◆朽花と空葬

電磁幽体

7億380万年間生きてきて、分かったことが一つだけあります


——351900000——


 マクスウェルの悪魔による永久機関、上空11kmに浮かぶ《楽園》から見上げた満月は、大きくて、すぐそこにありました。

 私はベンチの左側に腰掛けます。ぽっかりと空いた右側のスペースは、あの人がいつも座る場所でした。

 ベンチは、花——白、黄、橙、ピンク、赤、青、紫、緑、茶……様々な色彩を持つ花畑の中心に在りました。

 優しい月明かりが花々を薄っすらと照らします。僅かな生活スペースを除いた《楽園》は、ガラス箱のように透明でした。

 夜空を見上げながら、メイド少女型のロボットたる私は呟きます。

「半分が経ちました、博士さん」

 ——「あと半分、しかし人類にとってのそれは永久に等しい」

 突如現れる懐かしい声。どこからともなく聞こえ、反響し、私に染み込んでいきます。

「私にとっては、刹那です。だって、博士さん、記憶領域が狭すぎるのですから、160年分のエピソード記憶しか保存出来ません」

 ——「すまない、完璧に僕の設計ミスだ。すっかり忘失していた。あの時の僕は、永久に耐えうるルナを作ることで頭が一杯だった」

「そして、博士さんは死ぬまでその設計ミスに気づきませんでした。……それに、保存限度は実質100年分です」

 ——「何故だね?」

「それは、」……博士さんと一緒に過ごした記憶を、ずっと……「何でもありません」

 ——「ふむ、言いよどむ、か。ルナもずいぶんと人間らしくなったな」

「……博士さんは、勝手すぎます」

 ——「それは自覚している。しかしルナは、いつでも自身を停止出来る筈だ。僕がそう設計した。悠久に飽いたのなら、いつでも」

「いいえ、私は私の稼動限界に至るまで生き続けます。だって、博士さんがそう願ったのですから」

 ——「どの命令だね? 僕は、そんなことを言った覚えなど無いが」

「……博士さんの、ばか」




——0——


 開眼、視界。大気分子。これは、空気。私が今座っているものは? 材質、不明。見渡す。不明な材質に、私は囲まれている。

「おお、ルナ。目覚めたか」

 突如、壁に穴が開く。違う。これは扉。目の前に存在する動的オブジェクト。意味記憶領域にアクセス。グラフィックが生命体の“人間”と一致。更に検索。重要度の極めて高い人間であることが判明。演算開始、終了。発声機能をオン。私が今、言うべきことは、

「あなたがはかせさんですか?」


——17956422——


「博士さん、4回目の“人類”ですよ」

 私は《楽園》から地表を見下ろしながら、そう呟きました。

 私の視覚は、いわば無限です。あの人のロボットですから、地表の人々のやり取りですら分かってしまいます。

 極めて原始的ですが、建物が複数並んでいます。皆が仲良くしていて、まだ、差別が生まれていない頃でしょう。

 ——「言っただろう。僕はあまり人間に興味が無い」

「でしょうね。そうでなければ、外部から絶対に認識されない《楽園》に一人引き篭るとは思えませんからね」

 ——「仕方が無いだろう。僕は天才だからね、天才の頭脳を求めて、人々が僕を利用する。ときには、酷いこともあった。人が欲望を生むのではない。欲望が人を生むんだ」

「けれども、博士さんも人間です。欲望の無い人間を生み出そうとするその心が、既に欲望なのではないでしょうか?」

 ——「……やりこめる、か。ルナもずいぶんと人間らしくなったな」

「おかげさまです」

 私は透明な材質の壁から離れて、色とりどりな花畑の方へと歩みます。

「《楽園》に、もうすぐ春がやってきます」

 ——「ルナも自分の好きな花を育てたらどうだね? 2-11室に花の種子を永久保存してある。2-8室で花のデータ全てを閲覧出来る」

「博士さん、自分で言ったことを忘れないで下さい」

 ——「おお、それはすまない。ルナには欲望が無いのだったな」

「いいえ、実は違います。博士さんの育てていた花々を、私が育てたいという“欲望”の為です」

 ——「違うな、それは単なる現状維持だ」

 いいえ、博士さん。すみません。博士さんの嫌う“欲望”が、私にはあります。

 何故なら、こうして博士さんと会話出来ること自体が、私の欲望による結果なのですから。


——2——


「はかせさん、このいくえにもかさなるあかいはなはなんでしょうか?」

「それはラナンキュラスだ。今は無い、西アジアのトルコという国によく咲いていた花だ」

「はかせさん、このしろいはなはなんでしょうか?」

「それはイベリス。地図から消えたイベリア半島という地名から由来した名前だ」

「それでははかせさん、これは? ほかにもこれは? それにこれは? これは? これは? これは?」……………

 人工知能にエラーの可能性有り。解析開始、終了。結果、解析不能。しかし、ただ知りたい。もっと知りたい。たくさん知りたい。

「可笑しいな。実に可笑しい。僕は、欲望の無い人間、多少僕の趣味を反映して可憐な少女の外見を持つメイド型のロボットを作った筈だ。ルナのこれは恐らく、いや、確実に知的欲求。……ふむ。設計ミスか? それとも人工知能の予期せぬ変異か?」

 私は博士さんの言動を解析します、終了。私が発言すべき言動を演算します、終了。発言します。

「はかせさん、わたしはしっぱいさくでしょうか?」

 発言した瞬間、チクリとした触覚刺激を感知しました。

「……僕も、これに関しては未知の領域なのでね。はっきり言うとよく分からない。失敗作である可能性もある、そして、新たな進化の可能性もある」

「はかせさん、わたしは、しょぶんされるのしょうか?」

「ルナ、安心したまえ。失敗にしろ進化にしろ、どちらも僕にとっては不本意な結果であることには間違いないが、——悪くはないな」

 私は博士さんの、最後の一言の意味を把握しました。私の中の解析不能な何かが飽和しそうでした。

「ありがとうございます」

 私は、知りたいです。博士さんのことを、もっと知りたいです。


——98547298——


「19回目の人類は、また愚かな方向へと進みました」

 ——「考えなくても分かるさ。人が人である限り、世界の終わりは避けられぬ」

 私は地表を見下ろしています。人々は争っています。あれは恐らく、古代文明の遺産(オーパーツ)を使った兵器でしょう。

 広範囲の爆発が地表を埋め尽くしていきます。まるで、赤い花々がこれでもかと狂い咲くように。

 ——「こちらまで被害が届くことは無い。私が《楽園》をそう設計したからね」

 私は、幾度と無く繰り返された世界の終わりをぼんやりと眺めながら、自立型浮遊施設楽園に咲き誇る花畑に水やりをします。

 ——「シュールな光景だな」

 博士さんが思わず私に突っ込みました。

「そうですね」


——7——


「博士さん」

「何だね?」

「何でもありません」

「ん……」

 私から離れようとする博士さんに、私は追いつきます。

「博士さん、博士さん」

「何かね?」

「何でもありません」

「……ふむ……、いわばルナは生まれて七歳。しかし初期ステータスは人間のそれより遥に優れているし、精神と肉体の年齢は僕が人間の16歳前後に相当するよう固定した。よく分からんが、この年代の少女とはこういうものなのか……?」

 博士さんは、立ち止まってまた難しそうなことをぶつぶつ呟きながら考え込んでいます。私も立ち止まり博士さんの横に立ちます。

 私は、私のことがよく分かりません。理由も無いのに博士さんと呼びたくなる。理由も無いのに博士さんの隣に居たくなる。

 これは、博士さんの嫌っている欲望そのものです。

 しかし、博士さんのあらゆる行動言動を解析しても、私を嫌がっているようでは無いようです。むしろ、興味深いらしいです。

 私は、博士さんが私に興味を寄せていることに、暖かくて優しい、人間で言う心地良さのようなものを感じていました。


——200328910——


 大規模な氷河期が訪れ、世界のほとんどが氷に包まれました。それでも人類はきっと生きているでしょう。始まり終わり、そして始まる。悠久に、地球が消えて無くなるまで続く破壊と再生。

 そんな柄にも無いことを思いながら、私は花畑に包まれたベンチに腰掛けます。太陽がさんさんと《楽園》を照らしていました。

 このベンチも、《楽園》で使われている建築材質は決して風化せず永遠の時間に耐えうるものです。博士さんは天才でした。

 あ、そうでした。今は何となく“博士さん”をオフにしています。ロボットの気まぐれです。

 ……私は、博士さんを“私の中”に作りました。

 共に過ごした60年間を洗い出し、博士さんの思考回路をほぼ完璧に再現し、私の人工知能領域の空きスペースに構築しました。

 私はこの2億32万8850年の間、一人ぼっちでした。そしてこれから、5億347万1090年の間、ずっと一人ぼっちです。


——25——


「ふむ、ルナもだいぶ落ち着いて来たな」

 博士さんは花畑に囲まれたベンチの右側に腰掛けています。そこは博士さんがいつも座る場所でした。

「おかげさまです」

 そして私がいつも座る場所は、ベンチの左側、博士さんのすぐ横でした。

「博士さん、聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだね?」

「私はどうして“ルナ”なんでしょうか?」

「…… 昔、ニッポンという国に手塚治虫という漫画化が居てだな、その人が書いた鉄腕アトムという漫画を僕が酷く好んでいたのだよ。そこに出てきたヒロインを、自分だけの“ウランちゃん”を作ることが僕の夢の一つだったのだ。……笑いたければ笑え。科学者というものは例外なく狂信的なオタクだ」

 私が博士さんを嘲笑する筈も無く、博士さんのことを知りたい私は、博士さんの言動を記憶し解析することに専念していました。

「まあ、直接“ウラン”というネーミングを付けるのは失礼な気もしたので、“Uran”をアナグラムして“Runa”にしたということだ」

 そこまで言って、博士さんはハッと思い出したように言いました。

「そういえば、ルナの動力源に使用されているウラン235の半減期は7億380万年で、ルナの稼動限界も7億380万年となっている。何せ一番適合したものだったからね」

 私は思考停止しました。考えたくも無かった未来を考えてしまいました。人間はいつか死にます。ロボットも稼動限界が訪れたら機能停止——死にます。博士さんが死んで、私だけが何億年も生き続ける未来を想像して……悲しくなりました。

「どうして、どうして博士さんは私の寿命を、博士さんと、一緒にしてくれなかったのですか?」

 思わず発言が先行してしまいました。人工知能領域に無数のエラーが発生しました。

「悠久の時間に耐えうるロボット、実に素晴らしいじゃないか」

 博士さんは至極真面目な顔でそう言いました。

「……………………いやです…………」

「……分かっている。創造者の罪悪は、自覚している。しかし僕と共に終わらせるように作るのは、もっと醜い。それに何せ、ルナには心が生じた。だからせめて——」

 博士さんは優しくこう言いました。

「——ルナの意思で起動出来る停止機構を、用意している」

 私はその発言を噛み砕いて聞きなおしました。

「自殺出来る、ということでしょうか?」

 私はたぶん、喜んでいました。


——593276128—— 


 《楽園》内部で、密かに四季は巡ります。このシステムは、博士さんが花々の為だけに作ったものです。今の季節は夏でした。

 しかしそれとは反対に、《楽園》外部の本当の季節は冬でした。はらはらと降る雪を眺めながら、私は夏に咲く花々を手入れしている。

 すごく可笑しいような気がして、思わずクスッと笑ってしまいました。

 ——「ルナの笑い声、5億9327万6128年目にして僕は今初めて聞いたぞ」

「よく分からないのですが、どうしようもなく可笑しいのです」

 初めての笑いと同時に、たくさんのものがこみ上げて来ました。

「世界の終わりを花の手入れとともに眺めていました、けれども、人類イコール世界というのは、今考えたら可笑しいですね。まだ世界は終わっていません」

 ——「ふむ、僕もその考えは無かったな。人間を嫌いつつも、しかし人間の枠組みでしか世界を見れなかったということか」

 人類だけではないのです、全ては生きています。

 しかしやがては誰もが終わります。人も、花も、私も、地球も。


——60——


 何気ない日常を続けるように、博士さんはベンチの右側、私は左側に座っていました。私は博士さんの方を向いていました。

「95歳、か。僕にしては長生きしたな」

 博士さんはもうよぼよぼの老人で、しかしその口調も、仕草も、死地に至っても博士さんは何一つ変わっていませんでした。

「博士さん、博士さん、博士さん。お願いします。博士さん。ずっと生きてください。7億380万年間ずっと私と一緒に生きて下さい」

 博士さんの肩を揺さぶりながら、自分自身でも可笑しなことだと理解できる言葉を、私は発していました。

「ははっ、無茶を言うな。そこまで人類の限界は突破出来ないよ」

 メイドの少女という格好をしているとはいえ、私はロボットです。少女の顔は常に無表情です。少女の声は常に一定です。

 しかし私の人工知能領域——心——の電子信号は今にもショートしてしまいそうなほどに掻き乱されていました。

 私は、人間のように泣き、人間のように叫び、人間のように狂いたかったのです。

 機械としての冷静な私は、そんな私を世界で一番憎みました。

「ルナ」

 博士さんが私を呼びました。恐ろしいほどに優しく、慈愛に満ちた声で。

「ルナはどうするのか? 僕と共に終わるのかい? それとも——」

「——共に終わります」

「……そうかい」

 博士さんの声は、嬉しそうで、そして哀しそうでした。

 それから博士さんと私は、いつもと変わらない他愛の無い雑談を送っていました。

 そして日が暮れた頃に、

「先に逝くよ」

 と言って、ベンチに座ったまま博士さんは衰弱死しました。

 私はすぐさま一緒に死ぬつもり、でした。

 しかし、死ねませんでした。機能を停止出来ませんでした。

 それは、博士さんが死に際の雑談で、何気なくこう言っていたからでした。

「花が朽ちるなあ」










——703800000——


 今の季節は秋です。ベンチの左側に座りながら、カラフルな花々に囲まれて、私は幸せでした。

「博士さん、そろそろ私も終わるようです」

 ——「そうかい、お勤めご苦労さん」

 博士さんはベンチの右側に居ます。死んだ博士さんをその下に埋めました。

「7億380万年間生きてきて、分かったことが一つだけあります」

 ——「何かね?」

「私は、人間です」

 ——「ああ、人間よりも人間らしいね」

「ロボットは恋をしません。しかし、人間は恋をするものです。……私は、博士さんのことが、好きでした」

 私の告白に対して、“空想の博士さん”は、こう答えました。

 ——「僕は、幸せだ」

 私は、幸せでした。

 機能が停止します。


——epilogue——


 朽ちた花々と二人の亡骸を乗せた《楽園》は、誰にも気づかれることなく、世界が真に終わるその時まで空を彷徨い続けて、


 死して二人は結ばれた。


——end——

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