第2話 見せてくれる先輩(後編)

 先輩! 日野江先輩が背後にいる!? なんで!?

 いやちょっと待て、まずは確認だ!

 先輩は何を見たのか!

 

「いいいい、いつから、何時からいました!?」

「先輩が僕の恋人になる、とノートに書いたあたりね」

「一番ダメなとこから見ちゃってるじゃないですかー!!」

 

 バレた! 先輩にバレた! おもいっきりバレた!!

 というかもうこれ事実上告白じゃないか!

 

「でも恋人は無理なの。ごめんなさいね」

 

 しかも即振られたー!!!???

 

「あ、草場くんは嫌いじゃないのよ。むしろ好きよ。なんというかこれはね、私の方の問題なの。恋人を作るつもりはないの。だから泣かないで草場くん。ああもう、ほら、よしよし、いい子だから」

 

 先輩は気を使った笑顔で僕の頭をよしよししてくれた。

 

「あううううぅぅぅぅぅ」

 

 泣ける。めちゃくちゃ泣ける。なにが泣けるって、振られた直後なのに先輩に頭をよしよしされてちょっと……いやかなり嬉しいのが、情けなさ過ぎて泣けてくる。

 で、かなりの時間そうしていただろうか。

 ようやく気が落ち着いてきた。

 そして真相も見えてきた。

 

「ううう……せんぱい、ひどいですよう」

「何のこと?」

「とぼけないでください。この願いが叶う魔法のノート、先輩のですね?」

 

 今やっとわかった。先輩がきっとノートを用意して、そして僕がどんな願い事をするか見守っていたのだ。そして僕は盛大に自爆してしまった、というわけだ。

 が。

 

「私が仕込んだのはエッチな漫画の方だけど」

「そっちかよ!?」

 

 道理で表紙の子の格好が先輩そっくりなわけだよ!

 

「それで魔法のノートって何のこと? あ、そういう設定?」

「え、表紙に書いてるじゃないですか」

「表紙って空欄じゃないの」

「え……?」

 

 なんか噛み合わないぞ。

 表紙を見るときちんと『魔法のノート』と書いてある。

 エンピツだが輪郭ははっきりしている。見間違えたとは思えない。

 

「まさか……この文字、僕にしか見えてない?」

「――ふうん。そういう設定だったの?」

 

 日野江先輩はくすくすと笑った。


「うん、うん、ディテール細かくてやるじゃない。とっても面白いわ。草場くんってこういう冗談をやるタイプじゃないものね。ギャップは面白さの最大の要素よ。うん、やればできるじゃないの草場くん」

「え、そ、そうですか……じゃなくてっ!」

 

 褒められてにやつく顔を抑えて僕は考える。明らかに先輩には文字が見えていない。正確には僕の文字は読めているが、ノートの持ち主の文字を先輩は認識できていない。

 それに先輩が僕をハメた、というのもよく考えると変だ。先輩はからかい上手だけど優しい。冗談の幅は心得ていて、こういう人の心を傷つけかねないような冗談はしないはずだ。

 ということは――やっぱり本物?

 魔法のノート。

 その言葉をほんの少し重く感じた。

 

「ということは私はこれからパンツを見せるわけね?」

「えと、ええと」

 

 くすくすと笑いながら先輩はスカートの裾に手をやった。

 瞬間。

 

「――――」

 

 先輩の表情が一気に厳しくなった。

 口を半開きにして、自分の両手を見つめている。

 

「せ、先輩?」

「……草場くん。まずいわ」

「え」

 

 先輩はものすごい真剣な表情で僕を見つめて。

 

「その……ちょっと説明しづらいのだけど聞いて」

「はあ」

「いま、私」

 

 先輩は言った。

 

「あなたにパンツを本気で見せたくてたまらないわ」

 

 ……………………。

 …………。

 

「見せたくてたまらないっ!?」

「そう。必死で抑えてる……」

 

 はあ、はあ。

 マラソン中のランナーみたいな息が聞こえる。

 え、興奮してる? あのいつも冷静な先輩が!?

 

「でもとてもまずいわ。うん。まずい。これまずい。ちょっと抑えられない。例えて言うなら三徹後のベッドでの睡眠欲ぐらい抑えられない欲望よ。パンツ見せたい欲が暴走してるのよ。わかる?」

「ものすごく見せたいということはわかりましたが!?」

「どうしましょう」

「ど、どうと言われても……あ、目をつむりましょうか!」

「だめ。つむっちゃだめ」

 

 どきり。


「ちゃんと見ないとだめなの。草場くんに見せないとだめなの」


 そんな可愛いことをいきなり言われたら。

 先輩から視線を外せるわけがない。


「おねがい。見てて。ちゃんと見てて」

 

 なんだこれ!? なんだこれ!? 演技か!? 先輩が演技で僕をからかっているのか! すぐに『ふふっ、興奮した?』とドッキリがくるのか! ありえそうな気がした、そうだこれはドッキリだ!

 先輩はパンツを見せたりしない。

 そういうキャラじゃない!

 確信した僕の視線は先輩のスカートの裾に行く。

 

「――――!」

 

 ふるふると。

 先輩の手が震えている。

 

「ん――もう――限界――っ!」

 

 それはどう見ても演技ではなかった。

 というか演技かどうかなんて、もはや関係なかった。

 

「だめ――ん――んんんっ――!」

 

 なぜなら、もう見えてしまっていたからだ。

 僕は息を呑んだ。

 

『日野江先輩が僕にパンツを見せてくれる』

 

 それが現実に起こったら僕は死んでもいい、と思った。

 今ではいやだった。だって死なずに永遠にそれを見ていたかった。

 スカートを震える手で、高潮した顔でたくしあげる日野江先輩。まるで見えない手と戦っているかのようだ。だけどその戦いは劣勢で、だからもう、見えてしまっていた。

 白だった。

 清楚な純白だった。

 ごくんと、息を呑んだ。

 だって、やわらかそうなのだ。

 ピンク色のリボンのワンポイントが、かわいさを引き立てていた。中央はやんわりとした山を作っていて、ふんわりこんもりという二つの擬音が聞こえてくるかのようだった。

 じんわり、と何かが脳内にこみあげる。やがてジリジリと電撃になる。脳内になにかが分泌されていた。幸せ物質。だめになる薬物が全身を回っているかのようだった。

 これが先輩のパンツ。

 

「っ……くさ……ば……くん」

 

 先輩は絶え絶えな声で僕の名前を読んだ。

 そして。

 

「ちゃ……」

「よ?」

 

 上目遣いで、うわずった声で、先輩は言った。

 

「ちゃんと……見て……くれてる……?」

 

 ぼんっ!(僕の脳が爆発した音)

 そんなおねだりみたいな表情で確認されたら抵抗なんかできない。

 コクコクコクと僕は光速でうなずく。

 

「そ――う」

 

 すると先輩は。

 

「――――――――――ふううっ!!」

 

 がばあっと。

 先輩は一気にスカートを元に戻した。

 さっきまでの手の震えは嘘のように止まっていた。僕も先輩もなにも言わなかった。どくんどくんという心臓の音と、はあ、はあという先輩の荒い息の音が聞こえてきた。

 かあ、かあ、かあ。

 夕暮れのカラスの鳴き声が外から響いてきた。

 ぶわっと、全身から汗が吹き出たような感じを覚えた。

 

「せ……先輩?」

「――――――――」

 

 先輩はスカートの裾の手をゆっくりと胸にやり、手を組む。

 そして大きな深呼吸を三回繰り返した。

 それで、ようやく。

 

「――収まったみたい」

「そ――そう、ですか」

 

 どうしよう。

 何を言えば良いんだ。

 ごめんなさいと謝るのか。いやでも見てと懇願されて見たわけで、でも元はといえば僕が願いのノートに変なこと書いたからで……それにしても先輩のパンツ、やわらかそうだった……神聖な布だった……。

 と、僕が浸っていると。

 

「ねえ」

「はいっ!!」

「色々と感想はあるのだけれど――なんというか、まずは」

 

 先輩は頬を紅潮させたまま、ふふっと笑った。

 

「パンツを見られるのって……想像より、恥ずかしかったわ」

「っ!!」

 

 うわ、うわ、うわあっ!

 先輩が、あのおもしろ探求者の先輩が、恥ずかしがってる。

 ものすごい新鮮だ……ていうか、かわいい……ほんとかわいい……!

 

「……ちなみに、貴方はとても嬉しそうね」

 

 先輩に呆れ顔で言われた。

 とたん、罪悪感が湧き上がる。とんでもないことをしてしまった。

 

「すみません嬉しかったですごめんなさい死にます」

「死ななくていいわ。あなたは悪くないもの。多分」

 

 先輩優しい……。

 と、先輩はこほんと咳払いした。

 

「で。問題はそのノートよね」

「は、はい」

「どう考えても超常現象ね。本気で調査する必要があるわ」

 

 たしかに本当に本物の魔法のノートだ。先輩にパンツ見せたい欲を擦り込むなんて、とんでもない。もし少年漫画的な欲望じゃなくて、もっとひどいことを書いていたら……と思うとぞっとする。

 だから魔導書の人格があったのかな、ストッパー的に。

 

「調査は早速明日から始めましょう。ふふふ、とっても面白そう!」

 

 よかった。

 いつもの先輩に戻ってくれた。

 でも明日からか……明日もパンツ見せてくれるのかな……?

 いやいや期待しちゃいけない、と僕は首を横にブルブルと振る。

 

「あら。その顔は期待してる顔ね」

「うぐ!」

 

 先輩は後ろ手に手を組んで、またくすくすと笑った。

 

「仕方ないわ。男の子だものね。好きな女の子のパンツは見たいものね」

「うぐうう! それはなんというかそのとおりですけど、もう少し手心を!」

「照れなくていいわ。草場くん」

 

 先輩は『つん』と僕の鼻を指でつついた。

 

「私はあなたの恋人にはなれないけど」

 

 そしてにっこりと笑った。

 

「あれぐらいなら、恥ずかしいけれど、ちょっとは見せてあげられるもの」

 

 ――――

 見せてくれる日野江先輩。

 僕はそんな彼女が、もっと大好きになった。



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見せてくれる先輩すき。

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