第4話

 

「人間でも宝石があれば魔法を使えるんですか?」

 手の中でめらめらと燃えるハンカチを眺めながら、僕は会長に尋ねた。

 会長はなぜか渋い表情をしながら答えてくれた。

「使えねーよ。普通はな。薔薇焔の魔法は特殊だから使えるようになってんだ」

「特殊?」

「薔薇焔の魔女の間での通り名、お前知らないだろうな。『刺繍の魔女』っていうんだ。刺繍を縫って魔法を布に刻む特殊な魔法だ。薔薇焔の刺繍に魔力を通せば他の魔女でも薔薇焔の魔法を借りて使うことができる。魔法を貸せる魔女なんだ、薔薇焔ってのは」

 僕はハンカチに描かれた薔薇の刺繍をまじまじ眺めた。こんな美しい刺繍に、そんな摩訶不思議な秘密があるとは。美しいだけじゃない、というのは薔薇焔さんらしい。

「魔方陣とか、魔法薬とか、魔道具を作るタイプの魔女は、他人に魔法を貸せることも多いな。そんなに多くないけど……人間でも使える魔法を残すタイプは稀なんだ」

「じゃあ、薔薇焔さんの刺繍と宝石があれば、僕でも魔女になれるんですね」

「そういうことを考えるから魔女は正体を隠すようになったんだよ」

 会長の表情はますます渋さを増していた。僕は渋柿の味を思い出していた。

「人間ってすぐに『魔法があるなら自分も使いたい』って言うだろ。魔法には経験とか知識とか才能とか適正とかいろんなものが必要なんだよ。魔女しか魔法が使えないのはいろいろと理由があるんだ。それをすぐに貸して貸してって……そういう搾取を子供の魔女が受けないために、子供の間は魔女であることを隠そうってルールになったんだ」

「エチケットにも由来があるんですね……」

 僕は手の中の炎を、彼女の信頼であるように感じた。僕に魔法を託すのは、彼女でも勇気の要ることだっただろう。これが僕宛の品だというのなら。仮にそうだとして。

「大事に使わなきゃ」

「悪用するなよ。まあ、しようと思ってもできないだろうけど。そんな魔法じゃ」

「弱い魔法なんですか?」

「弱くないけど、お前がこれをどうこうしようと思っても無理だろ。自由に操れない」

 僕は試しに炎に向かってあっち向いてホイをしてみた。ホイ。ホイ。炎はゆらゆらと揺れるだけで、僕の指の向きに従って動く、なんてことはなかった。

「人間が魔女の領域を侵せば、魔女にとっても人間にとっても良くないことが起きる。お金と同じだよ、貸し借りなんてするとロクなことがないんだから……」

 会長は憂鬱そうに深い溜息をついた。何か過去のトラブルを思い出しているらしい。

「じゃあ会長……他にも聞きたいことがあって」

「あのさ、俺は良いけど、お前魔女側の常識ばっかり詳しくなって大丈夫なのか?」

「大丈夫……ってどういう意味ですか」

「まほろ町には魔女と人間が住んでて、それぞれ棲み分けしながら共存してる。それはこの町での常識だろ。人間側にも魔女に対するルールがあるかもしれないんだけど……俺はそれについてはお前に教えてやれない」

「魔女だから?」

「違う。あー……えっと。詳しくないんだよ。それには深い理由があるんだけど」

 エヘンエヘンと咳払いをする会長を眺めて、やっぱり魔女なんじゃないかと思った。もう言い逃れできないだろ。僕は会長の手を握り、自分の胸に当てた。

「あっこら」

「ほらー」

 ころりころりと転がり落ちた朝ぼらけの色をした宝石を拾い上げる。

「人間の心から宝石を出すのは、魔女しかできないんですよね?」

「当たり前だろ。あーくそ、最悪だ、この野郎!」

 会長の頬にさっと赤みが差したのを見た。羞恥だろうか、怒りだろうか。

「秘密にしますから。宝石もわけっこしましょう。半分あげます」

「いや、俺は…………まあ、貰ってやってもいいけど、別に要らねーけど……」

 ごにょごにょ言っているのを無視して宝石を握らせる。僕のをプレゼントだ。

「とにかく、人間のルールは人間から聞け、人間とも仲良くしろ! お前入学してからちっとも人間と仲良くしてないだろ、俺のところばっかり来て! 部活動行け!」

「部活動なんて興味ないですよ」

「薔薇焔以外のことにも興味持たないと学校生活つまんないだろ。青春してこい!」

 会長は鞄に手を突っ込み、分厚い冊子を取り出して、僕の前の机に置いた。

「これは?」

「まほろ高校部活動一覧。今のお前にとって生徒目録よりも価値のある冊子だ」

 会長は僕の前に置いたそれをぱらぱら開きながら、僕にこんなことを聞いてきた。

「お前、趣味は」

「薔薇焔さんについて調べること」

「却下。お前、それにしては魔女について知らなさすぎるだろ。勉強してこい」

 色が白くて綺麗な細長い指がページを開いて止める。文化系の部活のページだ。

「これなんかどうだ。調理部。お前料理やるんだろ、ちょうどいいんじゃないか」

 僕はそれより隣のページで紹介されている、手芸部の方が気になっていた。

「刺繍もやるんですね、手芸部」

「まあ。やるんじゃないか? 手芸だからな、刺繍。……お前、まさか」

 僕はぱたんと部活動一覧を閉じて会長の方へと向き直る。僕は決意していた。

「僕、手芸部に行きます。薔薇焔さんが所属してるかも知れないし」

「してねーよ! 薔薇焔が人間と群れて部活動なんかしてるわけないだろ!?」

「わかりませんよ。薔薇焔さんだって昼間は人間として生活してるんでしょう?」

 だったら、だ。部活動見学に行った先で会えなくても、薔薇焔さんの刺繍を知ってる誰かがいるかもしれないし。刺繍がヒントになって正体を知れるきっかけになるかも。俄然僕はやる気になって、鞄を持ち上げた。会長にサッと手を振る。

「では。行ってきます」

「そんな理由で部活動決めやがって! 後悔しても知らねーぞ!」

「大丈夫。どうせ今日は部活動見学しに行くだけです。まだ仮入部も先なので」

 入学したての僕たちには、部活動を知るための期間が長く設けられている。

 学校生活で長い時間を過ごす場所になるのだから、慎重に決めろということらしい。

 僕は安易な理由で決めるけど。煩悩と衝動で決めるけど。まだ決定じゃないから。

「ウェルカム新入生! 縫い物? 編み物? どっちやりに来た!?」

 被服室のドアを開いて第一声、ハイテンションな声をかけられ、僕は猛烈に図書室に帰りたくなった。会長のあの暗くはないけど落ち着いた喋り方が恋しくなった。

「縫い物……です」

「ワオ! 刺繍だね? 部活動一覧の刺繍綺麗だったよね! あれうちの部長が縫ったものなんだ、凄いよね! ああいうのやりたくなっちゃったんだ! 良いね、有望!」

 まだ何も言ってないのに……。胸元にくるみボタンを付けられ、席に座らされる。

 裁縫セットや丸枠、綺麗な色の刺繍糸がどんどん目の前に広げられ、僕は喋る機会を失っていく。聞かなきゃ、薔薇焔さんの刺繍について。僕は慌ててハンカチを広げた。

「あの、これ」

「わ、すっごい! 綺麗な刺繍だね!」

「この刺繍をした人がこの部活にいないかどうかを聞きたいんですけど……」

「部長に聞いてみるね! 部長! 部長~!」

 にこにこしながら近付いてきた部長さんはいかにも優しそうな人で、穏やかな視線で薔薇焔さんのハンカチを見つめて、穏やかに微笑み、穏やかに首を横に振った。

「うちの部活にこの刺繍を縫った人はいないわ。だって、上手すぎるもの」

 部長さんはどこがどのように『上手すぎる』のか僕に教えてくれたけど、専門用語や専門知識が多すぎてよくわからなかった。高校三年間、部活動で始めた程度の経験ではここまで習得できない、と言ってることはわかった。つまりもっと長く、子供の頃から刺繍を続けてきた人の縫い物なのだと。それは今の現役の手芸部にはいない、と。

 僕は困った。僕が手芸部に部活動見学をしにきた理由がなくなってしまった。

「せっかくお手本あるんだし、それを見ながら練習してみなよ!」

 部長さんを呼んでくれた先輩が嬉しそうに言った。部長さんも頷く。

 僕もせっかく来たんだし、少しだけ刺繍を習ってみようかな、と思い始めていた。

 薔薇焔さんの気持ちがほんのちょっとでもわかるかも知れない。

「ステッチの縫い方教えてあげる!」

 この先輩も、ハイテンションなところを除けば良い先輩なのかも知れない。面倒見はよさそうだった。初めて刺繍を習う僕に、丁寧に針の運び方を教えてくれた。

 試し縫い用の布にステッチをいくつか縫い付けた後、薔薇焔さんの刺繍を見ながら、一針一針丁寧に布に縫い付けていった。ボタンのつけ直しくらいなら自分でできるけど、これが芸術品になるとそう上手くできるものでもなかった。何度もやり直ししながら、僕は次第に刺繍に没頭していった。時間を忘れるくらいに、集中していた。

「そろそろ時間だよ!」

 先輩の声に顔を上げる。夕日が直接目に刺さり、眩しい、と思った。

 被服室には僕と先輩のふたりきりしかいなくて、部長も誰もいなくなっていた。

「あれ? 他の人はどこに行っちゃったんですか」

「帰らせちゃった」

「らせ、ちゃった? どうして?」

「きみと二人きりになりたかったから! って言ったら、どう思う?」

 どう思うって言われても。

 戸惑う僕の隣に彼女は椅子を引いてきて、僕の腰を抱きながら、彼女はそこに座る。

「ねえねえ! あの刺繍、薔薇焔のだよね? きみ、薔薇焔のお気に入りなんだね! 何か、特別な人間なのかな?」

「へ」

 今薔薇焔って言った? 聞き返そうとする、けれど、そんな余裕は僕にはなかった。両手が腰を撫で、背中をなぞり、胸を揉む。明らかにセクハラをされている。

「せんぱ……っ」

「ココロかな!? ココロを食べればわかるかな? 美味しそうな匂い、するね!」

 ぴしゃりと大きな音がする。びっくりして目を閉じた。

 再び目を開くと、窓の外が真っ暗になっている。どうして。まだ夕方だったのに。

「ちょうだい! 綺麗な宝石、ちょうだい! 美味しいのがいいな!」

 胸に、彼女の手が伸びる。それが、僕の心臓を撫でるみたいに左胸を捉えた、瞬間、ぽろりと光の塊が落ちていく。深い青色のそれは、照明を受けてきらりと光る。

「怖がってるの!? かわいい~!」

 彼女はそれを指先で摘まむと、頭上にかざして眺めた。

「きみの恐怖は綺麗だね! とても、綺麗で可愛いね!」

 青い光が宝石越しに僕の頭上に降ってくる。僕の恐怖が煌めいている。

「もっと欲しいな! これ!」

 首に彼女の手が絡む。息が詰まる。苦しい。怖い。目がちかちかしていた。

「だれか、」

 だれかたすけて。

 声にならない言葉が絞まって口の端から零れる。ひゅうと息が漏れる。

 僕は咄嗟に薔薇焔さんのハンカチを握りしめ、ポケットの中の宝石を取り出した。

 両手をかざす。一瞬、手の中がかっと熱くなって、ハンカチが燃え上がる。

「熱ッ!?」

 炎が先輩の両腕に絡みつき、先輩は僕の首から両手を離した。僕は床へと倒れ込み、ごほごほと咳き込む。ハンカチの刺繍からごうと炎が燃え上がり、僕の体を包み込む。炎は、まるで意思を持っているかのように窓の外へと向かって伸びた。ばちんと大きな音がして、僕は再び驚いて目を閉じる。瞼の向こうに強い西日が射し込んだ。

「眩しい……?」

 目を開けると、窓の外が一瞬炎に覆われたのが見えた。紅蓮の炎は、窓の外の暗闇を布のように燃やしたかと思うと、一瞬のうちに消え去っていく。

「刺繍の魔女!」

 先輩、いや、目の前の魔女が憎々しげに呟いたと同時に、部屋に少女が飛び込んだ。僕の体の上から退いた魔女を炎の塊が追いかける。逃げ出そうとした魔女の体を鬼火が追い込み、取り囲み、質量を持った塊のように床へと叩き付ける。魔女が身じろぎした瞬間、魔方陣のような形をした赤い光の線が床に描かれ、勢いよく燃え上がる。

「ご観念なさい!」

 赤い人影がそう叫んだ瞬間、炎は魔女の体を覆い、薔薇の花の形に姿を変えた。

 花束のように咲き誇った花は蕾を閉じていき、焦げ跡を残して消えていく。

「新入生!」

 自分を襲った魔女の行く末に思いを馳せていた僕は、いきなり呼ばれて飛び上がる。

「は、はい! 常磐葉輝石です!」

「どんくさいですわね!」

 鋭い目付きで睨まれる。ひゅん、と心臓が縮み上がった。今のがよっぽど怖い。

「何をこんな時間まで学校なんかほっつき歩いているんですの、早くお帰りなさい!」

「でも」

「でもじゃなくってよ!」

 ヒールがかつかつ音を鳴らして僕へと近付いてくる。僕は目を瞑り、折檻を覚悟する。拳骨か、パーか。どちらにせよ痛そうだ。先ほど目の前の魔女がされたことを思う。

「ご……ごめんなさい!!」

 両手で自分の頭を庇った僕の体が、ふわり、と抱き締められる。

「っ、え」

「怖い思いをしたでしょう」

 頭を撫でられて、背中をぽんぽん叩かれた。温かい体温が僕が包んでいる。

「魔女はあなたが思っているより怖くて危ない存在なのです。おわかりでしょう」

 僕はぽかんとしたまま彼女のなすがまま、抱き締められていた。

 心臓がどくんどくんと脈打ち、暴れ、のたうち回っているのがわかる。

「……あ、あの。薔薇焔さん?」

「守護者は、こういう魔女があなた方に危害を加えないようにするための存在ですの。わたくしに会いたがるということは、危険に晒されるということ……」

 背中をさすられ、ぎゅっと抱き締められた後、僕は額にチョップをされた。

「痛い目を見たでしょう。懲りたら今後は早く帰りなさい」

 彼女が身体を離すと、僕と彼女の体の隙間を覆いつくさんとするまでに、濃い苺色の透き通った石がごろごろと溢れ出してきた。大小さまざま、というか、大体大きい。

「……なんですの! これは!」

「健全な男子の健全な反応じゃないかと思います!」

 好きな子に抱き締められたら、誰だってどきどきしてしまうのは仕方ないはずだ!

「とにかく、これは没収ですわ」

 彼女が片手を払いのけるような素振りをすると、突風が吹き、床に落ちた青や苺色の宝石を巻き上げ、片付けていった。家の掃除をするときに便利そうな魔法だ。

「あの、聞きたいことがあるんですけど」

 今しか訊けるときはない、と思っていた。僕の勢い的にも、彼女の雰囲気的にも。

「なんですの」

「この、ハンカチって……あの。僕に渡そうと思って作ってくれたものなんですか?」

 心臓がばくばくと走り続けていた。これはいろんな質問を内包した質問だった。

 僕のことを覚えていましたか。僕のことを想っていますか。僕のことを。僕を。

 薔薇焔さんは薄く意味深な微笑みを浮かべた。それは妖艶と言って良かった。

「あなたの手に渡ってしまったのですから、それは運命だったのでしょうね」

 ……? それってどういう意味? 僕は思わず眉間に皺を寄せた。

 それは意図的だったのか、意図的でなかったのか。明言を避けられた気がする。

「今夜は送って差し上げますわ。あの扉から出ておいきなさい」

 彼女が手を翻すと、その手には宝石が収まっている。パチン、と指が鳴らされた。

 言われるがままに被服室のドアから外へと出て行くと、そこは僕の家の前だった。

「わ、すごい」

 出てきた扉を振り返る。そこには、扉なんてなくて、家の前の道があるだけだ。

「……薔薇焔さん」

 彼女の振る舞いは、僕という単純な男を勘違いさせるには十分思わせぶりだった。

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