第2話

 

 入学式とかいう形だけの儀式を終えたら、クラスで簡単にホームルームがあった。

 それも中学のときに聞いたことのあるようなないような内容で、今日から貴方たちは高校生なのだから、自分の行動に責任を持って何たらかんたら。まああれだ。要するに、やんちゃするのもほどほどにってことだ。僕には関係ないけど。やんちゃしないから。

「今日これからどっか行く?」

「カラオケ行こうよ」

「常磐葉くん……だっけ。きみも行く?」

「ごめんなさい。僕はこれから行きたいところがあるので。また今度行きましょうね」

 クラスメイトの親切な誘いを丁寧に断って、僕は鞄を持って校内をうろついた。

 学校だったらどこにでもあるはず。図書館に続く道を探した。まほろ高校の図書館は、別館を建てられるほど大きな施設になっていて、蔵書も多く、広大だ。僕が探している情報もきっとここにならあるはず。意気揚々と足を踏み入れ、本の匂いを嗅いだ。

 僕は用事の有無にかかわらず、図書館に来るのが好きだ。

 中学生の頃も、一人でよく来ていた。どちらかと言えば内向的な性格なのだと思う。友達とわいわい話して過ごすより、本を読んで静かに過ごすのが好きだ。

「……あ、あった」

 僕は生徒目録を手に取り、座る場所を探した。この図書館には大きな自習スペースが設けられており、大きなテーブルに六脚程度の椅子が備え付けられていた。僕以外誰も使っていないそこに席を取り、僕は、複数冊持ってきた生徒目録の一冊目を開く。

「……いない……」

 わかっていたことだけれど。入学生徒が写真付きで一覧になっているページを睨み、うんうんと唸る。この中に彼女の写真が載っていれば一発でわかると思ったのにな。

 まほろ町に住んでいる高校生は、特別な理由がない限り、基本的にまほろ高校に通うことになるはずだ。そしてまほろ高校は、入学生徒をこうして目録に記録している。

 つまるところ、「彼女」がまほろ町の高校生であるなら、まほろ高校の目録を見れば名前とクラスがわかるはず。そう思って来たのだが、当ては見事に外れた。

「どうしようかな……」

「どうした。何か探し物でもしてるのか、新入生」

 不意に声をかけられ、僕はぎょっとしてしまった。誰もいないと思っていたから。

 気が付けば、目の前の席に学ランを着た男子生徒が座って微笑んでいた。

 彼は僕が胸元に付けている花飾りに手を伸ばし、ちょんちょんとつついた。

「新入生だろ? いきなりこんなところまで来て調べ物とは感心だな」

「えっと……僕は、人捜しをしていて」

「だから生徒目録なのか。どんな相手だ? 三年生なら少しは顔見知りがいるけど」

「何年生なのか……現在この学校の生徒なのかどうかもわからなくて……僕よりも少し年上だろうということは確かなのですが、卒業しちゃったかもしれなくて」

「名前もわからないのか?」

 僕は彼の視線に内心ドキドキしていた。もちろん恋のドキドキではない。緊張だ。

 彼はさらさらの金髪に緑の目をした人形みたいに顔の綺麗な人だった。こんな人物がクラスにいたら目立つだろうと思う。注目を浴びているのだろうな、と予想できた。

 そんな美人に声をかけられ、親切にされている。人見知りをする僕は緊張していた。バチでも当たるかも知れない、と変な想像までした。心臓がぎゅっと捻られる。

「わかりません。子供の頃に一目会っただけなので」

「……初恋の相手?」

「そうです」

 からかうつもりで言ってきたらしい彼に真正直に話す。僕はこういう冗談を受け流す技術を持ち合わせていない。それに、実際、事実だったから。初恋の人を探している。

「可愛いやつ。何年前の話?」

「九年くらい前です。僕が小学校に上がる前の話で」

「うんうん」

「僕が猫を追いかけて木に登って……降りられなくなったときに助けてくれたんです」

「それで、好きになっちゃったんだ」

 年下の学生の初恋の話なんか聞いて面白いのだろうか、と僕は疑問に思うけど、彼は十分楽しいらしい。くすくす笑って嬉しそうに頷きを返してくれる。いい人なんだな。

「結婚……するって約束したんです」

「結婚?」

「大人になったら結婚しようって、僕が言って……彼女を見つけなくちゃいけなくて」

「子供の頃の約束なんか、相手もまだ覚えてるかなんてわかんねーぞ」

「いいんです。僕が今でも同じ気持ちでいるってことだけ伝われば……それだけで」

 彼女が言ってたように、『本当の彼女』を見つけて、それでも同じ言葉を伝えて。

 今でも僕が彼女のことを変わらず好きだと伝えたい。僕は彼女以外愛せないのだ。

「情熱的なんだな」

 彼は楽しそうにころころ笑って、持っていたペンをくるりと回す。唇を舐めた。

「わかった。お前が彼女を探す手伝いを俺もしてやる。面白そうだ」

「いいんですか?」

「いいよ。わかることは俺が全部教えてやる。俺の名前は野薔薇焔真。生徒会長だ」

 生徒会長!

 僕は驚いた。自分の記憶力のなさに。だって彼の顔を全く覚えていなかったから。

 生徒会長と言えば、入学式で歓迎の言葉を述べてくれたはずだ。全く覚えていない。いや、見たことある顔だとは思っていたのだけれど、まさかこんな直近のことだとは。

 じろじろ顔を眺める僕に、会長はわははと声を上げた。

「覚えてなかったんだろ」

「覚えていませんでした」

「覚えにくい顔なんだよな。人の印象に残りにくい顔っていうかさ」

「絶対嘘だ。こんな顔、一度見たら忘れないですよ」

「でも覚えてなかったんだろ?」

 ぐぬぬ。言い返せないけど。けど、絶対おかしい。悔しい。納得行かない。

「そういうもんなんだよ、人の記憶って。思っているより適当で、いい加減なんだよ」

 会長が僕のおでこを人差し指でちょんと小突いて笑う。見てて気持ちのいい笑顔だ。

「それじゃあ俺は帰るけど、お前はまだここ使う?」

 会長は席を立ちながら、僕に尋ねた。僕は迷ったけれど、やはり、うんと答えた。

「今日中に彼女の手がかりを見つけたいんです! もっと昔の記憶を遡ってみます」

「おう。頑張れ」

 会長は僕の頭を撫でて、ぽんぽんと背中を叩いた。スキンシップが多いな……。

 鞄を提げて出ていく彼の後ろ姿を見送って、僕は生徒目録の束に向き合う。

「一冊では見つけられなくとも、何冊も見れば必ず……!」

 彼女だって、まほろ高校の学生だった時期があるはずなのだ。その時期を探そう。

 僕は二冊目の目録に手を伸ばし、埃っぽいアルバムを開く。

 目指せ、初恋の彼女。


 というわけで。

 その後、僕は十数冊の目録を開いては読み切り、彼女の顔写真が載っていないことを確認しては閉じていった。十数冊読んだと言えば、十数年分の記録を遡ったことになる。のだけれど、彼女の記録はどこにも残っていなかった。

「え~ん! あの人は一体いつまほろ高校に在籍してたんですか~!?」

 僕が彼女に初めて会ったとき、彼女自身もまだ小さな子供の姿だった。

 彼女は魔女だから、僕と違う時間の生き方をしている可能性はある。あのときは僕と比べて年上に見えたけれども、もしかしたら僕が彼女の歳を追い越してしまったという可能性もないわけではない。

「もしかして、まだ中学生なのかな? 高校には入学していない?」

 もっとシンプルに考えて、別の高校に在籍している可能性も考えられる。

 僕は彼女の現在の姿を何も知らない。情報がゼロなのだ。

「もう一度あの人に会えたらいいのにな……」

 ううんと伸びをして、ふと窓の外を見る。いつの間にか真っ暗になってしまった。

 もう夜か。この季節は日が長い方だけれども、集中していればあっという間だ。

 そろそろ帰ろう。

 出しては積んで、山積みにした生徒目録を元の位置に戻して、帰り支度をする。

 スマホに目を遣る。誰からも連絡は来ていない。学ランのポケットにしまった。

 僕の親は僕が何をしていても気にしてこないので、何時に帰っても問題ない。

 冷蔵庫の中身に意識をやった。今のところ、何が入っていたっけ。

「晩ご飯、何にしようかな……」

 図書館から出て、図書館から外へ続く大階段へと足を一歩踏み出したところだった。ずるり、と足が滑るような感触がして、階段を踏み外した……? 

 違う。階段に飲み込まれたのだ。柔らかい地面に包まれるように直下に落ちていく。落ちた先で何が起きているのかよくわからない。僕はもがいた。身動きが取れない。

 目の前が真っ暗になって、息がうまくできない。とにかく苦しかった。

「つかまえタ」

 女の人の声が聞こえた。頭の中で反響するような、耳元で囁かれているような。

 声がした方に伸ばした手を取られ、引っ張られる。

「美味しそうな人間。貴方のハァトを頂戴な」

 胸元に手が置かれる。何をされる。怖い。苦しい。助けて。心が叫んでいる。

 胸元から何かが零れ落ちていくような感覚がした。ころころ。ぽろぽろ。きらきら?

「素敵。綺麗な宝石。貴方って本当に魅力的だワ」

 女の声が僕の頭の中で囁いている。僕は首を振った。手で押し退けた。

 助けて。

 何度も何度も声にならない声を上げて叫んだ。僕のことを助けてくれる人なんて。

 ああ。死ぬのかな。その前に、もう一度だけ、彼女に。僕は頭上に手を伸ばす。

「助けて!」

 伸ばした手を不意に握られる。ごう、と体が一瞬炎に包まれたような気がした。

 温かい火に包まれて、自分の体を飲み込んでいた空間が切り裂かれる。

 宙に浮いていたような体が、重力を取り返し、落ちる。足が地面を踏みしめる。

 僕はバランスを取れずにそのまま倒れ込んでしまった。

 僕の手を握っていた誰かが、僕の体を抱き起こす。抱き締められていた。

「遅れましたわね」

 赤い服を着た人形のような顔をした少女が、僕の顔を覗き込む。

 僕は必死に息継ぎをして、息継ぎの合間に彼女を呼んだ。ああ、彼女は、僕の。

「あなたは……」

「今は後」

 彼女は僕の体を横抱きにして立ち上がり、どこか向こうの方を睨んだ。

「追いますわよ」

 かつん、とヒールの音が響いたと思えば、彼女は地面を踏みしめ、駆け出した。

 それは人間が地面を踏みしめたときの推進力を遥かに超えた一歩。

 彼女は飛ぶように、跳ぶように、風を切り裂いて駆ける。僕を抱えたまま。

「薔薇焔、これはほんのちょっとのお遊びなのヨ! 出来心! 許しテ!」

「ちッ」

 激しい舌打ち。彼女のマントが翻る。マントの裏から蔦のような炎が吐き出されて、彼女が追う「何か」に向かって伸びる。鞭のようにしなり、激しく叩き付ける。

 「何か」が声のような音のような唸りを上げた。焦げた匂いが鼻を突く。

「イヤァ、許しテ!!」

「問答無用!」

 炎の鞭が黒い人影を捕らえて燃え上がる。あれが僕を襲った「何か」……。

 目を凝らしてもよく見えなかった。炎が眩しくて、影が色濃くて。

「守護者の名の下に、あなたを禁固刑に処しますわ!」

 黒い影を包む炎が一瞬薔薇の花の形を模したと思えば、それは蕾を閉じて消えた。

 そこにいたはずの黒い影も同時に姿を消して、焦げ跡だけがそこに残っている。

「消えちゃった……」

「閉じ込めただけですわ。魔力を十分絞り上げ、しばらく魔法が使えない状態にして、反省の色が見えたら釈放しますの。反省していなかったら……ふう」

 何の溜息なのか僕にはわからなかったけど、あまり深く触れない方がいいと思った。

「僕は燃えていますけど……熱くないです。この炎は何ですか?」

 代わりに自分の体を包む炎のことを聞いてみた。温かいだけの不思議な優しい炎だ。

「それはあなたを守る魔法を具現化しているだけで、本当にあなたの体が炎に包まれているわけではありませんの。しばらくしたら消えますわ。それまでお待ちなさいな」

 彼女は僕を地面に降ろしたあと、頭を撫でて背中をぽんぽんしてくれた。

「あなたは、僕の『あの人』ですよね?」

「あなたのどの人ですって?」

「初恋の人」

「あなたの初恋の相手が誰かだなんて、わたくしの知ったことではありませんわ」

 僕は、それ以上に質問の仕方がよくわからなくて、単刀直入に聞いてしまった。

 彼女は難しい顔をしていた。それもそうだろう、聞き方が悪かったに違いない。

「僕のプロポーズを覚えていますか? 大人になったら結婚したいって言いました」

「……知りませんわ、あなたのことなんて」

 彼女はぷいとそっぽを向いた。耳の縁が赤くなっている。

 僕の記憶に間違いがなければ、彼女は「彼女」のはずだった。

 あのときと同じように、彼女は窮地に陥った僕のことを助けてくれたのだ。

「僕、あの日から、あなたのことをずっと探していました。結婚してください」

「あなたはまだ子供ですわ」

「だったら、僕がもう少し大人になったら、結婚してください」

 彼女は困った表情を浮かべて、僕の顔をまじまじと見てから、かぶりを振った。

「わたくしは、まほろ高校の治安を守る四人の守護者のうちの一人。恋愛にかまけて、大事な仕事を蔑ろにするわけにはいきませんのよ」

「僕が仕事を手伝います。あなたの助けになります。あなたの役に立ちます。絶対に。邪魔にはなりません。むしろ便利なはずです。だから、近くに置いてください」

 僕は食い下がる。こういうとき、なんて言えば良いのか、僕はよく知っていた。

「僕と付き合ってください、ええと、薔薇焔……さん?」

 黒い影がそう呼んでいた。彼女の名前かそういう呼び名か何なのか知らないけれど、僕は彼女をそう呼ぶしかなかった。彼女は、ハッとした表情を浮かべ、僕を見つめた。まじまじ見つめて、頬をほんのり色づけた後、ぷい、とそっぽを向いてしまった。

「……お断りしますわっ」

 彼女はマントを翻す。僕が瞬きしている間に彼女は姿を消していた。

 彼女が立っていた場所に、ハンカチが一つ落ちている。見事な刺繍が施されていた。

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