」

「すいません。局も全てグルでございまして、最近人気急上昇の木梨アナを狙ったドッキリ企画なのでございます〜」

 それは全国ネットの人気番組であり、地方局の女子アナが全国区の認知度を得るには有難い出番だった。

「うっそ〜ん。一応女子アナなんですよ私。少しはイメージも考えて下さいよ〜」

 と、開き直ってお笑い芸人とのトークに挑む芽依。首尾よく話しが弾んだものの、やはり見せ場はブラジリアンワックスの引き抜きである。

 お笑い芸人が棒を握り身構える。

「フガ。フガ。え! タイミングはどうするんです。いきなりはダメですよ!」      

 と、芽依が叫ぶ。

「OKで〜す。んじゃ、ワン。ツー。スリー。ビバ!」

 ブチッ!

「○?@#/&%☆」

 言葉にならない叫びを上げて仰け反る芽依。

「うわ! すんごい。サボテンみたいになっとります!」

 お笑い芸人が抜いた棒をカメラに寄せると、ワックスの塊に無数の鼻毛が突き立っていた。

「いや〜やめてください! 人の鼻毛を全国放送しないで。お嫁に行けなくなる〜」

 涙目の芽依がアップにされた。

「はい〜。今週のドッキリは、楽園取材で人気沸騰。天然キャラ全開の木梨芽依アナでした! また来週〜」

 はしゃぐお笑い芸人と、鼻を押さえながら手を振る芽依のツーショットで収録は終了した。


 翌朝。芽依は勤務する四国テレビの会議に出席した。

 ガラス張りの会議室に集まったのは、報道局長、楽園担当の取材チームが四名、後方支援のスタッフが三名であった。

「ところで芽依ちゃん。昨日はキー局のドッキリに出演したんだって。ついにバラエティ進出だな」

 報道局長が斜向かいに座る芽依に話しかけた。

「そうなんですよ〜。でもいきなりのドッキリで鼻毛を全部抜かれちゃいました」

「ハハハハ。それはキツかったな。でもドッキリのプロデューサーが褒めてたよ。良いキャラしてるって」

「本当ですか。じゃあまた出してもらえますかね」

 芽依は何事にも体当たりで挑むのが取り柄で、そこを買ったディレクターの大垣が、楽園取材のレポーターに抜擢してくれたのだった。

 そしてその天然ボケした楽園取材がウケて、芽依は人気者になっていた。

 芽依の隣に座る大垣が言った。

「芽依ちゃん。バラエティも良いけど、アナウンサーとして大成したいなら、もっとシリアスな取材も熟せないと駄目だぞ」

「シリアス‥ですよね。私もそれは感じてはいるんですけど‥」

「苦手でも、そこを頑張らないと、ただの面白い新人で終わってしまうよ」

 そこに報道局長が割って入った。

「それなんだよ。実は上層部から取材方針をアンチ楽園族に絞れという指示が出てね。そうなると芽依ちゃんが得意な体当たり取材よりも、シリアスに追及する取材が必要になると思うから、俺もその話しをしようと思ってたところなんだ」

 それを聞いて、大垣が小首を傾げながら言った。

「それにしても、アンチ方針ありきで取材しろというのはおかしいでしょう。公平公正を根本とする報道の道に反してませんか」

「その通りだ。俺もそれは問題だと言い返したんだが、上の反応は問答無用だった。恐らくだが、何らかの圧力が掛かったんだと思う」

「圧力。政府からとか‥」

「分からんが、放送業界は電波行政に牛耳られてるからな、政治的な圧力に逆らえない側面はある。それに楽園という超常現象に蝕まれた国として、日本の信用格付けが格下げになっただろう。それによって何かが動き出したんじゃないかと俺は見てる」

「‥で、どうするんですか」

「‥何が」

「指示に従うんですか‥」

「‥従うしかないでしょうよ。我々は報道マンである前に、サラリーマンなんだからさ」

 暫しの沈黙の後。

「んじゃ会議を始めますか。まずは現地の報告からですね」

 大垣が話しだした。

「北部地区の調査員からの報告によると、天界教という新興宗教が信者を楽園に送り込んでいました。調査員が確認しただけでも五十人を超えており、実態は更に多いものと思われます」

 芽依が質問した。

「楽園で布教してるってことでしょうか」

「いや、布教はしてないようだ。全財産を寄附した出家信者達で、本来なら教団の施設で修行している者達なんだが、ただ放置されてるだけだそうだ」

「じゃあ全財産を取られた挙句、楽園に捨てられてるってことですか」

「そうだな。都合の良い口減らしってことだろう。教団の施設に住まわせてたら金が掛かるけど、楽園に送り込んでしまえば一円も要らないからな」

「許せないわ。報道局長。是非とも実態を暴いて糾弾しましょう」

 と、気色ばむ芽依に報道局長が言った。

「分かった。では教団側は別の班に取材させるから、君達は出家信者を取材してくれ。楽園が悪徳宗教の道具になってるという切り口でな」

 大垣が応じた。

「了解です。まずは楽園が出家信者の捨て場所になっていることを証明しましょう‥では次の報告へ移ります。二週間前ですが、五人の僕が居る集団から女性が拉致されたことにより乱闘事件が起こっています」

 芽依が訝しげに問うた。

「まさか。五人の僕が乱闘事件を起こすなんて、私には信じられませんが‥」

「うん。芽依ちゃんの言う通り五人は関与してない。他に集団内で台頭している男がいて、その男がリーダーになって殴り込んだそうだ」

 報道局長が言った。

「内部分裂が起こってたってことか‥」

「そのようです。確かに五人の僕は神格的存在なのですが、その下で台頭する有力者同士の派閥争いが起こっているそうです」

「はは。世俗を捨てて楽園に身を寄せた連中が派閥争いとはな。とんだお笑い種じゃないか」

「そうですよね。でもアンチ楽園族のネタとしてはお誂え向きでしょう」

「そうだな。楽園の闇として上手く取り上げてくれよな。芽依ちゃんもそのつもりで頼むよ」

「分かりました」

 芽依である。

 大垣が言った。

「では次ですが、大麻の栽培が確認されました。それもかなりの規模だそうで、恐らく犯罪組織が暗躍していると思われます」

 報道局長が言った。

「おいおい大麻かよ。アンチ楽園族と言った途端に格好のネタが登場したな」

「はい。でも最近この様な報告が増えてましたからね。日増しに楽園が病んでいたってことでしょう」

「確かにそうだな。恐らく指名手配犯なんかも入り込んでるんだろう。故に大垣君。くれぐれも慎重に取材してくれよ。楽園は警察が居ない無法地帯だからな。スクープより取材チームの安全最優先で頼むぞ」

「はい。そう思って今回の取材からADを空手三段の格闘技経験者に変更しました」

「ほ〜。手回しが良いな」

「ええ。スポーツ班にいた新人ADを引き抜いてきました。午後には此処に来るから、皆んなにも紹介するよ」

「それにしてもだ。空手三段とはいえ警察官じゃないんだから、慎重にな」

「はい。ひとまず今回の取材では大麻草の映像を撮るまでとし、精製所や関係者の調査は控えることにします」

「それが良い。大麻草発見を報道すれば、警察が介入するだろう。警察に便乗して続報を追えば良いんじゃないか」

「おお。名案ですね。それでいきましょう」

 報道局長と大垣が盛り上がっている傍らで、芽依は浮かない顔をしていた。入社して三年。楽園のレポーターに抜擢されて人気を得たものの、天然ボケがウケただけなので手応えは乏しく、その上にシリアスさまで求められることになり、女子アナとしての先行きに不安を覚えたからである。


 翌朝。取材チームは楽園に入った。楽園は愛媛県の久万高原地方にあって、秘湯の温泉宿まで車で移動してから、徒歩で山奥へ分けけ入るのがいつもの取材ルートだった。

 山道を登ること三時間。尾根を越えた先には見渡す限りに赤と白の実が生る高原が広がっていた。

「おお! これが楽園ですか。赤と白の実ってこんなに沢山あるんですね」

 新人ADの有村が興奮しながら芽依に話し掛けた。

 赤と白の実は一口大の大きさで、キノコのように木の幹や苔生す露地に生えていて、高原の木々との鮮やかなコントラストを描いていた。

「そうよ。この先の山や谷にも楽園は広がっていて、その赤い実は甘く、白い実はほどよい酸味とともにお酒のように酔わせてくれるの。しかもこの実は楽園が生まれてから一年の間、途絶えることなく生え続けているのよ」

「まさに超常現象ですね」

「その通りよ。だから様々な研究機関が調査に入ってるの。この赤と白の実が楽園の外でも栽培できれば、世界の食糧事情を変えれるかも知れないから」

「ですよね。楽園族の内輪の問題より、遥かに大きなテーマですよね」

「そうね。増え過ぎた楽園族は問題視されてしまったけど、赤と白の実はいい意味で注目されているのよ」

 そこに大垣がやって来た。

「此処で休憩にしよう。有村は始めてだろうから、赤と白の実を楽しむといい。ただし、白い実は酔っ払うからほどほどにな」

 取材チームは五人だった。全員登山ウエアにバックパックを背負い、ディレクターの大垣がリーダーで、レポーターの芽依、カメラマンの磯崎と音声の木田、新人ADの有村がいた。

「さっそく乾杯しましょうよ」

 芽依が声を上げた。

「いいね。毎回強行軍になる取材だけど、これを励みに頑張ってるようなもんだからな」

 そう言う磯崎を先頭に白い実を摘むと、全員がピンポン球ぐらいの白い実を手に集まり、大垣が音頭をとった。

「それでは、今回の取材の成功を祈って、乾杯」

「乾杯!」

 白い実は水分が多いのでひと口で食べるのだが、知らなかった有村は齧ってしまい、派手に汁を飛ばしている。

「クー。来たきた。五臓六腑に沁み渡るってやつだな」

「いや〜やっぱりこれが一番ですよね」

 白い実を頬張りながら、親父感丸出しの磯崎と木田が喜んでいる。

 そして有村が言った。

「ほ〜。赤い実は甘いですね。食感も甘さも桃のようでとても美味しい。また白い実ともお互いに引き立てあって抜群の味わいですよ」

 赤と白の実は至る所に生っていて、有村と磯崎と木田がいそいそと摘みに行く。

「有村君。取り過ぎてはダメよ。赤と白の実は摘んでしまうと直ぐに萎れてしまうから、食べながら摘むようにするのよ」

 芽依の言う通り、赤と白の実は摘むと数分で萎れてしまうことから、何人にも蓄えることを許さなかった。

「おほ〜。酔っ払ってきましたよ。いい気分です。良いですね〜。好きな時に赤と白の実を食べて、一日中ほろ酔いでいられるなんて、まさに楽園ですね」

 顔を赤らめた有村が感心している。

 実際、赤と白の実は手を伸ばせばそこにあるほど沢山あって、食べても数日で新しい実が生った。よって楽園では何もしなくてもほろ酔い気分で暮らすことができたのである。

 今回の楽園取材は四日間の予定だった。前後二日間は殆ど移動しているので、取材は中ニ日間ですることになる。携行した食料は非常食を一食分だけで、滞在中は赤と白の実を食べるのだ。というのも大っぴらに食料を持ち込んでも、それを欲しがる楽園族とトラブルになるからで、必要最低限の撮影機材とGPSナビゲーター、衛星電話の他は、テントとシート、寝袋ぐらいが一行の装備であった。

 一行が目指すのは五人の僕がいる湖畔だった。楽園発祥の地といわれ、五人の僕こそが楽園最初の住人なのである。

 高原を奥へと進むと、楽園族のテントが散在していた。  

 楽園族にも色々いて、永住覚悟から遊び半分まで様々だが、何れにしても楽園族は取材を避けた。というのも、楽園族とは社会から落伍した世捨て人だと見られていたから、テレビで楽園族として紹介されることを嫌がったのである。また、コンプレックスを持つ者も多く、人見知り的にインタビューを疎ましがる傾向が強かったけれども、芽依の天然ボケにより上手く交流できた取材が幾度もあった。

 それからまた一行は歩き続けた。途中、各調査機関のキャンプに立ち寄って情報を収集し、五人の僕がいる湖畔に着いたのは夕暮れ時だった。

 辺りは直径百メートルほどの湖を中心に摺鉢状になっていて、岸辺の一部が砂浜になっている以外は森に覆われていた。そして五人の僕と共に数百人の楽園族が集団を形成していたが、あくまでも周辺に散在しているに過ぎず、共同生活的な趣きはない。それは楽園の何処も同じで、一万人居ても広大な地域の中であり、何処に行っても疎な人影しかなかった。

 因みに出現した当時の楽園は五人の僕がいる湖畔だけだったが、人数が増えるにつれて赤と白の実も増えて今に至っていた。

 一同は湖畔で荷物を下ろし、キャンプを張ることにした。

「さてさて、テントを張る前に一息入れるか」

 と、磯崎が言ったのを皮切りに皆で赤と白の実を摘んで回る。

 そんな最中、森からふらりと一人の楽園族が出てきた。

「あ! 酢豚さんじゃない」

 芽依が手を振った。

「あ、どうも」

 酢豚と呼ばれた男が髭面で笑いながら近づいてくる。歳は三十代と思われ、草臥れたジーンズに青いシャツを着ていて、伸び続けた頭髪と髭は原始人のようであった。

「あの人。酢豚って呼ばれてるんですか」

 後ろにいた有村が小声で大垣に尋ねた。

「ああ。五人の僕は楽園に来る前から同じ職場の仲間でね。それぞれが好きな物をあだ名にしているんだ。酢豚、酎ハイ、メガ、プリン、百均と呼びあっていてね。本名は明かしてくれないんだよ」

「なるほど。酢豚と酎ハイとプリンは何となく分かりますが、他の人は何故そんなあだ名なんですか」

「メガはメガ牛丼を週一で食べるのが生き甲斐だったから。そして百均は百円ショップマニアってことだな。かなりのブラック企業で働いていた連中でね。侘しい暮らしの中でささやかな楽しみにしていたんだろう」

 結局、その場は酢豚に五人の僕とのインタビューを要望したまでで別れ、一同は岸辺にテントを張った。

「酢豚さん。明日は乱闘事件の事を聞きたいと言ったら表情を曇らせてましたね」

 シートの上に座った芽依と大垣が話している。

「そうだな。やはり内部分裂の問題が深刻なんだろう」

「私もそう思います。だから明日は問い詰めるようなことはしないで、知っていれば話して欲しいという感じでインタビューしたいと思います」

「そうだな。出来るだけ乱闘事件をクローズアップするようにして欲しいけど、難しいよな。仲間がやったのなら正直に話さないだろうし、内部分裂となると尚更話さないだろう。どちらにしても、後で調査員が来るから、詳しい話だけは聞いておくとしよう」

 そして日が暮れると同時に、調査員の太田が現れた。楽園族に調査員だと知られないよう、すぐにテントの中に案内し、大垣と芽依と三人で打ち合わせになった。

 太田は四十歳になる小柄な男だが、報道部に所属しており、楽園の潜入調査を担当していた。

 太田の話によると、乱闘事件の発端は、湖畔の集団から女性が拉致されたことだった。

 目撃者により、南に少し離れた集団の仕業と分かったのだが、五人の僕は困惑するのみで何の手も打てず、その時、女性の救出に名乗りを上げたのがフランカーだった。三十半ばの彼は、学生時代のラグビー部でフランカーだったことからそう名乗り、歩いて日本一周の途中で楽園に流れ着いていた。

 フランカーは実に勇敢で、十人ほどの取り巻きを引き連れて相手の集団に乗り込むと、女性を救出した。

 相手の集団では五人のグループが首謀者的な存在だったが、他は嫌々付き合わされていた連中だったから反抗する者が少なく、小競り合いの最中にフランカーのタックルを受けた相手のリーダーが気絶して勝負が着いた。そしてフランカーは相手の集団の残党十数人も配下にして、意気揚々と凱旋した。

 湖畔では、以前から集団の人数が増えるに従い揉め事が増えていて、それを収めるリーダー的な存在としてフランカーと松田の二人が台頭していた。

 一方で五人の僕は神格的な存在だったものの、統合失調症や自閉症などの疾患により実社会に馴染めなかった過去から、リーダー的な役割を担う意思など毛頭無かったのである。

 芽依が言った。

「それで酢豚さんは浮かない顔だったのね」

「でしょうね。乱闘事件から二週間ほど経ってますが、あの日を境にフランカー一派の横暴は目に余るものがあります。きっと暴力によるマウントに味を占めたんでしょう。もはや五人の僕をも蔑ろにしてやりたい放題ですから」

 太田もフランカー一派を快く思っていなかったのだろう。口を尖らせながら吐き出すように話しだした。

「以前からフランカーは何かと出しゃばって仕切りたがってましてね、昨日には集会場を作ると言い出して、当番制で皆んなに作業を割り当ててましたよ。聞けば集会場の奥には自分専用の部屋を作るそうで、王様にでも成った気なんでしょう」

 大垣が言った。

「人が増えるほどに悪事が蔓延り、秩序を守る為に権力が生まれ、その権力を巡って争い合う。このパターンは古今東西普遍のようだな」

 芽依が大垣に言った。

「五人の僕だけではなく。フランカーや松田って人にも取材したいですね」

「そうだな。でも間違いなく断られるだろう」

「いっそ突撃インタビューしてみましょうか」

「いや、フランカーにはやめた方が賢明だろう。こっちは少人数だし、取り巻きの連中と揉めたら厄介だ。恐らく松田の方も同様だと思うが、どうかな太田さん」

「そうですね。松田は暴力よりも謀略型なので、あからさまに揉める事はないと思いますが、松田には何のメリットもないので相手にされないでしょうな」

「だろうな。じゃあ明日の午前中は五人の僕へのインタビューと、フランカーがつくらせてる集会場を取材しよう。おそらくフランカーの子分が集会場の作業を取り仕切ってるだろうから、連中から乱闘事件や派閥争いについて探り出そうじゃないか」

「了解です。ちょっと聞いたんですけど的にサクッと乱闘事件のことを聞いて回りますね」

 涼しい顔で芽依は答えた。

 結局、明日は五人の僕と集会場、明後日には大麻草の栽培現場と天界教の出家信者を取材することにした。

 太田は衛星電話の予備バッテリーを受け取ると月明かりの森に消えた。

 その後しばらくして、芽依は自分のテントに入った。テントは各自に一張りで、入り口が向かい合うように円形に配置してある。

 時刻は九時だが、電気も何もない楽園で夜間の取材はできないことから、夜明けと共に起床する為に早く寝るのだ。

 そして彼等は悪夢を見ることになる。この楽園で眠る全ての者は、ザラキの悪夢を見るのだ。

 その悪夢は原始時代の王と家来の会話から始まった。

 木組の館の中、全身に青い入墨を入れた王が仁王立ちし、その面前に膝まづく家来がいた。

「王様。やはりザラキの村は我々に従いませぬ」

「許せん。それでは他の村も私に従わなくなるではないか」

「仰せの通りです。ザラキの村が従わなければ、それを知った他の村も我々に従わなくなるでしょう」

「どうするのだ」

「時をかけて従わせるか、今すぐに攻め滅ぼすかです。ただし、時をかけても従うとは限りません」

「そうか、ならば今すぐだ。見せしめとして、容赦はいらぬぞ」

 そしていつの日かの朝。ザラキの村の風景へと変わる。集落の広場には大勢が集い、所々から炊事の煙が上がり、子供が走り回っている、なんとも長閑な風景であった。

 が、そこへ、武装した兵士が四方八方から襲来した。矢が浴びせられ、逃げ惑う村人を片っ端から槍で突き刺し、石斧で殴りつける。兵士の数は多く、村人に逃げ場はない。子供の前で母親が串刺しにされ、断末魔の叫びとともに母親が差し伸べた手の先では、助けを求める我が子の頭に石斧がめり込んでいた。

 情け容赦なく村人は皆殺しにされた。そして村の奥の小高い丘に空いた洞窟を兵達が取り囲むと、中から村の祭司である女が現れた。

「よくも我が村を滅ぼしてくれたな。これが真の王の所業であろうか。己らも騙されておるのだ。このままではいずれ己らも血飛沫の中で死を迎えるであろう」

 全身に朱色の縄文模様を施し、牙のような形の白い耳飾りをした女が大声で言った。

「ザラキを殺せ!」

 指揮官らしき男の号令により放たれた数十本の矢がザラキに突き刺さる。

「己らの末代まで祟ってやるぞ‥」

 ザラキと呼ばれた女は押し出すように呟くと、その場に崩れ落ちた。

 そして悪夢は暗闇と成る。が、しばらくして燃え盛る木組みの館が現れると、館の中には深傷を負った王と家来がいて、焼け落ちる館と共に炎の中に消えていった。

 それはザラキの村を滅ぼした王の最後であった。彼等もまた、他の部族に侵略され、滅亡したのであった。

 そして再び暗闇になると、

「皆に伝えおく。蓄えてはならん。奪ってはならん。決して殺してはならん」

というザラキのお告げで終わった。

 翌朝。

「寝不足です‥」

項垂れた有村が呟いた。悪夢の後、余りの凄惨さに眠れなかったのである。

「悪夢とは聞いてましたが、残酷すぎますよ。楽園族の人は毎晩あれを見てて、よく平気でいられますね」

「でも悪夢による戒めのおかげで、楽園の平和が保たれてきたのも事実なのよ。ただ最近は、日増しにモラルが悪くなってるみたいだけど」

 湖の淵に立った有村と芽依が話している。

「あの悪夢は、現実に起こったことなんですか」

「そうね。証拠はないけど、殺されたザラキの怨念が楽園を生み出したんだと私は思ってる」

「ザラキは恨んでいるでしょうね」

「私も最初はそう思ったわ。でも復讐すべき王は滅ぼされてしまったし、楽園の有り様には復讐心を感じられない。恐らくザラキは、我々に何かを教えたいんじゃないかと今は思ってるの」

 そこへ大垣が急ぎ足でやって来た。

「芽依ちゃん。大変だ。殺人事件が発生した。報道部から衛星電話が入って、此処からニキロほど西で死体が発見されたそうなんだ」

「どうして分かったんですか」

 芽依が言った。

「フリーのルポライターが発見して、衛星電話で局に売り込んできてね。我々が近くにいるからスクープにできると踏んだ報道局長が情報を買ったんだよ。急いで現場に急行するぞ」

 一同は予定を変更して殺人現場に向かった。GPSを頼りに草木を掻き分けて進むこと一時間。檜木が立ち並ぶ森で殺人現場を発見した。

 そこには口を開けた柘榴のように頭を砕かれたうつ伏せの死体があって、血飛沫と脳漿をぶち撒けた様はザラキの悪夢に劣らぬ凄惨さであった。

「あ。無理‥」

 芽依は吐きそうになりながら目を背けた。

 強烈な殺意が感じられた。ザラキの戒めを守って啀みあわぬようにしていたものの、積もり積もった恨みが爆発したのであろう。現場に置き去られた拳大の石は血塗れで、執拗に殴り続けたことが窺い知れた。

 とそこへ、

「四国テレビさんですか」  

 と男が近寄って来た。

「そうです」

 大垣が答えると、一癖ありそうな男が言った。

「私が局に情報を売り込んだ、ルポライターの西島です。皆さんが近くにいらっしゃったおかげで高く買ってもらえましたよ」

「そうでしたか。では発見された状況をお聞かせ願えますか」

「構いませんが、警察にも通報してますから。先に現場を撮影された方が良いと思いますよ」

「いつ連絡したんですか」

「もう一時間は経つかな。四国テレビさんに電話した直後にしてます。健全な国民としては通報しない訳にはいきませんからね。多分警察はヘリで来るだろうから。案外に早いかもしれませんよ」

「では警察が来る前に撮影してしまいましょう。磯崎さん、直ぐに準備を。芽依ちゃんも、いけるかい」

 と大垣が芽依を見やったが、芽依は真っ青な顔でしゃがみ込んでいた。

「こりゃ無理だな。よし。ここは映像だけ撮って音声は後付けにしよう。磯崎さん現場と周辺を撮影して下さい」

 流石の磯崎も現場の凄惨さに腰が引けていたが、カメラマンの使命感を奮い立たせたのか撮影を始めた。

 ことの顛末は、楽園を取材して回る西島が一夜を明かしていたところ、男同士の言い争いが聞こえたのだが、真夜中でもあり、巻き込まれるのを恐れて夜が明けてから見に行ったところ、殺人現場を発見したのだった。

 現場の側にはテントが張られていて、焚き火の跡も残っていた。西島が付近の楽園族に聞いたところ、二人の男が棲みついていたそうだが、恐らく喧嘩になり、殺した方は逃げたものと思われた。

 そうこうしているうちに、彼方からヘリの音が聞こえてきた。西島が衛星電話で通報した際に、GPS機能で位置情報が確認されており。瞬く間にヘリは頭上に飛来した。

「おお! ヘリから降下するのか。これは盛り上がってきたな。迫力満点じゃないか。磯崎さん木田さん、バッチリ収めて下さいよ。芽依ちゃんも、ここは頑張ってもらうしかないよ、実況をよろしく」

 大垣が興奮しながら言った。殺人現場に警察のヘリによる空中降下まで展開されるなんて、地方局の報道マンには盆と正月が一緒に来たようなものである。

 張り切る大垣はヘリからの降下ポイントを必死に探しまわるが、森に遮られて音しか聞こえない。そしてしばらくヘリの音を追うと、木々の切れ間に出て、真上でホバリングするヘリが見えた。

「こちら楽園の殺人現場です。たった今、警察のヘリが到着し、空中からの降下が始まる模様です」

 ヘリが出す凄まじいエンジン音と風の中、芽依が大声で実況する。

「あ! 今、ワイヤーに吊された捜査官が降下を始めました! 森の僅かな切れ間から、スルスルと降りてきます」

 紺色に白文字でPOLICEとプリントされたブルゾンを着た捜査官が一人づつウインチで降ろされて来る。全員で六名が降下すると、速やかに殺人現場に黄色いテープによる規制線を張り巡らし、その流れを芽依が実況しながら、通報者の西島が聞き取りを受けるところまで撮影した。

 大垣はご機嫌だった。いち早く殺人現場のスクープ映像を衛星電話で送信したのだが、警察ヘリからの派手な降下シーンまで追加できたとなれば、社長賞級の大手柄だからだ。

 その後、警察は三時間掛けて現場検証を行いながら、付近にいた楽園族への聞き込みを済ませて撤収した。迎えのヘリは二機、被害者とテントなど事件に関連しそうな物証は全て回収された。

 静けさが戻った殺人現場で芽依が大垣に言った。

「ついに殺人が起きてしまいましたね」

「ああ。明らかな殺人は初めてだな」

「決して殺してはならぬ。ザラキの戒めに背きましたね。楽園はどうなってしまうんでしょうか」

「それだよ。だがどうしてザラキがこの楽園を生み出したのかさえ謎のままだからね。どうなるのかはザラキ次第としか言いようがないな」

 大垣は手柄を立てたことでご機嫌だったが、芽依は殺人の残酷さの方が堪えたようで、沈んだ表情を浮かべていた。

 その頃、大森は自派閥の昼食会に出席していた。

「先生。楽園で殺人事件が発生しました‥」

 秘書の佐藤が耳打ちをすると、大森は少し思案した後、これ見よがしに大声を出した。

「本当か!」

 と、居並ぶ議員達が一斉に大森を注目する。

「何かあったんですか」

 隣に座る会長の青山が尋ねた。

「皆さん。楽園で殺人事件が起きたそうです」

 大森が言うと、部屋中でどよめきが起こった。

 大森は立ち上がって続けた。

「皆さん! ついに楽園が無法地帯の本性を現しましたぞ。そしてここまで楽園を放置した総理の責任は極めて重大だ。支持率も最低のまま、ただただ保身に走っている。党としてこれまで全力で応援してきましたが、これ以上は看過できない。私は立ち上がる時だと考えますが、皆さんのお考えはいかがでしょうかな」

 拍手が起こった。が、拍手喝采ではなく、何とも様子見的な曖昧な拍手だった。

 確かに楽園を放置してきた高橋への批判は高まっていたし、高橋の退陣を望む声も多かったが、誰を次の総理として立ち上がるのかを明言しなかったことが拍手を曖昧にしていた。

 そしてそれを表すかのように会長の青山は憮然とした表情を浮かべていた。  

 大森は総理まで登り詰めた長老議員なのだが、総理時代の人気は低く、自制できなかった失言癖も災いして二年足らずで辞職していた。その後は自派閥のオーナーに留まりキングメーカーとして君臨してきたものの、今や国民からは老害にしか見られておらず、自らが総理に再起できない以上、傀儡を操って牛耳るしかなかった。

 そして高橋もその傀儡の一人だったが、言うことを聞かなくなったから交代させるということであり、またぞろ中途半端な傀儡を立てるのかと、子分連中はうんざりしていたのである。

 そんな空気を読んだのか、大森は不機嫌になり、

「青山さん。若い者の躾が甘いんじゃないですか。これから正念場だというのに、しっかりとまとめて貰わないと困りますぞ」  

 と、隣席の青木に言い捨てると退席してしまった。

「はい‥」

 とだけ答えた青木は頭を下げたものの、そのままそっぽを向いた。

 最大派閥といっても、他派閥に連合を組まれたら主導権は取れなかった。よって他派閥の会長を総理に据えて抱き込むことで、大森は権力を握ってきた。

 即ちキングメーカーを気取る大森がオーナーとして居座る限り、青山が総理に成れる目は出ないのである。とはいえ、青山に総理候補として期待する者は僅かで、肝心の大森も青山は番頭までの器だと見限っていたのだからどうしようもない。

 かくして大森は行動を開始した。派閥の会合にせよ、高橋下ろしを公言した以上、事実上の宣戦布告である。大森の狙いは、それを日本中に知らしめることだった。高橋内閣はもはや死に体であり、党内やマスコミが政権交代の話題で盛り上がるだけで空中分解すると読んでいたからである。

 とはいえ、楽観はできない。魑魅魍魎が跋扈する政界の怖さを知り尽くした大森は、全力で高橋を潰す決意であった。


 殺人現場の取材を終えた芽依達が湖畔に戻ったのは夕方だった。

 そして直ぐに五人の僕を探すとインタビューを申し込んだ。

 デニムパンツにTシャツ姿で、原始人の様な長髪と髭の男三人と、ノーメイクで日焼けした女性二人の五人が湖岸で取材に応じてくれた。

「さ、殺人事件ですか‥」

 眼を丸くした酢豚が言った。

「ええ。石で頭を殴打された男性が発見されました。間違いなく殺人です」

 芽依が答えると、百均が不安気に呟いた。

「大丈夫かしら、何も起こらなければいいけれど」

「心配ですよね。決して殺してはならぬというザラキのお告げに背いてしまいましたからね」

 芽依はそう言うと、五人の僕にマイクを向けて、コメントを促すように間をおいた。

 酎ハイが言った。

「ど、どうしようもないです‥我々五人はただ平穏に暮らしたいだけなのに、どんどん人が増えて、様々なトラブルが起きてしまって‥」

 更に芽依は問うた。

「ではやはり、五人の僕から見ても様々な闇が楽園に生まれてしまったということですね」

 が、五人は口を開こうとはしない。

「聞けばこの湖畔の集団においても、乱闘騒ぎや内部分裂が起きてると聞きましたが本当ですか」

 芽依は踏み込んでみたが、五人はお互いの顔色を伺いながら話そうとしない。

 大垣が言った。

「芽依ちゃん。殺人事件のせいか今日はインタビューの雰囲気が堅いよ。皆さん、そんなに身構えないで下さい。我々はただ皆さんの純粋な思いをお聞きしたいだけなんですから」

「そうなんです〜。殺人現場の残酷さがショックでテンションが上がらないんですよ。暗くなってごめんなさい」

 と、ひょうきんな表情を作って芽依も取り繕った。

「はは。大変な目に遭われたんですね」

 苦笑いを浮かべた酢豚が答えた。

「そうなんです〜。全くの想定外でしたから。じゃ、明るい話題に変えますね。聞くところによると、此処に集会場を建てるそうですね。皆んなの交流を深めようってことなんでしょうけど、良いですね、皆さんの発案ですか」

 芽依は再び五人にマイクを向けて答えを促すと、傍の大垣も上手く切り込んだと満足気に頷いている。

 酎ハイが答えた。

「集会場と我々は関係ないですよ」

「え。そうなんですか。では他の人が勝手に建ててるんですか」

「詳しくは知りませんが、そういうことです。それに、そもそも我々五人は此処のリーダーでも何でもないんですよ。ただ、一番最初の住人だっただけなので」

「ごめんなさい。そうでしたね。じゃあ建ててる人に改めてインタビューしてみますけど、その人のお名前を教えてくださいますか」

 芽依は五人の口からフランカーの名前を引き出そうと試みるが、五人の口は重い。以前は赤と白の実や楽園での暮らし振りについてのインタビューだったので、芽依の天然な明るさが活きて会話も弾んだが、さすがに殺人や内部分裂のような話題になるとそうもいかなかった。

 結局五人はフランカーの名前を口にすることはなかった。楽園族は自分が楽園族だと世間に知られたくないから取材を嫌がる。五人の僕も取材に応じてはいるが、映像では顔にボカシを入れる約束になっている。だからフランカーを紹介すれば迷惑になると考えたのか、それとも紹介できないほど関係が悪いかのどちらかなのだろう。

 ただ、何れにしても、五人の僕の立ち場が随分と弱いことが窺い知れた。

 と言うより、酎ハイが言ったように、五人は楽園の最初の住人だっただけで、そもそもリーダー的な存在ではなかったのである。

 五人は統合失調症や自閉症に鬱病など、それぞれのハンデを抱えて職場を転々としてきた。それは孤独な戦いでもあった。そんな彼等が偶然に同じブラック企業に勤め、共に辛酸を舐める内に仲間という絆を築いたのだ。

 だが、やがてそのブラック企業も倒産した。従業員が十数人の零細企業だったが、給料も未払いのまま社長が夜逃げしたのである。

 五人にはもう、再び孤独な闘いに戻る気力がなかった。そしてメガの祖父母の家が空き家になっていたので、その空き家での共同生活をメガが提案したことから、五人は楽園の麓にあった山村へと移住した。

 祖父母の家は農家で、井戸があったことから電気さえ我慢すれば自給自足の暮らしを目指せたのだが、二ヶ月ほど経った頃、五人は家を追い出された。祖父母の死後、土地が売却されたことをメガは知らなかったのだ。

 不法侵入者扱いされ、仕方なく五人は山中に居場所を求めた。そしてこの時、誰もが五人でなら山中で野垂れ死んでも構わないと諦めたのであった。

 山中を彷徨うこと二週間。持ち込んだ食料も尽き、湖畔で行き倒れた彼等が餓死寸前で眠った夜、ザラキの悪夢へと誘われ、翌朝、目覚めてみると赤と白の実が生る楽園がそこにあった。

 まさにこの時、楽園が誕生したのである。

 それから三ヶ月。食べることに不自由が無くなり、五人は気儘な楽園暮らしを満喫した。

 まさに奇跡であり、彼等にとっては人生で最高のひと時となった。

 だが、日本の秘境というテレビ番組のロケ隊に発見されて歯車が狂い始めた。

 ニュースで報道されると、当然ながら楽園に人が来るようになった。最初は赤と白の実が珍しい程度の関心しか持たれていなかったが、この地で眠った者は全員がザラキの悪夢を見ることと、人が増えるにつれて赤と白の実の成る範囲も拡がることが判明すると、史上稀なる超常現象として世界から注目されるようになった。

 結果、インバウンドの楽園ツアーから単なるキャンパー、長期滞在者や永住を決意した移住者など様々な人々が押し寄せ、ニュースになってから一年で、住人が一万人に達したのである。

 かくして楽園族の間では、ザラキが五人のために楽園を生み出したのだと解釈され、五人はザラキの僕として神格視された。

 ただ、棲む者には楽園でも、政府にとっては忌々しい存在であった。

 国の統治から外れた楽園族が増えるほど国としての信用は損なわれ、貧困層が主体であることからも、増えるほどに貧しい国民が多かったことの証になるからだ。

 インタビューの後、五人の僕は湖にほど近い洞窟に戻った。洞窟は小さく、丘の斜面に口を開けていて、五人の僕が棲家にしていた。

 小さな焚火を囲む五人。

 プリンが呟いた。

「五人だけの頃に戻りたいわね」

 メガが言った。

「それにしても、どうしてこうも人は身勝手なんだ。この楽園にいれば何もしないでも食べていけるのに、奪ったり、争ったり、とうとう人殺しまで犯してしまった」

 酢豚が言った。

「そういえば松田さん、さっきのインタビューを聞いていたから、防犯対策だとかいって変なルールとか作り出さなければいいですけど‥」

 百均が言った。

「そうね。松田さんとフランカーさん。一触即発みたいよ。特にフランカーさんのグループが圧倒的に多くて、あの手この手で松田さんに嫌がらせしてるんだって。だから巻き返そうとする松田さんが何をするか不安だわ」

 酎ハイが言った。

「フランカーはこの間の乱闘に勝ってから、暴力で制することに味をしめたんだろう。松田さん側が手を出したら、それを口実にして一気に叩き潰す気だ」

 百均が続いた。

「何の為にそんなことをするのかしら」

 酎ハイが答えた。

「人を従えることに魅せられたんだろうな。いずれ楽園族は社会からの落伍者が多いけど、この楽園でならリーダーになることができた。その魅力に取り憑かれたんだろう」

 酢豚が言った。

「両雄並び立たずと言うし。フランカーさんも松田さんも、従う者への面子から譲れなくなっているんじゃないかな」

 百均が言った。

「あの。集会場なんだけど。フランカーさんのグループでは城と呼んでるそうよ。そして完成したら。フランカーさんが城主になるんだって」

 酎ハイが苛立たしげに言った。

「馬鹿馬鹿しい。もう真っ平だよ。皆んな、棲家を他に移さないか」

 メガが答えた。

「しかし、此処から楽園は生まれたんだし。我々を慕ってくれてる人達も大勢いるからね。勝手に移り住むような真似をしたら悪者にされるんじゃないかな」

 プリンが言った。

「いやよ。もう悪者扱いされるのはいや。どんなに努力してもお前が悪い。またあの地獄がくるなんて耐えられない。楽園にきて漸く解放されたと思っていたのに。なんでこうなるのよ」

 五人は落胆するばかりであった。

 五人の僕で、一番の年長者はメガだった。四十二歳。大柄の男性だが、統合失調症により同時進行での仕事が熟せないことから苦労してきた。週に一回、メガ牛丼を食べるのが生き甲斐だったことから五人の間ではメガと呼ばれていた。

 次は百均。四十歳。小柄な女性で、鬱病と広場恐怖症だったが、楽園にきてからは調子が良い。百円ショップで買い物をするのが生き甲斐だったことから百均と呼ばれていた。

 次は酎ハイ。三十九歳。小太りの男性で、彼も統合失調症で苦労してきた。毎日アパートの自室で安い酎ハイを飲んだくれていたので酎ハイと呼ばれた。アル中の域に達していたが、白い実の生る楽園は彼にとって天国だった。

 次はプリン。三十七歳。細身の女性で、自閉症だった。市販のプリンは全てコンプリートしたプリン好きなので、プリンと呼ばれている。

 最後は酢豚。三十五歳。平均的な体格の男性で、広汎性発達障害で苦労してきた。柔和で人当たりは良いが、物忘れの酷さは異次元だった。週に一度。町中華の酢豚を食べるのが生き甲斐だったことから、酢豚と呼ばれた。


 そして人々の不安をよそに、ザラキの戒めに背いた日の夜は更けていった。


 一夜が明けて、楽園に異変は無かった。

 日の出間近い朝靄の中。

「おお〜。無事だ無事だ!」

 大はしゃぎの磯崎と木田と有村が赤と白の実を頬張っていて、それを大垣と芽依が呆れ顔で眺めている。

 大垣が言った。

「こいつら何も考えてないな」

「でも良かったじゃないですか。何事もなくて」

 芽依である。

 昨夜も悪夢は訪れ、いつも通りの朝であった。

 芽依達は日の出とともに取材を開始した。まずは集会場へ向かい。その後に大麻草の栽培現場を取材する予定だった。

 と、その時である。集会場へ向かう途中、芽依が楽園族の少年を見つけた。

 小学生ぐらいだろうか、沢で水を汲んでいる。体操服を着ているが、髪は短く、楽園にきてまだ日が浅いように見えた。

 義務教育を受けるべき小学生が楽園に居るだけでも問題である。芽依はすかざす取材しようと少年に近づいたが、気付いた少年は逃げだしてしまった。

 沢を挟んでいる上に足場が悪くて追えなかったため、身軽に走り去る少年をカメラで追い、芽依がナレーションを入れた。

「小学生の中学年ぐらいでしょうか。体操服を着た少年が走り去って行きます。保護者の姿は見当たりません。一人でこの楽園に来たのか家族で来たのか分かりませんが、義務教育を受けるべき子供が楽園にいて許されるのでしょうか」

 芽依は思った。あの少年は親に連れてこられたのだろう。貧困とか、止むに止まれぬ事情があったのだろうが、懸命に逃げる少年の後ろ姿には、何ともいえない哀れさがあった。


 その頃。大森は事務所のデスクで踏ん反り返っていた。

 楽園での殺人事件は大森の読み通り楽園の印象を悪化させ、楽園族を擁護していた野党の勢いが弱まったことで、結果的には楽園を放置してきた高橋の責任が問われる展開を見せていた。

 もちろん大森が派閥の会合で発した高橋への戦線布告も知れ渡っていて、まさに永田町は風雲急を告げていたのである。

 大森は鼻歌まじりでご機嫌だった。

 とそこへ、週刊誌を手にした第二秘書が駆け込んできた。

「先生。大変です。今日販売された週刊誌が先生の防衛装備品汚職をスクープしています」

「ほ〜。この大森とやり合おうってのか。どこのアホだ」

 大森は余裕を見せながら週刊誌を手に取った。

 大森元総理。防衛費予算倍増の影で暗躍。というタイトルが躍る記事は六ページに及ぶ詳細なもので、あの手この手で防衛利権を漁っている大森の正体が暴かれていた。

「な。なんだコレは」

 流し読んだ大森は唸る様に言うと立ち上がった。

「佐藤を呼べ!」

 大森は怒鳴った。

「それが、佐藤さんは朝から連絡が取れないんです」

 第二秘書が答えた。

 週刊誌の記事は事実だった。汚職疑惑のスクープは時折り出回るが、大抵は事実と憶測が混在しているものだ。だが、この記事は完璧に事実だけが連ねられていた。

 内通者がいる。大森は直感した。そして防衛装備品の利権を取り仕切っていたのが佐藤だった。

「何を突っ立ってるんだ。さっさと佐藤を連れてこい!」

 大森に週刊誌を投げつけられ、脱兎の如く第二秘書は部屋を飛び出して行く。

 大森は尻餅をつく様に椅子に崩れ落ちた。

 そして思い巡らせた。

 朝から第一秘書の佐藤はいなかった。いつもなら自宅に迎えに来るので、体調でも悪くしたのかと思っていたが、何かが変だ。

 それにしても、週刊誌のスクープは危機的な内容だった。明確な証拠こそ書かれていないものの、全体像は全てを知る者にしか書けない正確さだった。

 大森は呟いた。

「高橋の仕業か‥それとも‥」

 何れにせよ、マスコミと野党が汚職疑惑に飛びつくだろう。政権交代に向けた戦乱の幕が開いた今、疑惑の的にされるのは致命的な危機であった。


 その時、佐藤は都内のホテルにいて、東京を一望できる高層階の客室で密談中だった。

 窓辺のテーブルで、

「しばらく此方で準備した伊豆の別荘に潜んでいて下さいますか」

 そう言った高橋の秘書は痩せ型で、銀縁眼鏡をかけた冷たい感じの男だった。

「くれぐれも大森先生以外の方には迷惑を掛けないで下さいよ」

 佐藤である。薄毛の頭で、大森が部下の身嗜みにはうるさかったことから、紺のスーツを小綺麗に着こなしている。

「勿論ですよ。青木先生とは盟友として手を取り合って行くと先生も申してますので、大森派の皆さんにご迷惑はお掛けしませんよ」

 高橋の秘書が慇懃に答えるが、どこか白々しい。

「それと。例の約束も大丈夫でしょうね」

「勿論ですよ。貴方ほどの人物を野に埋もれさせるのは惜しいと先生も仰ってますから。必ず次の参院選では貴方を比例代表候補にして差し上げます」

 と、答える高橋の秘書はやはり白々しく、その眼差しと表情からは誠意の欠片も感じられない。

 佐藤はもどかしさを覚えたが、もう後には引けなかった。大森が政治家として自分を取り立ててくれたなら、裏切りはしなかったのに。これは六十を目前にした佐藤にとって最後の賭けであった。

 大森は念願の総理に登り詰めたものの、景気低迷と自らの失言癖により二年足らずで辞職に追い込まれてから、人が変わってしまった。

 ただただ己の権力に妄執するようになり、部下や子分の芽を摘んででも自分の名声の糧にし、己れよりも新しいことを指向する者は全て敵と見做し、過去の栄光を守ることに執着した。

 佐藤にとっても大森は、もはや老害でしかなかったのである。


 その後、殺人事件から二日が経った。芽依達が引き上げた後も楽園に異変はなく、変わり行くのは楽園族内部の問題だけであった。

 松田が言った。

「フランカー派が自警団を設立し、住民登録を開始するそうです。そして集会場を自警団の拠点とし、統治範囲も決めるそうですから、五人の僕にも住民登録を迫ってくるでしょうね」

 昼下がり、五人の僕の洞窟に、松田が訪ねてきたのだ。

 メガが言った。

「住民登録って、市役所じゃあるまいし。だいたい家も住所もない我々の何を登録するんですか」

 松田が答えた。

「せいぜい名前を登録する程度でしょうが、フランカーの狙いは住人として従うかどうかの意思確認なんだと思います。特に五人の僕や私をライバル視してましたからね、マウントを取るために必ず住民登録を要求してくるでしょう」

 酎ハイが言った。

「登録に応じて平和に暮らせるならそれでも良いですけどね」

「いやいや。それは甘いですよ。住民登録の後、フランカーはルールや奉仕を押し付けてくるに違いない。そして皆さんにも無理難題を押し付けて、仲間外れにしようとするでしょう。何せ支配者としての地位を絶対的なものにするには、神格化されている五人の僕は邪魔ですからね」

「いやよ。私はこれ以上フランカー派とは関わり合いたくないわ」

 プリンがヒステリックに言い捨てた。

「皆さん。これは極めて重要なことなんです。自由と平和こそが楽園の存在意義なのに、フランカーは力で支配しようとしているんです。もしフランカーが成功したら。更に勢力を拡げようとし、それを真似る他の集団とも争いを繰り広げるようになるでしょう」

 百均が言った。

「それではザラキの悪夢と同じ理屈じゃないの」

「その通りです。楽園は社会から隔絶した無法地帯ですから、いったん道を踏み外せば修羅場と化すでしょう」

 五人の僕は不満を露わにしたものの、やがては項垂れてしまった。

 そんな五人の様子を見て取った松田は、おもむろに切り出した。

「皆さん。この際、強硬手段にでますが、私に任せて貰えませんか」

「強硬手段とは‥」

 と、メガが問い返すと、松田は声を潜めて答えた。

「楽園で殺人事件が起きて二日経ちましたが、異変は無かった。と言うことです‥」

「‥ま、松田さん。ま、まさか‥」

 メガは松田を凝視した。

「このままだと湖畔の楽園族はフランカーの独裁に苛まれ、ザラキの時代に逆戻りすることになる。しかし、私ならその様なことはしません。五人の僕を始祖として崇め。自由と平和を保証します」

 松田がフランカーから度重なる嫌がらせを受けていると知ってはいたが、ここまで思い詰めていたのかと感じた五人は戸惑いを見せた。実際に、松田の供をしている四人の男は腰に刃物を装着していて、日頃の争いの熾烈さが窺い知れた。

 が、その反面。神格化される事に優越感を覚えていた五人には、どうせなら松田が仕切ってくれた方が都合が良いとの思いが過ってもいた。

「皆さんは何もしなくて大丈夫です。ただこの後は私と組み、采配をお任せください。そうすれば煩わしいことは一切無く、平和に暮らしていただけます」

 松田は手を付いて頭を下げた。

 暫しの沈黙が続き、五人は暗黙を以て了解した。


 その日の夜。悪夢は一変した。

 悪夢は松田と五人の僕の密談から始まり。まさに五人が暗黙のうちに了解した松田との謀議が見られ、夜半、女性に誘い出させたフランカーを松田と手下が崖から突き落としたところで終わった。

 そして、ザラキの村の虐殺シーンやお告げは無かった。

 翌朝。誰もが驚愕した。

 赤と白の実が、消え去ったのである。

 そして崖下からはフランカーの死体が発見された。

 フランカーを殺し、ザラキの戒めに背いたことで楽園が消滅したのだと、楽園族の誰もがそう思った。

 

 早朝。芽依は自室で眠りの中にいたが、鳴り止まない携帯電話に眼を覚ました。

 電話の相手は大垣だった。

「大変だよ芽依ちゃん。楽園が消滅したぞ!」

 大垣は興奮していた。

「緊急事態だから。タクシーぶっ飛ばして直ぐに来てくれないか!」

 芽依は朝が弱い。しかも、昨夜は大垣が行きつけの居酒屋ドドンパで飲み会だったので二日酔いでもある。

 ベットで起き上がったまま数分、芽依は寝惚けていたものの、徐々に事態を飲み込んだようでバタバタと身支度を始めた。

 芽依が駆け付けた時には、報道局は大騒ぎだった。衛星電話による太田の情報から、松田と五人の僕によるフランカー謀殺の悪夢と、赤と白の実が一つ残らず消え去ったことが知らされており、その他のルポライターからも混乱する現地の情報が寄せられていた。

「芽依ちゃん。政府が楽園の封鎖を発表したぞ!」

 芽依を見つけるなり、大垣が駆け寄ってきた。

「封鎖。ですか‥」

 芽依が聞き返す。

「何せ一万人が一斉に食糧を失ったんだからね。とんでもない混乱に陥るのは間違いないから、危険だと判断したんだろう」

「直ぐに楽園へ出発すると思ってましたが、取り止めですね」

 芽依である。

 そこに報道局長がやってきた。

「おう、お二人さん。聞いたか。現地からの情報だが、五人の僕が楽園族に捕まってるそうだぞ」

「捕まるとはどういうことでしょうか」

 訝しげに芽依が聞いた。

「昨夜の悪夢から、楽園族は五人の僕と松田がザラキの戒めに背いたから赤と白の実が消滅したんだと思い込んでいる。だから責任を取らせるってことだろう」

「何か悪い予感しかしないんですけど」

 心配そうに芽依は言った。

 暫くの沈黙の後、

「そうだ! 良い手を思いついたぞ」

 と、大垣が大声を上げて手を打った。


 湖の砂浜に、五人の僕は立ち尽くしていた。湖に向かって足首まで湖面に浸かり、背後には百人を超える楽園族が取り囲んでいる。

 松田は逃げ去った後だった。ザラキの悪夢でフランカー殺害を暴かれたので、夜が明ける前に逃走したのだ。

 だが、五人の僕は事態が飲み込めないまま洞窟に止まっていたので捕えられ、湖畔に引き出されたのである。

 陽は頭上に登り、もう半日近くこの状態が続いていた。

「もうお昼です。なのに食べれるはずの実は一つもない。あなた方のせいですよね。こんな事になったのは」

 楽園族の一人が怒鳴った。

「早くしてくれよ。でないと皆んな餓死にしてしまうじゃないか」

「ザラキ様に許して貰える様に、死んで償って下さいよ」

「さあ早く。我々も一緒に祈りますから。早くしないと我々まで餓死にする事になるんですよ」

「僕なら僕らしく、責任取れよ!」

 背中から冷ややかな罵声が浴びせられる。楽園族は五人の僕に湖への入水自殺を強要していた。その死による償いにより、ザラキが楽園を復活させてくれるのではと期待したからだが、それだけ彼等は切迫していた。せいぜい二、三日で赤と白の実が復活しなければ、本当に餓死することになる。あれこれと考えている暇はなく、誰からともなく言い出した、五人の僕が命を以て償うという考えに飛びついたのである。

 五人は右端から酢豚、プリン、百均、酎ハイ、メガの順に並び、手を繋いでいる。

「もう行きましょう‥」

 プリンがそう呟くと、百均が答えた。

「そうね。どうせ一年前に此処で死ぬ運命だったんだし。もういいんじゃない‥」

 五人はもう疲れ果てていた。夜明けとともに楽園族に取り囲まれると、延々となじられ、罵声を浴びながら入水自殺を強要されていたのだから、思考が止まるほど精神を損耗していた。

 プリンが一歩を踏み出すと、皆も歩を進めた。

「よし始まったぞ。皆んなも祈るんだ」

 男の号令が掛かり、楽園族は跪くと両手を合わせる。

「はは。このまま向う岸まで泳いで逃げちゃいましょうか」

 と、酢豚が空しい強がりを呟くと、少し間をおいてから、しんみりとした口調でメガが言った。

「皆んな。ありがとう。皆んなに会えて楽しかったよ」

 酎ハイも言った。

「ああ。皆んなが俺の生涯における最高の親友だよ。こんな俺と付き合ってくれて、感謝してる」

 百均が言った。

「此方こそ。何処に行っても変人扱いされた私をこんなに大事にしてくれて、皆さん本当にありがとう」

 そしてプリンはもう、肩を震わせて泣くばかりだった。

 その時である。五人の前方から芽依の声がした。

「待って。皆さん何をしようとしているんですか。止めてください」

 それは後方の楽園族にも届く声で、誰もが声の方向を見た。

 そこには一機のドローンが飛来していた。

 大型の黒い機体の四方に回転翼を備えていて、羽音を響かせながらホバリングしている。

「楽園族の皆さん。皆さんは五人の僕に何をさせようとしているのですか」

 芽依がスピーカー越しに呼びかけるが、楽園族は呆気にとられるばかりで反応しない。

「此方は四国テレビです。皆さんがしていることは、全て撮影しています。今すぐ五人を解放してあげて下さい」

 芽依が続けてそう話すと、楽園族は顔を伏せたり腕で顔を隠そうとした。

「大丈夫です。皆さんの顔を放送することは有りませんから、落ち着いて下さい。でも、このまま五人を死なせたら、警察に映像を提出しなければならなくなりますよ」

 芽依が強い口調で話していると、

「じゃあ直ぐに食べ物を下さいよ」

「そうだそうだ。我々は五人の僕が憎くてやってるんじゃない。赤と白の実を復活させるために、償ってくれといってるんだ」

「綺麗事じゃ済まないんだよ。このままだと、我々は餓死にするんだから」

「その通りだ。まったく。この五人が不用意に人殺しに加担したおかげでね」

 堰を切ったように、楽園族が反発し始めると、立ち止まっていた五人は再び深みへと進み出し、その虚な表情は、諦めの果てにいるようだった。

 が、その時。酢豚が大声を上げた。

「き、北本裕二! 三十五歳! い、今治市生まれ! 僕は人並外れて物忘れが酷く、学校でも職場でも馬鹿にされて生きてきた。そして僕は今日、此処で死にます。でも、酢豚のまま死ぬのは悔しい。少しでも僕を覚えてくれている人が居るなら、今日、僕が此処で死んだことを知って欲しい。北本裕二! 三十五年間、い、生きた!」

 芽依の胸中に、酢豚の人生が立ち上がってきた。何があったかは知る由もないが、砂を噛むような無常な道のりだったのだろう。

 辺りは静まり返っていた。

 その時五人は胸まで沈み、尚も進んで行く。

「待って! 早まらないで!」

 芽依は叫んだ。

 だが、更に五人は沈み行き。一番小柄で首まで見えなくなったプリンが言った。

「皆んな。ありがとう。さようなら」

 水面に消えゆくプリン。

 百均も別れを告げる。

「一人では行かせない。私も一緒よ。皆んな。ありがとう」

「待って! 死んではダメよ!」

 芽依は叫び続けるが、もう時間は残されてなかった。

「いやー!」

 芽依の叫びと共に、酎ハイ、酢豚、メガも水面から消えた。

 誰ひとり、足掻こうともせず、静かに沈んでいく様は、自ら死を受け入れた事を物語っていた。

 ドローンの羽音だけが空しく湖面に響いている。

 岸辺の楽園族達も手を合わせたまま泣く者もいて、祈りを捧げている。

 そしてリーダー気取りの男が小賢しい口調で語り掛けていた。

「皆さん。祈りましょう。五人の僕は身を持って償ってくれたんです。その死を無駄にしないよう。ザラキ様が赦してくださるように、祈り続けましょう」

 本当に楽園が復活するかも知れない、そう信じた者達は祈り続けるのであった。

 一方、四国テレビのモニター室は沈痛な雰囲気に包まれていた。

 芽依はモニター画面の前で泣き崩れていて、周りにいるスタッフも沈黙したまま立ち尽くしている。

 五人の僕の入水自殺。またしても大スクープであり、大垣と報道局長だけは興奮を隠せない様子だったが、他の者は五人の死を厳粛に受け止めていた。

 大垣が言った。

「ドローンのバッテリーは後どれぐらい保つんだ」

「湖畔に留まれるのは十五分ほどです」

 誰かが答えた。

「よし。では帰還させよう。但し、楽園の様子を映しながら戻らせてくれ。他の楽園族の様子も知りたいからな。それともう一機のドローンの準備も急いでくれよ」

 大垣の狙いは的中した。ヘリで湖畔に向かうこともできたが、ヘリでは低空飛行に限界があり、音も大きく音声も拾えない。その点ドローンは近接して撮影ができ、会話も可能だった。

 かくして翌朝、赤と白の実が生えるのかが焦点となり、報道局は泊まり込みで夜明けに備えることになった。

 その後、帰還するドローンが混乱する楽園族の映像を送ってきた。

 続々と楽園族が外界へと移動していた。最奥の湖畔の楽園族だけは楽園の復活を待ち望んで止まっていたものの、それを知らない大半の楽園族は食糧を求めて外界へと移動を始めたのである。

 そして楽園に遊びに来ていた者や、調査機関、研究機関などが持ち込んだ食糧の掠奪が起こっていた。


 その頃、内閣危機管理室にメンバーが招集された。

 会議室の大きな円卓に閣僚が居並び、大型モニターに映る映像を一同で見ている。

 五人の僕の入水自殺の映像を見ながら、高橋が呟いた。

「ドローンか、厄介だな」

「飛行禁止にしますか」

 補佐官が答えた。

「いや、そこまでやると政府の情報封鎖だと批判されるだろう」

 高橋は苦々しい面持ちでモニターを眺めている。

 五人の僕の入水自殺はかなりセンセーショナルだった。しかもフランカー殺しまで合わせると、楽園はまさに無法地帯だと知れ渡ってしまった。そしてそうなるまで放置した責任を追求されることを高橋は恐れていた。

 出来るだけ、楽園問題が注目されないで過ぎ去って欲しい。それが高橋の本音だった。

 大森の汚職疑惑をリークして世間の耳目を楽園問題から逸らし、尚且つ大森を蹴落として総理の地位を守る。一石二鳥の大勝負を挑んだ矢先だったのに。楽園消滅の騒動が何もかもひっくり返してしまいそうだった。

 官房長官が言った。

「総理。一万人もの楽園族が雪崩のごとく市街地に押し寄せたら一大事です。一刻も早く自衛隊を出動させて救護村を設営しましょう」

 答えたのは補佐官だった。

「お待ち下さい。それはまずい。今、救護村なんか立ち上げたら、殆どの楽園族が流れ込んでしまう。この先あんな世捨て人に無駄飯を喰わせてたら、それこそ税金の無駄遣いだと我々が袋叩きに遭いますよ」

「それはいかん。長引くのは最悪だ」

 高橋である。

 補佐官が続けた。

「楽園族の中にも、家に帰れる者が大勢いる筈ですから、まずはそういう連中を自主的に帰らせることです。そして金がなくても身寄りのある者達には連絡所を設置してやり、引き取って貰えるなら交通費ぐらい支給してやりましょう」

 官房長官が間の手を入れた。

「なるほど。まずは社会復帰できそうな連中を先に間引くってことか」

「そうです。問題は帰る場所のない永住覚悟だった連中です。恐らく二、三日で行き倒れるか、略奪を始めるでしょう」

 高橋が言った。

「それはまずいぞ。窃盗や強盗事件が頻発したらそれこそ政府が槍玉にされてしまう」

「そこは警察を大量動員して治安を守らせます。この際、怪しげな者は容赦なく連行しましょう。そして各地に分散して拘留することで国民から見えなくします。その上で行き倒れた連中は保護して、我々が人道的であることを見せておけば良いでしょう」

 補佐官は自分で自分が偉いと思えるタイプで、言い終えるとしたり顔で閣僚達を睨め回している。

 官房長官が言った。

「現実的な対応としては補佐官の言う通りで良いでしょう。だが、如何にも役人らしい。政府としては、此処で国民に明確なメッセージを発すべき時では有りませんか。そしてそれを発信するのはもちろん総理です。如何ですかな、総理」

 高橋が答えた。

「そう‥ですね。では近いうちに私から国民にメッセージを発信すると発表して下さい。高橋は大事に当たっては先頭に立つリーダーだとね」

「はい。分かりまし‥え、んと、メッセージを発信すると、近いうちに。で、大事の際は総理が先頭に立つんですよね。で、肝心のメッセージは何時になさるのでしょうか」

 そう言った官房長官は怪訝そうに高橋を見据えた。

「様子を見ましょう」

 高橋である。

「はっ‥」

 官房長官が呆気にとられたところに、補佐官が割って入った。

「そうです。様子を見ましょう。肝心なのはこれから如何に楽園族を有象無象にするかです。下手に救護村なんかに集まられて、人権的な訴えでもされたらそれこそ野党やマスコミのネタになってしまう。今はとにかく、曖昧にして楽園族を分散させることに注力すべきです」

 官房長官と補佐官の間で険悪な空気が流れた。もともと二人は仲が悪く、国民へのアピールを重視する官房長官と、なし崩し的に曖昧な収め方を好む補佐官は水と油だった。

 ただ、高橋が補佐官を重用するので、調子に乗った補佐官が官房長官に逆らうことが多かったのである。

 と、そこへ外務大臣が口を挟んだ。

「あの〜ちょっとよろしいでしょうか。先ほど中国政府が日本の楽園族に対する人権弾圧を許してはならないとのコメントを発しました。またしても反日の外交カードにしようという意図が明白ですから、くれぐれも慎重な対応をお願いします」

「えっ。中国が‥日本に人権をですか‥ハハ。笑える‥ま、留意しておきましょう」

 高橋は鼻で笑った。

 と、そこへ官房長官が切り返した。

「それでは国民へのメッセージについて私は関わらないことにしますので、総理ご自身でなさってくださいね」

 と、すかさず、

「ところで大森先生の汚職疑惑はどうなってますかね。まったく、楽園問題で大忙しだというのに。要らざる問題を起こされていい迷惑なんですけどね」

 高橋が話を変えてしまうと、補佐官が続いた。

「週刊誌のスクープを発端にマスコミ各社が取材を開始してましたので、数日後には本格的な報道合戦が始まると予想してましたが‥はてさて、このままだと楽園の騒動に掻き消されるかも知れませんね」

「良い気なもんですね。派閥の会合では私を総理から下ろすと啖呵を切ったそうじゃないですか。まったく、ひとりで引っ掻き回して、老害も甚だしいですね」

 高橋は愚痴をこぼす体で、閣僚達がどちらの味方なのか顔色を窺っていた。そしてまさに官房長官は大森派であり、その他にも大森派の大臣がいる中なので、もはや大森と高橋の対立は剥き出しの抗争状態であった。


 夜明け前。楽園の麓からドローンが飛び立った。湖畔までは三十分。空が白み始める頃に到着する予定だった。

 五人の僕の死をもっての償いにより、赤と白の実は復活するのか。

 太田の他、楽園に潜入していた調査員は全員脱出してしまったので、確かめる手段はドローンによる映像だけであった。

 ただ、この時には他局のドローンやヘリコプターも飛来していて、この日の楽園の夜明けは日本のみならず世界中にライブ配信される一大イベントに発展していた。

 モニター室で芽依や大垣が現地の映像を凝視している。

 少しづつ、森が夜の闇から滲み出る様に浮かび上がってくると、一同は固唾を飲みながら赤と白の実を探した。

 だが、赤と白の実は見えなかった。

 大垣が言った。

「駄目だったか‥よし、砂浜に集まってる楽園族へ移動させてくれ」

 湖面の上から森を接写していたドローンが翻ると、湖畔の砂浜へと向かう。そして五人の僕が沈んだ真上を通ると、砂浜に集う楽園族に数メートルまで迫った。

「何だよ! 今度は嘲笑いに来たのか」

 楽園族から怒声が飛んだ。楽園が復活しなかったことで、かなり苛立っている様子だった。

 と、その時、ドローンに向けて誰かが石を投げた。当たらなかったが、たちまち他の者も投げ始めた。

 そしてその中には、体操服の少年もいたが、少年は石を投げてはおらず、不安気な表情で立ち尽くしている。

「あ、あの少年は‥」

と芽依が言った瞬間、映像が途切れた。投石がカメラを直撃したのである。

 大垣が言った。

「くそ〜。狼狽える楽園族を追ってやろうと思っていたのに。仕方がない、もう一機を送り込もう」

 大垣は内心では五人の僕を死に追いやった楽園族を憎々しく思っていて、飢えの恐怖に駆り立てられながら外界へと馳せる楽園族の狼狽振りを徹底的に追うつもりだった。

 が、逆にそんな思いを気取られてしまったのか、楽園族の反撃により出鼻を挫かれてしまった。

 こうして楽園の消滅は確定した。

 そして飢えた一万人の楽園族が続々と麓の市街地に押し寄せると、警察も近県から応援を送り込み、麓の市街地には警官と機動隊員が溢れていた。

 事態は補佐官の思惑通りの流れになった。まずは帰れる者が粛々と帰路に着き。金を持っていたものはスーパーやコンビニで食料品を買い求める。そして無一文の者達は山村の畑を荒らしたり、またある者は市街地に潜んで食料にありつく隙を伺っていたが、取り締まる警察と対立することになり、飢えが募るほどに敵対心を激らせていた。

 そしてついに衝突が起こった。銭湯に入ろうとした楽園族を店側が断ったのだが、店側は単に楽園族が汚なすぎて他の客の迷惑になると判断しただけなのに、断られた楽園族が侮辱されたと怒りだして口論になり、そこに警官が駆けつけたので揉み合いになり、周りの楽園族と機動隊も加わったので暴動になった。

 小さな暴動だったものの、銭湯の玄関口は破壊され、十数人の楽園族が逮捕されたが、その最中に銭湯の飲料水や売上金が奪われていた。

 そしてその一部始終が全国ネットのニュースで流された。市街地にはマスコミも押し寄せていたのである。

 この後も、掠奪目当ての暴動が頻発する様になり、警察は片っ端から逮捕した。

 一方で山村の畑を荒らす楽園族も大勢いた。畑から農作物を盗み。村の家々から調理器具まで盗む。飢えた楽園族の集団内では、どのような手口であれ食料をもたらせてくれる者はヒーローであり、集団心理的には窃盗も略奪も容認されていた。

 もちろん山村の住人側も黙ってはおらず、自警団を作って対抗したが、いかんせん少人数の年寄りでは歯が立たず、小さな村は楽園族に占拠されていった。


 再び内閣危機管理室。

 防災大臣が報告した。

「非常食、五千食。準備できました」

 補佐官が言った。

「では市街地に数ヶ所拠点を設けて配布しましょう。マスコミにも公表して下さい」

 高橋が続いた。

「マスコミはダークな報道を好むからな、我々がいかに人道的に対応しているか、しっかりとアピールして下さいよ」

 官房長官が言った。

「山村の楽園族には配らないのですか」

 すると即座に、補佐官が切り返した。

「山村の楽園族は農家を不法占拠するなど、犯罪を犯しています。そんな連中に食料を配ってどうするんです。逮捕するのが先でしょう」

 高橋が続く。

「その通りだ。警察庁長官。山村部を制圧する機動隊の編成はまだ終わらんのかね」

「はい。近県からの増援待ちですが、日暮れまでの出動は難しいかと‥」

「何を呑気な事を言ってるんだ。楽園族は飢えてるんだぞ。こうしている間にも家々が襲われているというのに、少なくてもいいから、片っ端から出動させなさい!」

 高橋はテーブルを叩いて捲し立てた。

 補佐官の読み通りに推移しているとはいえ、暴動や掠奪など、政府の面子が丸潰れな事件が頻発しており、どう考えても支持率が下がるであろう状況に、苛立ちを隠せない高橋であった。

 また、閣僚達の態度も苛立たせる原因のひとつだった。大森の宣戦布告により政争の幕は切って落とされており、どの閣僚にも落ち目の高橋をリスペクトする気など無かったからである。


 数日後。大森の屋敷に幹事長の池田は呼び出された。

 日本庭園を一望する座敷に通されると、着物姿の大森が座椅子で踏ん反りかえっていて、その面前には正座した青木が神妙な面持ちで項垂れている。

 これは何かあったな。池田は直感した。

「お呼びでごさいますか」

 青木の隣で胡座をかいた池田は穏やかに挨拶した。

「呼び付けて悪かったね。急いで決めておきたいことがあって来てもらったんだが、君にとっては極めて良い話しだ」

 と、不機嫌そうだった大森が薄笑いを浮かべたので、池田も和やかに切り返した。

「ほう。そうですか。もしかして私を総理候補にして下さるとか。って冗談ですけどね。ははは」

「はははは。その通りだ。どうして分かったんだ」

「え。はは。ご冗談を‥」

 そこで大森から笑みが消え、

「ほんとうに、その通りなんだよ」

 という、ドスの効いた声が返ってきた。

 大森が続けた。

「高橋とは縁を切れ。そうすれば大森派はあんたを推す。俺とあんたが組めば、高橋に勝ち目はない。他の派閥も我々に味方するだろう」

「そ、そうですね。しかし、青木先生はどうするんです。青木先生を差し置いて私が総理に成ったのでは、大森派の皆さんが納得しないでしょう」

「青木は地元の茨城県知事に転身することになったから気にしないでくれ。それから池田内閣では防衛大臣、法務大臣、財務大臣、総務大臣、官房長官のポストを大森派が貰う。それで派内の連中は納得させるから問題はない」

 池田は大森を見据えながら思案している様子だった。

「嬉しくないのか。それとも、この大森が防衛汚職で消えるんじゃないかと考えてるのか」

「い、いえ。その様なことは‥ただ。急なお話しだったものですから」

「ごまかさなくていい。だが、そう悩むことでもあるまい。楽園の大騒動のおかげで防衛汚職は消し飛び。世論は楽園を放置した高橋への責任問題一色に変わった。形勢は完全に逆転したのだ。あんたも見誤ると共倒れになるぞ」

「承知致しました。不肖この池田晋介。身命を賭して総理大臣を務めさせていただきます」

 池田は両手をついて頭を下げた。

 これで高橋のクーデターは失敗が確定した。青木と佐藤に下剋上をそそのかして大森を潰し、池田と組んだまま青木をも抱き込めれば高橋は絶大なる実力者になれた。が、二兎を追うものは一兎も得ずの例え通り、高橋が青木に近付くほどに池田は不信感を募らせていて、その足元を大森に掬われたのである。

 池田は帰りの車中で思った。

 さすがに大森の老獪さには舌を巻くものがある。

 まず裏切った青木を敵に回さずに知事として飼殺しにする。そして防衛汚職に対しては子分を防衛大臣に据えて守りを固め、検察とマスコミを牽制できる法務大臣と総務大臣も押さえている。また、大臣としては金筋の財務大臣と、内閣の要である官房長官まで押さえており、内閣を傀儡化しようとする意図が透けて見えていた。

 そう思うと、腹立たしさが込み上げて来た。大森は一体なんの為に政権を牛耳ろうとしているのか。全て己の権勢と保身の為ではないのか。

 そしてこんな憤りを胸に高橋は叛逆を企てのだろうか、そんな思いを過らせながらも、池田は念願の総理大臣に成れることに心を躍らせるのだった。


 その後も楽園族の騒動は続いた。暴動や掠奪は後を絶たず、マスコミは楽園族一色に染まっていた。とくに楽園消滅から一週間後に松田リンチ殺人が発生してピークを迎えた。

 というのも、松田は悪夢に登場したので楽園族全員に知られていて、市街地に潜伏していたところを発見されてリンチにあったのだが、暴徒と化した楽園族による集団殺人だった。

 かくして大森の防衛汚職は報じられることがなく、世論からも忘れられていった。

 結局、楽園の消滅から始まった騒動は一ヵ月に及び。逮捕者は五千人。他は社会復帰した者が大半で、行き倒れて救護村に保護されたのは千人ほどだった。

 そして高橋は退陣した。解散総選挙を画策したものの、敵は野党ではなく身内だった。高橋では選挙に勝てないという風聞が横行して党内がまとまらす、党の総裁選挙で高橋は池田に惨敗したのである。

 よって池田が首班指名で総理になり、求心力を失った高橋は失脚し、高橋派は空中分解した。

 大森は生き残った。楽園族騒動が一段落してから防衛汚職を蒸し返す動きがあったが、マスコミも検察も動かなかったので盛り上がらず、多少のゴシック記事が流された程度で自然消滅した。

 結局、大森の秘書だった佐藤は貧乏くじを引いた。後ろ盾の高橋が失脚したのでは大森に勝てるはずもなく、消え去るしかなかった。勝負を掛けた参議院議員への夢は泡沫に消え、待っていたのはシルバー人材センターに通う老後であった。


 楽園の消滅から二月後。池田内閣の発足と同時に楽園の封鎖が解除された。

 もはや無人の楽園だが、大垣と芽依は楽園の解禁日を知ると直ぐに取材に入った。

 紅葉に彩られた楽園に人の気配は無く、楽園族が暮らしていた痕跡だけが散在している。

 取材チームは同じメンバーで、大垣、芽依、磯崎、木田、有村の五人である。

 取材の目的は楽園のドキュメント番組を制作するにあたり、消滅後の楽園の姿も構成に加えたかったことと、取材が十回近くに及んだ楽園への思い入れがあって、最後の姿を見ておきたいというのが全員の思いだった。

 それと大垣は、楽園取材での手柄が評価され報道局長への昇進が決まっていて、今回が現場に出る最後の取材だった。一方で芽依は楽園取材で全国放送される機会が無くなってしまい、人気が薄れつつあった。

 通い慣れたコースを辿り、湖畔を目指す五人。無数に生えていた赤と白の実は消え去り、紅葉に彩れた森は冬の訪れを感じさせた。

 が、森を一時間ほど歩いたところで、五人は厳しい現実を目の当たりにすることになった。

 それは首吊り自殺の屍だった。木の枝に、地面から膝丈ほどの高さにぶら下がり、腐敗して朽ち果てていた。

 芽依は目を背けたが、大垣は興奮気味で磯崎に撮影を指示した。

 楽園は無人だと高を括っていた五人だったが、思えば社会復帰を断念して自殺する者がいても不思議はなかった。

 結局、湖畔に着くまでに自殺と野垂れ死の骸を一体づつ発見し、大垣はすかさず衛星電話で画像を送信した。他局も取材に来ている可能性があり、早い者勝ちだからだ。

 どうやら楽園が消滅して以降、内部の捜索は行われていない模様だった。広大な地域なだけに、隈なく調査するのは不可能だったかも知れないが、それなりに捜索していれば、救えた命があった筈だ。

 実際に池田は楽園の現状を把握していた。政争に追われた高橋は楽園消滅の事後処理を残したまま辞職しており、それを知った上で池田は楽園の封鎖を解除したのである。それは全て、高橋の責任として楽園騒動の幕を閉じる積もりだったからだ。

 一行が湖畔に着いたのは、湖の水面が夕映えに煌めく頃だった。

 湖面に向かい、手を合わせる一同。

 大垣が呟いた。

「五人の僕は、まだ湖の中にいるのかな」

「ちょ、ちょっと大垣さん。怖いこと言わないで下さいよ」

 芽依である。

「引き上げられたとは思えませんね」

 磯崎が言った。

「だろうな」「でしょうね」

 木田と有村である。

 大垣は苦笑いを浮かべて言った。

「芽依ちゃんの言う通り。そう思うとなんか怖いな」

 芽依が言った。

「ほら〜。言わなくてもいいこと言うからですよ」

「テントの場所、変えようか」

 大垣である。

「いやいや。他所もまた自殺者とかいたらもっと怖いし。何処でも一緒ですよ」

 磯崎が答えた。

 結局一行は湖の辺りにテントを張った。懐かしくさえ思える赤と白の実はなく、レトルトのシチューとパンで夕食をとった。

 そして一行は、悪夢を見ない一夜を過ごした。

 翌朝。夜明けと共に行動を開始した一行は五人の僕が暮らしていた洞窟に向かった。以前にも取材で訪れたことがあり、湖畔に近いことから一行はテントと荷物を残したまま出発した。

 湖はすり鉢状の地形の底にあって、湖畔の周囲は山腹に囲まれている。一帯には深い森と苔生す岩肌が入り混じっていて、大きな岩肌には複数の洞窟が点在した。

 五人の僕の洞窟の側にはせせらぎがあり、取材の時に彼等が水を汲んでいた光景が偲ばれた。

 洞窟内は畳十畳ほどの広さで、陽の光だけでは薄暗く、中央部に焚き火台があって、壁沿いには五人の荷物が置かれていた。

 芽依はペンライトで照らしながら五人の僕の荷物を物色した。他人の荷物を無断でとも感じたが、どちらかといえば遺品整理の気持ちの方が優っていた。

 そして写真を見つけた。女性の物と思われる手帳に挟まれていたのだが、アパートらしき一室で写された五人の集合写真だった。古びた小部屋で、満面に笑みを浮かべてVサインを送る五人。楽園では髭もじゃだったメガ、酎ハイ、酢豚の素顔を初めて見たが、酢豚はそこそこの男前ながら、メガと酎ハイは中年オタク風だった。

 楽園に来る前、五人は最後の職場で同僚だったから、その頃に誰かの部屋で飲み会をした時の写真のようだ。

 それにしても、どうしてこんなに善良そうな人達が社会から追いやられ、死ななければならなかったのだろう。彼等の笑顔を見ていると、芽依は行き場のない憤りを覚えた。

 すると今度は別のページに挟まっていたツーショットの写真が出てきた。

 みかん畑の前で腕を組む酢豚とプリンが写っていて、二人とも満面の笑みを浮かべている。

 あの大人しいプリンがこんなにも鮮やかな笑顔になるなんて。二人は付き合っていたのかしら。芽依は想い巡らせた。

 となると、隣の女性の物らしいのが百均のバックパックになる。開いてみると、マグカップ、プラボトル、クリアケースなど、百円ショップで売ってそうなグッズが入っていて、クリアホルダーを開いて見ると、百均に向かってお辞儀しながら目一杯右手を差し出すメガと酎ハイの写真が出てきた。合コン番組の最後で告白するシーンを真似たようだが、百均は何方を選んだのだろうか。

 その時である。

「大変です。テントから荷物が盗まれました」

 と、有村が駆け込んできた。

 有村がカメラ用の予備バッテリーを取りに戻ったところ、数人が荷物を持って逃げ去ったという。

 全員でテントに戻ると、大垣が言った。

「どんな奴らだ。姿は見たのか」

「あれは楽園族です。あの森の中へ逃げて行きました」

 有村が指を差しながら答えた。

「なんてことだ、生き残ってる楽園族がいたのか。しまった! 衛星電話は無事か」

 大垣が慌てて衛星電話を置いてあったテントを覗くが、なかった。

「やられたよ。これでは救援を呼べないぞ」

 洞窟へはカメラとマイクは持って行ったものの、他の荷物はテントに残していて、全て盗まれてしまった。

 大垣が言った。

「奴らが逃げた方向には楽園族が棲み着いていた洞窟群があったよな、どうする、探しに行こうか‥」

 すると芽依が続いた。

「行きましょう。そして食料は返さなくていいという条件で、取材を申し入れてはどうでしょうか」

 大垣が答えた。

「危険だが、成功すればスクープだな。しかし今から探したのでは今日中に麓には戻れないかも知れない。空腹のまま、二日間頑張れるだろうか」

 芽依が言った。

「はい。目指すは全国ネット級のスクープですから。それに衛星電話さえ取り戻せたら、救援を呼べるじゃないですか」

「確かに。衛星電話さえ取り返せれば何とかなるな。皆んなはどうだ」

「よし。芽依ちゃんのガッツに乗りましょう。な、行けるよな皆んな」

 磯崎がまとめてくれた。ただちょっと、有村の反応は怪しかったけれども。

 一行はすぐさま楽園族が逃げた方向へ移動を始めた。さすがに十回近くも楽園に来ていたメンバーだけあって、楽園族が逃げた方角で彼等が棲みついていそうな場所の見当がついたのである。

 そして、見当を立てた辺りへ差し掛かったところ、木々の間をすり抜けるように移動する人影が目に入った。    

 それは子供で、体操服を着ていた。

「大垣さん。あの少年ですよ」

 芽依が小声で知らせると、一同は目配せを交わしながら後を追った。

 やがて少年は、洞窟に入った。草や木に遮れて入り口は見えなかったが、苔生す岩肌が垣間見えていて、辺りにも複数の洞窟が点在していた。

「どうしよう。踏み込もうか」

 大垣は迷った。

 少年だけなら恐れることはないが、洞窟の中に大人の楽園族が居たら面倒な事になるかも知れない。

 しかし、一行には待つ余裕はなかった。体当たりででも早くこの局面を打開しなければ、空腹で動けなくなる。強引でも接触して、危なければ逃げるほうが良いという結論に至った。

 洞窟は人が両手を広げたほどの間口で、十数歩中へと進むと学校の教室ぐらいの薄暗い空間があった。中には少年と大人の二人がいて、大人の楽園族は横たわったまま、少年から水を飲ませて貰っていた。

 そして芽依達に気付いた少年は恐れた表情を浮かべて固まってしまった。

 芽依は少年に近づくと、穏やかな口調で話しかけた。

「大丈夫よ。私は貴方を二度見ています。一度目は沢で水を汲んでいたところ、二度目は五人の僕が入水自殺した時に砂浜にいたわね。恐れなくて良いわよ。怒ってもいないし。それよりも貴方のような子供が楽園にいたことを、心配してたんだから」

 それでも少年は黙りこくっている。

「その人は誰。病気なの‥」

 芽依が問うた。

「お父さんです。楽園が消滅してから病気になって。もう動けないんです」

「動けないの‥」

「うん。歩くことも出来なくなって。もうどうして良いのか分からないんだ」

 思い詰めた口調で答える少年には、悲壮感が漂っていた。

「じゃあ早く病院に連れて行ってあげなきゃ。どうして早く外に出なかったの」

「父さんが外に出ても誰も助けてくれないから。自分が死んでも仲間と生きろと言って、楽園を出ようとはしなかったんだ」

「仲間がいるの」

「全員で十六人いるよ。この辺の洞窟に住んでる」

「何を食べているの」

「湖の魚とか鳥や動物。木の実とか、皆んなが獲ってきた物を食べてる」

 少年は痩せており、特に父親はやつれ果て、意識も混濁している様子だった。

 大垣が言った。

「ところで、この祭壇は何なんだい」

 見ると、洞窟の奥に平台状の岩があって、祭壇になっている。

 芽依も祭壇の前に立つと、祭壇の中央には拳ぐらいの石で囲った小さな焚き火台があり、左右には幾つもの土器が並べてある。

 芽依が少年に言った。

「この土器は、貴方が見つけたの」

「そうだよ。この洞窟を見つけたのが僕だからね」

「貴方が洞窟を見つけたの」

「そうだよ。楽園が消滅してから何日か後、僕は悪夢を見たんだ。そして翌朝、この洞窟をみつけた。そうしたら皆んなからザラキへ祈りを捧げろと言われて、父さんとこの洞窟に住むことになったんだ」

「え! 楽園が消滅してから悪夢を見たの」

「見たよ。だけど次の朝、皆んなに話したら、誰も見てなかったけどね」

 そこに大垣が口を挟んだ。

「じゃあ君がこの洞窟を見つけた時、既にこの土器は有ったんだね」

「そうだよ。綺麗にして並べたのは僕だけどね」

「って事は、この土器はいつの時代の物なんだ‥」

 と、大垣は芽依を見た。

「あ、この飾り、悪夢でザラキがしていた耳飾りに似てますね」

 と、芽依が小指ほどの骨製の耳飾りを覗き込む。見ると、土器の間に骨製の装飾品が幾つか紛れていた。

「まさかザラキの洞窟が此処だったということか。だとしたら大発見だぞ」

 大垣も興奮気味で牙状に磨かれた骨製の耳飾りを覗き込む。

「皆んなも言ってたよ。これはザラキの時代の物だろうって」

 少年が自慢げに言った。

「君、お名前は、歳は幾つなの」

 芽依が問うた。

「中村駿。十歳です」

「じゃあ駿君と呼んでいい」

「うん。皆んなもそう呼んでるよ」

「じゃあ駿君。お願いがあるの。駿君の仲間の人が私達の荷物を盗んだの。それでね、食べ物は返さなくても良いから、衛星電話を返して欲しいということと、お話もしたいので会いたいと伝えて貰えないかしら」

 芽依は屈んで少年と目線を合わせると、宥めるように優しい口調で話した。

「電話‥外に電話できるの」

「そうよ。そうしたら食料を届けて貰えるし、お父さんを病院に連れていって貰うこともできるわよ」

「ほんと! 分かった。じゃあいってくる」

 少年は走って出ていった。

「少年を上手く味方にできたぞ。さすがは芽依ちゃんだ。冴えてるな」

 大垣が誉めそやした。

「夢中で話してました。最初から此方の条件を言ってしまいましたが、良かったでしょうか」

「時間もないことだし、良いんじゃないかな。後は連中がどう出るかだけどね。それより磯崎さん。あの祭壇を撮影しておいて下さい」

「分かりました。でも、この際ですから耳飾りとか持ち帰って、何年前のものか調査してはいかがですか」

 磯崎である。

「‥ですよね。しかし此処から盗んだみたいになってはね‥」

 逡巡する大垣に芽依が言った。

「この耳飾りや土器の年代が明確になれば、ザラキの村の虐殺を歴史に刻むことができます。そうすれば、ザラキの怨念も救われるんじゃないでしょうか。そうしましょう、大垣さん」

 大垣は悩んだ。確かに、この耳飾りや土器がいつの時代に作られたのか、現代の技術なら簡単に測定できるだろう。そしてその年代にザラキの悪夢が起こったと捉えれば、これほど明確に歴史を垣間見た例は稀であろう。

「あの少年が承諾してくれたら、盗んだことにはならないんじゃないでしょうか」

 芽依の言葉に大垣は我に返った。

「そうだな。じゃあ芽依ちゃん、少年が戻ったら説得しよう。上手くいったら、全国ネット間違いなしのスクープだからな」

 一同は盛り上がった。実際、楽園の取材クルーは大垣以外のメンバーも局内で評価されており、再び此処で手柄を上げるのは全員に取っても喜ばしいことであった。

 しかし、現実はそれほど都合よく運ばなかった。

 洞窟で少年の帰りを待っていたところに、手にナイフや棍棒を持った楽園族が雪崩れ込んできたのだ。人数は十人を超え、あっという間に取り囲まれてしまったのである。

 強張った声で芽依が言った。

「少年は何処ですか」

「少年は関係ないだろ。あんたらこそ子供に変な話しを吹き込んでんじゃないよ」

 リーダーと思われる長髪で髭面の男が声を荒げた。背が高く、グレーのトレーナーを着ているが汚れ切っていて、以前の楽園族には無かった殺気を帯びていた。

 大垣が言った。

「衛星電話を返してくれないか。他は返さなくて良いから。何なら新たに食料を送って貰うこともできるし、悪い話しじゃないだろう」

 すると、リーダーらしい男と、側近と思われる男が続け様に言い返した。

「お前、自分の立場が理解できてないようだな。我々は此処に居る事を誰にも知られたくないんだよ。だから衛星電話なんか返す筈ないだろう」

「そうだ。我々はここで真の楽園を築こうと頑張っている。それをお前らマスコミが報道したら、再びここは滅びの道を辿ることになる。二度も同じ轍を踏んでたまるかよ」

 大垣が言った。

「我々を帰さないつもりなのか」

「ああ。帰っても絶対に我々の存在を他言しないなら構わないが、信じられんからな」

 リーダーらしい男がそう言うと、側近らしい男が号令した。

「皆んな。こいつらを後ろ手に縛るんだ!」

 一同は後ろ手と両足首を縛られると、そのまま洞窟に監禁されてしまった。

 楽園族が洞窟を出て行った後、芽依が言った。

「あそこまで敵対的だとは思わなかったですね」

「ああ。思えば五人の僕を死なせた連中だからな、甘く見過ぎてたよ」

 大垣である。

「特にリーダー格の二人はヤバいですね。サバイバル生活で野生化したのか、目つきが危なかったですよ」

 磯崎が言った。

 見張りは洞窟の入り口を固めている。随分と時間が経ったようで、暗くなってきたところを見ると夕暮れ時なのだろう。

 有村が言った。

「お腹すいたっす。こんな事ならさっき闘っておけば良かったですよ」

 磯崎が答えた。

「何を言ってるんだ。あの人数に武器を持って囲まれたらどうしょうもないだろうが」

「囲まれたら手遅れですけどね、正面だけなら何人相手でも勝てますって、入り口で迎え撃てたら無敵だったのにな〜。一瞬迷ったのが間違いでしたよ」

 大垣が言った。

「そうだな。有村は空手三段だからな。有村に正面から戦って勝てる楽園族はいないだろう」

 芽依が言った。

「どうします。我々に食料を与える気は無さそうですし、何とかして逃げ出す事を考えないと‥」

 大垣が言った。

「そうだな。よし。とにかく有村の縄を解こう。有村、そこにうつ伏せになれ」

 うつ伏せになった有村の後ろ手の縄を解こうと、大垣は有村の背中に乗ると、必死に体を捻りながら後ろ手で有村の縄を解こうとしたが、しばらくして、「おうっ!」と唸ると、崩れ落ちて身悶え始めた。

 どうやら筋を違えたらしい。

「だ、大丈夫ですか」

 磯崎が声を掛けた。

「任せて下さい」

 芽依が代わって有村の背中に乗った。

 間も無く日が暮れれば暗闇になる。一同は焦り出した。

 芽依が懸命に解こうとするが、有村が声を上げる。

「い、痛いっす。芽依さん、それ指です。そんなに引っ張ったら折れますって」

「ごめんなさい。でも、少しぐらいは我慢しなさい」

 と、悪戦苦闘する二人の傍で大垣がもがいている。

 そこへ、少年が駆け込んで来た。

「き、君は! 皆んな、駿君ですよ」

 最初に気付いたのは、木田だった。

「見張りの人が水を飲んでる間に入ってきたんだ」

 そう言った少年は衛星電話を持っていて、地面に置くと芽依の後ろ手の縄を解いてくれた。

 芽依が言った。

「駿君ありがとう。衛星電話を持って来てくれたのね」

 少年が言った。

「父さんを病院に連れて行ってください。お願いします」

「分かったわ。じゃあ助けを呼んであげるからね」

 芽依は話しながら大垣の縄を解くと、衛星電話を手渡した。

「駿君、ありがとうな。よし、電話しよう」

 苦痛で涙目になった大垣が肩で息をしなが電話を掛ける。

「だ、駄目だ。洞窟の中では電波が届かない。有村。外に出るぞ。見張りを追い払ってくれないか」

 そう言うと大垣は外へ向かい、「任せて下さい!」と、有村が威勢良く先頭に立った。

「よし、俺たちも行こう」

 磯崎と木田も後に続いた。

 見送った少年は父親の枕元に向かい。芽依も付き添ったが、父親は反応しない。確かに素人目にも死期が近いと分かった。それに、父親には右腕がない事にも気が付いた。

 心配そうに見つめる少年の横顔は、孤独な悲哀に満ちていた。

「大丈夫。今、助けを呼んでいるから。安心してね」

 芽依はそう言うと、そっと少年の背中に手を添えた。

 と、その時である。洞窟の出口から怒号が聞こえた。それも大勢で、乱闘になっている気配だった。

「駿君。此処に居て、動いては駄目よ」

 芽依はそう言うと、出口に向かった。乱闘に加わろうという思いではないが、居ても立っても居られなかったのである。

 だが、その先には衝撃的な光景が待っていた。

 洞窟の出口で、大垣が首から大量の血を流しながら壁にもたれるように座り込んでいた。

「大垣さん!」

 芽依が駆け寄った。

「‥め、芽依ちゃんか。で、電話は繋がったよ。安心してくれ」

 大垣は顔面蒼白で、耳の下辺りから血が溢れ出ている。

「大垣さん。大丈夫か!」

 磯崎と木田が駆け戻ってきた。

「何があったんですか!」

 芽依が叫ぶ。

「有村が見張りを瞬く間に倒し、大垣さんが電話を掛けたまでは良かったんだが、そこを背後から襲われてしまったんだよ。少年が衛星電話を持ち出したのを知って、追って来てたんだろう。五人ぐらいで、全員ナイフを持ってたからね」

 磯崎が息を切らせながら説明した。

「大垣さん。すいません。守れなくて!」

 有村も戻ってきた。

「連中は追い払ったのか」

 磯崎が言った。

「はい。でもまた襲ってくるのは時間の問題ですよ」

「衛星電話はどうなった」

「すいません。取り返せませんでした」

「そうか。じゃあこの場所に救助が来るまで動けなくなったな」

 芽依が言った。

「とにかく、大垣さんを中へ運びましょう」

「そうですね。僕は此処を守ってますから。早く中へ」

 有村である。

 奥に運ばれた大垣は虫の息だった。

「め、芽依‥。き、君なら遣れるよ。頑張れよ‥磯崎さん、木田さん、お世話になりました。二人と組めて楽しかった‥す、座りたかったな。報道局長の椅子に‥」

 目を閉じたまま、譫言の様に呟きながら、大垣は息を止めた。

「お、大垣さん‥」

 芽依は震えながら、押し出すように言った。

 その背中越しでは、少年が失意の面持ちで項垂れている。

 長い夜が始まった。洞窟に蓄えてあった薪を燃やしながら有村、磯崎、木田が入り口を守り、いつ襲って来るかも知れない楽園族に備える。

 一方洞窟内では少年が祭壇に篝火を灯して祈りを捧げている。

「何を祈っているの」

 芽依が聞いた。

「楽園の復活と、父さんの病気が治るようにお祈りしてる」

「毎日お祈りしていたの」

「うん。夜は何もやる事がないからね」

「辛くないの。同級生は家族と家で暮らしているのに」

「皆んなそう言うけど、僕は父さんと二人の暮らししか知らないから分からないよ」

「お母さんは‥」

「僕がニ歳の時、交通事故で死んだ。その時、父さんも右腕を失ったんだ。僕も一ヶ月入院したけどね」

 少年は屈託なく話すが、他人と比べて不幸だと自覚すらできない薄幸な境遇を生きてきたのだろう。

 大垣が掛けた衛星電話は、通話位置をGPSで確認できることから、救援のヘリが来るはずだ。ただ、夜間に森への降下は困難なので、助けが来るとしたら明朝である。

 静寂の中。もどかしいほどに刻の経つのが遅く感じられた。

 最初に音を上げたのは、有村だった。

「駿君。何か食べ物と飲み物はないかな」

 磯崎が中に入ってきて、少年に話しかけた。

「父さんの水が無くなったので汲みに行こうと思っていたところだから、皆んなの分も汲んで来るよ。食べ物は持ってこれるか分からないけど、遣ってみる」

 少年が答えたが、続けて芽依が言った。

「ちょっと待って。それは危険だわ。外には大垣さんを殺した楽園族が待ち構えているのよ。駿君一人に行かせるなんて無茶だわ」

 磯崎が答えた。

「有村がもう限界なんだよ。腕力は桁外れだが、メンタルは子供だからな。あれじゃとても朝まで保たないよ」

 さすがにここで有村を欠くことには、芽依も不安を覚えた。

「大丈夫だよ。夜でも道は分かるから。頑張ってみる。待っててね」

 少年は駆け出して行った。

 磯崎が言った。

「ほんとに良い子だな。なんとしても親父さんと一緒に助けてあげたくなるよ」

 芽依が答えた。

「そうですね。駿君には人並みの暮らしをさせてあげたいです」

 磯崎は芽依と言葉を交わすと、直ぐに出口の守りに戻って行った。

 一人になった芽依は、何気に祭壇を見た。

 揺らめく篝火に土器や耳飾りが照らされている。

 ザラキは現代の我々に何を求めたのだろう。ザラキの村が虐殺されたようなことは、その後の歴史においても延々と繰り返されている。そんな人々に失望し、警鐘を鳴らしたかったのだろうか。それとも純粋に、五人の僕を助けただけなのか。確かに、あの五人の僕だけなら、平和に暮らしたはずだ。しかし、世に知れ渡ったが為に人が押し寄せ、楽園は業に塗れて殺伐とした世界になってしまった。そして五人の僕までが業に塗れたことで、楽園を終わりにしたのだろうか。

 暫くして、少年が洞窟に戻って来た。

「おお! 駿君か。ありがとう。ご苦労様」

 洞窟の入り口に現れた少年を磯崎が出迎えた。

 少年はプラボトルとビニール袋を持っていて、それを磯崎に手渡すと、

「父さんにも水をお願いします」

 と、呟いた。

 ただ、少年の目は虚で、何処か様子が変であった。

「どうしたんだ駿君。さ、中に入って‥」

 磯崎は声を詰まらせた。

 その時、少年は崩れ落ちると四つ這いになったのだが、その背中には、ナイフが突き立っていた。

「駿君! 芽依ちゃん来てくれ! 駿君が大変なんだ!」

 磯崎が叫んだ。

 駆けつけた芽依は、愕然とした。

「ああ‥なんで‥駿君が」

 手を震わせながら、芽依は少年を抱き抱えた。

 磯崎が叫んだ。

「とにかく駿君を中へ。有村と木田さんは此処を死守してくれ!」

 芽依が奥へと運び、少年を横に寝かせた。

「俺が頼んだばっかりにこんなことに‥駿君、ごめんな」

 磯崎が両手をついて詫びた。

 ナイフを抜けば出血するので抜かない方が良い。二人はそう判断して、少年を見守った。

 少年は、痛みを表情に浮かべながらも、ぐったりとして、意識が薄れていく様子だった。

 芽依は少年の手を右手で握り、左手で肩や腕を撫で、何とか癒そうと務めた。

 それにしても、この世とは一体何なんだろうと思った。

 五人の僕、フランカー、松田、大垣。カオスと化した楽園において、多くの人々が命を落としてしまったが、人の心のあり様によっては、誰も死なずに済んだはずだ。

 全ては事故ではなく、人が死に追い遣ったのだ。

 思えば現代においても、世界中で戦争は繰り返され、虐殺も止まない。

 人類は少しづつでも、平和に向かって進歩している。そう思って生きて来たが、人類の本性は何一つ変わってなかったのだ。原始時代から現代へ。良くなったのは、偏差値だけだ。

 祭壇の篝火がゆらゆらと揺れて、ザラキが嘲笑っているような気がした。

「と、父さん‥」

 少年は呟いた直後、ビクンとすると、息を止めた。

「駿君! 駿君!」

 芽依が呼び掛けるが、反応がない。

「駿君! 大丈夫か! しっかりするんだ!」

 磯崎も泣きながら叫んでいた。

 ナイフを抜かなくても、かなりの出血があり、背中から地面へと血に染まっている。

 その時、閉じられた少年の眼から一筋の涙が零れ落ちた。

 芽依は号泣し、磯崎は声を詰まらせて震えていた。

 だが、感傷に浸っている時ではない。暫くすると、芽依は磯崎と入り口の守りに加わった。

 近付く者を見つけ易くするために洞窟の出口で焚き火を燃やし、数メートル内側から外を凝視する。いつ襲われるか分からない緊張感のまま、徹夜で待ち構えなければならず、精神的な疲労が凄まじい。

 だが、有村は空腹のせいで覇気がなく、へたり込んだまま寝落ち寸前で、全くもってメンタルは子供であった。

 よって芽依達が交代で入り口を見張り、襲ってきたら即座に有村を起こすしかなかった。

 が、この時、楽園族側にも異変が起こっていた。

 大垣を襲い、少年を刺した強硬派と穏健派に分裂しつつあったのだ。最初は皆んな強硬派の尻馬に乗っていたものの、有村の桁外れな強さに恐れをなし、大垣と少年にまで手を掛けたことへの後悔も相まって、強硬派を見限る者が増えていたのである。

 赤と白の実がなくとも、自分達の力で楽園を復活させてみせる。

 そんな決意でサバイバル生活を続けてきたのに、再びその存在を報道されてしまっては台無しになると思い詰めたのだろうが、人を殺してまで守ろうという団結には至ってなかったのだ。

 かくして穏健派は離脱し、姿を消した。

 残った強硬派は七名だったが、有村の鉄拳を受けて四人は負傷しており、もはや洞窟に攻め込む力は残ってなかった。

 何事もなく、静寂の夜が過ぎていった。

 そして夜明けと共に数機のヘリが飛来した。外が白み始めた頃、遠くからヘリの音が聞こえると、一同は抱き合って喜んだ。    

 やがて警察の特殊部隊が展開し、洞窟の周辺は制圧された。

 この時には強硬派も逃亡していたが、二人を殺害した殺人犯であり、この後、警察による大掛かりな捜索が開始された。

 救出された芽依達は、ヘリで楽園を後にした。

 芽依と磯崎、木田、有村を乗せたヘリと、死体袋に入った大垣と少年、そして医師に付き添われた少年の父親が乗ったヘリが湖の上空を通り過ぎて行く。

 五人の僕が眠る湖には朝陽に輝く光の粒がさざめいていて、芽依はヘリの窓からそれを眺めていた。

 磯崎と木田も、前列で窓に顔を寄せていて、有村だけが、芽依の隣りで口を開けて爆睡していた。

 芽依は思った。

 この地でザラキと村人が虐殺された。

 その時、誰もがこのようなことは許されないと悔い改めるべきだったのだ。

 だが、ザラキの村を滅ぼした王もまた滅ぼされ、その後も人類は興亡の歴史を繰り広げていく。

 やがてザラキの怨念は復讐という終着点を失い、殺し合う人の業を断ち切るにはどうあるべきなのかを求め、彷徨っていたのではないだろうか。

 蓄えてはならん。奪ってはならん。殺してはならん。

 それを守れば、世界中が平和になるであろう。

 しかし、そのように生きている現代人は皆無である。蓄える為に働き。利益を奪い合い。人殺しは罪になっても、その罪を裁く国家が戦争を起こしている。

 だが、五人の僕なら、平和を叶えてくれるかも知れない、ザラキはそう思って楽園を託し、平和な楽園を見た世界中の人々が変わることを望んだのではないだろうか。

 しかし、その楽園も人々の業を曝け出しただけだった。

 ザラキは失望したのだろう。何よりも、自分自身が楽園の結末には失望しているのだから。

 持ち帰った骨製の装飾品や土器は、状況的にザラキの時代の物だと予感させる。

 ザラキの怨念は数千年の刻を彷徨い、人類の歴史を辿ったのだろう。

 文明は開花すれども、戦争、独裁、差別、搾取、貧困はなくならない。繁栄と平和の裏には、昔と変わらない人の本性が息を潜めている。

 現在の日本の平和も、歴史の中では一瞬に過ぎない。

 だから未来に備えることを怠り、漫然と今を貪っていると、人の業がマグマのように溜まり、再び戦禍となって噴火するだろう。

 ザラキは今、何を思うのだろうか。

 

 それから一ヶ月後、大森の葬儀が営まれていた。

 心筋梗塞だった。享年八十七歳。自宅で倒れ、その場で息を引き取る大往生であった。

 巨星墜つ。国民は無関心だったが、大々的に執り行われた葬儀には、政財官からの弔問客が訪れ、大森が何より執着した名声に花を添えた。

 だが、大森は後継者を残さなかった、また後世へと引き継がれるべき功績も大志も残さなかった。

 ただただ、己の権力を掻き集めただけの生涯であった。

 その後、大森派は四分五裂となり、未来において、大森の名が歴史に刻まれることはなかった。

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ザラキ @lohas-kono

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