第3話 耳をふーってさせてくれる先輩
翌日の昼休み。
文芸部の部室で日野江先輩とふたり。机の上には例の魔法のノート。
「ふふふふふ、さあ、いろいろ試してみましょう!」
興奮気味に日野江先輩が言った。まあ日頃から面白いものを探しているラノベのヒロインみたいな先輩にとっては、本物の魔法のノートなんて興奮の対象でしかないだろう。
それはともかく。
「先輩、言われた通り写真部に暗幕借りて来ましたけど、何に使うんです」
「いざという時のためにね。カーテンだと廊下側は隠せないでしょ」
「隠す」
「ええ。さすがの私も草場くん以外にパンツを見られるのは嫌だし」
「うっ」
僕にはいいんだ……。
嬉しい思いがじんわり湧き上がってしまう。
「(といっても、先輩は恋愛感情はないんだろうな……)」
日野江先輩にとって僕はせいぜい、からかいがいのある後輩といったところだろう。恋人になるのは断られてしまったし。そういえば何か理由があるようだったけど――まさか既に彼氏がいたりするんだろうか?
いや、今考えても仕方ないか。
とりあえず実験に集中。
暗幕を廊下側の窓に張り巡らす。
う、昼なのにかなり暗くなってきた。
「へえ、薄暗いし――だいぶHな雰囲気になってきたわね!」
わくわくな声でそんなこと言われても。
「その台詞でHな雰囲気が減りましたけどね」
「あらそう? ごめんなさいね。私Hなことに疎くて、経験ないし」
「……そ、そうですか」
最後の一言でまたちょっとHな雰囲気になった。
ほんと無自覚だよなこの先輩……そういうとこが好きなんだけど……。
「よし、実験開始よ草場くん。さっそくノートに何か書いて」
まだいきなり無茶振りである。
「な、何を書けばいいんですか?」
「なんでもいいわ。思いついたことを書けばいいの。ほら、草場くんって私のことが好きなんでしょう? だったら、私にしてほしいこと、たくさんあるでしょ? それを書けばいいのよ」
どくんっ!(興奮で心臓が跳ね上がる音)
「うぐっ……!」
だから無自覚過ぎるんだよこの人は!
いや逆に自覚的すぎるのか!?
「というか本人に見られながらHなお願いを書くとか無理ですよ!?」
「うーん。そうは言っても私以外を実験台にするわけにもいかないし……あ、日陰ちゃんならいいけど。文芸部員だしね。ちょうどいいから私じゃなくてあの子にする?」
日陰ちゃんとは、先輩と同級生で同じく文芸部員の、日陰日向(ひかげひなた)さんのことである。日野江先輩と対象的に大人しく、いかにも文学少女といった感じの先輩だ。
もちろん今日ここには呼んでいない。
「しませんよ。泣いちゃいますよ日陰さん」
「文芸部員だもの。泣くぐらいは受け入れてもらわないと」
文芸部員はHな願い事を受け入れる義務があるのか。
どんなブラック部活だ。
「というかですね。まずHじゃない願い事をしましょう」
「えー。それじゃつまらないじゃない」
「先輩!?」
「私のカンが言ってるわ。このノートはHな願い事しか受け付けないって」
どんだけピンポイントなカンだ。
「と、とにかく書きますね」
僕はノートに『十万円欲しい』と書いた。即座にノートに文字が浮かび上がった。『その願いは我が権能を超えている』とある。権能ってなんだよと頭の中で聞くと『中高生男子の青い性欲こそ我が権能なり』と返事が来た。
「ねえよ!?」
「ほら、やっぱりHなのじゃないと受け付けない」
やはりこのノート、先輩が僕をからかうために用意したのでは……?
「というか先輩、ノートの題名は見えなくても返事は見えるんですね」
「うっすらとね。ふむふむ。確かに挙動は魔導書っぽいわ」
先輩が虫メガネでじーっと浮かんだ文字を覗き込んでいる。
「さて続きね。今度は私が書いてみましょう」
先輩がさらさらっとノートに書いた。
内容は『草場くんが日陰ちゃんに胸のサイズを聞く』だ。
って、うおい。
「泣いちゃいますよ日陰さん!?」
「彼女は泣き顔がかわいいのよ」
日陰さんにあたりが強いな先輩!?
『汝は我の使用資格を満たさぬ。故に願いを受け入れられぬ』
と、すぐに返事が来た。
「あら。やっぱり男の子じゃないとダメなのね」
『正確には、生物学的に男性かつ心の清い童貞でなければならぬ』
「じゃあ草場くん以外はダメね」
「待てやおい!!」
いま僕このノートに童貞ってバラされましたよ!?
「気にしない気にしない。私だって処女だし平気よ」
「うぐっ!? 先輩、発言に気をつけて!」
「そのこだわりが童貞なのよねえ」
なんだこの童貞からかい空間!
「ともあれ私じゃダメ、Hじゃない願い事もダメと。じゃあやっぱり草場くんに願い事を書いてもらうしかないわ。童貞喪失しない清い感じのHなやつをひとつお願いね、草場くん」
「注文が難しすぎるんですけど!」
「できるでしょ。男の子ってそういうHなことばかり考えてるんだし」
確かに考えてるんですけど!
好きな先輩にそれを指摘されたくはないんですよ先輩!
心のなかで悲鳴を上げつつ、なんとかラインを超えない願いを考える。
数十秒後、出てきたのは。
『日野江先輩と僕が手を握る』
うん。このぐらいがちょうどいい。
「ふう……(ため息)これはダメ。0点」
「ダメ出し!?」
「だって面白くないし。そもそも実験にならないでしょ」
「実験にならないって、なんでですか」
「あのね、願いが叶うノートの実験なのよ? 普通は叶わない願い事にしないとノートの効果かどうかわからないでしょ。手を握る程度、別に頼まれれば、すぐに叶っちゃうもの」
「いや、そんな簡単に叶うものではないですよ」
「そんなことないわ。ほら」
いきなり、ぎゅっ。
机の上に置いた手に、右手を重ねられた。
あったかい――。
「って、ひゃううっ!? せせ先輩!?」
「とまあ。この程度の淡い青春的なお願いなんてすぐ叶っちゃうのよ」
「わわわ、わかりましたから、手、手、手っ……!」
「反応が乙女ねえ」
くすくすと笑いながら先輩は手を離した。
ふう、どきどきしっぱなしだ、ほんとに……。
「というわけで。次はもうちょっとHなお願いでよろしくね」
ハードルが! ハードルが高い!
どうしよう、いっそ逃げてしまうか、と一瞬思った。
先輩も逃げる僕に無理矢理ノートを書かせるわけにはいかないだろう。
――でも。
ちらりと先輩を見る。
正確には先輩のスカートを見た。あの裏側にあるやわらかそうな純白の布。それはもちろん目の裏に焼き付いていて、昨日はほとんど寝れなかった。布もそうだけど、それ以上に、布を恥ずかしがる先輩が。
いつもは絶対に見られない先輩の表情が。
僕は、すごくかわいいと、思ったのだ。
あの先輩をもう一度見たい。
逃げたら――恥ずかしい先輩の姿は見れないのだ。
「ふふ」
先輩は僕をじっと見て薄く笑った。
「Hな雰囲気の草場くんになってきたわ。いい感じよ、その調子よ」
ふれーふれーと僕のHな妄想を応援する先輩。
「先輩はいったい僕のなんなんですかね……?」
「いまはそうね、H指導員ね」
「ぶっ」
なんですかその刺激的すぎる響きは。
でもその言葉で僕の心が刺激される。先輩にしてほしいこと。それはもちろんたくさんある、考えるまでもなく、今までたくさん妄想してきたのだから。そのうちの一つを、素直に書く――。
『日野江先輩が僕の耳に息を吹きかける』
これが限界だった。
「……うん」
先輩はくすっと笑った。
「草場くんにしては頑張ったわね。お疲れ様」
と、先輩が頭をよしよししてくれた。
うう、僕、Hな妄想を本人に褒められてる……!
情けない……情けないのに嬉しいのが本当に本気で情けない……!
「さて。これで願いは通じるのかしら、魔法のノートさん?」
『可能だが――この願い、逆の方が良いな』
「えっ?」
日野江先輩の驚きの声の直後に、ぽわん。
僕の書いた文字が空中に浮かび上がり入れ替わっていく。
『僕が日野江先輩の耳に息を吹きかける』
……なるほど。確かに逆になった。でも正直、Hレベル(なんだそれ)的には変わらない気がするが。どっちにしても恋人的からかい行為なわけだし……と疑問に思っていたら。
たらりと。
日野江先輩が頬から汗を流していた。
「……ちょ……ちょっと待ってくれる?」
明らかに動揺した様子。まったく先輩らしくない。
「ど、どうかしましたか先輩?」
「あー。えーとね。うーんと」
ぼそぼそと言いにくそうにする先輩。
なんだろう、やけにいじらしい。
やがて上目遣いで。
「……耳は」
へにょんと口元を曲げながら。
「耳だけは……あのね、に、苦手なのよ」
「えっ――」
先輩の弱点告白。
「わ、わかりました、じゃあ別の願い事に」
『その願い。叶えてしんぜよう』
瞬間。
「ひゃ……うぁんっ!?」
先輩が悩ましげな悲鳴とともにうずくまった。
右耳を抑えてプルプル震えている。
「せせせ、先輩!?」
「ふあぁっ……耳が……耳の中の奥がっ……うあ、うああん……っ!」
先輩は体全体を震わせて尋常ではない様子だ。
「先輩、先輩、大丈夫ですかっ!?」
「あう、……だめ、これ大丈夫じゃない……止めて、はやく止めて……っ!」
「どうすれば!?」
先輩は涙目で僕をじっと見上げて。
制服ズボンの膝のあたりをくいっとつまんで。
「みみ……みみにふふって! ふーってしてっ……!」
そう懇願してきた。
「その対処おかしいですよね!?」
しかしおかしくても必要なのも事実。
僕はうずくまる先輩を抱き起こした。僕と同じぐらいの背丈なのにやけに軽く思えた。その右耳に急いで口を近づける。ほんのり赤く、照れた時のほっぺのように紅潮した耳たぶ。
僕にはその先輩の耳たぶが、極上の果物のように見えた。
「ふあ……ん……ああ……っ」
あえぐ先輩。
その体を、その耳をさわりたい。
本能がざわついてそう訴えかけてくる。
「――っ!」
直後、僕はその誘惑を振り払って。
さらに危険な誘惑に身を任せたのだった。
「……ふーーーーっ!」
「んっ!!!!」
効果は劇的だった。
日野江先輩はうずくまったまま手足をピーンと伸ばして、目を瞑って空を仰ぐような仕草をした。息は止まっていた。子どもが伸びをするよう――と表現するにはあまりに色気に満ちた仕草。
それが十数秒ほども続いて、やがて。
「ふ……う」
ため息をついてやっと日野江先輩は目を開けた。
僕と視線が合う。すると先輩は。
「……えへへ」
昨日と同じく頬を染め、照れくさそうに笑いながら。
「ありがと。恥ずかしいとこ、見せちゃったわね」
そこで照れ隠しでも、ごめんあさいでもなくて。
ありがとうと言ってしまうあたりが、ほんとに大好きなのだ。
「とにかく実験は成功ね。まさか私の弱点まで把握されてるなんて」
「弱点……」
「うん。耳、昔から弱いの。ふーってされるとクラクラしちゃうの」
「そ、そうですか……そうだったんですね……」
なんというか――いいことを、知ってしまった。
「ま、いっか。草場くんもとっても満足したみたいだし」
「満足……?」
「えとね」
先輩は指をぴんと立てて、ちょっと頬を染めながら笑う。
「体がいろいろ反応してるわよ。どことは言わないけど」
「!!!」
「どことは言わないけどね?」
二回も言われた!
僕は慌てて前かがみになる。やば、み、見られた……!
それでも薄暗い部屋の中で、くすくす笑う先輩。
「うん。いい感じの雰囲気。これなら続きも問題なくできるはずね」
「つ……続き?」
「あっちの方よ、ほら、パンツを見せる方」
「っ!?」
見ると先輩は頬をまだ紅潮させ、息をはあはあと切らせている。
「実はね、耳をふってされた直後から、草場くんに見せたくてたまらないの。あれね、きっとHな欲望は連続するのね。これは仮説だけど、草場くんの性欲に連動してるんじゃないかしら」
どんどん早口になっていく。
僕は知っている。先輩は興奮するほど早口になることを。
「ね。はやく見せたいの。見て。いいわよね、見て?」
「せせせ、先輩、ちょっと……!」
やばい。正直やばい。
何がやばいってこのH脳全開の暗室の中で昨日みたいに、あの神聖な布を見てしまったら――というか想像するだけで――僕の例のあれが大変なことになってしまう。ていうか今でも大変なことになっている。
「えへへ。さあ草場くん、ちゃんと見ててね、私の――」
ああもうダメだ父さん母さん僕は大人の怪談を――と。
こん、こん。
「えっ」
「ふぁっ?」
ノック音!? この部室に!?
「す、すみませーん。ヒノエちゃんいるー? この暗幕、入っていいー?」
「うわっ……日陰ちゃん!?」
声は、日陰日向さん。僕の先輩であり日野江先輩の同級生が外にいる。そして中には、今まさにパンツを見せんとスカートを下ろそうとしていた、日野江先輩がいる。
やばい!
いま入ってこられたら間違いなく誤解されるっ!
「……く、草場くん」
「先輩、どうしましょう!」
「だだだ大丈夫よ。私にいい考えがあるわ。もはや手段はこれしかないわ!」
「これとは!? 逃げるんですか!?」
「私は逃げない!」
先輩はキランと目を光らせて。
興奮気味というかヤケクソ気味に言ったのだった。
「日陰ちゃんと草場くんに! 同時にパンツを見せてあげるのよ!」
……。
いや先輩、それはやめておけ(素)。
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あとがき:
こんな感じの好奇心とえっち心のかたまりの先輩の話です。
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