第5話 ひとりでトイレに行けない先輩

 放課後の部室。

 目の前に座る日野江先輩を見ながら僕は考えていた。

 

「(……付き合ってる、のか)」

 

 日野江先輩と日陰さん。二人はひょっとすると、その、深い関係だったりするっぽい。恋人以上とか。もちろんどちらも女の子だけど、このご時世そんな性別なんて関係あるまい。

 なので日野江先輩が僕の恋人になれない、というのも頷ける。

 うーん、そ、そうだったのか……。

 なんというか、ちょっと納得感はある。

 普段からふたりともめちゃくちゃ仲が良かったもんなあ……。

 

「さあ草場くん、今日もノートでHな実験をするわ!」

 

 …………。

 ただこの人が人間の恋人になれるのか、という疑問はある。

 

「先輩、いいんですか、この実験続けても?」

「当然よ。なにか不都合でもあるの?」

 

 僕は思い切って聞いてみることにした。

 

「日陰さんがいるのに、僕とHなことしていいんですか?」

 

 こういうことは、曖昧にしちゃいけない。

 

「あら」

 

 先輩はくすりと笑って。

 

「なるほどなるほど。私達ふたりの関係を恋仲と理解したのね」

「違うんですか?」

「少なくとも契約書に恋人とは書いてないわ」

 

 そりゃ書かないだろう普通は。

 

「お互いに何をしてもかまわない。Hなことをしてもいいし、財布の中身を勝手に使ってもいいし、犯罪されても訴えない。そういう関係を、果たして恋人というのかしらね?」

「……まあ、一般的には言いませんね」

 

 夫婦だって殴られたら文句を言う。

 それは奴隷だ。

 しかも相互の奴隷。

 先輩と日陰さんは、そうだというのだ。確かに恋人以上としか表現できない気がする。あえて言えば一心同体とかが近いのか。自分自身として扱う――みたいな感じだ。

 正直ちょっと理解し難くて……

 でもなんだか素敵な関係だぞ、とも思った。

 

「でもなんでそんな関係に?」

「実験よ」

「またですか」

 

 どんな実験だ。

 

「彼女、わたしになりたいっていうから。なれるかどうかの実験」

「先輩になりたい?」

 

 どういう意味だろう。

 

「中学生の時に言われたの。『ヒノエちゃんみたいになりたいんです』って。勿論それは無理よね。生まれも精神性も、何もかも違う。人間が他人になれるわけない。でも日陰ちゃんは、あまりに必死だったから――」

「だったから?」

「私も三日三晩、他人になる方法を必死で考えて。出した結論がこれよ」

 

 ――なるほど。

 だから実験、というわけか。

 

「というわけで。別に私と草場くんは別にHなことをしてもいいの」

「それとこれとは話が別な気がしますが」

「だって草場くんは私が好きなのでしょう?」

「うっ」

「私も草場くんが、まあ、それなりに好きよ」

 

 どきん。

 好きって。

 言われてしまった。

 

「だからなんの問題もないのよ。さあ、実験をはじめましょう!」

「………………はぁ」

 

 もっと聞きたかったけど、先輩はこれ以上話をする気がないらしい。それに――先輩とHなことがしたくないといえば嘘だ。実験は僕だって、そりゃあ、したい。したいよ。みたいよ。決まってるだろ。

 だからしましょうと言われれば、従うしかないのだった。

 

「今日は取り消し実験をしてみましょう」

「取り消し?」

「毎日パンツを見せるって書いてあるでしょ。あれを消しゴムで消してみて、それでも効果が続くかどうかの実験ね。キャンセルできるかどうかは安全性の面から見てとても重要よ」

「な、なるほど」

「ちなみに取り消した後、また毎日パンツ見せると書くから安心してね」

「書く必要ありますかねぇ!?」

「……私のえっちな下着、見たくないの?」

 

 みたいですよちくしょう!!!

 

「ふふふ、草場くんの顔は正直でよろしい」

 

 ともあれ実験開始。

 言われたとおり消しゴムでまずは消してみる。

 といっても普通の消しゴムでは反応がなくて、付属のエンピツの頭についた小さなゴムでしか消せなかった。しかも消しが悪くて、何回ゴシゴシやってもなかなか消えない。

 数十秒ほどがんばって。

 

『毎日、日野江先輩が僕にパンツを見せてくれる』

 

 のうち、前半の『日野江』の部分が薄くなった程度だった。

 そしてそのあたりで、ゴムが切れてしまった。

 

「ダメねえ。代わりはないの?」

『我は三菱鉛筆の2Bしか受け付けぬ』

「なんだこの注文の厳しいノートは……」

 

 先輩はふうっとため息をついた。

 

「しょうがないわ。明日は土曜日だから一緒に買いに行きましょ」

「えっ」

 

 男の子と女の子が一緒に買いに行く。

 それってつまり……?

 

「いわゆるデートね。腕組みでもしてみる、草場くん?」

「いや先輩……いいんですか?」

「いいわよ。だって休日でもパンツ見せないといけないでしょ」

「休日でも!?」

「平日だけとは書いてないもの。イオンのトイレで見せてあげるわ」

「ぶっ!!!」

 

 そんなの完全に爛れた感じの恋人ですよ……!

 いや学校の薄暗い部室でパンツ見せるのも爛れてるけどさ!

 

「さて、それじゃあ追加実験を――」

 

 と、そのときだった。

 がららーっと部室のドアが開いた。

 

「おつかれ、ヒノエちゃん、草場くん」

 

 今日は暗幕で囲ってないので普通に入ってきたみたいだった。そのまま日陰さんは椅子にだぼっと座った。つかれたー、あついねー、とパタパタと胸のあたりを仰ぎながら。

 うーん。

 恋人以上の関係か。

 ちょっと見てみたいなあ……。

 

「あ、私、トイレに行ってくるから」

 

 と、日野江先輩が立ち上がった。

 

「あ、じゃあわたしもいっしょに」

「だめ。日陰ちゃんは草場くんと話してなさい」

「えっ?」

 

 そのまま日野江先輩は部室から出て行ってしまった。

 

「話してって言われても……ど、どうしようね?」

 

 と、ちょっと困ったように日陰さんが僕に言う。

 考えてみれば、日野江先輩を抜いて二人きりなのは初めてだ。

 

「何か意図があるんですかね、日野江先輩?」

「んー。八割あるよ。残り二割は何も考えてないけど」

「詳しいですね」

「うん。ふふ、わたしはヒノエちゃんにはくわしいよ」

 

 さすが恋人以上の関係(自称)というだけはある。

 

「だからね。最近、草場くんと仲がいいのも知ってるよ。ふふー」

「……そ、そうですか」

 

 流石にパンツ見せてることには気づかれてないと思うけど。

 関係が近くなったことは気付くか。ちょっと後ろめたいぞ。

 

「ねえ。ヒノエちゃんのこと、好き?」

「ぶっ!」

「わ。ふふふ。わかりやすいねえ、草場くんは」

 

 こ、この二人は! 揃いも揃ってストレートだ!

 

「大丈夫だよ。安心して。秘密にするから」

 

 いや本人にももうバレてますけどね!

 

「ふふ。でもヒノエちゃんを彼女にしたいなら試練があるのだ」

「試練?」

「うん。わたしも落とさないといけないのだ!」

「落とす」

「あるいは倒す! わたしを倒さぬ限りヒノエちゃんはわたさぬぞー!」


 冗談めかして言っているけど。

 あ、これ本気だな、って僕は思った。きっと例の『恋人以上』の件だ。察するに、お互いがお互いの恋人をつくるときに同意しなければいけない……ということじゃないだろうか。

 おお……。

 

「……ほんとに仲がいいんですね」

「え? ヒノエちゃんと? えへへ、そう見える? 見えちゃうかな?」

「はい。見えますね」

「そっかー。そっかあ。えへへー」

 

 頬を染めて三つ編みを揺らし、照れる日陰さん。

 なんかこの人がかわいく見えてきた。

 

「でへへ……あ、おっと。こんなに簡単にわたしが落ちないよー?」

「いや別に落とそうとしたわけじゃないですが」

「無自覚! かーこれだからー!」

 

 わりとノリいいなこの人……。

 

「……んっ!?」

 

 と、ピクンと日陰さんが震えた。

 

「あ……ご、ごめん。わたしもトイレ」

「あ、どうぞ」

 

 日陰さんは立上がる――が、そこから動かない。

 

「え。どうしました?」

「え……あ、うん、あれ、えと、えっとね?」

 

 日陰さんはへにょりと口を曲げて困った雰囲気。

 さらに頬は紅潮し、太ももは震えている。

 おしっこを我慢していると丸わかりだ。

 

「……く」

 

 ごくんと息を呑んで。

 いきなり。

 

「草場くんも……つ……ついてきて、くれる?」

 

 などとのたまったのだ。

 ………………。

 …………。

 え。

 

「え……い、いやあの、僕、男ですよ」

「え!? うん、だよね!? そーだよね!? わたし一体なにいってるんだろうね、あは、あは、あはははははー! ごめんね、ごめんね、ほんとごめんなさいね……っ!」

 

 ぺこぺこと謝る日陰さん。

 でもいっこうにトイレに行こうとしない。

 太ももをこすり合わせ、スカートを抑え僕を上目遣いで見るばかり。

 な、なんだ? 何が起きてるんだ?


「あああ……あうううううぅぅぅうっ……!」


 日陰さんの限界に近い声。赤くなる耳たぶ、熱くなる頬。なんだ。いったいどうすればいいんだ。

 と、そのとき、ぶるる、ぶるる。スマホにメッセージが届いた。

 日野江先輩からだった。

 

『そろそろ、はじまった?』

 

 ――――。

 やはりこの人の仕業らしかった。

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