第5話 遺恨と意向
金髪を高い位置で縛ったポニーテールの女の正拳突きを、咄嗟に首を捻って躱す。
それを見た彼女は即座に腕を引き、ながらに左拳で俺の腹を狙う。
だが、それは防御に手が残っていない事を示す。
正直、技量で俺が勝る事は数年経たないと無理だろう。
経験から来る読み合いや、明確に型にされた姿勢は、素人のラッキーパンチを許さない。
なら、俺がこの女に一矢報いる為に必要な行動は【意表】を突くだ。
気合入れろ。
体重五十キロ前後の女のパンチ一発。
喰らっても涙が滲む程度で済むだろ。
ガードしない。
そうすれば、その分を攻撃に当てられる。
「っ!?」
横腹のフック。
それを受けながら前に進む。
この一ヵ月、機械の様に無表情だった紀遠の顔色が、初めて変わった。
「っし!」
思い切り、その顔にストレートを見舞う。
間違いなく、決まった。
そう思った矢先。
感触の緩さを感じた。
まるで、自分で首を後ろに捻ったみたい。
そう思った瞬間、弾かれた紀遠の顔が身体ごと回転する。
延ばされた腕も、支柱の回転と共に裏から回る。
「はぁ?」
遠心力が乗せられた手の甲が、俺の顔を側面から撃ち抜いた。
「べっ!」
衝撃で身体が数歩下がる。
やべぇ、頭が混乱してる。
視界が揺れる。
前を見ようと顔を上げた。
既に、紀遠は俺の目前に詰めていた。
その身体が蛇の様に撓り、俺の身体に巻き付いて来る。
地面に倒され、腕を取られ、寝技に持ち込まれ、両腿で首を絞められる。
こうなったら終わりだ。
抜け出すのは不可能。
意識が落とされ。
回復スキルで起こされ。
再戦。
いつもの流れだ。
「今の一戦は成長を感じましたよ」
そう言いながら、足の力を強める紀遠はいつも通りの澄ました表情に戻っていた。
『『ピロン』』
部屋の隅に置いていたスマホが鳴った。
俺と紀遠の二つ同時にだ。
その音を聞き、紀遠の力が緩められる。
「少し休憩にしましょうか」
そう言って紀遠は立ち上がり、スマホの方へ歩いて行った。
同時に、後ろ手にスキルが発動され俺の身体が一気に楽になった。
「うす」
はぁ、毎度死ぬかと思うぜ。
それでも死んでないんだから、ちゃんと死なない様に調整して絞めてるんだろう。
1ヶ月。
俺は格闘訓練に務めている。
うちのギルドは気前がいい。
具体的には固定給がある。
ダンジョンに行かずとも給料が出るのだ。
しかし、なんの成果も出してないのに金を貰うってのは悪い気がする。
早く戦力になってやりたい物だ。
正直、このギルド潰れ掛けだし。
俺がなんとかしてやらねぇとおっさんも困るだろ。
そんな事を考えながら、俺もスマホをチェックした。
『紀遠と一緒に社長室に来てくれ。仕事だ』
簡素なメッセージ。
送り主はうちの社長。
竜吾だ。
「券痲、行きましょうか?」
「あぁ」
仕事って事はダンジョンに行くんだろう。
1ヶ月の訓練で少しは戦える様になった。
紀遠に習って魔力を増やす訓練もしてる。
それとダンジョンに関する勉学もだ。
けど、スキルが使えないのは変わってない。
そんな状況で俺に何ができるのか。
まぁ、そこまで難しい仕事は言われないだろう。
そう、軽く考えて社長室に向かったのが間違いだった。
◆
「B級ダンジョンに取り残されたエクスプローラーの救助……ですか?」
社長室には竜吾以外に5人の人間が居た。
全員エクスプローラー。
そして彼らが依頼主。
依頼の概要はこうだ。
こいつ等は10人でダンジョンに居た。
戦闘中2人が負傷。
逃げたが3人が取り残された。
2人は重症を負っていて、即入院。
残った5人がこいつ等だ。
更に、こいつ等は企業所属じゃない。
個人エクスプローラーが集まった集団だ。
とは言え、付き合いや絆はあるのだろう。
じゃなきゃ、態々助けるなんてしない。
しかし、10人で行って無理だった場所に5人で行って上手く行くとは思えない。
救助した後は怪我人抱えながら帰らなきゃいけない訳だしな。
だから色んなギルドを回って頼んだ。
けど、どこも急な依頼で隊を用意できず。
断られ続け最後に来たのがうちって訳だ。
因みに、こいつ等は4人がC級。
1人だけがB級だ。
その面子で行くのは無謀だろう。
それこそ、A級の回復役でも居ない限り。
「了解しました。しかし竜吾さん、一つ質問があります」
「あぁ、なんだ?」
「なぜ券痲も一緒なんですか?」
「分かってるだろ?」
「チームの人間が計7人。要救助者を合わせれば10人。その人数で行動すれば券痲のスキルの発動条件が整う事もあるかもしれない。それは理解できます」
なるほど。
それが理由か。
確かに、その条件なら神貨を出せるかも。
「しかし、まだ危険すぎると思います」
紀遠はそう言って竜吾を睨む。
すると竜吾も真面目な表情で応えた。
「だからだよ。お前一人加わったって俺は上手く行くとは思わない。だから券痲を連れて行かせる。こいつは最後の切り札だ。それにお前が一月も面倒見たんだから、もう行けるだろ?」
折れたのは、紀遠だった。
「……分かりました。券痲、私の傍から離れないで下さいね」
「お、おう」
割って入れる雰囲気じゃ無かった。
流石高ランクのエクスプローラー。
迫力が違うわ。
「ちょっと待ってくれ」
俺と同じ、迫力にビビって今まで黙っていたのだろう。
依頼に来た5人の内の1人が、そう声を上げる。
「俺たちが頼んでるのは紀遠さんの同行だけだ。こいつは誰だよ?」
「あぁ? テメェ初対面の人間に対する口の利き方も知らねぇのか、ぶっ飛ばすぞ」
「お前も知らねぇだろ」
「券痲が言える事ではないですね」
うるさいわい。
「こいつはE級だ」
「はぁ? そんな奴連れてける訳ねぇだろ!」
「
たいと?
多分、下の名前だよな。
「おっさんの知り合いなのか?」
「一月ほど前まで、このギルドに所属してた人ですよ。他の方も半分ほどはそうです。一期一会ですね」
紀遠がそう教えてくれた。
一期一会はなんかもうちょいポジティブなイメージがある気がするが……
つうかそれって……
「だいぶ都合の良い話だな。泥船と分かるやさっさと辞めたクセに、自分達が困ってる時だけ手伝って貰うって」
「券痲、それは俺がしくじったせいだ。辞めた奴を責める気はねぇ。お前も、その話はやめろ」
「……まぁ、おっさんがそれでいいならいいけどよ」
それでも⋯⋯
そいつ等を助けるってのは可笑しい話だ。
おっさんだって大変なハズだろ。
つうかおっさんが一番気にしてる事だろ。
それを蔑ろにして都合の良い頼み事なんて、キレて当然だと俺は思うけどな。
「……だから俺は反対だったんだ」
拳を握りそう呟いた泰斗という男を他の仲間たちが説得する。
「仕方ないだろ、他の所には何処も断られたんだから」
「そうですよ。私達にはもう幻鱗さんや芹沢さんに頼むしか……」
「……っ、分かってるよ!」
そう言って怒鳴ったところで、おっさんが割って入る。
「人の会社で言い合ってんじゃねぇよ。つうか、早く行かねぇとそいつ等死んじまうぞ? どうするんだ泰斗」
ギルドマスターとして。
竜吾は最終確認を問う。
それに泰斗は答えた。
「分かった。そいつも連れて行く。協力してくれてありがとう」
そうして、俺は久しぶりにダンジョンに行く事になった。
◆
怖いとは、思わなかった。
一月と一週間前。
おっさんと紀遠と出会った時。
あの時の魔獣の恐怖を知っている。
あそこは、奥へ行くほどダンジョンの難易度が上がっていくタイプの大型ダンジョンだった。
おっさんや妃遠曰く。
その最奥に居たA級がティラノだ。
比べて、今回行くのはB級固定。
あのティラノみたいな奴は居ない。
俺は給料で新調した短剣を装備して、ダンジョンに入っていた。
ダンジョン内は紫に近い空色をしていた。
タイプは森林型と呼ばれる物だ。
文字通り、そのほとんどの環境を森が占有している。
見透しは悪いし、足場も整ってない。
結構、環境的には酷い方だ。
「券痲、これを渡しておきます」
そう言って紀遠から渡されたのは青い宝石の様な物だった。
「なんだこれ?」
「魔力結晶です。これを摂取する事で、魔力を回復させる事ができます。焼肉弁当ですね」
肉関係ねぇな。
また焼肉食いてぇな。
これ終わったらおっさんに奢らせよう。
「けど、こんなのがあるんだな」
サイズは小指の爪先程。
食おうと思えば普通に食える。
「売ってるのか?」
「売り物もありますが、今は予算がありませんから自作しています」
「自作……?」
「魔力の増加訓練で水晶に魔力を溜めているでしょう? あれを抽出する事でこの結晶を作ることができるんです。まぁ、10回込めて全快分程度なので、あまり自作しても効率的ではありませんが」
そう言いながら小袋を渡してくる。
その中には数十個の結晶が入っていた。
「でも、連続使用は5つ程度までに抑えて下さい。副作用は後で来ますから」
「了解」
最後列でそんな話をしていると、前の奴等から声が掛かる。
「道は分かってる。ついて来てくれ」
「了解しました」
「おう」
「お前は、E級なんだから出しゃばるなよ。後ろで大人しくしとけ」
「はいはい。さっさと道案内しろよ」
「ッチ、行くぞ」
因みにB級なのは、あの泰斗という男だ。
紀遠がA級。
泰斗がB級。
他がC級。
俺がE級。
上と下の差が凄いな。
それに、泰斗の言う事が最もなのは事実。
神貨が無ければ俺には何もできない。
まずは、アシストに回るとしよう。
おっさんも、紀遠も、俺にそういう役をやらせるつもりな事は明白だった。
その為に必要な道具を幾つも渡されたしな。
そう考えていた矢先の事だった。
「「「キュイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!」」」
1匹2匹じゃない。
十数……いや20以上居る。
息を潜めて、俺達が通るのを待っていたのか。
巨大カマキリ。巨大ダンゴムシ。巨大テントウ虫。巨大芋虫。巨大ムカデ。巨大蜂。
全部が全長1メートルを超えるサイズ。
キモイ虫モンスターの勢揃いだ。
「行くぞ!」
即座に戦闘が開始される。
敵は多い。集まって来る前に仕留める。
全員のそんな意思が感じられた。
紀遠も愛用の杖を構え、スキルの発動待機している。
余裕はある。
こいつ等結構強い。
泰斗は炎を使うアタッカーらしい。
虫は火をビビってる様でかなり有効だ。
けど。普段とは人数も隊列も連携も違う。
「クソ!」
足元を掬われる。
文字通り、地中から伸びたムカデの身体が泰斗の足に巻き付いていた。
「邪魔だ!」
即座にそれを炎を宿した長剣で切断するが、苦しそうに泰斗は膝をついた。
「くっ。いつもなら斥候が感知してくれるのに……」
足が紫に変色して腫れあがっている。
毒だ。
「おい、解毒薬だ。さっさと飲め」
「お前……E級。ッチ、貰ってやる。貸した気になってんじゃねぇぞ」
「お前等には俺を守って貰わねぇといけねぇからな。貸してるつもりはねぇよ。わかったらさっさと戦え」
「ムカつく奴だなお前は」
奪う様に解毒薬を俺の手から取り、それを一気に煽る。
「お前もな」
俺のその言葉を聞き流しながら、泰斗はムカデに突撃して行った。
それを見ながら、俺は紀遠の位置まで下がる。
「どうですか?」
「あぁ、上手く行った……」
感触を思い出す様に、力を込めて。
俺はそれを握りしめた。
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