第5話

 

 翌朝。僕は登校してからずっと緊張していた。人見知りをする僕にとって、慣れないクラスメイトに話しかけるのは、ハードルの高いことだ。しかも隣の席の縞島さんは、べらぼうに可愛い。薔薇焔さんほどじゃないけど、セーラー服の似合う可愛い人だ。

 彼女は可愛いのに、人に囲まれず、いつも一人で本を読んで過ごしている。

 僕と同じ、一人が好きなタイプなのだろうか。話しかけやすくて助かる。

「縞島さん」

「はあい」

 おっとりとした口調で、縞島さんは返事をしてくれた。髪の毛をさらりと払いのけ、ニコリと微笑んでくれた。これが薔薇焔さんに夢中な僕ではなかったらきっと骨抜きにされていたと思う。僕は薔薇焔さんに夢中なので、ときめいただけで済んだけど。

「変な質問をいくつかしようと思っているんですけど、許してくれますか?」

「変な質問? いいよ! 何でも聞いて!」

 彼女はくすくす笑った。顔に似合わず……というと偏見みたいで悪いけど、予想よりハスキーな声をしていてそれも魅力的だ。落ち着いた低めの声は、耳に心地良い。

 僕は家で考えてきた質問のカンペを取り出して、ちらちらと見ながら訊ねた。

「魔女について訊くんですけど……まず、魔女を知っていますか?」

「え~? 魔女って町に行けば会える人たちだよね? 駅前で占い屋さんとかしてる。魔法が使える人たちだよね。知ってるよ。どうしたの?」

 これは予想通りの回答だった。まほろ町に住む者にとって、魔女は普通の存在だ。

 僕はエヘンと咳払いをした。ここからが本番だ。

「僕は見たことないんですけど、まほろ高校に魔女って通ってるんですか?」

 彼女は小さく首を傾げて悩む仕草をした。小動物みたいで可愛い。

「僕も見たことないなあ。学生の魔女、いそうだけど。誰が魔女かは知らないなあ」

「じゃあ、学生の魔女が魔法を使っているところも、見たことはないんですね?」

「大人の魔女が使うところは見たことあるけど、学生の魔女はないなあ」

「図書室の階段がズブズブの沼になったり、被服室が燃えたりしたの、知ってます?」

「なにそれ。知らないよお。映画の話?」

 縞島さんがくすくす笑う。僕は何となく気恥ずかしくなって、こんなことを真面目に訊ねるクラスメイトは彼女から見てどんな風に映っているんだろうか、と気になった。

「あ、ありがとうございます……もう十分です」

「常磐葉くんって面白い子だね、もっとお話ししたいなあ」

 そっと手を握られる。僕はどきりとして、握り返すことも振り払うこともできずに、ただ黙って手を握られていた。僕より小さな手が、僕の手相をなぞって戯れている。

「常磐葉くん、僕きみの質問に答えたから、次は僕のお願い聞いてもらってもいい?」

「え! あ、はい。もちろん、聞きます。何でもどうぞ」

「移動教室、一緒に行こうよ。まだ道覚えてないんだあ」

「それくらいなら全然……全然良いですよ!」

 可愛い子に移動教室を誘われてしまった。彼女の美貌なら誰に声をかけても道案内の一人や二人、捕まえられると思うのに。僕なんかで良いのか。胸がドキドキしていた。

 理科の教科書を持って、理科室へと向かう。一年生の移動教室は移動距離が長い。

「常磐葉くん、トイレ行くけど、一緒に行く?」

「え!? い、行きませんよ!」

 僕は動揺のあまり持っていた筆箱を取り落としそうになった。距離感が近すぎる。

「逆に、ついていったらおかしくなっちゃうでしょう!?」

「女子っぽいかな? えへへ、ごめんね!」

 女子、ぽい? 僕が混乱していると、縞島さんが男子トイレに平然と入っていった。僕は慌てて縞島さんの手を取り、引き留める。

「縞島さん! 男子トイレですよ!」

「常磐葉くん、僕男の子だよ」

 縞島さんは長い髪と膝下のスカートを揺らしながら、くすくすと笑い声を上げた。

「お、男……?」

「やっぱり、常磐葉くんも僕のこと、女の子だと思ってたんだ。男じゃいやかな?」

 大きな瞳を潤ませて、僕のことを上目遣いでじいっと見つめる。その顔はどう見ても女の子にしか見えなかったけれど、彼が男だというのなら、男……なのか……?

「僕もついていって良いですか? トイレ」

「見る?」

「見たい」

 トイレについていき、彼が用を足しているところを実際に見せてもらう。

 結論から言って、ついていた。

 女子の中でも特に可愛い部類と言っても差し支えない彼の顔の下に、男のシンボルが。ちゃんとあるべきところにくっついていた。この目で確かに見た。信じられないけれど、実際あるのだから、信じるしかない。僕の無駄なときめきを思い、僕は哀しくなった。

「自己紹介のときに、ちゃんと言ったはずなんだけどな、こう見えて男子ですって」

 最初のホームルームの自己紹介のとき、正直僕は全然聞いていなかった。

 薔薇焔さんのことをどうやって調べるか、どこに彼女の情報があるか、そればかりを考えていて、クラスメイトのことは二の次三の次にしていた。

「あのとき自分が何を喋ったかすら覚えていません」

「それは僕も覚えてない。多分当たり障りのないこと言ったんだと思う」

 変なことを言って変なインパクトを残しているより断然マシだった。僕は過去の僕にこの上なく感謝した。と同時に、ちゃんと人の話を聞いておけ、と憎しみも覚えた。

「僕が男の子なのにこんな格好してても、常磐葉くんは仲良くしてくれる?」

 彼はスカートの裾をちらりと持ち上げて、可愛い仕草で僕を見た。

「別に良いんじゃないでしょうか、何着てても。学ラン着るより似合ってますよ」

「やっぱり、そう思う? ありがとう。常磐葉くん」

「僕もあなたが男の子で良かったと思っています。同級生の男の友達欲しかったので」

 会長も男だけど、彼は上級生だから。同じクラスに同性の友達がいると安心する。

「じゃあ、四限の体育の移動教室も一緒に来てくれる?」

「一緒に行きますよ。着替えは一緒にできるんですか?」

「大丈夫。気にしてないから!」

 彼は彼の言った通り、その後の移動教室も、お昼ご飯も、僕と一緒に行動してくれるようになった。僕は中学時代誰かと一緒に行動するということをしてこなかったので、内心これが友達か、と新鮮な気持ちになっていた。ちょっと距離近い気がするけど。

「ねえねえ常磐葉くん。部活動見学、行ってる?」

 放課後になって、縞島さんがまほろ高校部活動一覧を持って僕に話しかけてきた。

「昨日行きましたよ。手芸部に。いろいろありましたけど」

 薔薇焔さんはいなかったし、魔女には襲われるし、刺繍をするのは楽しかったけど、多分入部はできない。あちらもこちらもお断りだと思う。

「今日はどこいくの?」

「まだ決めてません。でも会長は、調理部はどうだって言ってたかな」

「会長?」

「ああいや、こっちの話です……」

 家庭科系の部活には四種類あって、製菓部、調理部、被服部、手芸部がそれぞれ日を変えて行われているようだった。今日は、調理部と被服部が行われる日だ。

「調理部、行ってみても良いかもなあ」

「お料理するの? いいな。僕もついていっていい?」

 縞島さんがぺろりと舌を出した。なるほど、お菓子や料理を作る部活は食いしん坊が集まるのだな、と何となくこの時点で想像がついた。僕も食べることは嫌いじゃない。作ることはもっと嫌いじゃない。会長の口車に乗せられることも悪くないかな。

「じゃあ、行きましょうか」

「はあい!」

 僕が片手に鞄を持つと、縞島さんは空いた片手を握り締めてきた。縞島さんはどうもスキンシップがお好きなようで、特に人の手を触ることが好きらしい。手を繋ぐことも好きだし、手相を見たり手の大きさを比べたりすることも好んでいる。僕は特に嫌だと思っていないので好きにさせている。ちょっと距離感近いなあ、とは思っているけど。

 縞島さんと手を繋いだまま、調理室へと向かう途中、見慣れた人影とすれ違った。

 金色の髪に緑の瞳。人形のように整った顔。会長だった。知らない人と連れ立って、何か話しながら歩いていた。僕は声をかけるのも何かなと思って知らない振りをした。縞島さんが流行りの動画の話をしているのに耳を傾けて、一瞬だけ、振り返った。

 ばちり、と会長と目が合う。

 会長が僕と縞島さんを見て、繋いでいる手を見て、何か言いたげな表情をした。

「常磐葉くん?」

 縞島さんに声をかけられ、前を見る。人にぶつかりそうになっていた。

「前見ないと危ないよ?」

「ごめんなさい。ちょっと気が散って……」

 鞄を持ち直す。もう一度振り返ると、もう会長は僕のことを見ていなかった。


 調理室には部活動見学をしに来た一年生で人混みができていた。どうやら調理部は、今年の一年生には受けが良いらしい。ざっと見た感じ、女子の割合が高そうだ。それは単に活動内容が女子受けしたのだろうと思っていたのだけれど、部長が出てきて挨拶を始めた途端、僕には理由がわかった気がした。

「かわいい一年生諸君、部活動見学に来てくれて、謝謝你ね!」

 部長がニコリと笑いかければ、女子がわあっと色めきだった。細身で綺麗で中性的な中華美人。端的に表現したらそうなるだろうか。要するに、部長の容姿が端麗なのだ。部活見学でのインパクトを意識してか、うちの学校は男子は学ラン、女子はセーラーが制服だというのに、わざわざ中華服を着てきているのも女子が沸き立つ理由らしい。

「この学校、美形が多くありませんか……?」

「そうかな? 常磐葉くんも格好いいよ~」

 縞島さんに言われると悪い気はしない。じゃなくて。僕は身の程を弁えている。

「倍率高そうですね……調理部……」

 入部希望者が殺到すれば、他の部活と偏りが出ないよう、入部制限が行われる。

 調理部であれば設備や材料にも限界があるし、特に制限は厳しくなるだろう。

 入りたくても入れないだろうな、これでは。

 僕は記念受験に来たような、軽い気持ちになっていた。作った料理がお土産になれば良いところだろう。いや、この人数で調理実習なんてできるのだろうか?

「今日のメニューはニンニクマシマシ炒飯にニラ山盛り餃子に激辛麻婆豆腐よ!!」

 部長が高らかに宣言する。うわ、めっちゃ美味しそう。僕は内心ざわついていた。

 女子たちも当然ざわつく。僕と、恐らく部長の予想に反する形で。

 ――ニンニク――ニラ――激辛――匂いが――化粧が――。

 ――絶対映えない――お洒落じゃない――製菓部にしよう――。

 潮が引くようにキラキラ系の女子たちが捌けていく。残されたのは僕と縞島さん含め選ばれし食いしん坊だけ。僕は縞島さんと顔を見合わせて、思わず噴き出してしまう。

「アイヤー! 本格中華嫌だったか? 美味しいのに!」

 僕も絶対そう思う。調理実習で本格中華が食べられることなんて絶対ない。

「部長~辛いの苦手なんですけど、辛さ調整してもいいですか?」

 縞島さんが挙手して訊ねる。僕も辛いのが特別得意なわけじゃないから、調節できるようなら助かる。部長さんは僕たちにウインクして、グッドサインを見せてくれた。

「当然了! お好きな味に調節して食べるよろし!」

 わっと歓声が上がる。

 ちょうど良く料理と食事が好きな食いしん坊だけが残された調理室で、部長さんから本格中華の手ほどきを受け、僕たちは調理実習を開始した。部長さんはトークも上手で、料理の説明をしながら僕たち一年生の緊張をほぐすようなお喋りをしてくれた。

 部長さんは町中華のお店の息子さんらしい。日本人だけどお店で働く外国人の訛りがうつってしまって微妙な発音の訛りがあるとか。顔が良いのに意外とモテないらしい。

「女心難しいね! 食べるのが好きな女の人が好きよ!」

 それは何となくわかった。僕たちは楽しい時間を過ごし、本格中華のレシピを覚え、美味しいご飯をお腹いっぱい食べて、部長さんの人となりを知った。

 お土産に余った餃子を持ち帰って良いことにもなって、僕は大満足だった。

「楽しかった……僕、この部活に入りたい……」

「常磐葉くん、部活が終わった後どうするの? どこか行くの?」

 このまま帰っても良かったのだけれど、僕は先ほどすれ違ったときの会長のおかしな様子が気になっていた。ついでに、僕は会長に余った餃子を食べさせたかった。

「図書室に行きますけど、縞島さんは帰った方が良いですよ」

「なんで?」

「逢魔が時を過ぎれば魔女が出ますから。魔女に宝石を狙われますからね」

「また常磐葉くん、おかしなこと言ってる!」

 おかしなことではないんだよなと思いながら、僕は縞島さんを校門まで送り届けた。彼が帰っていくのを見送ってから、くるりと踵を返して図書室に足を向ける。

 会長、まだいるかな?

 図書室の大階段を上る度に、初めて薔薇焔さんと会ったのはここだったな、と思う。そのときもこれくらいの時間だった。階段が急に沼のようになって足を取られたのだ。今日は無事に階段を降りられた、と毎回ほっとするのだけど、今日は上っている。

 この時間になってからこの階段を上るのは初めてだ。

「そろそろ閉館ですわよ」

 上りきったところにいたのは会長ではなくて、薔薇焔さんだった。図書館の明かりに背後から照らされ、顔が影になっている。顔が隠れて表情が読み取れなかった。

「え、薔薇焔さん!?」

「新入生、話がありますわ。ついてきてくれますわよね?」

 薔薇焔さんの声は低くて怒っているようだった。僕は怒られる理由がわからなくて、ただ話がしたいと言われたことが単純に嬉しくて、はいとだけ答えた。

 薔薇焔さんは校舎に向かって歩き出す。僕は、上ったばかりの大階段を降りていく。

「薔薇焔さん、話って……?」

「まだですわ。ちゃんとついてきて」

 薔薇焔さんは暗くなった校舎の中に入っていった。知らない廊下を突き進んでいく。一年生では通らない、三年生の廊下だった。僕は突然不安になってくる。

「薔薇焔さん……」

「入って」

 ぐい、と背中を押され、知らない部屋に押し込められる。小さな部屋だった。

 手前にはソファーとガラスのローデスクが置かれていて、応接室のようになっている。奥には会議室のようなホワイトボードとコの字に置かれた机、いくつかのパイプ椅子が備え付けられている。何をする部屋かわからなくて、僕は半分怯えていた。

「薔薇焔さん」

 薔薇焔さんはソファーに深く腰掛け、僕の手を引っ張った。僕は隣に座る形になる。ぐい、と腰を引かれ、ぴったりとくっついて座った。僕は状況が意味不明で、怖いのに好きな人とくっついて純粋にドキドキしていた。僕の心臓は何に急かされればいいのかわからなくなっていて、ただばくばくと走り回っている。僕は混乱していた。

「新入生。焔真に聞きましたけれど」

「エンマ?」

「生徒会長の。わたくしの……親友の」

 え? あれって本当だったんだ。

 薔薇焔さんの口から親友という言葉が出るとは思っていなかった。

 僕は「はぇ」のような「ほょ」のような不明瞭な音を出した。薔薇焔さんが睨む。

「女と歩いていたそうですわね。それも手を繋いで」

 僕は何の話をしているのか、と思考を巡らせてから、放課後のことか、と思い至る。

「男ですよ」

「何が」

「縞島さんは男ですよ」

 僕も間違えたので、仕方のないことだと思う。というか、あれは間違えると思う。

「女の子に見えたかも知れないけれど、男の人です。手を繋いでいた相手なら」

 僕は餃子をローデスクに置いて、薔薇焔さんの手に片手を伸ばした。彼女は僕の手を拒まなかった。そっと握り締め、もう片方の手でもそっと彼女の手を握る。

「嫌だったんですか。僕が女の子と手を繋いでいたって聞いて、嫉妬しましたか?」

 薔薇焔さんは僕の顔をじっと見つめて、フンと鼻を鳴らした。

「……新入生がとんだ浮気者だと思って失望しただけですわ。わたくしのことを……、どうとか言って、すぐにあんな美人と……。わたくしは、別に、気にしていませんわ」

「僕は薔薇焔さんのことしか見ていませんよ。浮気していません。僕は一途です」

 僕はこのとき、初めて『しまったな』と思った。食べ物の匂いがするかも知れない。

 女の子たちがニンニクやニラを嫌がったときの気持ちが、初めてわかった気がした。

 僕は薔薇焔さんからちょっと距離を取った。勿体ないけれど。匂いが気になる。

「新入生」

「あの……これ、会長に、渡してください。部活のお土産……食べて欲しくて」

 僕は餃子を薔薇焔さんの方へと押しやり、ソファーから腰を上げた。

「また今度、機会があったら同じことをしてください、部活のない日に!」

 僕はそれだけ言って部屋からさっさと逃げ出してしまった。惜しいことをした。

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心臓と宝石~薔薇焔の章~ @nepisco

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