第37話 駆け引き

 防衛本能が働き、2人の奇行についてはそれ以上の追及をしなかった。

 世の中には知らない方が幸せな事があるという。分かりやすく言うと、藪を突いて蛇以上のものが出てきた時に対処できる自信がないのだ。


 菜月は僕の要望に従い、すぐに着信拒否設定を解除してくれた。

 多少のハプニングはあったものの、大事にならずに落とし所が見つけられた事に安堵する。


「それじゃスマホの件はこれで解決という事でいいんだよね?」

「ああ……」


 由美がそう言って最終確認をしてきたので、僕は了承の意を示した。


「なら今度は私の番。パパは最初に裏切り行為について認めたよね?私は今、とーっても傷ついてます。それについてはどう責任を取ってくれるのかな?」

「おいおい、その話をまた持ち出すのか?スマホの覗き見の件で相殺って事でいいだろ?」

「それとこれとは話が別だよ。私達はパパに許されたけど、私はパパを許してないもん」

「その言い分は流石にズルいだろう……」


 僕は援護を期待して菜月に目配せをしたのだが、露骨に目を逸らされた。

 彼女も共犯者のはずなのに、僕だけに責任があるというのはいかがなものだろうか。

 とは言えこの流れ……きっと諦めるしかないのだろうな。


 頭では分かっているものの、僅かな可能性に賭けて抗ってみよう。


「由美、我儘を言わないでくれ。僕達は別に遊びに行った訳じゃない。ランチに行ったのだって仕事の一環としてだな……」

「それじゃパパは仕事で仕方なく菜月ちゃんと食事しただけで楽しくなんてなかった。そういう事で良いんだね?」


 この場をやり過ごす為に、楽しくなかったと言うのは簡単だ。

 だけど食事を楽しい言ってくれた菜月に……そして自分の気持ちに対しても嘘はつきたくなかった。


「仕事のついでではあったが、食事自体は楽しかった」

「私を置いて、2人で楽しんだって認めるの?」

「降参だ、認めるよ。お詫びとして今度の休みにどこかに連れて行くからそれで勘弁してくれ」

「ダメだよ。それぐらいじゃお詫びにならない。菜月ちゃんもそう思うでしょ?」


 その言葉に菜月は苦笑しながら頷いていた。一筋縄ではいかない……という事か。

 何か要望がありそうだな。とりあえずそれを聞いてから、検討するのも手だろう。彼女が何を求められているのかを僕は率直に尋ねる事にした。


「何をしたらお詫びになるんだ?」

「名刺の件と言い、最近私を除け者にする事増えたよね。パパにとっては大した事とは思ってないのだろうけど……」


 眉尻が下げ悲壮感漂う表情の由美。こう言ってはアレなのだろうが、何となく演技の様に感じる。それに内容が内容だけに同情する気にはなれないんだよな……。

 そもそも仲間外れにする意図なんてないし、名刺にしても社員ではない由美の分を作る必要性が未だに分からないのだ。


 だけどそれをそのまま伝えたところで、勝ち目なんてない事は理解している。

 菜月も沈痛な面持ちをしているが、それが示すのは今回も由美の味方という事だ。

 この後の展開は予想出来る、いつもの民主主義が強制執行されるのだろう。


「分かった、良識の範囲内であれば由美のお願いを聞くから。それで手打ちにしないか?」

「そこまで言うなら仕方ないな。それじゃ、パパのプライベート空間を1つ没収……今回はこれにしておくよ」


 僕に残されたプライベート空間はトイレと風呂しかない。ここに来てようやく彼女の真意が理解できた。

 良識の範囲内を逸脱しているが、これならば上手くやれば勝ちを拾えるかもしれない。


「風呂は嫌だが、トイレでいいなら僕は構わないぞ」


 即答した。それを聞いた由美が驚愕の表情を浮かべたのを見て、僕は笑いが込み上げてきた。

 彼女の様子から僕がトイレを選択するとは思ってもいなかった事が伝わってくる。

 僕の思惑通り、これで向こうは引き下がるだろう。僕は遂に一矢報いる事に成功したのだ。


 最近言わなくなってはいたが、ずっと風呂に一緒に入る機会を狙っていたのか、本当に油断ならないな。今後も気を引き締めていこうと改めて思った。


「分かった、それじゃトイレって事で。パパにそういう癖があるのびっくりしたけど私は否定しないから安心してね」

「え?」


 予想外の反撃に、間抜けな声が自然と口から漏れた。いやいや、トイレに一緒に入るとか有り得ないだろ。まずいまずいまずい……


 そこで僕はふと先程の菜月の奇行を思い出した。僕の中で、彼女は匂いフェチではないかと疑惑を抱いている。

 だけど、そんな彼女でも流石にこの展開は無しだと言うはずだ。


 僕は一縷の望みにかけ横目で菜月の様子を窺い……すぐに視線を由美に戻した。


「由美、トイレはやめよう。消去法なら普通に考えて風呂だ。でも流石に2人で入るには狭すぎないか?」

「その件については、私は分からないから菜月ちゃんから説明してもらうね」


 話を振られた菜月が、何かを誤魔化す様にわざとらしく咳をして説明し始める。


「先輩、この家のお風呂って小さいじゃないですか?1日の疲れを癒す上で大切な場所なのに寛げない。それはどうなのかと由美と前から話してたんです」


 この家の浴槽は昔ながらの0.75坪タイプと狭いので、足を伸ばす事すら出来ない。これが1坪タイプや1.5坪タイプだったら確かに寛げるとは思う。由美の望み通り大人2人で入る事も可能だろう。


「足を伸ばして入浴したいって事なら気持ちは分からなくもない。ただ、一緒に入るというのは良識の範囲内とは思えない」

「そこは難しく考えなくてもいいのでは?毎日一緒に入るわけでもないですし、水着着用すれば良くないですか?」

「…………」

「私は由美と一緒に入ったりもしているので、広くなるのは嬉しいです」


 2人がたまに一緒に入っているのは知っている。確かにあの風呂だと狭いだろうな。

 出来る事なら叶えてあげたいが……どうしたものだろうか。


「とは言っても、費用がな……。出せない訳ではないんだが今後を考えると手持ちは残しておきたい」

「リフォーム費用は私の貯金で出しますから。それでもダメですか?」


 節約したい所ではあるが、かと言って菜月に出させるというのは抵抗がある。


「分かった、風呂の件は2人に任せるから好きにしてくれ。その代わり費用については僕が全て出す。先に言っておくが、一緒に入る時は水着着用が条件だぞ」

「先輩ありがとうございます」

「パパ、ありがとう」

「家のリフォームはこれで最後にしてくれよ?」


 たまに一緒に入るぐらいなら理性を保てる……と思う。

 散々悩んだ末、僕はそう結論付けた。


「それで仕事の方はどうだったの?」


 突然、由美が話題を変えてきた。宣言こそ無いものの第3回会議は閉会したと思って良さそうだな。


「売却の依頼はもらえたぞ。しかも明日には商談が控えている」

「そうなんだ、話がうまく進むといいね」


 またランチに行くのか?と駄々を捏ねられるかと思ったがそんな事はなかった。

 そこでようやく由美は最初から菜月と食事に行った事を不満に思っていなかったのだと理解した。


 文句の一つでも言いたかったが、他に何か要求される前にこの場から一刻も早く離れる決断をした。逃げるのでない、あくまで戦略的撤退だ。


「とりあえず話しは終わりでいいか?良ければ僕は夕飯の支度の続きをしてくるよ」


 2人から特に反論も出なかったので、僕はそそくさとキッチンに戻った。

 作業をしながら盗み見すると、真剣にスマホを操作している2人の姿が窺えた。

 それが終わるとリフォームについて早速相談を始めた。


 オーダーメイドバス、3人一緒に入りたい、増築、円形浴槽……不穏な言葉しか聞こえないのだが、良識の範囲内で頼むぞ?


 僕のこの祈りが2人に届いたかが分かるのは、数日後の話であった……。

 

 

 

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タワマン売って郊外の一軒家を購入、よって彼女に振られました 大崎 円 @enmadoka

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