竜祭~

あかくりこ

竜祭~

 その年の何某街の春は、なかなか壮観だった。

 花見の頃の桜がまだ淡いピンクの花が咲き誇るうちから馬酔木が、躑躅が、藤が、菖蒲が,咲き始めた。簡単に言うと三月下旬から五月上旬の花が一斉に咲き揃うという異常事態が起きたのだ。北は亜寒帯、南は亜熱帯の日本各地、ではなく、奥羽、立山、飛騨、北アルプスの高山帯から沿岸部といった広い範囲でもなく、日本全国地図を開いてピンで指せるくらいのほんの一角。海岸沿いの小さな観光都市。

 もともと風光明媚な街で、名の知れた古社名刹もあるから、街の目抜き通りでもある大通りは団体客からカップルや家族連れ、撮り鉄にコスプレイヤー、海外のバックパッカーまで、多種多様大勢の観光客でごった返していた。

 そんな中、ギャルの集団が、駅の改札を出てきた俺を指さしてクスクス、いや、分かるように噴き出し笑うジェスチャーを見せてきた。「なにあれヤバいヤバいヤバいヤバい」「くっそださ」「やだキモ」全部語尾に(笑)をつけたら、どんな感じかわかっていただけるだろうか。

 うん、そうだよな。気持ちはわかるよ嬢ちゃん方。バンダナなんて今時流行らないもんな。

 でも仕方ない。バンダナとったら今度はおでこにお絵描きしちゃってるヤバい人認定喰らうからね。刺青晒して歩く根性は持ち合わせていないし、そもそもコイツは晒しちゃダメな類の物だ。

 というのも、俺が生まれた時に近所の神主が慌てて駆け込んできて「この子はチャクラが全部開いたままになっている、ほっておくと善い者も悪い者もありとあらゆるものが寄ってくる」と言って刺青で封をした。それから俺は神社に預けられてチャクラをコントロールする術を習得させられた。

 いや、させられた、は語弊があるな。うまくコントロールするコツをうまくつかめずにいた時期はそりゃもう酷かったもんだ。就寝時、ふと目を覚ますと八畳間サイズのシオカラトンボが天井近くでずっとホバリングしてるわ、出来心で襖の隙間を覗けば近所の商店街で買い物してる母の様子が窺えるわ、風呂に浸かってウトウトしていたら湯船の水面で全身金色の光る小人が踊ってるわ、のべつ幕無し状態だった。

 幼少期だったから夢うつつの区別がついてなかったんじゃないのかと思われるかも知れないが、あれは感覚的に分かる。AIでふざけて生成した、やけにリアルな質感の生物、あれが現実の空間にポン置きされている、といえば目にした瞬間の奇妙な違和感が伝わるだろうか。

 いまでもうっかり気を抜くと、事故の多い交差点で姉様被りの手拭いを頭に巻いたかっぽう着姿の中年女性が道路の反対車線のど真ん中に立ってるのが見えたりする。

 前置きが長くなってしまった。

 そんなヤバい刺青を隠したクソださバンダナ野郎、こと俺がこの街を訪れたのには理由がある。先述した神社の神主が、件の街の有力者に「吉兆か凶兆か判断を仰ぎたい」と依頼を受けた。神主はもう高齢なので俺が代わりに使いをすることになったのだ。

 有力者の許に向かう約束の時間にはまだ早い。さてさて時間つぶしがてら、異常事態の街を見て回ろうか。


 本来の時期の大島桜の白とソメイヨシノの淡く紅の差した薄桃と、時期には早いはずの牡丹桜の濃い桃色の三色の花びらがひらひら舞う中、住宅街のハナミズキは今を盛りと咲き誇り、公園の藤棚には満開の花に熊蜂が忙しない羽音を立てて忙しく飛び回っている。山吹や躑躅にはアゲハ蝶が戯れ、蜻蛉が風を切って飛んでいる池のほとりには菖蒲の花卉が揺れている。

 春本番、にしては少し汗ばむ陽気ではあるけど、それ以外は特に何かが障っているようなおかしい感じはしない。これはどうとらえたもんか。

 そこに。

「こんなところほっつき歩いていたのか」

 これは寄ってきた何かが呼んだんじゃない。生の肉声だ。聞き覚えのある、少しハスキーな良く通る声だ。振り返るとブラウンのツヤツヤの髪をハープアップで纏めた、細身の美形が駆け寄ってきた。肌は白く、目尻は切れ長、少し厚めの唇、すらりとした手足、といかにも絶世の美少女然としたたたずまいだがこいつはれっきとした男だ。神主の孫、天堂順。俺と年が近いせいもあったのか風習なのか分からんが、子供の頃は女装して過ごしていた。俺も一緒に風呂に入るまでしばらく女の子だと思っていたくらいだ。それが長じても辞め時が分からなかったというより、いたく気に入ってしまって今日まで至る。今日も女子と見まがう清楚かつ華やいだいでたちでだ。裾のプリーツがおしゃれな薄手のロングコートはいいとして。まだハーフパンツには早いと思うんだが。順曰く、「美脚を見せびらかす目的だからいいんだよ」だそうな。

「じゃ、行こうか」

「どこに行くんだ」と聞いたら、「海でデートと洒落こもうぜ」と返ってきた。俺は仕事で来てるんだけどな。

 順がすたすたとモデルのような足取りで近づいてきて俺の腕をとる。有無を言わせぬホールドだ。「こっちが近道だな」と並んで歩き始めた。肩口に順の小ぶりな頭があって、ブラウンの髪が陽光を受けキラキラしている。毎度毎度思うんだけど、溶かしたチョコレートってこんな感じの色つやだよな。


 岩場に囲まれた一角の小さな渚。海は穏やかに凪いでいる。いい潮干狩り日和だ。

 波打ち際まで行ったところで順が足を止めた。俺も並んで突っ立つ。傍から見たら芋兄ちゃんと絶世の美人の珍妙なデート光景、に見えるんだろうが。

「見える?」

「水平線の辺りが色違うの、あれ潮目か?」

 真面目に答えたのにローキックを喰らった。

「外せよ」

 ドスの利いた低い声でうなると順が白魚の指で額を指さすジェスチャーをしてみせた。どうやらバンダナを外せと。いう事みたいだが。

「いいのか?」

「いいから外せ。爺さんにも許可は取ってる」

 神主の了承付なのか。ならしょうがない。

 バンダナを外すと、そこには一種荘厳な幻想的な光景が広がっていた。


 青赤白黒黄。瑞雲を纏う五色の竜が、燐光を放ちながら昼下がりの海の上で絡まりあい空を揺蕩っている。


 陽光を受けて煌めく鱗はさながら宝石を連ねた美術工芸品のようで、事態も用事もうっちゃらかしてずっと眺めていたい気持ちになってくる。

「なんだあれは」

「竜祭だよ」

 竜祭。初めて聞く名称だ。

 不意に脚に何かが絡みつく感じがした。視線を向けると、波の合間から腕を伸ばして縋りつき俺を見つめるのは水膨れてずる剥けた土座衛門の群れ。

 慌てて浜を後にした。


 有力者の許に行くのは夕方だからまだ時間がある。順と海岸沿いの喫茶店に入った。今時珍しい古風な純喫茶だ。店内には駅の改札で俺を指さしゲタゲタ笑ってたギャルもいて、絶世のスレンダー美少女を連れ立って店に入ってきた俺を信じられない怪奇現象を目の当たりにしたとでもいうような眼差しで、穴が開くほどの勢いで見つめてきた。

 驚かせちゃったみたいで、なんかごめんね。でもご期待に沿えるような話をするために入ったわけじゃないから、安心してくれ。

 席に着いて順はプリンアラモード、俺はコーヒーを注文すると早々に切り出した。

「その竜祭てのはなんなんだ。それに、俺が神主に使いを頼まれて神社を出た時、順は朝の御勤めをしていた気がするんだが。どうやって先回りした」

「お前が出た後、爺さんに呼ばれたんだよ」

 迷うことなく海岸に誘導して、即バンダナ外せと言われた時になんか変だと思ったのだ。どう考えても海上に竜がいると分かってたとしか思えない。

 指摘すると、「お前のことだ、小旅行気分で普通列車で移動するつもりだったんだろ。だから特急使って最速で現地入りした」ときた。

 確かに二回ほど特急の通過待ちがあった。その時に追い越されたのか。

「で、あれはどういった類なんだ」

 あれとは勿論、海上で五色の竜が揺蕩っているあの状況だ。依頼してきた町の有力者には海の上で竜が屯してます、と報告すればお使いは完了、ミッションコンプリート。めでたしめでたし。といきたいがさすがにそういうわけにはいかん。

 何故なにどうして。そこまで伝えて初めて俺のお使いは成立だ。当然、吉祥慶事の類なら言祝ぎ、凶事忌事なら鎮めの追加ミッションが発生する。

 俺はチャクラが開きっぱなしというだけの一般人だが、順は立派な神社の跡継ぎだ。神事霊障の類は俺より詳しい。というかプロだ。長閑な光景に見えたけど実は玄人が出張るような事態なのか?

 改めて竜祭について問いただすと順は意外な答えを返して寄越した。

「分からん」

 分からん、て。

「奴らもなんで顕現してるのか分かってないんだから」

 格の高いはずの神霊の瑞獣を奴らとは怖いもの知らずにもほどがある。しかし「分かってない」というのは。

「分かっているのは『何か』を待っている事だけ」

 ヤな表現だな。

「待っているってなにをだよ」

「今回の竜祭で起きたのは異常気象ではあるけど、天変地異の類じゃない」

 そのあと、順が何か言いかけたが、後は無言で綺麗な所作でプリンアラモードを食べ始めた。

 順のやつ、何を言いかけたんだ。



 有力者の屋敷は街を見下ろす小高い岡の上にある。藤の花が街の有力者の名字の由来でもあり家紋のモチーフにもなっているところで想像の通り、家系図の始まりは帝のご落胤との噂もある家系だ。

 有力者には生まれつき病弱な孫がいる。お嬢様は俺のことを「お兄様」と呼んでたいそう気に入って懐いてくれている。しばらく足を運んでなかったから、お嬢様も俺の来訪を首を長くしているかも知れない。神主が順じゃなく俺を使いに出したのはお嬢様に気を遣ったんだろうか?だったら順と茶をしばくんじゃなくて、お嬢様の嗜好に合いそうな書籍かボードゲームでも見繕うべきだったか。そんなことを考えながらゆるい坂道を登っていた。

 丘陵の自然を取り入れた野趣あふれる庭は藤の名所としても有名で、花の時期には多くの観光客が庭を眺めにやってくる。岡一帯は有力者の敷地だから夕方以降は関係者以外立ち入り禁止だ。

 満開の庭の藤棚をのぞむ屋敷が見えてきたところで、救急車が坂道を登る俺を静かに追い越していった。嫌な感じがした。搬送する患者の住所の近くまで来ると、サイレンを鳴らすのを止めると聞いたことがある。小走りで立派な門被りの松が青々と繁る門構えまで来ると、バンダナを外した。明月が照らす白い夜空の許、お嬢様のいる離れの屋根の角々に暗い影の何かが四体いるのが見えた。この世のものではない何かはそのままゆっくり垂直に降下していく。

 ほどなく、影が五つ、四つの黒い影と朱赤の和装の少女が一人。空に向かってゆらりと舞い上がっていった。

 顔をあげて、影を眼で追う。すると、空には海上に屯していたはずの竜がいた。

 黒い影から和装の娘を大事そうに受け取ると、竜どもがぐねぐねと身じろぎする。それは歓喜に震えているように見えた。


 竜は何かを待っている。と順は言った。

 あいつらは『やんごとない血統の末裔』であるお嬢様を『天に迎えるために』待っていたのか。

 この狂ったように咲き誇る花も、理由が分かってしまえばなんてことはない。沙羅双樹と同じ理由だ。

 順はそれに気づいてだんまり決め込んだのか。


 竜が月明りの夜空を翔けようとして、止まった。お嬢様が、還ろうとする竜に制止をかけたのだ。五匹の竜はほんの少し思いとどまるようなしぐさで長大な身体をくねらせ、白い竜が一頭だけ、生き物ではありえない動きでゆらりと降りてきた。

 白い竜の背にはお嬢様が乗っていた。もうこの世のものではないのに、例の気味の悪い異物感は全くなく、穏やかに少し困ったように微笑む姿は見慣れた生前の面影そのままに見えた。

 お嬢様が俺に向かって二言三言呟き、頭を垂れた。それを合図に白竜が群れに合流し、竜たちが再び空に向かって昇り始める。


 残された俺はどんな顔で竜祭の終わりを、お嬢様の昇天を見つめていたんだろう。


「お兄様と添い遂げるのが私の夢でした」

 残していく言葉がそれってあんまりだろう。






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