第3話
「お前が襲われたのは、魔女だよ、魔女」
昨日の話を会長にしたら、彼はそう言い切って、深めの溜息をついた。
「お前、夜まで学校にいたろ。危ないんだぞ。まほろは普通に治安良いけど、代わりに魔女がいるんだから。逢魔が時になる前に、早く家に帰れ。月が明るくなる前に」
「逢魔が時って何ですか?」
僕が素直に訊ねると、会長はまるでそんなことも知らないのかと言いたげに二度目の溜息をついた。僕はむっとする。日常的に使う言葉じゃないんだから仕方ないだろ。
「夕方のことだよ。黄昏時。日が沈んで、月が昇って、空で闇と光が混ざり合う時間。魔女は夜になると活動が活発になるんだ。これは月の光の魔力を使って魔法を使うから。魔女は太陽の光が苦手だ。苦手って言うか……光を魔力に変換できない。だから日中は大人しくしてる魔女の方が多い。だから日が沈む前に帰れば、魔女に会わなくて済む」
「逆に言えば、魔女に会いたければ夜まで待った方が良いってことですね!」
「お前、俺が危ないって言ったの聞いてなかったな? 早く帰れって言ってんだろ」
「魔女は危なくないですよ。少なくとも、僕が会いたい魔女は危なくないです!」
僕の主張を聞いて、会長はひどく鼻白んだような表情を浮かべた。
「あのな。早速危ない目に遭っといて、危なくないもないだろ。襲われてるんだぞ」
「そもそもどうして魔女は人間を襲うんですか。なんで僕、襲われたんですか?」
「それすらわかってないのに危なくないとか言うな。危ないの!」
会長は、やれやれと首を振りながら、鞄からノートを取り出した。ようやく図書室の自習コーナーらしい感じになってきた。今の僕たちは完全に、討論会になっていた。
「宝石って言われて、何かわかるか?」
「わかりますとも。指輪とかネックレスについてる、きらきらしてて綺麗なのでしょ」
「それは普通の宝石だろ。人間から出る『宝石』については?」
「人間から出る? どういうことですか?」
会長はノートに、人間がベッドに横たわってるみたいな絵を描いた。教科書でこんな絵を見たことがあるなと思った。確か、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた図案だ。
「だっさ」
「うるせーな。お前が昨日、魔女に襲われたとき、胸から何か出たって言ったろ」
「はい。何かころころしたような、石みたいなやつ」
「これが人間から出た宝石だ。心の中の特に強い感情を具現化したもの。お前が怖いと思ったら、恐怖の宝石が出る。魔女は人間から出るこういうものが欲しくて堪らない」
魔女はきらきら綺麗なものが好きだということだろうか。僕がそう考えてると、彼はじとりと僕の顔を睨んで首を横に振った。お前の考えはお見通しだってことだろうか。
「宝石について説明しようと思うと、まず、魔女が使う魔法の説明が必要だな。魔女は魔法を使うとき、外部の魔力を体に取り込む。月の光とか……精霊の羽とか」
「わかりません」
「料理をするときまずは材料買ってくるだろ。魔法の材料は魔力なんだよ」
なるほど。それならわかる。カレーが魔法だとしたら、まずはニンジン、ジャガイモ。お肉にルー。タマネギも欲しい。うずうずしてきた。僕は料理が好きなのだ。
「それから何をするんですか?」
「体の中で自分の魂の魔力と結合させて、魔法を練り上げる。練り上げるっていうのは、呪文を詠んだり陣を描いたり薬を作ったり……まあ魔女それぞれに方法がある。料理で言えば、煮たり焼いたり炒めたり……あと何だ?」
「蒸す、揚げる、炊く、茹でる……乾燥させたり和えたりするのも調理ですかね」
「詳しいな。料理するのか?」
「多少は。うち、両親が共働きで、自分で料理をしないとご飯が食べられないんです」
感心すれば良いのか、気の毒がればいいのか。会長が困った顔をしたのがわかった。
「それは良いから。ご飯の話になっちゃってます」
「ここからが大事なところだ。魔女は自分の体に魔力を持っている。これが厄介でな、魔女が魔女たる由縁というか……魔女の『性質』の部分になってくる。魔法を練るのが出力の部分だとしたら、魔力の結合は入力。材料加工の工程になるんだ。これが上手くできるかできないかで魔法の出来が大きく変わる。言ってることわかるか?」
僕はかぶりを振って答えた。よくわからなかった。
「抽象的です」
「そう、抽象的なんだ。魔女が魔法を使うとき、体の中で何か抽象的でよくわからないことが起きてる。よくわからないのに、魔法の得手不得手がここで決まる。困るだろ。宝石を使うと、このよくわからない行程をスキップして魔法を使うことができる」
「む? それって……」
「複雑な魔法や難しい魔法を高出力で使うのが簡単になるってことだ」
彼はノートにペンですらすら図式を書いていく。
「料理で言えば、基礎魔力との結合の過程は、材料の下ごしらえの行程だ。ニンジンの皮を剥いて、一口サイズに切って、下味をつける。もしもここで失敗したら仕上がりに影響が出るよな。でも、意外と面倒くさくて、コツもいる。技量とセンスがいるんだ」
確かに……。カレーも材料切るのが下手だと火の通りも悪いし、口当たりも悪いし、要するに不味いモノができる。逆に飾り切りが上手いと見栄えも良くなるな……。
「ここで宝石が出てくる。宝石が料理で言えば何になるかというと」
「あの……あれですか? コンビニとかで売ってるカレーの具材セットみたいなやつ。洗わずそのまま使える、みたいな。あとカット済み牛肉。ちょっと高いですけど……」
「よく知ってるな、さすが。それを一個買ったら、和風中華洋食エスニック、何にでも使えるって言われたら……便利だと思わないか?」
「便利ですけど……賞味期限が気になります」
「ない。あればあるだけ使える、何なら仲間との物のやり取りにも使える」
そんなの、持てる分だけ持っていれば損することもないし、あるだけあれば良い。
「ほしい」
「そういうことだ。それがお前たち……俺たち人間から手に入るんだ、ちょっと野蛮な魔女だったら、奪ってやろうとか、人間捕まえて絞り出すだけ絞り出してやろうとか、そういう思考になる。魔女は元々人間よりも上位存在だ。奴らは手段を選ばない」
そう言われると、僕もあのとき襲われた黒い影に『美味しそう』だと言われた。
僕は彼らにとって、金の卵を産む鶏にでも見えるのかも知れない。
「でも……薔薇焔さんは、僕のことを守ってくれました」
「薔薇焔?」
「僕の初恋の人です。僕の窮地を二度も救ってくれた救いの女神……運命の人です」
「お前、薔薇焔が好きなのか?」
クックッと会長が忍び笑いをしてみせた。全然忍んでないけれど。見え見えだけど。
「何ですか」
「いや、薔薇焔だったら、いくら生徒目録で調べても情報なんか出てこないだろうな。ただでさえ魔女は……魔女は成人するまで自分の正体を隠す。人間として生きるんだ。罰則とかはないけど、それが魔女界のエチケットだから、守るのが当たり前なんだよ。自分にも他人にも厳しい薔薇焔が魔女として姿を現すのは、夜だけだろうな」
そんな。せっかく名前を知って、再び会えて、付き合うチャンスができたのに。
「僕は日中に薔薇焔さんと会えないってことですか!?」
「会えないってわけじゃないけど……魔女の名前を名乗ることは有り得ないかもな」
僕はポケットから薔薇焔さんのハンカチを取り出し、刺繍を眺めた。
見事な紅い薔薇の刺繍が施されたハンカチは、一つの皺もなくぴかぴかだった。
「お。薔薇焔の刺繍だな」
会長は、僕の手の中にあるそれを見て、何とも言えない表情を浮かべた。
僕は会長の表情を見て、具体的に何の感情と読み取ることができなかった。
「何ですかその顔は」
「いや……、でも、薔薇焔の刺繍は魔法だから。宝石をかざせば、魔法が使えるぞ」
「どうやってやるんですか? 教えてください」
「え? いや、俺も宝石持ってないからな……」
会長が着ている服のありとあらゆるポケットをひっくり返し始めたところを眺めて、僕はこの人ちょっと抜けてるな、と思った。さっきまであんなに頭良さそうに説明してくれてたのに。無いって言い切ったんだから、無いのだろうに。必死に探して……。
「いや、良いですよ、別に、そこまでしてくれなくたって……」
別に仮に消しゴムとか使ってこうやってやるんだよ、って教えてくれるだけでいい。実演までしてくれなくていいから。そんなに必死に無いものを探さなくても。
「失礼……あるはずなんだけどな……」
彼はとうとう僕の服の中まで探し始めてしまった。探しても僕の服にもないのに。
僕はなされるがままに学ランのポケットを漁られ、尻ポケットを漁られ、最終的には内ポケットまで漁られる羽目になった。彼の手が僕の胸元をまさぐる。
「ちょっと……無いですよ……」
「あった」
「え!? なんで!?」
彼が、手品師のように僕の胸元から取り出した拳を開けば、その手のひらの内側にはきらきらと輝く朝ぼらけのような色をした宝石が握り締められていた。
「本当になんで?」
「昨日襲われたときに出てきた宝石の残りじゃないか? 内ポケットにあったぞ」
「内ポケットか……たまたま転がり込んだのかな……小さいし……」
「小さかったから向こうも拾い損ねたんじゃないのか。魔女は大きい宝石を好む傾向があるし……強い魔法が使いやすいからな」
会長はどっと汗をかいているようだった。必死になって探しすぎだ。僕は呆れる。
「ほら、やって見せてください、実演してくれるんでしょう?」
「お、おう……実は俺も宝石使ったことなくて、上手くできるかどうか……」
そう言いながら、会長は僕の手に持ったハンカチに宝石をかざした。
きらきら光るプリズムの光が美しい薔薇の刺繍の上に虹色を落とした。
まるで、それは僕と彼女が共同作業で創り上げた芸術のように美しく。
「な、なんか……恥ずかしくなってきちゃいました」
「なんで?」
「これって僕の心の結晶なんでしょう? 自分の心が人に見られているのって、何か」
あのときはとにかく怖い思いをしていたし。これが僕の恐怖。色が綺麗すぎる。
「お前の宝石って、綺麗なんだな」
会長がぽつりと呟いた瞬間、刺繍に落ちた光が燃え上がったように炎に包まれた。
図書室で炎はまずい。僕は咄嗟に周りを見たけれど、会長が僕の手首を掴んだ。
「大丈夫だ。本は燃えない。これが燃やすのはお前の敵だけだ」
彼が言った通り、炎が周りに燃え移ることはないようで、ただハンカチに灯った火がゆらゆらと揺らめいているだけだった。僕はその灯火が、昨晩彼女に助けられたときに僕の体を包んだものとよく似ていると気が付いた。同質の魔法なのかも知れない。
「守りの魔法……なん、でしょうか」
「お前のための魔法だよ」
「僕の?」
「お前を守る……ための、お守りというか、何というか……いざというときのための」
彼女が僕のために? こんなに美しい刺繍を僕のためにわざわざ? ……いつ?
「いや、僕のためのものではないでしょう……いいですよ、そんな慰めは……」
「慰めとかじゃなくて、本当に」
「彼女がたまたま持っていたものを僕を拾っただけですよ、そうじゃなきゃ彼女は何のためにいつこれを縫ったんですか? 僕のためだって言うなら、僕の入学に合わせて、彼女が前々からこれを用意していたってことになっちゃうじゃないですか」
「そう言ってんだろ」
「そんな都合のいい妄想はさすがにできないですよ、僕でも。さすがにそれは」
だって、そんなことを言ったら、彼女が僕のことを知っていたことになってしまう。
僕のことを、初めて出会ったあの日から、覚えていたことになってしまう。
僕と彼女が再び出会うことを彼女が知っていて、準備していたことになってしまう。
都合が良すぎる。そんなことは有り得ないとさすがに僕でもわかる。
「会長、さすがにそれを信じろって言われるのは、ちょっと頭が少女漫画過ぎます」
「ダメか、少女漫画に憧れたら」
「憧れるのは勝手にしてくれて構いませんけど、自分の恋愛だけにしてください」
子供の頃の初恋を忘れられず追いかけ続けている僕だけど、何にも現実を見ていないわけじゃない。彼女の態度を見ていればわかる。今のところ僕は脈無しだ。
「俺は……薔薇焔の……」
会長が何やらもごもご言っているのを、僕は半ば呆れた思いで見ていた。
僕の恋愛をコンテンツ扱いするのは構わないけど、今回はちょっとしつこい。
「人の恋愛に夢を見てもいいんですけど、僕は同じ夢を見れませんからね」
「親友なんだ」
「は?」
「薔薇焔のことはなんでもわかる。だから、俺の言っていることを信じてくれ」
いきなり何だ。何を言い始めたんだ。彼が彼女の親友? 信じられない。
「ほら、普通の人間にしては魔女の事情に詳しすぎると思わなかったか?」
「思いました。もしかしたら会長は魔女なんじゃないかと思いました」
「そんなわけないだろ、だって俺は男なんだ。魔女が男って変だろ」
「別にそんな偏見無いですよ。保育士さんもナースも男がやれば良いと思いますよ」
「俺は魔女じゃない。だけど、薔薇焔と仲が良いから、魔女の事情に詳しいんだ」
別に会長が魔女でもいいと僕は思っているけど、先ほど彼が言ってたみたいに魔女は成人するまで人間に正体を明かしてはいけないのなら、知らない振りをしてあげた方がいいのかなと思う。エチケットって言うくらいだから、破ると恥ずかしいのだろう。
「別にそういうことにしといてあげてもいいですけど」
「本当に?」
「薔薇焔さんのことをあまり決めつけるとか……彼女のイメージを損なうようなことを言うのはやめてください。疑わしいと思ったら本人に確認取りますからね」
「あ……ああ! それでいい、本人にも聞いてくれ、多分それなりの返事するから」
それなりって何だ。変なことを質問させて僕に恥をかかせるのも控えてほしい。
彼が変なことを言うから、このハンカチも僕のための物なんじゃないかと少しだけ、ほんの少しだけ思うようになってしまった。そんな都合の良い夢、見たくないのに。
「新入生」
彼がいそいそと僕の手を握り、小さな小石を握らせる。
小石じゃないのは知っているけれど。先ほどの実演のときに余った宝石だ。
「いざというときのために、宝石はいくつか持っていた方が良い。薔薇焔のハンカチで守りの魔法いつでも使えるようにしといた方が良い。薔薇焔に会ったら、宝石貰えよ」
「あなたが宝石出してくれたらいいじゃないですか」
「俺は人間だから、宝石出せないの!」
ははは、と愛想笑いをした。これも薔薇焔さんに聞いてみるか、と内心考えた。
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