第36話 一回だけしかやってない

 無言のまま2人は互いの顔を見つめ合っている。

 その様子から僕の質問に答えるべきかどうか悩んでいるのは一目瞭然だった。

 どれぐらいそうしていただろうか?先に口を開いたのは菜月だった。


「先輩、気付いてたんだんですね。もしかして私が由美に送ったあの写真の事も分かっていたんですか?」


 写真?彼女が何を言っているか分からなかったが、とりあえず無言で頷いてみせた。


「やっぱり……」


 そう言って彼女は由美をチラリと見た。観念した様子の由美が菜月の言葉に続く。


「まぁ、分かるよね流石に。ごめんなさい、菜月ちゃんと2人でパパのスマホを覗き見してました」

「先輩、ごめんなさい」


 2人が深々と頭を下げる。


「やっぱりか……」


 僕がこの事に気づいたのは、設定していたプッシュ通知だった。

 僕のスマホには、どのアプリをどれだけ見ていたか、時間や回数が分かる機能がついている。

 2人と暮らす様になってほとんどスマホを触っていなかったにも関わらず、毎日5時間以上も見ている事になっていれば流石に気づく。

 ロックの解除番号も誕生日だから、セキリュティ対策も甘かった事を思えば、何ら不思議はなかった。


 トイレに行った時や僕が寝た後……どのタイミングで2人が見ていたのかも把握している。


「どこまで見たんだ?」

「元カノとのやり取り全部と写真は全部チェックしてる。位置情報も確認して写真のお店は全部チェックしたから、パパがあの人と一緒に行ったお店についてはある程度把握してると思う」


 誤算としては、凪沙と行った店を念入りに調べられていた事ぐらいだろう。

 まさか菜月が由美に送った写真が僕が過去に撮ったものだとは思わなかった。

 凪沙以外の人と食事に行った際も写真を撮った事があるので、流石にピンポイントという事はないはずだ。それにしても1万枚を超える写真の中からそれを確認した2人の執念には恐れ入る。


 昼間の菜月の言動に不可解な点を感じた事も腑に落ちた。彼女は自分があの店を知っていた事をアピールしていて、僕を試していたのだろう。


「パパ聞いて、私が唆したの。菜月ちゃんは勝手に見る事を反対してたんだよ。だから悪いのは私なんだ」

「それは違うわ。私も結果的に自分の意思で覗き見するのを決めたんだから同罪よ」


 互いに庇い合う2人。ただ、分からないのは覗き見した動機についてだ。

 違うな、分からないなんて誤魔化しに過ぎない。薄々は気づいてるのに、それを素直に認められないだけだ。


「何故、スマホを覗き見したんだ?」

「パパ、私と2人で住んでいた時に、よくスマホをジッと見ている事あったよね?私が見ようとしたらいつも隠してたけど元カノの写真見てたんじゃないの?」


 確かにあの頃は凪沙の写真を見る機会が多かったと思う。

 あんな別れ方をしたのだ、未練がないと言えば嘘になる。


 「元カノと別れた理由もパパが大家さんになった経緯も菜月ちゃんから聞いた。元カノはパパのお金とかステータスしか見ていなかったのに、パパは今でもそんな人の事が好きなんでしょ?ヨリを戻す可能性は低いのは分かってる。でも、0じゃない。ヨリを戻したら私また捨てられちゃうんじゃないかって凄く不安だった」


 そんな事を思っていたのか……。確かに凪沙とヨリを戻すという話になれば、由美の事は問題になっていただろう。

 当時の僕を振り返って考えれば、由美と縁を切る事はなかったとは断言できない。

 彼女がこんなにも追い詰められていた事に気づかなかった自分を不甲斐なく思った。


「由美の気持ちに気づいてやれなくてすまなかった……」


 ほんと、自分から引き取るといった癖に……最低だ僕は。


「2人が信じてくれるかは分からないが、盗み見されていた事を咎めるつもりはないんだ」

「「えっ……?」」

「正直言うと、最初はプライバシーのない状況は苦痛だった。四六時中どちらかと顔を合わせているし、僕が1人になれるのは風呂とトイレだけ。正直ずっと監視されていると思っていたんだ」

「「…………」」

「だけど苦痛とは別の感情もあったんだ。凪沙は2人みたいに僕を監視する様な行動は取らなかったけど、それでも僕は気が休まる事はなかった。彼女は気分屋で、僕はいつ呼び出されるか常に気を張っていた。ずっと不安だった」


 僕はいつも不安だった。凪沙は僕なんかには勿体無い女性だ。

 若くて美人な彼女に見限られない様に、出来る範囲で彼女の要望に応えていたつもりだ。


 それが例え、僕からの呼び出しにほとんど応じてくれなくても、彼女からの誘いが突然であっても……。



 僕は昔から自分に自信が持てなかった。顔が良かった訳でも頭が良かった訳でもない。

 それに加えてコミュ力すら持ち合わせていなかったものだから、学生時代に彼女が出来る事もなく、仲の良かった友達なんて片手で足りる程度だ。それに高校3年の時は、バイトに明け暮れる毎日だった。


 最終学歴が高卒の僕は、本来であれば叔父の会社に入社する事さえ難しかった。

 コネ入社と馬鹿にされたくない一心で、若い頃は死に物狂いで働いた。

 その甲斐もあり仕事ではそれなりの成果を出せたとは思う。


 30歳になった頃、ふと思った。それなりに金も貯まった今なら、こんな僕でも彼女が出来るのではないかと……。


 軽い気持ちでマッチングアプリに手を出した。年収が割と高かった事もあり、返事は高い確率で返ってきた。

 その中で、見た目が優しそうな美人……凪沙と最初に会う事にした。


 何度かデートを重ね、僕から告白した。OKしてもらえるなんて思ってなかったから、成功した時は一生分の運を使い果たした様な気持ちになった。


 2人で居る時、『あんな美人がなんであんな男と……』と言われた事は数え切れない。

 僕はその度に優越感に浸っていた。周りからの妬みの声が、釣り合わないと思われる程の美女と連れ立って歩く自分が誇らしく思えた。彼女と付き合う事が僕の自己肯定に繋がっていたのだ。今思えば、自分でも歪んでいたと思う。


 別れた当初こそ喪失感に見舞われていたが、それを忘れさせてくれたのは目の前にいる2人だった。


「でも2人と居る時は不安は感じなかったんだ。束縛されているはずなのに、何故か気持ちは凪いでいた。この1ヶ月間ずっと一緒に寝ていた事もスマホを内緒で見られていた事も、考えてみればおかしな話なのに。もしかしたら、こんな僕でも君達みたいな素敵な女性に好意を持たれているのではないかと思ってしまったんだ。それは家族愛かもしれないし、もしかしたら僕の勘違いかもしれないけど……」

「先輩、私は好きじゃない人と一緒に寝る様な軽い女じゃありません!!あっ……」


 菜月は慌てて口を手で塞いだが、手遅れだった。そのまま顔を隠す様に俯いたが、耳が赤くなっている。


「菜月ちゃん、ズルい。抜け駆けしない約束だったじゃん。だったら私も……私だってパパの事、大好きだよ!!」


 由美は真っ直ぐに僕を見る。冗談……ではないのだろうな。


「勘違いではなかった様で安心したよ。女性の顔を比べるなんて失礼極まりないと分かった上で言わせてもらう。君達は凪沙よりも容姿が優れていると思う。そんな2人が仮に言葉だけで好意を示してくれたとしても僕は信じられなかったと思う。束縛や監視って何も思ってない人には普通はしないだろ?それらの行動に好意を感じ自己肯定に繋げる僕はおかしいのだろうけど」


 そう言って僕は苦笑いを浮かべる。2人はジッと僕を見つめるだけで何も言わなかった。


「2人の気持ちは嬉しかったけど、凪沙の事が僕の中で今だに燻っているんだ。申し訳ないが、今はどちらの気持ちには応えられない。もう少しだけ時間が欲しいんだ」

「先輩、実は……」


 悲痛な面持ちの菜月から伝えられたのは、予想だにしていない事だった。


「本当に凪沙が連絡をしてきたのか?」

「はい、先輩が元カノとヨリを戻す事を恐れていたのは由美だけではないんです。私も3人でいるこの時間を大切にしたかったんです。本当にごめんなさい」


 ヨリを戻される事への不安、凪沙の僕に対する態度への怒り、その結果が菜月を着信拒否という暴挙に走らせてしまった様だ。

 文句の一つでも言うべきなのだろうが、目に涙を浮かべる彼女の姿を見て僕は言葉に詰まってしまう。


「パパ、着信拒否については私も賛成した。菜月ちゃんだけが悪いんじゃない」


 由美も涙ながらに訴えかけてきたので、ついに僕は白旗を上げた。

 2人が互いを庇い合う姿に絆された形だ。我ながら甘いとは思うが……。


「分かったよ。その件については不問にする。その代わり着信拒否だけは戻してくれ」


 2人とも頷いてくれた。もし凪沙から連絡があれば、その時は彼女への思いに決着をつけよう。

 このまま連絡がなかった場合は……それならそれできっと時間が解決してくれるはずだ。

 

 他に隠し事がないか最後に確認してこの話は終わりにしよう。どうせこれ以上は出てこないだろうから。


「他に隠している事はないよな?」


 僕の質問に、意を決した様子の由美が口を開いた。もしかして、まだ何かあるのか?


「パパ、あのね。菜月ちゃんなんだけど……洗濯する時にパパの洗い物の匂いを嗅いでるの」

「ゆ、由美!?」


 慌てて口を塞いでこようとする菜月を躱して逃げる由美。確かパートナーのTシャツの匂いを嗅ぐ事でストレス軽減に繋がるという話をどこかで見た気がする。別にそれぐらいならさして怒る気もしないのだが……。


「その洗い物っていうのが、パンツなんだよパンツ。深呼吸してるの見て流石の私も引いたよね」

「………っ!?」


 ガバッという効果音が聞こえるぐらいに慌てて菜月を見ると、彼女は顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。


「ゆ、由美だってこないだ先輩の歯ブラシで歯を磨いてたじゃない!!あれ私が気づいて捨てなかったら次の日先輩使ってたんだからね!?」

「菜月ちゃん、まさか覗いてたの!?」


 2人のリアクションでどちらも真実である事が確定した。睨み合っている2人を見てらさっきまでの互いを思いやる姿は何だったのだろうかと眩暈がした。


 スマホの覗き見、着信拒否の比じゃない……流石の僕も若干引いてしまった。


 そんな僕の様子に気づいた2人が口を揃えて言った。


「「信じて、一回だけしかやってないの!!」」


 2人とも……《しか》って言葉の使い方、間違ってるからな。



――あとがき――


 鈍感な優大でも1ヶ月以上も添い寝・監視、それ以外の2人の行動から、もしかしたら……は当然考えると思います。自己肯定感が低い人が、自分とは釣り合わないと思う相手から好意を示されたとしても素直には受け入れる事は難しいかなと。


 元カノとの関係性も影響し、放置=愛情を感じない、束縛(監視)=愛情を感じるという今の優大が出来上がってしまった。


 3人とも揃って拗らせてしまっている……で納得してくだされば嬉しい限りです。

 ここに至るまでの過程をしっかり書けなかった点を申し訳なく思います。その辺をきっちりやろうとすると話が進まないのでつい……。


 フォロー数が減るのは覚悟しておりますが…何卒ご容赦いただけると幸いです。

 これからも宜しくお願い致します。

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