神剃り

棚霧書生

神剃り

 診察室なのに壁紙はピンクで、棚にはクマやイヌをモチーフにしたぬいぐるみが飾られている。初めてここに来たときは部屋を間違えたかと焦ったものだったが、二週間に一度のペースで一年ほど通っているので、すっかり見慣れた光景になってしまった。

 丸椅子に座って手近にあるクマのぬいぐるみを手に取り、しばらくいじくり回していると診察室の扉が開いた。ドクターが向かいの椅子に、どっこいせとおっさん臭い言葉をつぶやきながら腰かけた。

「どうですかァ、調子は」

 かすれ気味の低い声は力が抜けている。良く言えばリラックスした、悪く言えばやる気の感じられない態度だ。

「変わらないですよ。僕の頭の中で悪意はわき出てくる、人を殺さないように、殺さないようにって、そればっか考えてます」

 僕は頭がおかしくなってしまった。神憑きになってから、暴れたくてたまらない、人を傷つけたい気持ちが抑えられない。

「お薬があってないんですかねェ。他の神憑きの人も効いたり効かなかったりでまちまちなんで、あまりお気になさらず。別のお薬、試してみましょうかァ」

 ブチィ……手の中にあったぬいぐるみの頭と胴体が別れる。僕が千切ったから。こぼれ出た白い綿にはなんの感慨もわかない。

「ドクター……もっと即効性のある対処法はないのでしょうか。僕は限界ですよ、もうずっと限界なんです。この張り詰めた殺人衝動を、どうにかしてもらわないと……」

「目白木アスラさん、あなたは私を殺したいですかァ?」

 ドクターの頭と胴体が別れたら、どんなふうに血が飛び散るのだろう。試してみたい。

「はい、今すぐにでも殺したいです」

 ドクターは天を仰ぎ、人差し指で空中をくるくるとかき回した。なにかを思案しているらしい。

「男性、二十四歳、神憑き、殺人衝動あり……まあちょうどいいかァ……」

「ドクター?」

「目白木さん、まだこれは試験段階なのですが、神憑きの殺人衝動や攻撃性を抑える手術があります。それを受ける気はありますか」

「手術があるんですか!? どうして早く言ってくれなかったんですか!」

 僕は立ち上がってドクターの胸ぐらを掴んだ。ここで僕が神憑きの能力を使えばドクターの人生は終わる。だというのに、ドクターはまったく冷静で、乱暴を働いた僕を落ち着けるように胸ぐらを掴んだままの手をポンポンと軽く叩いた。

「試験段階だからですよ。先週の会議で被験者を募集することに決まったばかりなんです。我々の間ではハンロンの剃刀計画と呼んでいます」

「ハンロンの剃刀計画……その手術を受ければ僕は普通に……神憑きになる前の僕に戻れますか?」

「戻れるとお約束はできません。脳の一部を切りとる手術なので、危険もあります」

「脳の一部を! そんなことして大丈夫なんですか!?」

「あなた方、神憑きは脳の形状が一般とは違っていることがすでに知られています。たんこぶをイメージしてもらえればいいですかねェ、脳みその一部が膨らんでいるんです。そこが特殊な働きをして、まるで神が憑いているとしか思えない能力を発揮するわけで……。ポコンと膨れたところを切っても、日常生活に支障はないと考えられます。神憑き以外は、もともとそれで生活しているわけですしねェ」

「なら、膨らんでいるところを切ってしまえば神憑きの能力は失われて、僕が苦しめられている殺人衝動もそぎ取られるということですか」

「そこはやってみないとわかりません」

「そんな……」

「神憑きになった人たちが強い殺人衝動を抱くケースは多く見られます。これは膨らんだ脳みその分、前頭葉が圧迫されるからではないかとかホルモンのバランスが崩れるからではないかとか、色々な説がありますが確実なことはわかっていません。ただ神憑きとそうでない人の違いは脳の形状にあることは確かです。切除をして脳の形を戻せば……可能性はあると思いますよォ」

「神憑きの能力を失い、殺人衝動だけが残ることはないんですか?」

「その可能性もありますねェ……」

 ドクターが伸びたヒゲを撫でる。さっきまでは生えてなかった。胸ぐらを掴んだときに僕が無意識に能力を使ってしまったか。

「目白木さんの神憑き能力が失われるのは惜しいですねェ。細胞活性化、上手く使えればどんな怪我もたちどころに治してしまうでしょう」

「僕がどれだけの人の老化を早めたか、そして死に追いやったか、知ってて言ってます?」

 細胞分裂の回数は生涯で決まっている。分裂のスピードを早めれば寿命はそれだけ縮まる。

「もちろん、知ってますよォ。私は目白木さんの担当医ですからねェ」

 ドクターは薄っすら笑っていた。笑うところじゃないだろうに。

「手術のこと、受ける方向で話を進めてもらえますか」

「ハンロンの剃刀計画の被験者に立候補するということで」

「ええ、お願いします」

 今日の診察時間の終わりが近づいていた。


 診察後、自分に割り当てられた病室に戻り、神憑き 手術、で検索してみた。しかし、目ぼしい情報は見つからない。ドクターも先週決まったばかりの手術だと言っていたし表には出ていないのかもしれない。

 暇つぶしに動画サイトを開く。トップに神狩屋ミネイの動画が出てきた。僕がよく見ているクリエイターだからだろう。

 神狩屋ミネイは僕と同じ神憑きだ。だが、彼は僕と違って殺人衝動を始め、ネガティブな精神症状がないらしい。

『神憑きも普通の人間だ。みんなと変わらないよ』

 神狩屋の動画はそういうメッセージが多分に含まれている。彼の能力は重力操作で、動画の中では色んなものを浮かべたり、圧縮させたりしている。神憑きの絶対数は少ない、動画クリエイターとして活動しているのも僕が観測している範囲では神狩屋くらいだ。彼は現役大学生で穏やかな口調に顔がいいのも相まって、結構人気がある。

 いいな、と思ってしまう。僕はこの病棟から出られない。殺人衝動をなんとかしない限りは、社会に参加することすらできない。

「ハンロンの剃刀計画……」

 検索窓に打ちこんでいくと、ハンロンの剃刀でサジェストが出た。説明ページに飛ぶまでもなく、意味が表示されている。

「無能で十分に説明できることを悪意のせいにしてはならない……。なんでこんな意味の言葉を計画名にしたんだ?」

 計画名のセンスはよくわからなかったが、僕の希望はこの計画の手術にある。


 二週間後、僕はまた診察室でドクターと向き合っていた。

「随分と早くないですか? 先生方も初めての試みなんですよね」

 僕が疑問に思ったのは手術の日程だった。

「上の決定だからねェ、私からはなんとも……」

「被験者として参加が決まったのはいいんですが、手術日が三日後って……」

「今回はやめておきますかァ?」

「やめません。手術は受けます」

 僕は即答した。ハンロンの剃刀計画自体、試験段階と言っていたからいつ中止になってもおかしくはないだろうし、僕の現状を変えるにはこれに賭けるしかないと思っていた。チャンスは逃したくない。

 その日はたくさんの契約書にサインをした。ドクターの説明によると明日から手術に向けた検査が始まるらしい。いよいよだ、これがうまくいけば、僕は人を殺したくなる衝動から解放される。

 診察室から出てから、廊下で意外な人物とすれ違う。神狩屋ミネイだった。あっ、と思わず声が出る。

「はい?」

 神狩屋が僕の声に反応して、立ち止まる。わっ、と緊張した。なんで声を出しちゃったんだろうとちょっと後悔し始める。

「か、神狩屋ミネイさんですよね、動画拝見してます……えっと、僕も神憑きでこの病院に隔離されていて……あー、その、応援してます……」

 言葉に詰まりすぎて恥ずかしい。もっとスラスラ喋りたかったものだ。

 僕のたどたどしいコメントに神狩屋は嫌な顔ひとつせず、花が咲くように笑った。

「神憑きのリスナーさんに初めて会いました! 病院で生活するのは大変だと思いますが、頑張ってくださいね!」

 神狩屋は懐からフォークを取り出して、あっという間に重力で潰して団子にしてみせる。動画でよく披露している彼の小技だ。きっとリスナーである僕のために目の前でやってみせてくれたのだろう。

「これがホントのフォークボール、なんてねっ! 記念にいりますか?」

「欲しいです、ありがとうございます!!」

 僕はこの瞬間、もともと好きだった神狩屋をさらに好きになった。大ファンである。

 病室に戻ってから、もらったフォークボールを眺めてニヤニヤしているときにふと思った。神狩屋は精神症状のない神憑きのはずなのに、なぜ僕と同じ病院にかかりにきていたのだろう。

 この病院は神憑きを専門に診ているから、神憑きである神狩屋が来ることはそこまでおかしいことではないが……。まさか、動画内では隠しているだけで神狩屋にも精神症状があるのだろうか。

 スマホで神狩屋の動画を最新のものから再生するが、神狩屋は至って穏やかで牧歌的な男にしか見えなかった。


 手術が行われる日、僕は開始時間直前まで神狩屋の動画を見ていた。手術が終わったら、殺人衝動は綺麗さっぱり消えて、僕も神狩屋のような温厚な人物になっているはずだと信じて。

 手術台に横になったまま麻酔を待っていると、隣にもうひとりの被験者がいることに気がついた。ふたり同時に手術をするのだろうか、そんな説明はなかったが……。目隠しで塞がれていたので隣にいるのがどんな人物なのかはまったくわからなかった。

 状況を尋ねる前に全身麻酔が始まり、僕は意識を失った。そして、目覚めたときには手術は終了していた。


「気分はどうですかァ?」

 経過観察のカルテをドクターがパソコンに打ち込んでいく。カタカタカタというタイピングの軽い音すら僕を祝福する拍手に聞こえる。

「最高ですね。誰も殺したくありません。殺したくて殺したくてたまらなかったのが嘘みたいです」

 膝に乗せたウサギの人形をゆっくりと撫でる。壊したい気持ちにはちっともならない。

「殺人衝動なしと……。神憑きの能力の方は失われていなかったんでしたよねェ」

「そうなんですよ、ドクターのお話だと能力を司る部分を切除するとのことだったので、神憑きではなくなるのだろうと思っていたんですが、能力はそのままで殺人衝動だけなくなったんです!」

 僕にとって手術は最良の結果をもたらした。経過観察が済んで、僕が他者を傷つけることはない、脅威ではないと認められれば、社会復帰だってできるはずだ。神憑きになってから、隔離されて過ごしてきたがやっとここから抜け出せる。

「ドクター、僕の能力は上手く使えば役に立つって言ってましたよね」

「怪我を治す力ですからねェ。使いようはいくらでもあるでしょうよ」

「僕も人を元気づけられる活動をしたいなと思っているんです、神狩屋ミネイみたいに」

「……神狩屋」

 ドクターの声が小さくなる。神狩屋ミネイを知らないのだろうか。ドクターは神憑きの研究をしているから、当然神憑きである神狩屋のことを知っているものかと思っていた。

「ご存知ないですか。配信や動画をやってる神憑きの活動者です」

「知ってますよォ。彼も私の担当だからねェ……」

「えっ……それって……」

 神狩屋も神憑きによるなんらかの精神症状に苦しめられているということか。

「目白木さんには少々手伝ってもらいたいことがあります。神狩屋さんに関わることです」

「あの、話が突然過ぎてなにがなんだか……」

「あなたのほかにハンロンの剃刀計画に参加した方がいます。それが神狩屋ミネイさんです」

 だから、病院内で見かけたのか。もしかして、手術の日に隣に寝ていたのは神狩屋だったのだろうか。しかし、あの神狩屋ミネイが僕と同じ手術を受けることを希望するとは到底思えない。僕が鎮静剤と拘束で乗り切っていた殺人衝動が、彼にもあったのだとしたら……いや、ありえない、そんな衝動があったのなら、動画であんなにも穏やかな人物として振る舞うことは不可能だ。

「どこまで目白木さんに話すべきか、結構もめたんですけどねェ。私はすべて話そうと思うんです。我々、人間同士じゃないですかァ。信頼関係を築くほうがいいと思うんですよォ」

 ドクターは誰ともめたのだろう。病院の他の先生たちか。

「まあ、これ喋ったのがバレたら私は物理的にクビ切りされちゃうと思うんで、目白木さんにはなにも知らないフリをしてほしいのですが、できますかァ?」

「今……物理的にクビ切りって言いました?」

「ええ、言いましたねェ。実際どんなふうに処分してこようとするかはわかりませんが、命の危険があるという意味で使いました」

「えっ……えっ……?」

 理解が追いつかない。僕はなにかとんでもないことに巻きこまれそうになっているのか。もしかして、ドクターの話は聞かずにこの場を立ち去ったほうが僕のためなのではないか。じわりと手のひらに汗をかく。

「ふふふ、殺人衝動があったときは私を殺したいと堂々と言ったあなたが、そんなに動揺しているのは面白いですねェ」

「うっ、すみません……」

 そうだ、ドクターは殺人衝動のある危険な精神状態の僕に付き合ってくれたじゃないか。それに神狩屋も関わっているというし、ここで逃げたらずっと心に引っかかりを抱えることになるんじゃないか。

「神狩屋くんになにかあったんですか……」

「始まりはハンロンの剃刀計画が持ち上がったことでした。計画自体は精神症状に苦しむ神憑きを、脳の一部を切除する手術によって救うことを目標にしていた、と私たちは思わされていました」

「思わされていた……? 神憑きを救うことが目的ではなかったってことですか?」

 ドクターはうなずく。

「目白木さんと神狩屋さんには申し訳ないことをした。私は政府の企みに気がつけなかった」

「政府……、あの手術は国までからんだプロジェクトだったんですね」

 能力の制御が不安定だったり、精神症状が出ていたりする神憑きは国に保護されているから、バックに国がついているのは当然といば当然のことだった。僕も国からの援助で生活をしている、保護されている神憑きのひとりだ。

「神狩屋ミネイさんの力を研究したいと政府が申し入れたんです。他の神憑きたちを助けるための研究だと言ってねェ。脳の波形をとるだけだと説明されていました。その説明したのは私です」

「でも、違った」

「ええ、そうです。私も当日になるまでまったく知らされていませんでした。あの手術の日、目白木さんは脳の一部切除したのは本当のことです、しかし神狩屋さんは脳の波形をとられたわけではなく、目白木さんと同じように脳の一部切除をされました」

「殺人衝動もない神狩屋をわざわざ手術した? 神狩屋の能力が強すぎるから、危険因子になる可能性があったから、神憑きの能力を失うことを狙って無理矢理手術したってことでしょうか?」

 神狩屋の能力は重力操作だ。その気になれば、ひとりで小国を滅ぼすくらいはできるのではないかとまことしやかにウワサされている。

「違います。それだけなら、まだマシでした」

 ドクターが伏し目がちになって深いため息をついた。拳は膝の上で硬く握られている。

「目白木さんと神狩屋さんの手術は同じ手術室で同時に行われました。あなた方ふたりの脳の一部は……入れ替えられたんです」

 入れ替えた、脳を、僕と、神狩屋の。

「そんなことできるはずない……。僕と神狩屋は他人だ、拒絶反応だって起こるでしょう」

「難しい話は省きますが、目白木さんと神狩屋さんは相性が悪くなかったんですよ。それに政府側はハンロンの剃刀計画が失敗してもよしと考えているようでした」

「僕たちが死んでもいいと……? だいたいなんのために脳を入れ替えるなんてだいそれたことを……」

「政府に都合のいい、扱いやすい神憑きを調達するためですよォ」

 僕はこの続きを聞きたくないと思った。悪意の気配がした。知りたくないけど、僕は神憑きだから、手術も受けてしまったから、無関係でいるのはきっと無理だ。

「神憑きの能力は有効活用したい、けれど殺人衝動があるのは困る。政府の研究者は殺人衝動の原因となる脳の部位を突きとめていたようです」

「待ってください、殺人衝動を起こす場所が特定できていたなら、そこだけを切ればいいんじゃ……」

「それは……ダメだったらしいですよ」

 ドクターが目をそらした。僕より前に脳切除の手術を受けた神憑きがいたということか。ドクターの反応からしてその人はたぶん、もうこの世にはいないのだろう。

「ドクターはどこまで知ってたんですか! どこまで知ってて、僕に手術を……」

「申し訳ないことをしました。知らなかったからといって許されることではないと考えています。だから、このお話を目白木さんにしています。私のことは許さなくっていいです。しかし、神狩屋さんを気にかけてあげてはもらえませんかァ」

「そうだ、神狩屋くんはどうなったんです。僕と同じ日に手術を受けたということはもう目覚めているんですか」

「鎮静剤で眠らされています」

「殺人衝動ですね、僕の感じていたあれが今は神狩屋くんの頭の中にあるってことでしょう」

「冷静ですねェ、目白木さん」

「モヤが晴れたみたいに思考がクリアなんです。これは本当は神狩屋くんのものだったのでしょうが……今は僕のところにあります……不思議な感覚ですよ」

「神狩屋さんを目白木さんの能力で治してみてくれませんか」

「僕が神狩屋くんを治す? しかし、神狩屋くんが苦しんでいる原因は頭の中にある殺人衝動を生み出す脳にあります。あれは壊れているわけではないのですよ……元々の持ち主の僕だって自分で治せるものならとっくのとうに治しました」

「先ほど目白木さんはモヤが晴れたように思考がクリアだと言いましたねェ。神狩屋さんは神憑きの中でも能力のコントロールがずば抜けて優秀でした。今の目白木さんなら、前よりも上手く能力が使えるとは思いませんかァ」

「それは……」

 あり得るかもしれない。僕はずっと殺人衝動に悩まされていた。意識の何十パーセントかを常にそちらに割かなければいけなかった。でも、今の状態なら能力の行使に集中できる。

「神狩屋くんはどこにいるんですか、彼のところまで連れてってください」

 政府はもしかして、この状況を狙っていたのではないだろうか。回復の能力を持つ僕が正常に働けば、他の殺人衝動を持つ神憑きを治せるかもしれない。しかし、そんなに上手くいくものだろうか、確証はなにもない。


 ドクターに案内されて、病棟の最上階にある部屋に通された。部屋の中には透明ガラスに四方を囲まれた小部屋があってその中に神狩屋ミネイは閉じこめられていた。

「あー、ううーあー……」

 床に突っ伏してなにか呻いている。目は虚ろで口からよだれが垂れていた。僕の脳を入れられてしまったばかりに、神狩屋はこんな姿に……。

「神狩屋ミネイ……僕のことわかる? 君の大ファンで、フォークボールも直接もらったことがあるんだ」

「ああっ、ああああっ、あああああああ、俺を殺せっ殺せっ! でなければ殺すぞ!!」

 神狩屋の口から殺すなんて言葉が出るなんてショックだが、彼の本意ではないことは僕が一番わかっているので心は落ち着いている。

 ドクターがロックのかかっていた扉を開けてくれる。その途端、中にいた神狩屋が飛び出し僕に掴みかかった。

 その瞬間、僕の体は。

 潰れた。


 目が覚めたとき、もっと正確に言えば眼球と視神経の修復が完了したとき、僕は惨状を見た。

 辺り一体、ガレキの山になっていた。山というか、病棟があった場所を中心に地面は蟻地獄のようにへこんでいた。崩れた建物の残骸からは血の匂いが漂ってくる。ドクターは普通の人間だったから死んでしまっただろうなとぼんやりと思った。

 神狩屋が重力操作で病棟を全壊させたらしい。見渡す限りガレキ以外なにもない。どれほどの範囲が潰されてしまったのか、ちょっと検討がつかなかった。

「ころせころせころせころせ……ころしてころす……」

 神狩屋がブツブツ言いながら突っ立っていた。手のひらで顔を覆っている。まだ衝動がおさまっていないのだろう。僕は一歩一歩ゆっくりと彼に近づく。

「殺せっ、死ぬっ、殺すっ、死ねっ!!」

「大丈夫だよ、神狩屋くん。つらかったね」

 僕は両腕を大きく広げた。

 僕が神狩屋の脳を治すのが先か、神狩屋が回復ができないほど僕を潰すのが先か。どっちにしてもこれだけは言っておかなくちゃいけない。

「君は悪くないよ」

 僕は神狩屋を力いっぱい抱きしめた。


終わり

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